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雪降る温泉街

ー/ー



 しんしんと雪の降る街道を、勇斗たちは歩いていた。

 吐かれる息は白く、さくり、さくりと雪を踏む音がかすかに続く。風が吹くと、鋭い寒さが頬を刺した。

「ピャーッ! 寒いっ!」

 ランパは叫んだあと、ぶるぶると身を震わせて大きなくしゃみを放つ。涙目になりながら、両手で体をさすっていた。

「もうすぐウルパという温泉街に着くっス。美味しい食べ物もたくさんあるんで、あとちょっとの辛抱っスよ」

 大きなリュックを背負ったチカップが、なだめるように言う。

「うまいもの!」

 弾んだ声を出したランパが、スキップをしながら先頭に躍り出た。

 はしゃぐランパの姿を見て、勇斗は優しく微笑んだが、胸の奥は複雑だった。

 最後の大精霊の封印を解くと、精霊樹への道が開かれる。うまくいけば、そこで元の世界に帰ることができる。そうなると、ランパと別れることになる。切なさが、胸の奥で冷たく沈んだ。

 思考を遮るように、ランパの派手なくしゃみが再び弾けた。

 町に着いたら、防寒着を買ってあげよう。せめて、この寒さからは守ってやりたい。道中立ち寄った町や村で様々な依頼をこなしてきたので、お金に余裕はある。

「チカップ、この辺に来たことあるの?」
 
 勇斗は歩みを緩め、後ろを振り返って問いかけた。

「来たことはないっスけど、話なら聞いたことあるっス。トゥーレさんがコルーン地方の出身らしいんで、いろいろと」

「そうなんだ」

 勇斗の脳裏に、ソレイン王国からの脱出を助けてくれた魔術師トゥーレの姿が浮かぶ。あれ以来、追っ手は現れていない。きっとうまく立ち回ってくれたのだろう。二人は元気でいるだろうか。

「きゃあっ!」

 甲高い声と同時に、とすん、という音が聞こえてきた。

「いったぁ~い!」

 地べたに座り込んだソーマが、両手で顔を覆い、しょげていた。転んでしまったのだろう。

「大丈夫? 怪我はない?」

「あ、ありがとう。大丈夫、ですわ」

 勇斗が駆け寄って手を差し出すと、ソーマは照れくさそうにはにかみながら立ち上がり、黒いゴシックドレスについた雪をぽんぽんと払った。

 その笑顔を、勇斗は直視できず、キョロキョロと視線を泳がせながら小さな声で「よかった」と答える。

「本当に優しいのですわね、ユートって」

 ソーマは口元に手を当て、くすくすと笑う。

「そういやソーマの記憶は、まだ戻らないの?」

 勇斗は目を合わせず尋ねた。ランパは順調に記憶を取り戻しているが、ソーマの記憶が戻ったと聞いたことはない。

 ソーマは俯き、霞色のツインテールが静かに揺れた。

「それが、全然ですの。でも――」

「でも?」

 ソーマはため息をついたあと、天を仰ぎ、落ち着いたトーンで言った。

「この白い世界を見ていると、何か思い出せそうな気がしますの。大切な、とっても大切な何かを――」

「ソーマ……」

 ――霞のようなあの髪の色はね……伝説の勇者ルークの恋人と同じなんだ。

 孤児院の院長の言葉が蘇る。ソーマは、レタの生まれ変わりなのだろうか。

 勇斗は、ぼんやりと空を眺めているソーマの横顔を、そっと見つめた。
 
「おーい、何やってんだ! 寒いんだから早く行くぞー!」

 ランパの声で、はっとした。

「うん、ごめん。すぐ行くよ。さあ、ソーマも」

「ええ、そうしましょう」

 ソーマは潤んだまなざしで勇斗を見てから、そっと勇斗の手を握った。ぬくもりがガントレット越しに広がった気がする。

 勇斗は握り返す強さを測りかねた。


 ウルパの街にたどり着いた頃には、すっかり日が暮れていた。夜空には無数の星が浮かんでいる。雪と星が溶け合い、現実感の薄い光景をつくっていた。

 寒さがいよいよ厳しくなり、ランパが「凍っちゃうぞ!」と泣き声を上げたので、勇斗たちは急いで宿を探した。

 メインストリートは、夜なのに人で賑わっていた。視界いっぱいに並ぶ木造建築の宿と土産物店。軒先からぶら下がっている提灯みたいな発光体は、魔石を加工したものだという。歩いていると、ほのかな硫黄と湯気の甘い匂いが鼻をくすぐった。

 勇斗たちは、『蒼樹の湯宿』という高台に建つ大きめの宿屋に足を踏み入れた。料金を払うと、部屋に案内される。客室の床には、分厚い獣毛ラグが備えられており、素足で歩くと、もふりとした弾力が心地よかった。

 食事の前に、温泉に浸かることを決めた。ソーマと別れ、男三人は脱衣所へと向かった。

 脱衣所は杉のような香りが強く漂っていた。

 勇斗とランパとチカップの三人は服を脱ぎ、裸になる。

「ユートの体、たくましいっスね」

 チカップが、勇斗の体をジロジロと見ながら呟いた。

「そ、そうかな」

 勇斗は自身の体を見下ろした。細身だが、引き締まり、腹部には、いつの間にか浮かび上がった筋。そこかしこに走る古傷が、旅の長さを物語っていた。

「ちょっと、羨ましいっス」

 チカップは、自身の痩せた腹をつまみ、目を細めた。

「おーい、早く入るぞー!」

 じっとしていられないランパが声を張り上げる。解いたエメラルドグリーンの髪が肩に散り、勇斗は思わず少女と見間違えそうになった。

「う、うん。入ろう」

 勇斗は木の戸を押し開け、冷えた空気の中へと足を踏み入れた。

 浴場は露天風呂だった。凍てつく空気が素肌にヒリつく。湯面から立ち上る湯気の層を割って身を沈めると、湯は肌を刺すほど熱く、すぐに血行が指先までぐわっと巡る感覚を覚えた。耳を打つのは湯が岩肌に落ちるパシャッ、ポタッという小さな落水音。空気を切って降る雪片が頬に触れる。

 チカップが「極楽っスね」と目を細める。勇斗も黙ってうなずいた。

 ランパは広々とした湯船を縦横無尽に泳ぎ回っている。行儀は褒められたものではないが、今は自分たちしか客がいない。まあ、好きにさせてやろう、と思って目を瞑った。

 湯に身を委ねながら、勇斗は一週間前に行われたアルトとの会話の内容を反芻した。

 天陽山にマナが存在していたと聞いた瞬間、突如鮮明に思い出された小学生時代の出来事があった。

 湯の中では、時間の感覚まで曖昧になっていく。
 
 小学五年生の夏休みだった。光太といっしょに秘密基地の周りで昆虫採集をしていた時、急に静かになって、気づけば見知らぬ場所に立っていた。夏なのに寒くて、周囲がもやに包まれていた。泣きながら光太の名前を叫ぶも、返ってきたのは静寂だけだった。

 少し歩くと、しめ縄が巻かれた大きな樹が現れた。直感で、それは御神木だとわかった。根元に刺さっているのは一本の刀。

 刀に触れたとき、声が聞こえた。

 ――今はまだそのときではない。

 声を聞いた次の瞬間、僕は病院のベッドの上で寝ていた。光太が大人を呼び、夜通しの捜索が行われたという。捜索の末、明け方に崖下で倒れているところを発見されたらしい。御神木を見た、と言っても誰も信じてくれなかった。結局、全てが夢の中の出来事として処理された。

 勇斗は軽くため息をついたあと、夜空を見上げた。

 もう一つ気になっているのが、紅いカケラについてのことだ。ショッピングモールで事件を起こした犯人が落としていったものは、アルトの話を聞く限り、真弘くんが持っていたカケラと同じ物に違いない。神社の蔵の前で見たあの不気味な輝き。その輝きは、地下の最深部で見た紅い球とよく似ていた。あの出来事こそが、すべての始まりだった。

 ――真弘くんは、今、どうしているのだろう。

「ユート、どうしたんだ? 浮かない顔をしてるぞ。のぼせたのか?」

「ちょっと、元の世界のことをね」

「早く帰りたいか?」

 ランパが、さみしそうな目で見つめる。

 勇斗は、返答に困ってしまった。この世界に来た当初は、帰れる物なら一刻でも早く帰りたいと思っていた。しかし、今はランパや他のみんなと一緒にいたいという気持ちも芽生えている。

「忘れんなよ。ユートはこの世界のニンゲンじゃない。ちゃんと元の世界に帰るんだ。そのために、オイラがずっとついているんだからな」

 ランパの声は、いつになく真剣だった。

「うん、ありがとう。そろそろ上がろう。ご飯にしよう」

 勇斗は、ばしゃっと湯を跳ね上げて立ち、脱衣所へ向かった。


 服を着て脱衣所を出た瞬間、ばったりソーマと鉢合わせた。霞色の髪はツインテールが解かれ、肩まで流れるロングへと姿を変えている。薄い布一枚だけをまとった姿に、勇斗は、視線の置き場を失っていた。胸がどきどきと高鳴る。

「いいお湯でしたわね。あら、ユート、どうなさいましたの? 顔が赤いですわよ?」

「あ、いや……」

 手のひらに汗がにじみ、言葉がうまく出てこない。体温が上昇する感覚。鼓動が速すぎて、湯上がりの熱なのか彼女のせいなのか、もはや区別がつかなかった。
 
 ソーマがくすっと笑い、唇を勇斗の耳元へそっと寄せた。

「あとで、二人きりでお話ししたいですわ」

 ソーマが囁く。

 肩がビクッと跳ね、勇斗は思わず飛び退いた。

 クスクスと口元に手を当てているソーマの瞳に、気のせいだろうか、妖しげな光が浮かんでいた。

 漆黒の瞳に、吸い込まれそうになる。意識の輪郭が、じわりと滲んでいく。
 
「ユート! 早く来ないとランパに全部食べられちゃうっスよー!」

 後方から聞こえたチカップの声で、勇斗は我に返った。

「え、あ? うん――あれ?」
 
 勇斗が返事をして顔を向け直すと、そこに立っていたはずのソーマはもういなかった。

 湯上がりの肌を、一筋の冷たい汗が伝った。

 闇に沈んだ回廊の先で、微かな水滴音だけが静かに木霊していた。


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 しんしんと雪の降る街道を、勇斗たちは歩いていた。
 吐かれる息は白く、さくり、さくりと雪を踏む音がかすかに続く。風が吹くと、鋭い寒さが頬を刺した。
「ピャーッ! 寒いっ!」
 ランパは叫んだあと、ぶるぶると身を震わせて大きなくしゃみを放つ。涙目になりながら、両手で体をさすっていた。
「もうすぐウルパという温泉街に着くっス。美味しい食べ物もたくさんあるんで、あとちょっとの辛抱っスよ」
 大きなリュックを背負ったチカップが、なだめるように言う。
「うまいもの!」
 弾んだ声を出したランパが、スキップをしながら先頭に躍り出た。
 はしゃぐランパの姿を見て、勇斗は優しく微笑んだが、胸の奥は複雑だった。
 最後の大精霊の封印を解くと、精霊樹への道が開かれる。うまくいけば、そこで元の世界に帰ることができる。そうなると、ランパと別れることになる。切なさが、胸の奥で冷たく沈んだ。
 思考を遮るように、ランパの派手なくしゃみが再び弾けた。
 町に着いたら、防寒着を買ってあげよう。せめて、この寒さからは守ってやりたい。道中立ち寄った町や村で様々な依頼をこなしてきたので、お金に余裕はある。
「チカップ、この辺に来たことあるの?」
 勇斗は歩みを緩め、後ろを振り返って問いかけた。
「来たことはないっスけど、話なら聞いたことあるっス。トゥーレさんがコルーン地方の出身らしいんで、いろいろと」
「そうなんだ」
 勇斗の脳裏に、ソレイン王国からの脱出を助けてくれた魔術師トゥーレの姿が浮かぶ。あれ以来、追っ手は現れていない。きっとうまく立ち回ってくれたのだろう。二人は元気でいるだろうか。
「きゃあっ!」
 甲高い声と同時に、とすん、という音が聞こえてきた。
「いったぁ~い!」
 地べたに座り込んだソーマが、両手で顔を覆い、しょげていた。転んでしまったのだろう。
「大丈夫? 怪我はない?」
「あ、ありがとう。大丈夫、ですわ」
 勇斗が駆け寄って手を差し出すと、ソーマは照れくさそうにはにかみながら立ち上がり、黒いゴシックドレスについた雪をぽんぽんと払った。
 その笑顔を、勇斗は直視できず、キョロキョロと視線を泳がせながら小さな声で「よかった」と答える。
「本当に優しいのですわね、ユートって」
 ソーマは口元に手を当て、くすくすと笑う。
「そういやソーマの記憶は、まだ戻らないの?」
 勇斗は目を合わせず尋ねた。ランパは順調に記憶を取り戻しているが、ソーマの記憶が戻ったと聞いたことはない。
 ソーマは俯き、霞色のツインテールが静かに揺れた。
「それが、全然ですの。でも――」
「でも?」
 ソーマはため息をついたあと、天を仰ぎ、落ち着いたトーンで言った。
「この白い世界を見ていると、何か思い出せそうな気がしますの。大切な、とっても大切な何かを――」
「ソーマ……」
 ――霞のようなあの髪の色はね……伝説の勇者ルークの恋人と同じなんだ。
 孤児院の院長の言葉が蘇る。ソーマは、レタの生まれ変わりなのだろうか。
 勇斗は、ぼんやりと空を眺めているソーマの横顔を、そっと見つめた。
「おーい、何やってんだ! 寒いんだから早く行くぞー!」
 ランパの声で、はっとした。
「うん、ごめん。すぐ行くよ。さあ、ソーマも」
「ええ、そうしましょう」
 ソーマは潤んだまなざしで勇斗を見てから、そっと勇斗の手を握った。ぬくもりがガントレット越しに広がった気がする。
 勇斗は握り返す強さを測りかねた。
 ウルパの街にたどり着いた頃には、すっかり日が暮れていた。夜空には無数の星が浮かんでいる。雪と星が溶け合い、現実感の薄い光景をつくっていた。
 寒さがいよいよ厳しくなり、ランパが「凍っちゃうぞ!」と泣き声を上げたので、勇斗たちは急いで宿を探した。
 メインストリートは、夜なのに人で賑わっていた。視界いっぱいに並ぶ木造建築の宿と土産物店。軒先からぶら下がっている提灯みたいな発光体は、魔石を加工したものだという。歩いていると、ほのかな硫黄と湯気の甘い匂いが鼻をくすぐった。
 勇斗たちは、『蒼樹の湯宿』という高台に建つ大きめの宿屋に足を踏み入れた。料金を払うと、部屋に案内される。客室の床には、分厚い獣毛ラグが備えられており、素足で歩くと、もふりとした弾力が心地よかった。
 食事の前に、温泉に浸かることを決めた。ソーマと別れ、男三人は脱衣所へと向かった。
 脱衣所は杉のような香りが強く漂っていた。
 勇斗とランパとチカップの三人は服を脱ぎ、裸になる。
「ユートの体、たくましいっスね」
 チカップが、勇斗の体をジロジロと見ながら呟いた。
「そ、そうかな」
 勇斗は自身の体を見下ろした。細身だが、引き締まり、腹部には、いつの間にか浮かび上がった筋。そこかしこに走る古傷が、旅の長さを物語っていた。
「ちょっと、羨ましいっス」
 チカップは、自身の痩せた腹をつまみ、目を細めた。
「おーい、早く入るぞー!」
 じっとしていられないランパが声を張り上げる。解いたエメラルドグリーンの髪が肩に散り、勇斗は思わず少女と見間違えそうになった。
「う、うん。入ろう」
 勇斗は木の戸を押し開け、冷えた空気の中へと足を踏み入れた。
 浴場は露天風呂だった。凍てつく空気が素肌にヒリつく。湯面から立ち上る湯気の層を割って身を沈めると、湯は肌を刺すほど熱く、すぐに血行が指先までぐわっと巡る感覚を覚えた。耳を打つのは湯が岩肌に落ちるパシャッ、ポタッという小さな落水音。空気を切って降る雪片が頬に触れる。
 チカップが「極楽っスね」と目を細める。勇斗も黙ってうなずいた。
 ランパは広々とした湯船を縦横無尽に泳ぎ回っている。行儀は褒められたものではないが、今は自分たちしか客がいない。まあ、好きにさせてやろう、と思って目を瞑った。
 湯に身を委ねながら、勇斗は一週間前に行われたアルトとの会話の内容を反芻した。
 天陽山にマナが存在していたと聞いた瞬間、突如鮮明に思い出された小学生時代の出来事があった。
 湯の中では、時間の感覚まで曖昧になっていく。
 小学五年生の夏休みだった。光太といっしょに秘密基地の周りで昆虫採集をしていた時、急に静かになって、気づけば見知らぬ場所に立っていた。夏なのに寒くて、周囲がもやに包まれていた。泣きながら光太の名前を叫ぶも、返ってきたのは静寂だけだった。
 少し歩くと、しめ縄が巻かれた大きな樹が現れた。直感で、それは御神木だとわかった。根元に刺さっているのは一本の刀。
 刀に触れたとき、声が聞こえた。
 ――今はまだそのときではない。
 声を聞いた次の瞬間、僕は病院のベッドの上で寝ていた。光太が大人を呼び、夜通しの捜索が行われたという。捜索の末、明け方に崖下で倒れているところを発見されたらしい。御神木を見た、と言っても誰も信じてくれなかった。結局、全てが夢の中の出来事として処理された。
 勇斗は軽くため息をついたあと、夜空を見上げた。
 もう一つ気になっているのが、紅いカケラについてのことだ。ショッピングモールで事件を起こした犯人が落としていったものは、アルトの話を聞く限り、真弘くんが持っていたカケラと同じ物に違いない。神社の蔵の前で見たあの不気味な輝き。その輝きは、地下の最深部で見た紅い球とよく似ていた。あの出来事こそが、すべての始まりだった。
 ――真弘くんは、今、どうしているのだろう。
「ユート、どうしたんだ? 浮かない顔をしてるぞ。のぼせたのか?」
「ちょっと、元の世界のことをね」
「早く帰りたいか?」
 ランパが、さみしそうな目で見つめる。
 勇斗は、返答に困ってしまった。この世界に来た当初は、帰れる物なら一刻でも早く帰りたいと思っていた。しかし、今はランパや他のみんなと一緒にいたいという気持ちも芽生えている。
「忘れんなよ。ユートはこの世界のニンゲンじゃない。ちゃんと元の世界に帰るんだ。そのために、オイラがずっとついているんだからな」
 ランパの声は、いつになく真剣だった。
「うん、ありがとう。そろそろ上がろう。ご飯にしよう」
 勇斗は、ばしゃっと湯を跳ね上げて立ち、脱衣所へ向かった。
 服を着て脱衣所を出た瞬間、ばったりソーマと鉢合わせた。霞色の髪はツインテールが解かれ、肩まで流れるロングへと姿を変えている。薄い布一枚だけをまとった姿に、勇斗は、視線の置き場を失っていた。胸がどきどきと高鳴る。
「いいお湯でしたわね。あら、ユート、どうなさいましたの? 顔が赤いですわよ?」
「あ、いや……」
 手のひらに汗がにじみ、言葉がうまく出てこない。体温が上昇する感覚。鼓動が速すぎて、湯上がりの熱なのか彼女のせいなのか、もはや区別がつかなかった。
 ソーマがくすっと笑い、唇を勇斗の耳元へそっと寄せた。
「あとで、二人きりでお話ししたいですわ」
 ソーマが囁く。
 肩がビクッと跳ね、勇斗は思わず飛び退いた。
 クスクスと口元に手を当てているソーマの瞳に、気のせいだろうか、妖しげな光が浮かんでいた。
 漆黒の瞳に、吸い込まれそうになる。意識の輪郭が、じわりと滲んでいく。
「ユート! 早く来ないとランパに全部食べられちゃうっスよー!」
 後方から聞こえたチカップの声で、勇斗は我に返った。
「え、あ? うん――あれ?」
 勇斗が返事をして顔を向け直すと、そこに立っていたはずのソーマはもういなかった。
 湯上がりの肌を、一筋の冷たい汗が伝った。
 闇に沈んだ回廊の先で、微かな水滴音だけが静かに木霊していた。