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「あ! また来てる。変なおばさん!」
不意に背後から悪戯っぽい声をかけられて、思わずこの眉間には皺が寄った。
振り向かなくても分かる。うら若き女子高生を『変なおばさん』呼ばわりする声の主は、つい一昨日、この場所で出くわした寝間着姿の『変なガキ』だ。
「あんたこそ。余程、ひまなのね。変なガキ」
精一杯にこの目を険しくして睨んだら、そいつは怯む様子もなく、「そりゃあ、僕はか弱き病人だからね」と言ってにやりと笑んだ。
「ふーん。でも、もう手術も終わったって言ってなかった?」
「そうだよ。それで、やる事がなくて、ひまでひまで仕方がないんだもの」
今一つ、病人だという説得力を持たないこのガキは、海のほとりの病院に入院中だ。でも、この時間は外出が可能なので、こんな場所にまで遊びに来ている、ということだった。
「それで? おばさんは、今日も何かのお祈り?」
「その、おばさんっていうの、やめてくれない? 私、まだ高校生なのよ」
敢えてセーラー服の赤いスカーフをヒラリとなびかせながら語ると、彼は「あはは!」と、楽しげに声を上げた。
「高校生なら、中学生の僕よりはおばさんじゃん。そんなことよりも、おばさんは僕の質問に答えていないよ。何かのお祈りをしているの?」
私の抗議をものともしない彼の態度に溜息を吐きながら、この口をそっと開いた。
「何よ、お祈りって。あんたには私が、そんなことしているように見えるの?」
「うん。だって、ずっと向こうの灯台を見詰めて、何かを祈っているみたいだったよ。一昨日も昨日も、そして、ついさっきも」
「…………」
意外に鋭い指摘をして、彼方にそびえ立つ灯台に指を向ける彼に、私は思わず押し黙った。
「灯台を見詰めていた」というのは本当だ。私は海斗が帰らぬ人になってからずっと、その『約束の場所』を見詰めていた。
でも……
「祈ってなんか、いないわよ。そんな、無意味なこと」
「無意味なこと?」
「ええ。だって、私の祈りは……願い事は、もうすでに、叶うことなく終わっているのだもの」
そう。嘘つき海斗が、約束を破ったから。
心の中でまたしても、恨み言を呟く私に、目の前の彼……寝間着姿の変なガキは、真剣な表情になり、首を横に振った。
「そんなこと、分からないよ」
「えっ?」
「祈ることが、無意味かどうかなんて」
そう話す彼の目は、橙色に移り変わり始めた秋の夕陽を反射して輝いていた。その輝きは私には眩しくて……思わず目を背けて、自嘲ぎみに口を開いた。
「いや、でも。叶うことなく終わったんだから……」
「ねぇ。おばさんは、村長の踊りとライオン狩りのお話、知ってる?」
「えっ……」
またしても、私は沈黙した。
彼が唐突に言い出したその言葉、耳に覚えがある……というか、知っている。海斗がよくしていた、遡求因果の話だ。
でも、どうして? どうしてこいつがこの話を知っているの?
疑問と疑惑を拭い去れない私に、彼は語り始めた。
「その村の村人はね。成人になるために、ライオン狩りに行って勇敢に戦わなくてはならなかったんだ。だから村長は、『皆が無事に帰って来るように』と願いながら、若者達を見送ってから、ライオン狩りを終えて戻って来るまでの間、踊り続けるんだ」
「でも、ライオン狩りが終わった後は、勇敢に戦ったかどうか、無事かどうか、結果が決まった後なんだから、わざわざ踊るのは無駄骨なんじゃないの?」
毎回、海斗がしてくれた話に対して抱いていた疑問。私は、それと全く同じ意見を彼に返した。
しかし、寝間着姿のそのガキは、睫毛の長い目をすっと瞑って、首を横に振った。
「ううん。村長が踊り続けたことで、その村の若者はみんな、ライオンと勇敢に戦って、怪我をすることもなく、無事に村へ帰って来たんだ。だから、最後の踊りも、『後の祭り』なんかじゃない……きっと、ライオン狩りが終わった後も、村長の願いが若者を勇敢にして、守ってくれていたんだ」
「……どうして」
あんたが、海斗と全く同じことを言うの?
その問いは私の喉の奥に引っ掛かって……代わりに沸々と、熱いものがこの目の奥から溢れ出そうになった。
「じゃあ……死んじゃったら?」
私の口からはつい、そんな言葉が溢れた。
「えっ?」
「死んじゃった人も、祈ったら生き返ってくれるの? 生き返って、戻って来て……約束を守ってくれるって言うの?」
大人気ない。八つ当たりも、いい所だ。
それなのに、私は感情の昂ぶりを抑えることができなかった。
それはきっと、目の前のこのガキが、海斗と同じことを言うから。決して帰って来ることのないあの人に対する私の想いは、この口から溢れ出して止まらなかった。
当然のことながら、初対面にも近い中学生の少年に、私のことを宥める義理も術もない。呆気に取られている彼を置いて、私はその場を後にした。