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雪降る温泉街

ー/ー



 雪の降りしきる街道を、勇斗たちは歩いていた。

 吐く息は白く、さくり、さくりと雪を踏む音が静かに続く。風が吹くたび、鋭い寒さが頬を刺した。

「ピャーッ! 寒いっ!」

 ランパは叫ぶなり、ぶるぶると身を震わせて大きなくしゃみを放つ。涙目になりながら、両手で体をさすっていた。

「もうすぐウルパという温泉街に着くっス。おいしい食べ物もたくさんあるんで、あとちょっとの辛抱っスよ」

 大きなリュックを背負ったチカップが、なだめるように言った。

「チカップ、この辺に来たことあるの?」

「来たことはないっスけど、話なら聞いたことあるっス。トゥーレさんがコルーン地方の出身らしいんで、いろいろと」

「そうなんだ」

 勇斗の脳裏に、トゥーレとシグネリアの姿が浮かぶ。あれ以来、追っ手は現れていない。きっとうまく立ち回ってくれたのだろう。二人は元気でいるだろうか。

「きゃあっ!」

 甲高い声と同時に、とすん、という音が聞こえてきた。

「いったぁ~い!」

 尻もちをついたソーマが、両手で顔を覆ってしょげていた。転んでしまったのだろう。

「大丈夫? 怪我はない?」

「あ、ありがとう。大丈夫、ですわ」

 勇斗が駆け寄って手を差し出すと、ソーマは照れくさそうにはにかみ、立ち上がって黒いゴシックドレスについた雪をぽんぽんと払った。

 その笑顔を勇斗は直視できず、視線を泳がせながら小さく「よかった」と答える。

「本当に優しいのですわね、ユートって」

 ソーマは口元に手を当て、くすくすと笑った。

「そういやソーマの記憶は、まだ戻らないの?」

 勇斗は目を合わせないまま尋ねた。ランパは順調に記憶を取り戻しているが、ソーマの記憶が戻ったとは聞いていない。

 ソーマはうつむき、霞色のツインテールを静かに揺らした。

「それが、全然ですの。でも……」

「でも?」

 ソーマはため息をついたあと、白い空を見上げて静かな声で言った。

「この白い世界を見ていると、何か思い出せそうな気がしますの。大切な、とっても大切な何かを……」

 ――あの霞みたいな髪の色はね……伝説の勇者ルークの恋人と同じなんだ。

 孤児院の院長の言葉がよみがえる。

 ソーマは、レタの生まれ変わりなのだろうか。

 勇斗は、ぼんやりと空を見つめるソーマの横顔を、そっと見つめた。

「おーい、何やってんだ! 寒いんだから早く行くぞー!」

 ランパの声で、はっとした。

「ごめん。すぐ行くよ。さあ、ソーマも」

「ええ、そうしましょう」

 ソーマは潤んだまなざしで勇斗を見てから、そっとその手を握った。金属越しなのに、かすかなぬくもりが伝わった気がした。

 勇斗は、握り返す強さを測りかねた。
 

 ウルパの街にたどり着いた頃には、すっかり日が暮れていた。夜空には無数の星が浮かんでいる。雪と星が溶け合い、どこか現実味のない光景が広がっていた。

 寒さがいよいよ厳しくなり、ランパが「凍っちゃうぞ!」と泣き声を上げたので、勇斗たちは急いで宿を探した。

 メインストリートは、夜にもかかわらず人でにぎわっていた。視界いっぱいに並ぶ木造建築の宿と土産物店。軒先に吊るされた提灯のような灯りは、魔石を加工したものだという。歩いていると、ほのかな硫黄と湯気の甘い匂いが鼻をくすぐった。

 勇斗たちは、『蒼樹の湯宿』という高台に建つ大きめの宿屋に入った。料金を払うと、部屋へ案内される。客室の床には分厚い獣毛のラグが敷かれており、素足で歩くと、もふりとした弾力が心地よかった。

 食事の前に、温泉に浸かることを決めた。ソーマと別れ、男三人は脱衣所へ向かう。

 脱衣所には、杉のような香りが強く漂っていた。

 勇斗とランパとチカップの三人は服を脱ぎ、裸になる。

「ユートの体、たくましいっスね」

 チカップが、勇斗の体をじろじろ見ながらつぶやいた。

「そ、そうかな」

 勇斗は自分の体を見下ろした。細身だが引き締まっていて、腹にはいつの間にか筋が浮いていた。そこかしこに走る古傷が、旅の長さを物語っている。

「ちょっと、羨ましいっス」

 チカップは自分の痩せた腹をつまみ、目を細めた。

「おーい、早く入るぞー!」

 じっとしていられないランパが、声を張り上げる。ほどいたエメラルドグリーンの髪が肩に散り、勇斗は思わず少女と見間違えそうになった。

「う、うん。入ろう」

 勇斗は木の戸を押し開け、冷えた空気の中へと足を踏み入れた。

 浴場は露天風呂だった。凍てつく空気が素肌を刺す。湯面から立ち上る湯気の層を割って身を沈めると、湯は肌を刺すほど熱く、たちまち熱が指先まで巡っていった。耳を打つのは、湯が岩肌に落ちるパシャッ、ポタッという小さな水音。空気を切って降る雪片が頬に触れる。

 チカップが「極楽っスね」と目を細める。勇斗も黙ってうなずいた。

 ランパは広々とした湯船を縦横無尽に泳ぎ回っている。行儀は褒められたものではないが、今は自分たちしか客がいない。まあ、好きにさせてやろうと思い、目を閉じた。

 湯に身をゆだねながら、勇斗は一週間前に交わしたアルトとの会話を思い返した。

 天陽山にマナが存在していたと聞いた瞬間、突如として鮮明によみがえった小学生時代の記憶がある。

 それは、小学五年生の夏休みのことだった。光太といっしょに秘密基地の周りで昆虫採集をしていた時、急に静かになって、気づけば見知らぬ場所に立っていた。夏なのに寒く、周囲はもやに包まれていた。泣きながら光太の名前を叫んでも、返ってきたのは静寂だけだった。

 少し歩くと、しめ縄が巻かれた大きな樹が現れた。直感で、それは御神木だとわかった。根元に刺さっていたのは一本の刀だった。

 刀に触れた時、声が聞こえた。

 ――今はまだそのときではない。

 声を聞いた次の瞬間、僕は病院のベッドの上で寝ていた。光太が大人を呼び、夜通しの捜索が行われたという。捜索の末、明け方に崖下で倒れているところを発見されたらしい。御神木を見たと言っても、誰も信じてくれなかった。結局、すべて夢の中の出来事として片づけられた。

 勇斗は軽くため息をついたあと、夜空を見上げた。

 もう一つ気になっているのが、紅いカケラのことだ。ショッピングモールの犯人が落としていったものは、アルトの話を聞くかぎり、真弘くんが持っていたカケラと同じ物に違いない。神社の蔵の前で見た、あの不気味な輝き。その輝きは、地下の最深部で見た紅い球とよく似ていた。あの出来事こそが、すべての始まりだった。

 真弘くんは、今、どうしているのだろう。

「ユート、どうしたんだ? 浮かない顔をしてるぞ。のぼせたのか?」

「ちょっと、元の世界のことをね」

「早く帰りたいか?」

 ランパが、さみしそうな目で見つめる。

 勇斗は返答に困ってしまった。この世界に来た当初は、帰れるものなら一刻でも早く帰りたいと思っていた。しかし今は、ランパやみんなと一緒にいたいという気持ちも芽生えている。

「忘れんなよ。ユートはこの世界のニンゲンじゃない。ちゃんと元の世界に帰るんだ。そのために、オイラがずっとついているんだからな」

 ランパの声は、いつになく真剣だった。

「うん、ありがとう。そろそろ上がろう。ご飯にしよう」

 勇斗は、ばしゃっと湯を跳ね上げて立ち上がり、脱衣所へ向かった。

 服を着て脱衣所を出た瞬間、ばったりソーマと鉢合わせた。霞色のツインテールはほどかれ、肩まで流れる髪になっている。薄い布一枚をまとった姿を前に、勇斗は視線の置き場を失った。胸の鼓動がやけに速い。

「いいお湯でしたわね。あら、ユート、どうなさいましたの? 顔が赤いですわよ?」

「あ、いや……」

 手のひらに汗がにじみ、言葉がうまく出てこない。さらに体が熱くなる。湯上がりのせいなのか、彼女のせいなのか、もう区別もつかなかった。

 ソーマがくすっと笑い、唇を勇斗の耳元へそっと寄せた。

「あとで、二人きりでお話ししたいですわ」

 ソーマが囁いた。

 肩がびくっと跳ね、勇斗は思わず飛び退いた。

 ソーマは口元に手を当ててくすくす笑っていた。その瞳には、気のせいか、妖しい光が浮かんでいた。

 漆黒の瞳に、吸い込まれそうになる。意識の輪郭が、じわりと曖昧になっていく。

「ユート! 早く来ないとランパに全部食べられちゃうっスよー!」

 後方から聞こえたチカップの声で、勇斗は我に返った。

「え? あ、うん――あれ?」

 勇斗が返事をして顔を向け直すと、そこに立っていたはずのソーマは、もういなかった。

 湯上がりの肌を、一筋の冷たい汗が伝った。

 闇に沈んだ回廊の先で、かすかな水滴の音だけが静かにこだましていた。


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 雪の降りしきる街道を、勇斗たちは歩いていた。
 吐く息は白く、さくり、さくりと雪を踏む音が静かに続く。風が吹くたび、鋭い寒さが頬を刺した。
「ピャーッ! 寒いっ!」
 ランパは叫ぶなり、ぶるぶると身を震わせて大きなくしゃみを放つ。涙目になりながら、両手で体をさすっていた。
「もうすぐウルパという温泉街に着くっス。おいしい食べ物もたくさんあるんで、あとちょっとの辛抱っスよ」
 大きなリュックを背負ったチカップが、なだめるように言った。
「チカップ、この辺に来たことあるの?」
「来たことはないっスけど、話なら聞いたことあるっス。トゥーレさんがコルーン地方の出身らしいんで、いろいろと」
「そうなんだ」
 勇斗の脳裏に、トゥーレとシグネリアの姿が浮かぶ。あれ以来、追っ手は現れていない。きっとうまく立ち回ってくれたのだろう。二人は元気でいるだろうか。
「きゃあっ!」
 甲高い声と同時に、とすん、という音が聞こえてきた。
「いったぁ~い!」
 尻もちをついたソーマが、両手で顔を覆ってしょげていた。転んでしまったのだろう。
「大丈夫? 怪我はない?」
「あ、ありがとう。大丈夫、ですわ」
 勇斗が駆け寄って手を差し出すと、ソーマは照れくさそうにはにかみ、立ち上がって黒いゴシックドレスについた雪をぽんぽんと払った。
 その笑顔を勇斗は直視できず、視線を泳がせながら小さく「よかった」と答える。
「本当に優しいのですわね、ユートって」
 ソーマは口元に手を当て、くすくすと笑った。
「そういやソーマの記憶は、まだ戻らないの?」
 勇斗は目を合わせないまま尋ねた。ランパは順調に記憶を取り戻しているが、ソーマの記憶が戻ったとは聞いていない。
 ソーマはうつむき、霞色のツインテールを静かに揺らした。
「それが、全然ですの。でも……」
「でも?」
 ソーマはため息をついたあと、白い空を見上げて静かな声で言った。
「この白い世界を見ていると、何か思い出せそうな気がしますの。大切な、とっても大切な何かを……」
 ――あの霞みたいな髪の色はね……伝説の勇者ルークの恋人と同じなんだ。
 孤児院の院長の言葉がよみがえる。
 ソーマは、レタの生まれ変わりなのだろうか。
 勇斗は、ぼんやりと空を見つめるソーマの横顔を、そっと見つめた。
「おーい、何やってんだ! 寒いんだから早く行くぞー!」
 ランパの声で、はっとした。
「ごめん。すぐ行くよ。さあ、ソーマも」
「ええ、そうしましょう」
 ソーマは潤んだまなざしで勇斗を見てから、そっとその手を握った。金属越しなのに、かすかなぬくもりが伝わった気がした。
 勇斗は、握り返す強さを測りかねた。
 ウルパの街にたどり着いた頃には、すっかり日が暮れていた。夜空には無数の星が浮かんでいる。雪と星が溶け合い、どこか現実味のない光景が広がっていた。
 寒さがいよいよ厳しくなり、ランパが「凍っちゃうぞ!」と泣き声を上げたので、勇斗たちは急いで宿を探した。
 メインストリートは、夜にもかかわらず人でにぎわっていた。視界いっぱいに並ぶ木造建築の宿と土産物店。軒先に吊るされた提灯のような灯りは、魔石を加工したものだという。歩いていると、ほのかな硫黄と湯気の甘い匂いが鼻をくすぐった。
 勇斗たちは、『蒼樹の湯宿』という高台に建つ大きめの宿屋に入った。料金を払うと、部屋へ案内される。客室の床には分厚い獣毛のラグが敷かれており、素足で歩くと、もふりとした弾力が心地よかった。
 食事の前に、温泉に浸かることを決めた。ソーマと別れ、男三人は脱衣所へ向かう。
 脱衣所には、杉のような香りが強く漂っていた。
 勇斗とランパとチカップの三人は服を脱ぎ、裸になる。
「ユートの体、たくましいっスね」
 チカップが、勇斗の体をじろじろ見ながらつぶやいた。
「そ、そうかな」
 勇斗は自分の体を見下ろした。細身だが引き締まっていて、腹にはいつの間にか筋が浮いていた。そこかしこに走る古傷が、旅の長さを物語っている。
「ちょっと、羨ましいっス」
 チカップは自分の痩せた腹をつまみ、目を細めた。
「おーい、早く入るぞー!」
 じっとしていられないランパが、声を張り上げる。ほどいたエメラルドグリーンの髪が肩に散り、勇斗は思わず少女と見間違えそうになった。
「う、うん。入ろう」
 勇斗は木の戸を押し開け、冷えた空気の中へと足を踏み入れた。
 浴場は露天風呂だった。凍てつく空気が素肌を刺す。湯面から立ち上る湯気の層を割って身を沈めると、湯は肌を刺すほど熱く、たちまち熱が指先まで巡っていった。耳を打つのは、湯が岩肌に落ちるパシャッ、ポタッという小さな水音。空気を切って降る雪片が頬に触れる。
 チカップが「極楽っスね」と目を細める。勇斗も黙ってうなずいた。
 ランパは広々とした湯船を縦横無尽に泳ぎ回っている。行儀は褒められたものではないが、今は自分たちしか客がいない。まあ、好きにさせてやろうと思い、目を閉じた。
 湯に身をゆだねながら、勇斗は一週間前に交わしたアルトとの会話を思い返した。
 天陽山にマナが存在していたと聞いた瞬間、突如として鮮明によみがえった小学生時代の記憶がある。
 それは、小学五年生の夏休みのことだった。光太といっしょに秘密基地の周りで昆虫採集をしていた時、急に静かになって、気づけば見知らぬ場所に立っていた。夏なのに寒く、周囲はもやに包まれていた。泣きながら光太の名前を叫んでも、返ってきたのは静寂だけだった。
 少し歩くと、しめ縄が巻かれた大きな樹が現れた。直感で、それは御神木だとわかった。根元に刺さっていたのは一本の刀だった。
 刀に触れた時、声が聞こえた。
 ――今はまだそのときではない。
 声を聞いた次の瞬間、僕は病院のベッドの上で寝ていた。光太が大人を呼び、夜通しの捜索が行われたという。捜索の末、明け方に崖下で倒れているところを発見されたらしい。御神木を見たと言っても、誰も信じてくれなかった。結局、すべて夢の中の出来事として片づけられた。
 勇斗は軽くため息をついたあと、夜空を見上げた。
 もう一つ気になっているのが、紅いカケラのことだ。ショッピングモールの犯人が落としていったものは、アルトの話を聞くかぎり、真弘くんが持っていたカケラと同じ物に違いない。神社の蔵の前で見た、あの不気味な輝き。その輝きは、地下の最深部で見た紅い球とよく似ていた。あの出来事こそが、すべての始まりだった。
 真弘くんは、今、どうしているのだろう。
「ユート、どうしたんだ? 浮かない顔をしてるぞ。のぼせたのか?」
「ちょっと、元の世界のことをね」
「早く帰りたいか?」
 ランパが、さみしそうな目で見つめる。
 勇斗は返答に困ってしまった。この世界に来た当初は、帰れるものなら一刻でも早く帰りたいと思っていた。しかし今は、ランパやみんなと一緒にいたいという気持ちも芽生えている。
「忘れんなよ。ユートはこの世界のニンゲンじゃない。ちゃんと元の世界に帰るんだ。そのために、オイラがずっとついているんだからな」
 ランパの声は、いつになく真剣だった。
「うん、ありがとう。そろそろ上がろう。ご飯にしよう」
 勇斗は、ばしゃっと湯を跳ね上げて立ち上がり、脱衣所へ向かった。
 服を着て脱衣所を出た瞬間、ばったりソーマと鉢合わせた。霞色のツインテールはほどかれ、肩まで流れる髪になっている。薄い布一枚をまとった姿を前に、勇斗は視線の置き場を失った。胸の鼓動がやけに速い。
「いいお湯でしたわね。あら、ユート、どうなさいましたの? 顔が赤いですわよ?」
「あ、いや……」
 手のひらに汗がにじみ、言葉がうまく出てこない。さらに体が熱くなる。湯上がりのせいなのか、彼女のせいなのか、もう区別もつかなかった。
 ソーマがくすっと笑い、唇を勇斗の耳元へそっと寄せた。
「あとで、二人きりでお話ししたいですわ」
 ソーマが囁いた。
 肩がびくっと跳ね、勇斗は思わず飛び退いた。
 ソーマは口元に手を当ててくすくす笑っていた。その瞳には、気のせいか、妖しい光が浮かんでいた。
 漆黒の瞳に、吸い込まれそうになる。意識の輪郭が、じわりと曖昧になっていく。
「ユート! 早く来ないとランパに全部食べられちゃうっスよー!」
 後方から聞こえたチカップの声で、勇斗は我に返った。
「え? あ、うん――あれ?」
 勇斗が返事をして顔を向け直すと、そこに立っていたはずのソーマは、もういなかった。
 湯上がりの肌を、一筋の冷たい汗が伝った。
 闇に沈んだ回廊の先で、かすかな水滴の音だけが静かにこだましていた。