5月の鹿児島は春なのに少し暑く感じる。1週間を通して四捨五入して30℃だったのだから間違いない、
「5月ってまだ春だよね、クロウ。」詩織の声が急に響く。ソファに寝転がった彼女は相変わらずスポブラなのかエアロ ビ服なのか、胸と股間だけギリ隠したゴム付きの布2枚(彼女曰く「普通の部屋着」)で、スマホを片手にニヤニヤしている。茶色混じりの髪が朝日で光って、まるで鹿児島の太陽そのもののように感じる。
「春だからどうしろというのだこのインフルエンサー女は」
ここは詩織の家のリビング。白い壁に大きな窓、天然光バッチリで、つまりはインフルエンサー活動の心臓部。…というわけではなく、思いっきり生活空間である。ウッド調の床にレトロの家具が絶妙にミックスされ、アクセントに薩摩切子や大島紬のクッションというわかりやすい鹿児島の伝統工芸が置かれて「地元愛」アピールである。…むしろ古民家時代からずっとここにあったものらしいので、アピールで置くにしては腹が括りすぎるほどの圧を放っている
インフルエンサーって思った以上にちゃんとした仕事だ
黒子とか自撮りでは撮れないアングル専門のカメラマンだけではない。俺が7割、3割の比率でハンドルを握って鹿児島をかけまわるし、詩織本人があれこれする動画撮影のみらなず、そいつをパソコンで編集してこれみよがしなワードやおかしなBGMを入れ、これをSNSに人がいるいいタイミングでアップロードする。会社員時代とパソコンとの格闘時間は変わらない
そして、飲食店やブランド品や化粧品のSNS宣伝の外注までするのだ。実はあんまり興味のないいろんな製品が映える角度をあれこれ試して写真を撮る。興味がないとバレないようにいろんな語彙を搾り出したりするし。
思って以上に仕事だろう?
そんな仕事の7日間の試用期間が終わり、東京に帰る日がした。詩織の家のリビング、俺はスーツケースにTシャツを詰め込んでた。鹿児島の空気、湿気と桜島の灰が混ざった匂い、なんか妙に名残惜しい。その日の仕事を終えた詩織はソファにスッと腰掛けるとポツリ「ねえ、本格的に長居してかない? 2階、使ってない部屋あるし。」「は?」 俺、手が止まる。まさかの正式採用であった。詩織の顔つきはニヤッとした笑みとは違う。なんか本気っぽい光がチラつく。いや、待て、落ち着け。これは罠だろ?「いや、ダメだろ。こんなありがたいはな…じゃなくて成人男がインフルエンサー女の家の徒歩圏内に住むとか、即『彼氏疑惑』で炎上確定。地元民にも『おっぱいのペラペラソース!』って叫びながら、詩織だって家ごと地元民にリアル焼き討ちされるリスクあるぞ。」「クロウ、地方をなんだと思ってんの? 鹿児島、そんなくそ田舎じゃねえよ。」「はい、ごめんなさい…」 俺、頭かきながら縮こまる。でも、冗談抜きで、詩織のフォロワー全員に目が俺を「夢と希望を破壊するスタンド(彼氏)」として監視する未来しか見えない。
それに、もっと大事な理由がある。この家とこの生活は詩織が一から築いたんだ。非常食にもなるソテツに囲まれた古民家をリノベして、インフルエンサーとして鹿児島の地で根を張った。アメリカ留学、ベンチャー立ち上げ、離婚、その全部を乗り越えた彼女の努力の結晶だろ。俺みたいなポット出のスカスカ野郎が、移住の手間も手続きもスルーして居座るなんて、虫が良すぎる。なんか、詩織の人生にタダ乗りしてる気分になるんだよ。「クロウ、久しぶりに暗い顔しちゃって、何悩んでんの?」 詩織はスマホ置いて、ソファから身を起こす。思った以上に軽やかにゼロ距離まで迫られ、思わず身を正す。「いや、なんでも…。ただ、俺、お前の人生にちゃっかり乗っかるの、なんか違う気がしてさ。」詩織、ちょっと黙る。いつもサバサバしてる彼女の目が、一瞬、なんか柔らかくなった気がした。「ふーん。クロウって、意外と真面目だよね。まぁ、いいや。じゃあさ、裏の物置見てみね?」「物置? あのボロ小屋?」「ボロ言うな!」 詩織、笑いながら俺の背中をドンって押す。「ほら、行ってみなよ。」
翌日の夕方 本来ならば飛行機に乗って東京に戻っていたはずの日
詩織の家の裏、ソテツの影に隠れた小さな物置小屋。元は農具だったものがあたり一面に散らばる惨劇だった。「話振ったのは私だけどさ、本気でここに住む気?」と久しぶりに詩織はボヤく。「なか入ってから言ってみなよ」 俺はちょっと呆れた顔で引き戸をガラッと開き、中に入る。
やや間を開けて、詩織が入ってきたのを見計らってLEDランタンをパチッと点ける。ぼんやり明るくなった室内は、自分で言うのもなんだが、綺麗だ。床板、張り替えたてのウッドフロア。壁は簡易ペンキで白く塗られ、隅に小さな折り畳みテーブルと椅子。腰を落ち着けるのには違和感がないしとりあえず住むことも不可能ではない形に仕上げられた。ちゃんと住めるようにするにはまだ改良が必要だが、1日で要所だけリフォームに本気を出した甲斐があった。詩織は腕組みして感心した顔。「へえ…クロウ、すげえじゃん。めっちゃマシになってる。人間も保管できるじゃん、これ。」「長居する前の初仕事だからな…まぁ、『人間保管スペース』だけどな。」 俺、ちょっとドヤ顔。詩織、クスクス笑う。「今の仕事やめても、リフォーム業で食っていけそうじゃん。クロウ、意外とやるね。」その言葉、なんか胸に刺さった。詩織の「意外と」って軽いジャブ、でも、なんか嬉しくて。俺の薄味人生、初めてちょっとだけ濃くなった気がした。
でも、頭の隅で冷静な自分が囁く。待てよ、俺。ここ、詩織の家の敷地内だぞ。彼氏彼女的な「ナニカ」じゃない。あくまで「備品扱い」。インフルエンサー女の助手、物置住まいの薄味男。それが俺のポジションだ。詩織の濃すぎる人生に、俺が並ぶなんて、100年早い。
「クロウさ、春ってなんか新しいこと始めたくならない? ほら、新案件のいくつかに、なぜか私じゃなくてクロウの方に出てほしいってやつがあってさ」「なんでそいつらは、せっかく何をやっても最高の画角で映えさせるインフルエンサー(西洋人クォーターでなかなかの美女)がいるのにそっちに言わないの?」
むしろ女性の声優とかインフルエンサーに同伴してる全ての男性ユーザーの夢と希望を破壊するスタンドの方ももれなくインフルエンサーと思って意見を仰ごうとしているのか?これがわからない。
自分自身の一寸先がダンサーインザダークなだけに、あえてこっちに依頼をするような人は無碍に出来ないし、自分がその闇を濃くする一助になれればと思う。
ー初めての案件 受けようと思う