満開だった桜もその様相がだいぶ変わってしまった。
枝と緑色の葉が目立ち、白い花弁はぽつりぽつりと残っているくらいだ。
もうすぐ全ての花が散るだろう。
それでも、深夜の外灯に照らし出された桜の花は残りの命を主張するように白く輝いていた。
「もう少しで終わりか……」
コンビニの袋の中にはジュースとお菓子がいくつか、それからミユキさんの好きなバニラアイスも入っている。
桜の花が全て散る頃にミユキさんは出ていく。
そういう約束で居候させている。
彼女がいなくなったら私は……。
「……せいせいする。間違いない」
夜桜を見上げて私は鼻を鳴らした。
ここ最近のミユキさんは特にアクティブに私と関わろうとしてくる。
『チヒロちゃんかき氷一緒に作ろうよ!』『チヒロちゃん、今日はお洋服買いに行こ!』『チヒロちゃん白髭危機一髪買ったの! 一緒にやらない?』『チヒロちゃんマッサージしてあげよっか? いいからいいから!』『チヒロちゃんカラオケ行きましょーよ! 嫌? じゃあ、ここでやる?』『チヒロちゃん私の胸に飛び込んでおいで!!』『チヒロちゃん今日も可愛い、ぐへへ……』などなど。
毎日毎夜、時には昼にも私の部屋に突撃し、私を構おうとするミユキさん。
私に気を遣っているのかもしれないけど、ミユキさんに構うことで私がゲームをする時間は確実に削られている。
私は袋の中のアイスに目を落とした。
「なんで買っちゃったんだろ……」
ミユキさんに渡せば『チヒロちゃんありがとう! やっぱり私のこと好きなのね!!』と調子づかせること間違いなしだ。
「食べちゃえばいいけど……アイスの気分じゃないしな」
家まであと五分。
「ただいま……え?」
玄関ドアを開けて家の中に入ると死んだはずの父と母が待っていた。
二人が笑顔を浮かべて私を出迎えたのだ。
「パパ、ママ?」
うそ、なんで? もう会えないはずなのに……、だから思い出さないように、忘れたかったのに……、どうしてここに……。
私は自然と二人に近づいていた。
優しく微笑む両親に。
思い出したくもなかった二人の元に。
「……パパ、ママ!!」
いつの間にか涙が頬を伝っていた。
ぎゅっと抱きしめた途端、両親はボロボロと崩れた。
まるで雪だるまのように。
は?
「……冷たい」
というか雪だった。
それは私の両親を完璧に模した雪の彫像だったのだ。
こんなマネができるのは。
「ご、ごめんねチヒロちゃん!! もっと耐久力を上げるべきだったかも」
私の前に、慌てた様子で近づいてきたミユキさんが雪を回収し始めた。
「……あの部屋を開けたんですか」
びっくりするほど冷たい声音で私はミユキさんに尋ねていた。
両親の顔をミユキさんが知っているはずがない。
ミユキさんは叱られる前の子供のようにうつむいた。
「その……家中探してもチヒロちゃんのご両親の写真がなかったから」
「だから『立ち入り禁止』って張り紙がしてある部屋に入ったんですね?」
「……」
ミユキさんは押し黙った。
いつもより小さく見えるのは気のせいか、はたまた雪の彫像を作るのに雪でも降らせて力を失ったからか。
「……どうしてこんなことをしたんですか?」
「それは……チヒロちゃんが寂しそうだったから。ご両親に会わせてあげたら喜ぶかなって……」
「私がいつ寂しいって言いましたか!?」
叫ぶような怒鳴り声が出た。
ミユキさんは目を見開く。
私は後ろ手に玄関扉を指さした。
「……あなたは踏み込み過ぎました。出て行ってください。そういう約束です」
淡々と告げるとミユキさんは弱弱しく微笑みを浮かべた。
「そっか、ごめんねチヒロちゃん。……今までありがと」
バタン、と扉が閉まりミユキさんは出て行った。
立ち入り禁止の張紙の部屋は半開きになっていた。
私は電気も付けずに部屋の中へ入る。
ベッドがあって、箪笥があって、それだけ。
両親の寝室。
今は誰も使っていない空き部屋。
ただし、いたるところが刃物で傷つけたように斬り傷だらけだった。
壁も床も箪笥も、ベッドも全て。
そしてベッドの上には顔の部分を入念に切り裂かれた家族の写真が乱雑に投げ捨てられている。
全部、私がやった。
幸せな過去なんて思い出したくもない。
戻ってこないものにすがるのは無意味だ。
だから封印した。
立ち入り禁止にして、思い出さないように、忘れるために好きなゲームに集中することにした。
でも、結局……。
「……ミユキさんって器用なんだ」
ベッドの端に、バラバラにした写真の断片を集めて完成させた私と父と母の家族写真があった。
ミユキさんはこれで母と父の顔を知ったのだろう。
「ここ、見られたくなかったな……」
うつむくと、足元にメモが落ちていた。
「これ……」
【元気づけ大作戦! 最近元気のないチヒロちゃんを元気づけ~~(略)。私の力じゃだめかもしれない。そうだ、ご両親に会わせてあげられないかな? 雪でご両親を再現してあげよう! チヒロちゃんきっと喜ぶぞ!!】
ミユキさんの文字だった。
ただ純粋に私を心配している優しい文面。
わかっていたのに、私は……。
「……まだ、間に合うかな」
私はコンビニ袋の中身に目を落とす。
バニラアイスはもう完全に溶けていた。
桜の樹が囲む深夜の公園のベンチで彼女は寝転んでいた。
「うう、あつい~、溶けちゃう~。これからどうしようかな。まだ里には帰りたくないし……」
彼女は頭上の緑の葉っぱばかりの桜の枝の中に咲く白い花を指さす。
「ああ、あの残り少ない桜の花が散る頃に、私は溶けて消えてしまうの……」
と、ミユキがどこのドラマの受け売りだかを口にし「ふふ」と悦に入っていると公園の照明を背に近づいてくる人影があった。
「緑の葉の間に結構桜残ってます。残念ですがあなたはまだ消えませんよミユキさん」
「チヒロちゃん。どうして……」
チヒロは真新しいコンビニの袋からバニラアイスを取り出してミユキに差し出した。
「ミユキさんどうせ行く当てなんかないんでしょ? 食べてください。食べ終わったら帰りますよ」
チヒロからアイスを受け取ったミユキは身を起こして瞳を潤ませた。
「いいの? 私約束破ったのに……チヒロちゃん許してくれるの?」
「私のことを考えてやってくれたってわかったので、いいんです」
それに、とチヒロは付け加える。
「まだ桜は散っていません。これで追い出したら私が約束破りですよ」
「チヒロちゃん!」
アイスを棒ごと丸呑みしたミユキはチヒロに抱き着く。
ひんやりとしたミユキの体温に触れてチヒロはしどろもどろになった。
「あ、で、でも! 完全に散るまでですよ! それ以降はどこか住処を作るなり、家を借りるなりして私のゲーム時間への配慮を……」
「なるほど! つまり、桜が散らなければいいってことね! それじゃ、ええい!!」
ミユキはチヒロを抱きしめたまま周囲の桜に猛吹雪を照射した。
ものの数秒で、桜の樹は白い雪を被って満開?に早戻りだ。
「これで私はずっとチヒロちゃん家に居候できるってわけね!」
「これはズルですミユキさん」