「……行ってください。無理はしないように」
「はいはい」
ジークの言葉に軽く頷くと、フレアは歩き出した。
まるで散歩でも行くように、小高い丘を下っていく。
すでに、新国の背後を突くように、連合は襲撃を掛けていた。
フレアの眼下には両軍がぶつかる様子が見えている。
彼女は左手を鞘に置いて、右手を両目の上にかざしてみる。
そうして周囲の草原を見回した。
新国が王国領へと入るには必ずこの草原を抜ける必要がある。
『エルフの大森林』からでは大峡谷を迂回しなければならないからだ。
連合はそこから少し離れた位置で陣を取り、隙を見つけて背後から襲い掛かったのだ……もっとも、新国も想定していただろうが。
「お」
フレアは小さく声を上げた。
持ち上げていた右手を真っ直ぐに指さした。
端的に言って、剣聖の孫『フレア・サリンジャー』はバカと言って良い。
地頭が悪くはないのだが、頭を使うということをしない。
いや、そもそも興味すらなかったのだ。
彼女は両親が死に、祖父が死んでも、そのまま山に籠って生活していた。ほとんど野生児と言って良いだろう。
いや、野生児という言葉では済ませられない。
ジークが彼女を頼るまで、剣聖をもってして『修行』と言えるような鍛錬を続けていたのである。祖父の見よう見まねでやっていたらしいが。
剣聖本人ですら、自身の死後も孫が続けるなんて思ってもいなかっただろう。
それなりに苦労しているジークがその様子を見て、目を回したほどである。
何の苦痛も疑問もなく――ただ楽しく剣を振っていた。
頭の良し悪しなど関係ない。ただのバカと言って良いだろう。
要するに、剣さえ振っていれば不満がない。
頭を使うということに慣れていないのだ。
だから、こういった乱戦の戦い方など知らない。
そこで彼女はそういうことが得意な人の真似をすることにした。
「うん。あの人は立派な鎧を着ているし、護衛の人も一杯いるね。
きっと、偉い人だ――ナタリーなら、あそこを狙うかな?」
フレアはとん、と一度だけ真上に跳ぶと、勢いそのままに丘を駆け降りる。
姿勢は低く、腰を落とし、左手は鞘へ右手は剣柄へ添えて。
本人は自覚すらしていないが、これはフレア・サリンジャーの初陣となる。
今までは内乱の協力者に過ぎず、戦場に出るのは初めてだった。
丘を下りきると、フレアは新国の歩兵へと斬りかかった。
迷子になりませんように、と呟いて腰の長剣を抜く。
軽装の兵士を死角から一閃すると、返す刃で重歩兵の鎧の隙間を突いた。そのまま脇をすり抜けて、鎧から剣を抜く。抜いた勢いで騎兵の馬を斜めに斬り下ろす。落馬した兵が地面に触れるより先に、その脇腹を斬り上げた。馬に気を取られた相手へと踏み込んでは肩口から真下へと斬り下ろす。さらに深く腰を落として、突進。混乱する別の相手の首を突いた。異変に気付いた周囲の新国兵が反応した。フレアへと剣を振り下ろす。間に合わないと判断して、剣が首に刺さったままで三振りの剣を受け取めた。一度受け流すと、首から抜いた剣を三度払う。三人が倒れたことは確認せずに、さらに速度を上げた。
――いた。
高速で戦場を駆け抜けながら、標的を見つけてフレアは笑った。
迷子にならなくて良かった、と。
まるで風でも走るように、フレアが相手へと走り寄る。
ついでとばかりに、その剣先が周囲の新国兵を切り裂いてゆく。
「――ッ!」
相手が異変に気が付いて、こちらへと振り返る。
馬上から振るっていた槍をフレアへと突き出した。
しかし、フレアは足を止めずに踏み込んだ。
槍を優しく上に弾くと、流れに逆らわずに馬の前脚を斬り付けた。
相手が落馬したことを確認すると、フレアはその真上から長剣を叩きつける。
ギン、と言う音。相手の槍がフレアの長剣を止めていた。
今日、初めて自分の剣を止めた相手を、フレアはまじまじと見つめる。
見覚えがあるように感じたのだ。
「あ」
「?」
――そうだ。
――大峡谷で案内してくれた人だ。
騎士団長の『フィン・レノルズ』だった。
連合の襲撃を想定して、この位置で指揮を執っている。
フレアは剣を止めることはしなかった。
フィンの喉元目掛けて剣を突き出す。
「なるほど」
「……!」
フィンが冷静に槍を動かす。
その、剣を絡めとるような動作に、フレアは急いで剣を引いた。
「厄介ですね」
「…………」
そして二人は互いに表情を曇らせる。
先に動いたのはフレアだった。
大きく後ろへと跳んだのだ。
フレアが襲撃し、フィンは未だに尻餅を突いた状態。
しかし、周囲は側近の新国兵が固めている。
先ほどの攻防で仕留められないなら、諦めるべきだろうと。
「……無理はしないようにって言われてるしねぇ」
走りながら、フレアは小さく呟いた。
すぐに新国は僅かに後退する。
フィンが狙われたから仕切り直したいということだろう。
だが、味をしめたフレアは何度もフィンへの奇襲を繰り返すことになる。
ナタリーの真似をしているだけだが、新国の注意を引くという点では有効な行動であった。