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滝の小道

ー/ー



第1話

 私は無言で右足に履いていた靴を空高く飛ばした。
靴は芝生の上で何度かバウンドし、着地した。
 片方靴下のまま、飛ばした靴の元へ行った。靴下なので靴を履いていれば感じないであろう小石を踏んだ違和感は、なんとなく感じた。 
「東」 
 靴の先が向く方角を口にした。 
 そして東の方角には何があるのか、ポケットに入れたスマホを取り出して調べた。 
 四方八方山に囲まれ、見渡す限り緑の多いところに住む私だが運転はできない。 できなくなってしまった。 
 だからなるべく徒歩圏内か、15分歩けば着くことのできる無人駅があるので公共交通機関で行ける近場の場所を探した。 
 一番最初に出てきたのが、徒歩圏内で行くことのできる小さな滝だった。じゃあそこに行こう。 
 靴を履いて、家に帰り明日の準備をした。

 次の日、私は黒のパーカーにジーパンを履いて支度をしていた。

「本当に行くの?」

 母に頼んで最低限のものを鞄に詰めてもらったが、詰めている途中で母は心配そうに私を見た。

「うん」
「お母さんが休みの日でもいいじゃない、それまで待てないの?」
「うん」
「…心配だわ、私は」

 母はため息をつく。私はパーカーの下に着ている下着を整えていた。

「どうしても行くの?」
「うん」
「……お願いだから死なないでね」

 母の目尻には涙が溜まっていた。それなのに私の心はチクリとも動かず、こう返すことしかできなかった。

「うん」

 私は家を出て、スマホのアプリでルート検索をして案内されながら歩いた。 
 小学生くらいの子供が数人で、広い運動場でボールを手に遊んでいる。 
 畑で何か作業している高齢者。前から走ってくる車はほとんどがケートラックだ。

実里、死んじゃダメよ 
 ドアを開ける時、母の口からもう一度その言葉を聞いた。
 私が精神を病んでいると診断されてから、毎日母は私に心配なの、と訴えるように言葉をかける。 
 私がいないところで頭を抱えてため息を吐いたり、目の前で泣かれたこともあった。
 先日、医師から言われたことがある。

「実里さんにある課題を課します、次来る時までに達成していただきたい」 

 私は首を傾げた。

「心も体も休ませてください、休むっていうのは実はとても素晴らしいことなんですよ」
「……?休んでいます」

 仕事にもつかず、ただ家にいる私は十分休めている。 
 私は事実を口にすると、医師はそうですね、と言った後こう続けた。
「外に出てみませんか?景色を見たり散歩をしたりすることはできますか?」
「はい」
「どこか行きたいところはありますか?」「いえ」

 私が答えると、医師はさらに続けた。「ルーレットとかで決めてもいいと思います、そこで行き先を決めても構いません」「ルーレットにどの行き先を入れればいいんですか?」
「なんでもいいんです、東西南北でもいい、そこから始めてみませんか?」

 私は医師の言う通りにアンケート機能を使おうと思ったが、うまくアプリが入らないことを母に伝えた。
 母は考え込んだ。

「例えばさ、例えばよ?最近見たドラマの中に、靴を飛ばして行き先を決めるシーンがあったりしたんだけど」
「うん」
「それで方角決めてもいいかも、その方向にある何かを求めていくとかね?」
「わかった」  
  だから私は靴を飛ばして行き先を決めた。 
 無心で歩いていると、15分経ち目的地に着いていた。 
 短い洞窟を抜けた先に、その滝は存在した。静かな音を立てて、少量の水が流れている。木漏れ日が差し込み、澄んだ水が反射した。 
 私は周りを歩きながら滝を見ていた。
 何も感じなかった。
 帰ろうと思った時、洞窟の前に停めた千葉ナンバーの車の中から女性と男性が向かってきた。 
 女性は滝を見るなり、こう言った。

「小さいけど、落ち着くね〜」
「木漏れ日が綺麗だな」

 男性もその滝を見ながら、2人はスマホを取り出し写真を撮っていた。 
 綺麗、落ち着く、そんなふうに思わなかった。 
 思えないのはこの滝が欠陥しているのではなく、おそらく私の病がそうさせると医師から言われたことがある。 
 そのことに対して悲しむも苦しみもあまり感じない。
 私は滝をもう一度見た。 
 澄んでいる。水も汚くはない。お地蔵さんが滝の裏にいる。お地蔵さんを見るために、私は滝の近くに行く。 
 勢いよく流れていなくても、近くまで行きすぎたせいかパーカーは濡れていた。 黒いから濡れているかすらわからなかった。 
 私はお地蔵さんの裏に光が微かに見えた。 
 斜め横から滝を見ると、そこには人が歩けるほどのもうひとつの洞窟があった。 私はその洞窟に入るために、若干髪も濡らしながら裏へと進んだ。 
 トンネルのように前に景色が開かれており、後ろには滝とお地蔵さんの背中が見えた。
 私は前に進んだ。
 進んだ先には、お地蔵さんが並んでいた。 
 綺麗とは言えない姿ではあった。 
 そういえば、6年前に亡くなった曽祖母は信心深かった。小さい頃に行った公園や神社にお地蔵さんがあれば、手を合わせていた。 

 「実里や、お地蔵さんの数え方を知っているかい?」
「何体じゃないの?」
「一尊、二尊だよ」
「へえ!なんで、ひいばあちゃんはお地蔵さんに手を合わせるの?」
「それはね、神様がわしたちを見守ってくださっているから感謝を込めて手を合わせているんだよ」
「ありがとうって言ってるの?」 
「そうだね」

 昔の会話を思い出した。 
 感謝を伝える、もう亡くなって伝えられない曽祖母に代わって私は手を合わせた。
 母からメールが届いた。

「どう?」

 休憩に入ったのだろう。 
 スマホの左上に表示されている時間が正午を回っていたことに気づいた。 
 医師が私に何を望んでいたかは知らないが、特に感情の変化はなかった。 
 しかし行動して医師がいう休むを経験したので、明後日の診断で言おうと思う。
 滝の裏から戻った時には千葉ナンバーの男女はいなかった。私はもう一度滝を振り返って眺めた。 
 これを感情と言って良いのかはわからないが、ふと思った。 
 綺麗だ、落ち着くと思う日が来るのか はたまた天からこの滝を見ることになるのか。
 未来はわからない。
 私ははその思いを滝の麓に置いて、家に帰った。


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第1話
 私は無言で右足に履いていた靴を空高く飛ばした。
靴は芝生の上で何度かバウンドし、着地した。
 片方靴下のまま、飛ばした靴の元へ行った。靴下なので靴を履いていれば感じないであろう小石を踏んだ違和感は、なんとなく感じた。 
「東」 
 靴の先が向く方角を口にした。 
 そして東の方角には何があるのか、ポケットに入れたスマホを取り出して調べた。 
 四方八方山に囲まれ、見渡す限り緑の多いところに住む私だが運転はできない。 できなくなってしまった。 
 だからなるべく徒歩圏内か、15分歩けば着くことのできる無人駅があるので公共交通機関で行ける近場の場所を探した。 
 一番最初に出てきたのが、徒歩圏内で行くことのできる小さな滝だった。じゃあそこに行こう。 
 靴を履いて、家に帰り明日の準備をした。
 次の日、私は黒のパーカーにジーパンを履いて支度をしていた。
「本当に行くの?」
 母に頼んで最低限のものを鞄に詰めてもらったが、詰めている途中で母は心配そうに私を見た。
「うん」
「お母さんが休みの日でもいいじゃない、それまで待てないの?」
「うん」
「…心配だわ、私は」
 母はため息をつく。私はパーカーの下に着ている下着を整えていた。
「どうしても行くの?」
「うん」
「……お願いだから死なないでね」
 母の目尻には涙が溜まっていた。それなのに私の心はチクリとも動かず、こう返すことしかできなかった。
「うん」
 私は家を出て、スマホのアプリでルート検索をして案内されながら歩いた。 
 小学生くらいの子供が数人で、広い運動場でボールを手に遊んでいる。 
 畑で何か作業している高齢者。前から走ってくる車はほとんどがケートラックだ。
実里、死んじゃダメよ 
 ドアを開ける時、母の口からもう一度その言葉を聞いた。
 私が精神を病んでいると診断されてから、毎日母は私に心配なの、と訴えるように言葉をかける。 
 私がいないところで頭を抱えてため息を吐いたり、目の前で泣かれたこともあった。
 先日、医師から言われたことがある。
「実里さんにある課題を課します、次来る時までに達成していただきたい」 
 私は首を傾げた。
「心も体も休ませてください、休むっていうのは実はとても素晴らしいことなんですよ」
「……?休んでいます」
 仕事にもつかず、ただ家にいる私は十分休めている。 
 私は事実を口にすると、医師はそうですね、と言った後こう続けた。
「外に出てみませんか?景色を見たり散歩をしたりすることはできますか?」
「はい」
「どこか行きたいところはありますか?」「いえ」
 私が答えると、医師はさらに続けた。「ルーレットとかで決めてもいいと思います、そこで行き先を決めても構いません」「ルーレットにどの行き先を入れればいいんですか?」
「なんでもいいんです、東西南北でもいい、そこから始めてみませんか?」
 私は医師の言う通りにアンケート機能を使おうと思ったが、うまくアプリが入らないことを母に伝えた。
 母は考え込んだ。
「例えばさ、例えばよ?最近見たドラマの中に、靴を飛ばして行き先を決めるシーンがあったりしたんだけど」
「うん」
「それで方角決めてもいいかも、その方向にある何かを求めていくとかね?」
「わかった」  
  だから私は靴を飛ばして行き先を決めた。 
 無心で歩いていると、15分経ち目的地に着いていた。 
 短い洞窟を抜けた先に、その滝は存在した。静かな音を立てて、少量の水が流れている。木漏れ日が差し込み、澄んだ水が反射した。 
 私は周りを歩きながら滝を見ていた。
 何も感じなかった。
 帰ろうと思った時、洞窟の前に停めた千葉ナンバーの車の中から女性と男性が向かってきた。 
 女性は滝を見るなり、こう言った。
「小さいけど、落ち着くね〜」
「木漏れ日が綺麗だな」
 男性もその滝を見ながら、2人はスマホを取り出し写真を撮っていた。 
 綺麗、落ち着く、そんなふうに思わなかった。 
 思えないのはこの滝が欠陥しているのではなく、おそらく私の病がそうさせると医師から言われたことがある。 
 そのことに対して悲しむも苦しみもあまり感じない。
 私は滝をもう一度見た。 
 澄んでいる。水も汚くはない。お地蔵さんが滝の裏にいる。お地蔵さんを見るために、私は滝の近くに行く。 
 勢いよく流れていなくても、近くまで行きすぎたせいかパーカーは濡れていた。 黒いから濡れているかすらわからなかった。 
 私はお地蔵さんの裏に光が微かに見えた。 
 斜め横から滝を見ると、そこには人が歩けるほどのもうひとつの洞窟があった。 私はその洞窟に入るために、若干髪も濡らしながら裏へと進んだ。 
 トンネルのように前に景色が開かれており、後ろには滝とお地蔵さんの背中が見えた。
 私は前に進んだ。
 進んだ先には、お地蔵さんが並んでいた。 
 綺麗とは言えない姿ではあった。 
 そういえば、6年前に亡くなった曽祖母は信心深かった。小さい頃に行った公園や神社にお地蔵さんがあれば、手を合わせていた。 
 「実里や、お地蔵さんの数え方を知っているかい?」
「何体じゃないの?」
「一尊、二尊だよ」
「へえ!なんで、ひいばあちゃんはお地蔵さんに手を合わせるの?」
「それはね、神様がわしたちを見守ってくださっているから感謝を込めて手を合わせているんだよ」
「ありがとうって言ってるの?」 
「そうだね」
 昔の会話を思い出した。 
 感謝を伝える、もう亡くなって伝えられない曽祖母に代わって私は手を合わせた。
 母からメールが届いた。
「どう?」
 休憩に入ったのだろう。 
 スマホの左上に表示されている時間が正午を回っていたことに気づいた。 
 医師が私に何を望んでいたかは知らないが、特に感情の変化はなかった。 
 しかし行動して医師がいう休むを経験したので、明後日の診断で言おうと思う。
 滝の裏から戻った時には千葉ナンバーの男女はいなかった。私はもう一度滝を振り返って眺めた。 
 これを感情と言って良いのかはわからないが、ふと思った。 
 綺麗だ、落ち着くと思う日が来るのか はたまた天からこの滝を見ることになるのか。
 未来はわからない。
 私ははその思いを滝の麓に置いて、家に帰った。