翌日以降も景色は何も変わらなかった。受験生が専心すべきはハッキリしている。救われた。
二学期の終業式はクリスマスと重なった。サトセンは「息抜きはいいですが、気を抜きすぎないよう気をつけて」とホームルームで呼びかけた。
昇降口への階段で、小春に声をかけられる。「駅ビルのサイゼ寄らない? サトセンも息抜きしようと言ってたし」
「そうは言ってないだろう」と苦笑しながら振り向くと、小春の横に七海がいた。最近二人の距離は近い。タイプが違うと感じていたが、いざ寄り添えば奇妙に馴染む。
「松本は時間あるの?」
「大丈夫。サイゼリヤならエスカルゴが食べられるよな。一度試してみたかったんだ」
「七海ちゃん、それカタツムリだよ?」
「わかってる。カタツムリは有肺類で、一つの個体が雄と雌の生殖機能を備えているんだ。交尾の際には、互いに精子を交換し、自分の卵子と結合させる」
「うわ、ますます食べたい気持ちが失せていく」
「そうか? 私は生き物として興味がある」
「へえ……なぜそんな進化の仕方をしたんだろうね」
「一期一会」と七海は言った。「カタツムリは秒速一ミリほどのスピードなんだ。あまり遠くに動けない。だから出会いを大事にしないと次代に命を繋げないんだ。もし交尾の相手を異性に限れば、出会った個体が同性だったら困るだろ?」
「なるほどねえ」と小春は頷く。「だから一期一会か」
「そう一期一会」七海が同じ言葉を繰り返す。
居心地が悪かった。
その日頼んだエスカルゴのオーブン焼きは、何度も喉につっかえた。
年明けに、近くの神社を参拝した。今度は七海が僕らを誘った。
最後の模試で、七海はA判定を出していた。小春も塾で太鼓判を押されている。本当に神頼みが必要なのは、成績が安定しない僕だけだった。
おみくじは僕が大吉、二人はそろって凶だった。神様はあてにならない。
「次に三人そろうのは卒業式だな。全員で合格をお祝いしよう」と七海が言った。
「うん。合否の知らせ以外はLINEも禁止ね」小春が応じる。
神社から最寄り駅まで、川沿いの小道を歩いた。一歩先に小春と七海。その後ろに僕が続く。二人の会話は途切れない。肩を揺らして笑いあい、時折互いの顔をのぞき込む。古くからの親友みたいだ。
「私、寄り道していくね。岳人は一人でおうち帰れる? 乗るのは上りの電車だよ?」
駅前で、小春にからかわれた。七海は下りだ。スカートのポケットからPASMOのケースを取り出している。
小春は七海に視線を移し「今日は誘ってくれてありがとう」とはにかんだ。
「いや、寺西さんはエスカルゴを食す機会を与えてくれた。私こそ礼を言わねばならなかった。ずっとぼっちでいたけれど、友だちと一緒というのも楽しいものだな」
「そうだよ。合格したらまた遊ぼう」
「ああ頼む」
小春は頷き、深く息を吸い込んで、静かに吐いた。そして七海の顔を見つめ直す。
「私、頑張る。受験も、受験以外も、絶対負けない」
「同感だ。正でも負でも、結果はきちんと引き受ける」
七海が右手を差し出した。小春はぎゅっとその手を握る。二人はしばらく視線を重ね、握手をほどいた。小春は駅舎の外へ、七海は下りのホームへ消えていく。もう二人は振り向かなかった。
まず小春、次いで七海が志望校に合格した。連絡はLINEだった。僕は私大を二つ落ち、滑り止めの発表を待っていた。父親に「努力不足だ。卒業してもまともに就職できないぞ!」と怒鳴られた。母親は「商社といってもバブル入社。課長止まりで偉そうに」と吐き捨てた。いつまでも、あると思うな親と金、と心で念じ、僕は父母を受け流す。
サトセンには電話で知らせた。教職員は自由登校期間中も出勤している。「まだ一校残ってるのよね? 大丈夫。受かっているよ」と励まされた。
卒業式の前の夜、小春からLINEが届いた。
「今、七海ちゃんと会っている。卒業式後、岳人がどっちを選ぶのか、聞かせてほしい。校庭の桜の下で一緒に待ってる」
選択肢がどちらでも、二人の仲は軋むだろう。そこまでして、求める価値が僕にあるのか。考えに考えて、ふとある解が頭に浮かんだ。スマホの画面をタップする。
わかった。返事をするよ――。
すぐに既読のマークがついた。それ以上、二人からのメッセージは届かなかった。
そう、永遠に。