「うわ、びしょびしょだよ」
「でもなんか懐かしいな。──ここだった」
私は書店のシャッターを見上げながら傍らの彼に話す。
「……ああ。一年生のとき、ここでお前が泣いてたな」
「へえ、覚えてたんだ」
なんとなく、悠斗はそんなことは忘れているのではないか、と考えていた。
「そりゃあ、な。お前、迷子になって、『お母さんの傘はピンクだった』って、ずっと泣いてた」
「ちょっと、それ今言う!?」
もう十年以上前の恥ずかしい記憶。
でもちゃんと覚えててくれたことが、少しだけ嬉しかった。
「あの時、俺が傘貸したろ? それで一緒に交番行った」
「……うん。すごく安心したし嬉しかった」
今思えば、小学一年生が同じ年齢の子どもを伴って交番に行くというシュールな光景だ。
一瞬、雨の音が遠くなる。
沈黙の中、すぐ傍の線路を走る電車の音が聞こえた。湿った風が、私の長い髪を揺らす。
「……なあ。俺、東京の大学受かったんだ」
突然の言葉に、私は目を見開いた。
これを告げるために、珍しく一緒に帰ろうと誘ったのだろうか。
「え⁉ すごいじゃん!」
「ありがとな。お前が模試の前にくれた参考書、あれ、かなり役に立った」
私は笑いながらも、胸の奥に冷たい雫が落ちるような感覚を覚えた。
「えりかは?」
「私は……、経理専門学校。ほら、隣り駅の。家から通えるし、お母さんのこともあるしね」
うちは母一人子一人の母子家庭だ。あまり丈夫ではない母を、少しでも早く楽にしてやりたかった。
本当は高校を出たら就職するつもりだったのだが、母に「せめて専門学校に行きなさい」と説得されたのだ。
「そっか。……ちゃんと考えてるんだな、お前は」
悠斗の横顔が少し寂しそうに歪んだ。
沈黙が訪れる。雨音だけが一定のリズムで軒を打ち続けていた。