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第3話 ゆく川の流れ

ー/ー



「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。(よど)みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消え、かつ結びて──」

 オレは今授業中に居眠りをしようと静かに意気込んでいる。

 机に肘をつき、顎を乗せ、さり気なく目を閉じる。

 前席の平沢が今日も欠席のため、聖子先生が立つ教壇からオレの席は丸見えだ。

 僅かでも頭がカクッと落ちれば、弾丸チョークは容赦なく眉間を撃ち抜くだろう。

  にもかかわらず、居眠りに挑まざるを得ないのは「そこに山がある」という理由で世界最高峰のエベレストに臨む登山家の冒険心とは少し意味合いが異なる。

 オレの場合、「そこに川がある」からだ。

 聖子先生が朗読する鴨長明(かものちょうめい)の『方丈記(ほうじょうき)』。

 常に変わりゆく人の世を、流れゆく川に例え、厭世的(えんせいてき)(はかな)んだ随筆なわけだが、今脳内に浮かんでいるのは小学生の頃、溺死しかけた桜花川(おうかがわ)での出来事だった。

 冷たい川の水は、オレの肺から酸素、視界から光、身体から熱、脳から意識を奪い、死の恐怖心を植えつけた。お陰で今も生々しい記憶が消えない刻印のように細胞の中を駆け巡っている。

 ()まわしい記憶を追い払うイメージで深呼吸を繰り返し、水恐怖症と戦うが、聖子先生の声は容赦なく耳の穴から鼓膜へと浸入し、ギュッと胃を縛り上げた。

 これはいよいよリバースするかもしれないぞ、と口元を手で覆ったとき、

「ねえ、これってロックだと思わない?」

 脈絡のない間抜けな声が、失った酸素と光と熱と意識を瞬時にして取り戻してくれた。

「……何だって?」

 吐き気が治まるのを待ってから、隣に立つ真之助を見上げる。ゲームで勝ったかのような得意顔だ。

「この方丈記っていうエッセイに隠されている真実さ」

 言わんとすることがわからず(いぶか)しんでいると、真之助は人差し指の背で、オレの手元にある教科書をトントンと叩いた。

 ページ数が印字されている部分を差している。

 69ページとあるが、だから、何なのだ。

 真之助はマジックの種明かしをするように勿体(もったい)ぶって説明する。

「川をロックに置き換えてみてよ。『ロックは絶えることなく胸の中で鳴り続けるけれど、そのときの心模様で音はいつも変化する。歪んだギターの音色や湧き上がる熱も、ライブが終われば、空間から消えてゆく。ライブ終了後の虚しさは人の世と同じであるのだ』。ああ、ムジョー」

 ページ数の『69』とロックをかける大喜利のつもりか。くだらない。オレは遠慮なく白けて見せる。

「つまんねえ。そもそも、こういう厭世的な随筆はロックじゃなくて昭和のフォークソングがお似合いじゃねえの?」

 声のボリュームを絞りながら、ページをめくる。

 著者である鴨長明のプロフィールに視線を滑らすと、琵琶の名手だった長明は、演奏を許されていない秘曲というものを弾いてしまったことが原因で隠遁(いんとん)生活をするようになった、とある。

 そこでなるほど、常識やルールを打ち壊していく精神は確かにロックだなと腑に落ちる。

「長明さんが現代に生きていたら、反骨心をこじらせてマイクに向かって歌っているよ」

 真之助はマイクを握る真似をして、オレが好きなロックバンドの曲を替え歌で歌う。

 思わず顔をしかめてしまったのは、真之助が度を越える音痴だからだ。

 きっと他のクラスメイトの守護霊たちも耳を塞いでいるんだろうなと想像し、「うちの守護霊が迷惑をおかけしてすみません」と平謝りしたい気持ちになる。

「『かくのごとし』とは何を指しますか。では、成瀬さん」

「はい」

 聖子先生に指され、質問に応える成瀬さんの後ろ姿をぼんやり見つめながら、今は亡き寿々子(すずこ)さんを想う。

「寿々子さんが真之助に助けを求めた理由がやっとわかったんだ。寿々子さんは生前のトラウマが原因で、成瀬さんを守りきる自信がなかった。だから、掟を破ってまで真之助を頼ったんだろ?」
 
 下手くそな歌が止み、真之助の視線がこちらに向いた雰囲気がある。

「お付き人を守るために命を懸けるだなんて、守護霊はどんだけ仕事熱心なんだよ。寿々子さんもオレを見習ってもっと手抜きすればよかったのにな、手抜き」

「手抜きって、(まこと)は手を抜きすぎなんだ。一応、授業中なんだから板書くらいした方がいいと思うよ」

「そこんとこ行くと、お前は安心だな」

「失礼だな、私はいつだって真面目に仕事しているよ」

「そうじゃなくて」

 成瀬さんが腰を下ろし、入れ替わるように別の生徒が立ち上がった。聖子先生から死角になったのを確認して、オレは真之助を見上げる。

「オレは絶対に死なないから、わざわざ真之助に掟を破ってもらう必要がないってことだよ」

「死なないって、どこから来るのさ、その自信」

 別に真之助を安心させようと思ったわけではなかったが、決意表明するつもりで応えた。

「真之助、前に言ったじゃん? 『生きる望みを捨てるな』ってさ。だからオレ、じいちゃんのことで死にたいと思うのはやめにしたんだよ」

「体育の授業で死にかけたばかりの人の台詞だとは思えないな」

「今のオレには運命期を無事に乗り越える自信しかないんだよ」

 オレがニヤリと笑って見せると、真之助は「へえ」と呆れたような感心したような間延びした声を出した。

「ここ数日で、ずいぶん頼もしいことを言うようになったね。本当に真なの? 真の着ぐるみをかぶった他の誰かなんじゃないの?」

 オレの後ろに回り、着ぐるみのファスナーを探すふりをする。

「やめろよ!」

「さっきから、ブツブツブツブツうっせえな!」

 しきりに背後を気にしていたら、隣の席の友人Aが教科書から顔を上げていた。「せっかく、聖子ちゃんの声を全細胞に浴びているところなのに、これ以上邪魔をしたらぶっ飛ばすからな」とナイフの芦屋の形相ですごまれては素直に謝るしかない。

「ごめんなさい」

 オレは頭を下げながら、ケラケラ笑う真之助を一瞥する。

 守護霊はお付き人を守るためならば手段は選ばない。

 これは寿々子さんやおいねと出会ってわかったことだ。

 彼女たちはお付き人に対して、自分の子供への感情に近い、またはそれ以上の深い愛情を持っていた。

 もちろん、守護霊にも個性があるから一概にはそうと言い切れないだろうけれど、それ故、自己犠牲の精神を抱きやすいのではないだろうか。

 オレの考えすぎかもしれないが、運命期の影響がが強くなればなるほど、真之助も寿々子さんのように無茶をするのでは? との疑念が強くなった。

「約束してくれ──」

「大丈夫、私は掟を破ったりしないから安心してよ」

 真之助に先回りされて面食らってしまう。脳内クラウドを共有してるわけでもないのに、真之助にはオレの思考がだだ洩れのようで恥ずかしい。

「自分で言うのもなんだけど、私は優秀な守護霊なんだ。掟なんか破る必要がないよ。それにちゃーんと真が死なない程度に手抜きしているしね。もっと手を抜けって言うんだったら、もっと不真面目になってもいいけど」

「いや、今のままで結構です」

「でも──真がそう言ってくれると心強いや」

 木漏れ日を揺らすそよ風を思わせる微笑みだった。

 これは勝手な想像だが、寿々子さんは掟を破りはしたが、結果的に成瀬さんを守り抜いたわけだから、美談として称賛されるものなのだと思う。

 けれど、オレは守護霊が自分の命と引き換えに危機から救ってくれたとしても全然嬉しくないし、これからの人生が守護霊の犠牲の上に成り立っていると考えただけで、命の重責に押し潰されてしまうだろう。

 寿々子さんの選択が本流だとすれば、オレはその流れに乗りたくない。

「一緒に乗り越えようぜ、運命期」

「約束するよ」

 オレと真之助は寿々子さんとは別の支流へ流れてゆこう。


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「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。|澱《よど》みに浮かぶ|泡沫《うたかた》はかつ消え、かつ結びて──」
 オレは今授業中に居眠りをしようと静かに意気込んでいる。
 机に肘をつき、顎を乗せ、さり気なく目を閉じる。
 前席の平沢が今日も欠席のため、聖子先生が立つ教壇からオレの席は丸見えだ。
 僅かでも頭がカクッと落ちれば、弾丸チョークは容赦なく眉間を撃ち抜くだろう。
  にもかかわらず、居眠りに挑まざるを得ないのは「そこに山がある」という理由で世界最高峰のエベレストに臨む登山家の冒険心とは少し意味合いが異なる。
 オレの場合、「そこに川がある」からだ。
 聖子先生が朗読する|鴨長明《かものちょうめい》の『|方丈記《ほうじょうき》』。
 常に変わりゆく人の世を、流れゆく川に例え、|厭世的《えんせいてき》に|儚《はかな》んだ随筆なわけだが、今脳内に浮かんでいるのは小学生の頃、溺死しかけた|桜花川《おうかがわ》での出来事だった。
 冷たい川の水は、オレの肺から酸素、視界から光、身体から熱、脳から意識を奪い、死の恐怖心を植えつけた。お陰で今も生々しい記憶が消えない刻印のように細胞の中を駆け巡っている。
 |忌《い》まわしい記憶を追い払うイメージで深呼吸を繰り返し、水恐怖症と戦うが、聖子先生の声は容赦なく耳の穴から鼓膜へと浸入し、ギュッと胃を縛り上げた。
 これはいよいよリバースするかもしれないぞ、と口元を手で覆ったとき、
「ねえ、これってロックだと思わない?」
 脈絡のない間抜けな声が、失った酸素と光と熱と意識を瞬時にして取り戻してくれた。
「……何だって?」
 吐き気が治まるのを待ってから、隣に立つ真之助を見上げる。ゲームで勝ったかのような得意顔だ。
「この方丈記っていうエッセイに隠されている真実さ」
 言わんとすることがわからず|訝《いぶか》しんでいると、真之助は人差し指の背で、オレの手元にある教科書をトントンと叩いた。
 ページ数が印字されている部分を差している。
 69ページとあるが、だから、何なのだ。
 真之助はマジックの種明かしをするように|勿体《もったい》ぶって説明する。
「川をロックに置き換えてみてよ。『ロックは絶えることなく胸の中で鳴り続けるけれど、そのときの心模様で音はいつも変化する。歪んだギターの音色や湧き上がる熱も、ライブが終われば、空間から消えてゆく。ライブ終了後の虚しさは人の世と同じであるのだ』。ああ、ムジョー」
 ページ数の『69』とロックをかける大喜利のつもりか。くだらない。オレは遠慮なく白けて見せる。
「つまんねえ。そもそも、こういう厭世的な随筆はロックじゃなくて昭和のフォークソングがお似合いじゃねえの?」
 声のボリュームを絞りながら、ページをめくる。
 著者である鴨長明のプロフィールに視線を滑らすと、琵琶の名手だった長明は、演奏を許されていない秘曲というものを弾いてしまったことが原因で|隠遁《いんとん》生活をするようになった、とある。
 そこでなるほど、常識やルールを打ち壊していく精神は確かにロックだなと腑に落ちる。
「長明さんが現代に生きていたら、反骨心をこじらせてマイクに向かって歌っているよ」
 真之助はマイクを握る真似をして、オレが好きなロックバンドの曲を替え歌で歌う。
 思わず顔をしかめてしまったのは、真之助が度を越える音痴だからだ。
 きっと他のクラスメイトの守護霊たちも耳を塞いでいるんだろうなと想像し、「うちの守護霊が迷惑をおかけしてすみません」と平謝りしたい気持ちになる。
「『かくのごとし』とは何を指しますか。では、成瀬さん」
「はい」
 聖子先生に指され、質問に応える成瀬さんの後ろ姿をぼんやり見つめながら、今は亡き|寿々子《すずこ》さんを想う。
「寿々子さんが真之助に助けを求めた理由がやっとわかったんだ。寿々子さんは生前のトラウマが原因で、成瀬さんを守りきる自信がなかった。だから、掟を破ってまで真之助を頼ったんだろ?」
 下手くそな歌が止み、真之助の視線がこちらに向いた雰囲気がある。
「お付き人を守るために命を懸けるだなんて、守護霊はどんだけ仕事熱心なんだよ。寿々子さんもオレを見習ってもっと手抜きすればよかったのにな、手抜き」
「手抜きって、|真《まこと》は手を抜きすぎなんだ。一応、授業中なんだから板書くらいした方がいいと思うよ」
「そこんとこ行くと、お前は安心だな」
「失礼だな、私はいつだって真面目に仕事しているよ」
「そうじゃなくて」
 成瀬さんが腰を下ろし、入れ替わるように別の生徒が立ち上がった。聖子先生から死角になったのを確認して、オレは真之助を見上げる。
「オレは絶対に死なないから、わざわざ真之助に掟を破ってもらう必要がないってことだよ」
「死なないって、どこから来るのさ、その自信」
 別に真之助を安心させようと思ったわけではなかったが、決意表明するつもりで応えた。
「真之助、前に言ったじゃん? 『生きる望みを捨てるな』ってさ。だからオレ、じいちゃんのことで死にたいと思うのはやめにしたんだよ」
「体育の授業で死にかけたばかりの人の台詞だとは思えないな」
「今のオレには運命期を無事に乗り越える自信しかないんだよ」
 オレがニヤリと笑って見せると、真之助は「へえ」と呆れたような感心したような間延びした声を出した。
「ここ数日で、ずいぶん頼もしいことを言うようになったね。本当に真なの? 真の着ぐるみをかぶった他の誰かなんじゃないの?」
 オレの後ろに回り、着ぐるみのファスナーを探すふりをする。
「やめろよ!」
「さっきから、ブツブツブツブツうっせえな!」
 しきりに背後を気にしていたら、隣の席の友人Aが教科書から顔を上げていた。「せっかく、聖子ちゃんの声を全細胞に浴びているところなのに、これ以上邪魔をしたらぶっ飛ばすからな」とナイフの芦屋の形相ですごまれては素直に謝るしかない。
「ごめんなさい」
 オレは頭を下げながら、ケラケラ笑う真之助を一瞥する。
 守護霊はお付き人を守るためならば手段は選ばない。
 これは寿々子さんやおいねと出会ってわかったことだ。
 彼女たちはお付き人に対して、自分の子供への感情に近い、またはそれ以上の深い愛情を持っていた。
 もちろん、守護霊にも個性があるから一概にはそうと言い切れないだろうけれど、それ故、自己犠牲の精神を抱きやすいのではないだろうか。
 オレの考えすぎかもしれないが、運命期の影響がが強くなればなるほど、真之助も寿々子さんのように無茶をするのでは? との疑念が強くなった。
「約束してくれ──」
「大丈夫、私は掟を破ったりしないから安心してよ」
 真之助に先回りされて面食らってしまう。脳内クラウドを共有してるわけでもないのに、真之助にはオレの思考がだだ洩れのようで恥ずかしい。
「自分で言うのもなんだけど、私は優秀な守護霊なんだ。掟なんか破る必要がないよ。それにちゃーんと真が死なない程度に手抜きしているしね。もっと手を抜けって言うんだったら、もっと不真面目になってもいいけど」
「いや、今のままで結構です」
「でも──真がそう言ってくれると心強いや」
 木漏れ日を揺らすそよ風を思わせる微笑みだった。
 これは勝手な想像だが、寿々子さんは掟を破りはしたが、結果的に成瀬さんを守り抜いたわけだから、美談として称賛されるものなのだと思う。
 けれど、オレは守護霊が自分の命と引き換えに危機から救ってくれたとしても全然嬉しくないし、これからの人生が守護霊の犠牲の上に成り立っていると考えただけで、命の重責に押し潰されてしまうだろう。
 寿々子さんの選択が本流だとすれば、オレはその流れに乗りたくない。
「一緒に乗り越えようぜ、運命期」
「約束するよ」
 オレと真之助は寿々子さんとは別の支流へ流れてゆこう。