遡ること五時間前。しのびの里を発った一行は、早速二手に分かれたのだ。信一郎たち六名の実戦部隊と御庭番衆五名の隠密部隊。本丸に入って戦闘をメインとする部隊はそのままグレープ入口に向かい、もう一方の隠密部隊は全く別の方向へ向かっていたのだ。
その行先は、山梨県の県庁所在地、甲府市。多くの人が集まるであろう駅前に集結し、大規模な扇動行為を行ったのだ。それも、忍者の恰好ではない、より多くの視線を集め、そしてより多くの支持を得られそうな見た目で行ったのだ。
それは、まさに『来栖・F・善吉自身』になり切ることであった。
忍者より上の存在、御庭番衆である以上、扱える忍術のバリエーションは数知れず。その内に、あらゆる変装道具を用い当人そのものになり切る「変化の術」を用いたのだ。
幸い、一般的かつ平和主義者のパブリックイメージを保つために、大衆の前に姿を現すことは県知事よりも多い。実際、現状県知事以上の権力と知名度を持ち合わせているため、人を集めるには十分な手段であった。
そして当人になり切ることでとった行動は、当人がやっていたことの再現。イメージの操作であったのだ。
「――皆さん、聞いてください。現在……この山梨の深淵にて、私の偽物が私の名を騙り悪事を企てているのです。清廉潔白な私の印象を崩さんと、他立候補者が小狡い真似にてこの山梨を掌握しようとしているのです」
当人が普段から築き上げてきた純白なイメージが齎す効果はかなりのもので、多くの人の心を瞬時に掴むことに成功したのだ。
ただでさえ、ここにて演説を清聴する存在はある程度の金を持つ存在。グレープ・フルボディの深淵に子供を『預けている』存在はそうそう存在しない。その主張に異議を唱える存在が存在しないような場所で敢えて行ったのだ。
しかし、一部県民は垂れ流しにされる偽物(の名を冠したまごうことなき本物)の行いを聞きながら、にわかには信じられないようであった。それもそのはず、通常のニュース番組でも報道されないような、実に残酷かつ常識や倫理を疑うような事件ばかり。実にスキャンダラスな報道であったが、急な情報の波は受け入れがたかったのだ。
それでも、次第に周りの人間は今まで騙されてきた怒りを発露し始めた。受け入れがたかった者も、次第にその怒りの波にのまれ、流されていくのみ。その場の空気感が、人々を無意識下にて煽り立てていたのだ。
「どうか、今甲府市にてこの演説を聞いてくださっている皆さん、無力な私に手を貸してくださいませんか。卑劣な輩を許してはなりません。今どこにいるかは分からない、闇に生きる正義の存在・・・・・・『義賊伝説』を我々の手で大成させるときです」
人々の心には、少なからず存在していた。都市伝説を通り越して、もはや御伽話同然の『義賊伝説』。しのびの里の認知は確実なものであったが、実際に存在すると考える人物は数少ない。
その中で、御庭番衆が考えたシナリオこそ、大衆をヒロイックな存在に仕立て上げることであった。かつての歴史でも、一般人たちが徒党を組んで邪知暴虐の国家を解体する事案は少なからず『革命』という形で存在する。大衆がこれからとる行為こそ、『義賊伝説』をなぞらえるものとして煽てる――そういう考えであったのだ。
『義賊』当人が、偽りではあるものの『義賊』を生み出す。次の世代へ伝説を繋げていく。しかしこれは自分たちの認知のために行っているわけではなく、山梨県を良くしたいという崇高な考えが大元にあるからこそ。結果的に多くを騙すアイデアではあったが、今の大衆を煽るには十分であるという考えがあってこそ。
「今こそ、立ち上がりましょう。我々が、山梨の『これから』を創るときです!」
こうして、多くの市民を巻き込んだ大規模計画が、実行に移されたのだ。
そして現在。今まで人道に反した行いばかりを裏でしてきた善吉であったが、これほどに愚直な相手に怒りを覚えたのは初めてであった。
「――全く、私の名を騙って小賢しい……」
人に対して、興味関心を大して抱かない彼であったために、些細なことでその琴線に触れる訳だが、それはあくまで些細なこと止まり。感情をおくびにも出すことなく、ただ笑顔のままで短期記憶のような存在を抹消するのみ。
しかし、初めてであったのだ。偽りの姿でありながら自分の名を騙られて、あまつさえ掌握していた人間を盛大に利用されての今が、たまらなく鬱陶しく感じていたのだ。
例えるならば、自身の部屋の中に羽虫が入り込み、あらゆる羽虫への対策を講じたのにも拘らず、部屋の中でその虫が悠々自適に暮らしているよう。潰そうにも捕えることはできず、ただ嘲笑されているようなものである。
だが、傍から見てみれば、それはただの逆恨み。自分の悪事が、そうなるように矢印が向いただけのこと。運命とは、自分の行いの結果後ろから付いてくるもの。善吉の場合、
仕事内容が最低かつ悪辣なため、そうなっただけであるのだ。結果的に、彼が悪事に手を染めなかったらこうなる運命はなかったのだ。
「下らない……ああ下らない……! ただの矮小なクソ虫ごときが……!!」
悠々自適に入り込み、理想郷へと歩きながら近づく一行。灰崎はどうも苦虫を噛み潰したような表情であったが、それ以外の面子は事の黒幕である善吉を嘲笑うようであった。
「奴、多分カンカンだよ。自分が従えていたはずの一般人で突っ込まれて、せっかくの人海戦術を十倍以上の人員でやり返されるってのは……屈辱だろうねェ」
「――何だろうな、またこの場に戻ってくるとは思わなかった。しかも……アンタにコレ持たされて……コレ、危ないとかって言ってなかったか」
「灰崎とか言ったか、これに関しては……お前は大丈夫と見た。このドライバーを渡された人間に共通する事柄が……そしてお前に関してはなぜか当てはまらない事柄が存在する」
なぜか、灰崎は他県の支部長のように精神汚染が行われていない謎。通常ならカルマに全てを掌握されてもおかしくはないはずなのに、特段特別な境遇でもない彼が精神汚染を食らっていない謎であった。その謎の答えを知りたいがために、清志郎は助け出した上にこの場に引っ張り出してきたのだ。
「――どうせ、大したことじゃあない。俺は……ただ生かされているだけだろう」
「……どうだかな。でも……私にいえることはただ一つ。お前さんのような大人相手であっても言えることがある」
至極当然ともいえる答え。小児科医であってもなくても、誰であっても疑問には思わない結論。
「――たとえ生かされているのだろうと、命を
擲とうとするなよ」
せっかく生きているチャンスがあるなら、少しでも一矢報いるべき。徒に命を捨てた瞬間、生きている意味すら分からなくなるだろう。その中で、最初に拳を交えた後彼は「死ぬ気がある」と口走ったのだ。
それが、ずっと清志郎の中で引っかかっていたのだ。最初から、諦観に塗れた男であったが、組長がカルマの策略によって殺害された後、恩人の後を追おうとしていたのだ。恐らく、清志郎たちがグレープ・フルボディに来ることがなくとも、自刃しようとしていたのだ。
「『なぜか』正常な意識を保ったままなら、少しくらいは戦ってみろ。私とお前は同じ狼だ、その牙と爪は飾りか?」
例え世間的に許されないであろう、
ならず者だろうと、それ以上の
無法者を相手にするなら結託できる。特に、その相手に特段マイナスの感情があるのなら。
「――俺は、アンタらと結託した後……ことの責任を取って死ぬ気だったが……ことが終わるのは思ったよりも先らしい」
灰崎の精神の根底は、他の英雄たちとは違う漆黒の意志。法に則るなんてことはなく、ただひたすらに自分の意志を貫き続ける。徐々にその意志が磨かれた結果、合間から見え隠れするのは黄金の精神。自身の誇りを曲げることはなく、高潔な意志であることに変わりはない。
「……やってやる。組の威信をかけた戦いに違いはない。どこぞの誰かに組の九割九分潰されはしたが文句は言うまい」
ばつが悪いと感じた清志郎は、口を尖らせ何も言うことはなかった。
そんなやり取りを交わす中で、ついに一行は理想郷へたどり着く。この先に待ち受けるは魑魅魍魎、さらにその中央には更なる『地獄』へ繋がる道筋のみ。何が待ち受けているかは、その場に辿り着いた者のみが理解できる。少なくとも、新たな山梨支部がそこに置かれている以上、考えたくもない。
「――今回の
任務は、少々難しいものかもしれない。『山梨支部の完全崩壊』『救えなかった子供たちを現状救える分全員救い出すこと』『グレープの抱える真相を世に晒すこと』、この三つだ。どれか一つが必須目標で、どれか二つが努力目標って訳じゃあない。どれも必須目標だ。それには……それぞれの十分な働きが必要だ」
この場にいる戦闘要員、誰が欠けたとしてもきっと目的は果たせない。これまでの闇を暴き、それでもなお生き残ってこそ英雄の真価が示せるのだ。
「きっと……理想郷のどのエリアも敵がいる。蹴散らすか何とかして、中央部の昇降機から誰か一人でもフルボディに潜入してくれ。奴のことだ、他の昇降機は全て潰し、ここのだけは潰していないのは……私たちの全力を封じるためだ」
性悪の思考を読むなら、それ以上の性悪になり切るのみ。あくまで現状だけだと推理材料のみだが、信一郎が敵の立場に置かれているならそうする、というだけである。
「――皆、健闘を祈る。無事に生きて帰ってこられたら、盛大に祝杯を挙げようじゃあないか」
それぞれが静かに笑い合うと、理想郷の各エリアに散らばっていったのだった。
院、透の二人は礼安を想起させるアヴァロンエリア、清志郎は一人蓬莱エリア、エヴァと葵、そして護衛と言わんばかりに灰崎はザナドゥエリア、レイジー一人はエル・ドラドエリア、信一郎一人はアガルタエリアへ散り散りになった。