ぬるり、と伸びた後頭部。
広く禿げ上がった額に、まばらに生えた顎のひげ。
ぬらりひょんだった。
オレンジジュースをごくりと飲み込み、藤乃は静かに視線を下げる。
いつの間に紛れ込んでいたのだろう。けれど、それもしょうがない。「ぬらりひょん」は、そういう特性を持った妖怪だからだ。
家の者が忙しくしている時間にどこからともなく現れ、まるで自分の居場所であるかのように振る舞う。家の者がその姿を目撃したとしても、何故だか彼を「ここの主人である」と認識してしまうため、追い出されることもない。
今はこの花見の場が、ぬらりひょんの支配下にあるのだろう。見知らぬ老人がぐびぐびと酒を飲んでいるのにも関わらず、誰もそれを咎める様子はない。むしろ次にお酌をしようと、ビール瓶を携えて行列を作っているぐらいだ。
藤乃には、普通の人間には感知できない存在の姿形を、はっきりと捉えることができた。
普段であれば、薄暗い日陰の奥や夜の闇に潜んでいる人外の存在。人には伝承の中だけで語られている、精霊、妖怪、化生の類。
いつもは割と大人しくしている彼らだが、こと、お花見となれば話は別だった。
舞い散る花びらと酒の酔いをめくらましにして、彼らはそっと忍び寄る。
昔からその存在には慣れ親しんでいた藤乃であったが、彼らの姿が人の目に触れて、辺りがパニックになるような事態は大いに恐れていた。そうなった場合のことを考えるだけで、ハラハラしてしまう。花見の席で妖怪たちの姿を見かけると、そればかりが気になってしまって、どうにも楽しもうという気分にはなれなかった。