四限の授業を終えると、電車に乗りまっすぐ家に帰った。アパートの部屋のドアを開け、帰る途中で買った大量のもやしを冷蔵庫に詰めこむ。キッチンの換気扇を回し、タバコに火をつけた。
こうして今日もなにもない一日が終わっていく。大学進学を機に始めたひとり暮らしは、始めた当初こそ新鮮な経験が多くそれなりに楽しかったものの、いまではマイナス点ばかりが目につく。料理に洗濯に掃除、朝のゴミ捨てまですべて自分でやらなければならない面倒くささ。加えて、こんな古くて狭い部屋に住むのに毎月バイト代の半分近くが消えていく。すくなくとも家賃に関してはバイトを増やせばある程度解決する問題なのかもしれない。でもそんな気力はなかなか湧いてこない。
短くなったタバコを灰皿代わりにしている空き缶の中に捨て、六畳の居間へと移動する。腹は減っているが、なにか作ろうという気にはなれなかった。シングルのベッドに背を預けスマホをいじっていると、画面にLINEの通知が表示される。〈ひま? パチいこ〉というシンプルな文面は、確かめずとも送り主がだれかわかる。財布とスマホ、部屋と自転車の鍵だけ持って外に出る。電車のほうが早くて楽だが、電車賃がもったいない。
目的の場所には二十分ほどで着いた。自動ドアを抜け店内に入る。独特のよどんだ空気。人の多さと煮えるような熱気によるものなのだろう。ここにいるだけでなにかに感染しそうな気がしてくる。
大阿久はエヴァンゲリオンの台を打っていた。空いていた隣の台に座る。「おう」と声をかけると「おう」と返事が返ってくる。着ているのはいつものオリーブ色のウインドブレーカー。こいつがこれ以外の服を着ているのを見たことがない。
ひとまず千円札を機械に投入する。ハンドルを握り、打ち始めるが当たる気配はない。まともな演出ひとつ入らない。クソみたいなリーチが数回あっただけで最初の千円が泡と化す。一時間分の労働の対価をものの五分で無に帰す装置。バカみたいだ。そう思いながらも俺の右手はすでに財布から次の千円を取り出そうとしている。本当にバカなのは機械じゃなく俺のほうなのだろう。
「おおおおおおお!」
隣で大阿久がアホみたいな声を上げているので、見ると激アツのリーチがかかっていた。ロンギヌスの槍を持った綾波レイ。信頼度八十パーセント以上。だが外す。うなだれる大阿久。モニターを見ると回転数が六百を越えている。ハマり台だ。
「おまえ、今日何時からいるの?」
「昼」
大阿久はうなだれたまま答える。もしかしてこいつ、今日一日ずっとこの台を打ってるのか? 俺の「台替えたら?」という提案に「ここまで来たら引けねっしょ」とくたくたの黒い財布から角の折れた千円札を取り出す大阿久。今日もこの友人はあいかわらずダメ人間のままだ。その事実に安心しながら、俺も自分の財布に手を伸ばす。
パチンコ店を出たあとは、近くにあるチェーンのラーメン屋にふたりで入った。奥のテーブル席に座る。おたがい収支がマイナスだからおごりはなし。大阿久はあのあと単発の大当たりを一回だけ引いて、短い彼の全盛期はそれで終わった。
「もうパチンコやめようかなあ」
そう言って大阿久はくせ毛のはびこる頭をぽりぽりと掻く。負けるたびにそんなことを言うが、どうせまた打つ。プロレスラーの引退宣言と同じだ。
近くを通った店員に声をかけ、いつもと同じ注文を伝える。ラーメン二つに餃子一皿、それとビール。ふたりとも酒はそこまで好きじゃないくせに、なぜかいつも頼む。一皿六個の餃子はその日より負けたほうが一つ多くもらう。早くも赤い顔の大阿久は、四個目の餃子に箸を伸ばすころにはもう明日打つ台をなににするかについてのプランを語りはじめている。安定のクズっぷり。
「柳川、明日大学あんの?」
「いや」
「お。じゃあ朝から行こうぜ」
大阿久の手が架空のハンドルを握る。
「無理。明日バイトあるから」
ちぇ、と大阿久はわざとらしく舌打ちをしてラーメンをすすった。勢いよくかきこみすぎたのかごほごほと少しむせ、流しこむようにコップの水をあおる。
「てか、明日って金曜だろ? おまえもたしかバイト入ってなかったっけ?」
大阿久は空になったコップにピッチャーから水を注ぎながら「あー」と気の抜けたような声を出す。そしてどうでもいいことのように「俺バイト辞めたからさあ」とのんびりした調子で言った。
「は? いつ?」
「先週」
「じゃあおまえ、無職じゃん」
「そうそう、無職無職」と大阿久はなぜかうれしそうに笑う。俺も餃子に箸を伸ばしながら、ははは、と適当な笑いを返した。
高卒フリーター。現在無職。趣味はパチンコ。
ああ、なんてダメなやつ。こいつといると安心する。俺はまだ大丈夫だと、そう思わせてくれる。
大阿久とは中学が一緒で部活も同じテニス部だった。ふたりともレギュラー。部内二番手が俺で、三番手が大阿久だった。英語で点数を稼げる俺と違って大阿久には得意教科と呼べるものがなく、その分評定で差がつき進学した高校は俺のほうが偏差値が少し上だった。その後もだらだらと親交は続き、今年の八月と九月でおたがい童貞のまま二十一を迎える。片や大学生、片や現在無職のフリーターとして。俺は大阿久に、いつでもちょっとずつ勝っている。でもそのちょっとの差が俺の心を安らかにする。
ラーメン屋を出ると、駐車場のすみでこっそりタバコを吸う。あーやべいま切らしてたんだと言う大阿久に、俺は自分のタバコを一本取り出し、めぐんでやる。