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ー/ー



 ――こんな安っぽい未来でも、腐っちゃいないんだ。
 友人と繁華街を歩いていた私は、帰り道で突然尿意を催していた。都会から外れた道を歩いていたからコンビニもそこかしこにあるというわけではなく、ケチなスーパーはトイレを貸してくれなかった。だから私は公園の不衛生で鼻を摘まみたくなるトイレに駆け込んでいた。
 個室に入り、壁を見てみれば書いてあった言葉だ。緑色のタイルのような壁に、マジックペンで書かれていた。便座の冷たさがまだ残っている。未来が腐らないなんて断言、よほど自信家なのだろう。
 用を足し、表に出る。待っていた友人はショッピングモールで買った物が詰め込まれた大きな袋をベンチの上に置いてスマートフォンを見ていた。
「お待たせー。ごめんごめん」
 スカートをはたきながら私は駆け寄った。彼女は顔を上げると、メガネにかかった黒い前髪を後ろになびかせた。しかし、すぐに強い風が吹いて彼女の髪がまた乱れた。
「アンタってすぐ謝るよねえ。生理現象にケチつけるほど私は落ちぶれてないから」
「それじゃあ、ありがとう?」
「なんでちょっと疑問形なんだよ。ってかもう三時だし早く行くよ。門が閉まる前にさ」
 大袋を持った彼女は、率先して歩き出した。私もそれに続いて、とりとめもない話にお手頃な笑みを交えつつお寺まで向かうのだった。
 道中、私はふと道端に咲いたタンポポに目を奪われた。由美(ゆみ)は立ち止まった私を見て声をかけようとしたものの、言葉が出る直前に理解したのか口をすぐに閉じた。さすが、頭がよく切れる。リーダーは違う。
 心の中で咲いていたタンポポに詫びを入れると、私はそれを上着の胸ポケットに差し込んだ。
「梨沙(りさ)って、妙に機転が利く時あるよね」
「伊達に助手やってないよ」
 また十五分ほど歩くと、私たちはようやく寺に着いた。私は寺の知識がないから、どこがどういう場所なのかよく分かっていない。でも入ってすぐ右側に見える本堂は、中を軽く見ただけでも荘厳(そうごん)さが(うかが)える。よほど(くらい)の高い仏様がいるに違いない。
 目的は本堂ではないから、私たちは突き当りにある通り抜け通路を進み、とあるお墓の前で立ち止まった。
 三階堂(みかいどう) 瀬奈(せな)。元リーダーだ。
 私たちは昨年の秋まで、女子探偵部という風変わりな部活に属していた。三人だけの瀬奈が立ち上げた部活だった。顔写真がなくても鮮明に彼女の笑みを思いだせる。
 黒く長い髪を後ろで束ねたポニーテール。青色のシュシュをつけていて、男勝りな喋り方。何事も強気で怯えず。
 胸ポケットからタンポポを取り出した私は、そっと瀬奈の胸元に乗せた。両肩には銀色の大きなコップの中に枯れかけの花が咲いていた。
「うーん」
 お参りをした後、まだ目を瞑っていた私の隣で由美が考え込むようにうなった。どうしたの? と軽く私が訊いてみると、彼女はこう返した。
「いや、私ってアンタら二人と比べると涙腺(るいせん)弱いんだよね。だから今日泣くかなって思って覚悟してたんだけど、意外にも乾いてんだよね。目が」
 言われてみれば、私もそうだ。
 女子探偵部を立ち上げた時交わした三人の約束を覚えている。今日はそれを叶えにきたのだ。
 卒業したら三人で集まって豪遊するぞ。最後はハンバーガーを食べて終わりだ! 今思えば、かなりバカっぽい約束だ。でもこの約束には続きがあった。私たちはそれぞれ別の道を行く。私は大学に、由美は就職。瀬奈は起業。全員バラバラでちぐはぐ。お別れの挨拶をするという、ささやかな約束だ。
「探偵部、なんで男版はなかったんだろう」
 何気なく私は口に出した。泣けないなら笑おうと思ったのだ。
「そりゃあ決まってるでしょ。先生達が却下するさ。ただでさえ私たちは……っていうか瀬奈か。瀬奈が問題ばかり起こしてたからな」
 強気と好奇心が組み合わされた人間は制御が難しくなる。瀬奈は自分で事件を見つけ、イジメ問題や先生同士の色恋沙汰といった過激な物から紛失物の捜索まで幅広くやっていた。感謝される日も多かったが、お節介を好まない生徒もいた。
「そろそろ行く? それか瀬奈と話したいことある?」
 由美の言葉に少し悩んだ私は、墓石を見た。綺麗な墓石があるだけだった。だから私はこう言った。
「大丈夫。師匠のところにいこう」
 師匠とは瀬奈の父親のことだ。私たちは一駅分の電車に乗り、もう見慣れた二階建ての三階堂家に訪れた。チャイムを鳴らすと、師匠の(きょう)が出てきた。
「いらっしゃい。会うのも今日で最後になるか」
「珍しい。師匠ってそんな寂しがりだったっけ」
 師匠は細見で、ラフな服装だった。髪も短く、半年前に比べれば生気も戻ってきたように思える。
「まあね。僕はもう卒業して三十数年近く経ってるけど、なんだかその頃の気持ちが蘇ってきたように思うよ。とりあえず入って」
 お邪魔します、と私は由美に続いて中に入った。
 仏壇(ぶつだん)には半分くらい灰になった線香が立っていた。私たちもライターでロウソクに火をつけて二度目のお参りを終わらせると、仏間を後にしてリビングへと向かった。黒いテーブルの上にはカモミールティーが置かれていて、師匠は座りながら小説を読んでいた。私たちが来ると彼は顔を上げ、いつもの弱々しい笑みを向けると座るように促した。
 私たちが座ると、彼はこう切り出した。
「ある男が密室で殺害された。扉の外に落ちていたのは拳銃と一発の薬莢(やっきょう)。刑事は(いぶか)しがった。遺体には銃創がないのに、なぜここに拳銃があるのか分からなかったんだ。だが探偵はこう言った。この人は、銃によって殺害されたんだと。これはどんなトリックだと思う?」
 通例ながら、師匠は話す前にクイズを出す。今回は少し難しい方な気がする。私と由美は揃って考えた。
 部屋は密室で、外には銃が落ちていた。普通なら扉越しに撃って殺害した、と言えるだろうが遺体は銃で撃たれてはいなかった。しかし銃が使われた形跡はあった。私が答えに迷っていると、由美は何度も繋ぎ言葉を入れながら口を開いた。
「銃を撃って、そして。銃弾で室内にあるトラップを起動させたとか?」
「発想は良いんだけど、トラップの類ではないよ」
「なら自殺説。発砲が合図で、中にいる人は自殺したんじゃない?」
 私が想像すらできなかった説をすらすら出せてしまう由美。つくづく私は助手でよかったと思い知らされる。探偵部の頭脳派らしく、かなり納得感のある答えだ。しかしどうやら、答えは違うらしい。自殺でないとはつまり、他殺だ。
 すると、由美は手を叩いた。何かを閃いたようだ。
「その被害者って心臓が弱かったりしない?」
 おっ、と師匠は足を組んだ。由美の言葉を(さえぎ)らないように口を閉じたから、由美は続けた。
 どうやら正解に辿り着いてしまったらしい。私も黙って聞くことにした。
「ショック死か。きっと壁が薄かったんだろうね、銃弾じゃなくて銃声で死んでしまったっていうトリックか」
「正解だよ、すごいな」師匠はコーヒーカップに口をつけた。彼だけはブラックコーヒーのようだ。私たちは二人ともコーヒーが飲めないから毎回気を使ってくれるのが申し訳なく感じる。
 由美は小さくガッツポーズをして、勝利の美茶を飲んでいた。私も小さく拍手した。
 すりガラスから見える外はまだ明るかった。段々と日が落ちる時間が遅くなっている。良いことだ、と私は思う。生命にとって必要なのは光だから。
「師匠は一人で平気そう? 私たち、多分もう来ないと思うけど」
 瀬奈が墓石に入ってから、師匠は孤独になった。病室で私は瀬奈に、パパをお願いと言われたのを覚えている。だから今日までずっと師匠の家に入り浸っていたのだ。毎日ではないものの、私にとっては歳の差親友だ。
 師匠もそう思ってくれているはずだと、私は根拠もない確信をしている。
「平気だよ、ありがとう」
 一拍(ひとはく)置いてから、彼は窓の方を見て言った。
「最近気付いたんだ。死っていうのは悲劇的に描かれるけど、本質としっかり向き合えば決して悲劇ではないって」
 私と由美は顔を見合わせた。師匠が哲学的な話をするのは初めてだったからだ。それに、実のところ私たちは師匠が何を言おうとしているのか分からなかった。
 話を聞きながら、私はカモミールティーを(すす)った。
「別れとは、悲しみじゃない。今ははっきりとそう言える」
「そんなワケない。ただ悲しいだけだよ」
 由美の反論に師匠は頷いた。
 いなくなって気付く感情がある、死こそが救済という話なら私も理解できる。師匠はそれを言っているとしか思えなかった。だとしたら、なんて大仰に言っているのだろうと。だが次に彼が口にした話はまったく異なるものだった。耳にして、私は自分の考えがいかに浅はかだったか知るのだ。
 きっと私が大人になっても忘れないだろう。
「瀬奈は僕に教えてくれた。生きたければ、生きればいいじゃないかと」
 私と由美はもう一度顔を見合わせた。理由は同じだ。結局何が言いたいのか分からなかったからだ。私や由美も疑問を(てい)さなかったのは、師匠の顔つきがさっきと違うのに気付いたからだ。そこに弱々しさはなかった。

 三階堂家を出る頃には日が落ちかけていた。出る時に気付いたのだが、私は玄関に一冊の本が置かれていたと気付いた。タイトルは「さよならだけが人生か」というものだった。特に深入りする必要もなく、私と由美は靴を履いて揃って外に出た。
「じゃあね、師匠。ずっと元気でいてよ」
「お互い様だな」
 師匠との別れも告げ、私たちは駅に向かった。あと五分もすれば電車は来るらしい。改札前の開けた場所で向かい合っていると照れ臭く感じているのはどうやら私だけのよう。
 私と由美は意を決してスマートフォンを取り出した。ロックを解除すると、私と由美はスマートフォンを交換した。お互いに開いたのはメッセージアプリだ。離れていても私たちを繋いでくれる優れ物。ここには、私と由美のやり取りが五年分も詰まっていた。
「もう一度確認しとくけど、梨沙は後悔しないよね」
「うん。もう決めたことだから。後悔は絶対すると思うけど、大丈夫」
「良い返事だ。それじゃあいいよ、押して」
 躊躇(ちゅうちょ)がないと言えば嘘になる。一度操作してしまえば後戻りはできない。二度と戻ってこないのだ。由美も私の端末を前にして固まっていた。
 どうでもいいことなのに、私は昼間公衆トイレで見た文章の答えに気付いた。なぜ未来が腐ってないと言えるのか、という本当に場違いな問いの答えだ。
 考えてみれば当然だった。未来っていうのは腐りようがないのだ。だって、存在していないのだから。
 私はボタンを押した。これまでのやり取りが、一秒も経たずに削除された。遅れて由美も履歴(りれき)を削除すると、お互いに端末を返した。
 空を見上げたら、ボヤけていた。
「じゃあね、梨沙。明日から私たちは他人同士だ。どこまでも歩いてくよ。歩けるところまでね」
「だね。由美に会えてよかった。ありがとう、私の友達になってくれて」
 クサい言葉だ。十年後思い出したら私は叫んでしまいたくなるだろう。
 これ以上長居はできない。私は振り返らず改札を通った。由美も隣の改札を通り、私は左に見える一番ホームに。由美は反対側に。
 サヨナラも悪くない、私は根拠もなく――いや、根拠ならあるかもしれない。
 瀬奈が父親に何かを授けたように、由美も私に何かを教えてくれるような気がしたからだ。
 電車に乗り空いている席を探した。心地よい電車の揺れを感じながら、車窓から見える街並みを眺めた。


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 ――こんな安っぽい未来でも、腐っちゃいないんだ。
 友人と繁華街を歩いていた私は、帰り道で突然尿意を催していた。都会から外れた道を歩いていたからコンビニもそこかしこにあるというわけではなく、ケチなスーパーはトイレを貸してくれなかった。だから私は公園の不衛生で鼻を摘まみたくなるトイレに駆け込んでいた。
 個室に入り、壁を見てみれば書いてあった言葉だ。緑色のタイルのような壁に、マジックペンで書かれていた。便座の冷たさがまだ残っている。未来が腐らないなんて断言、よほど自信家なのだろう。
 用を足し、表に出る。待っていた友人はショッピングモールで買った物が詰め込まれた大きな袋をベンチの上に置いてスマートフォンを見ていた。
「お待たせー。ごめんごめん」
 スカートをはたきながら私は駆け寄った。彼女は顔を上げると、メガネにかかった黒い前髪を後ろになびかせた。しかし、すぐに強い風が吹いて彼女の髪がまた乱れた。
「アンタってすぐ謝るよねえ。生理現象にケチつけるほど私は落ちぶれてないから」
「それじゃあ、ありがとう?」
「なんでちょっと疑問形なんだよ。ってかもう三時だし早く行くよ。門が閉まる前にさ」
 大袋を持った彼女は、率先して歩き出した。私もそれに続いて、とりとめもない話にお手頃な笑みを交えつつお寺まで向かうのだった。
 道中、私はふと道端に咲いたタンポポに目を奪われた。由美《ゆみ》は立ち止まった私を見て声をかけようとしたものの、言葉が出る直前に理解したのか口をすぐに閉じた。さすが、頭がよく切れる。リーダーは違う。
 心の中で咲いていたタンポポに詫びを入れると、私はそれを上着の胸ポケットに差し込んだ。
「梨沙《りさ》って、妙に機転が利く時あるよね」
「伊達に助手やってないよ」
 また十五分ほど歩くと、私たちはようやく寺に着いた。私は寺の知識がないから、どこがどういう場所なのかよく分かっていない。でも入ってすぐ右側に見える本堂は、中を軽く見ただけでも荘厳《そうごん》さが窺《うかが》える。よほど位《くらい》の高い仏様がいるに違いない。
 目的は本堂ではないから、私たちは突き当りにある通り抜け通路を進み、とあるお墓の前で立ち止まった。
 三階堂《みかいどう》 瀬奈《せな》。元リーダーだ。
 私たちは昨年の秋まで、女子探偵部という風変わりな部活に属していた。三人だけの瀬奈が立ち上げた部活だった。顔写真がなくても鮮明に彼女の笑みを思いだせる。
 黒く長い髪を後ろで束ねたポニーテール。青色のシュシュをつけていて、男勝りな喋り方。何事も強気で怯えず。
 胸ポケットからタンポポを取り出した私は、そっと瀬奈の胸元に乗せた。両肩には銀色の大きなコップの中に枯れかけの花が咲いていた。
「うーん」
 お参りをした後、まだ目を瞑っていた私の隣で由美が考え込むようにうなった。どうしたの? と軽く私が訊いてみると、彼女はこう返した。
「いや、私ってアンタら二人と比べると涙腺《るいせん》弱いんだよね。だから今日泣くかなって思って覚悟してたんだけど、意外にも乾いてんだよね。目が」
 言われてみれば、私もそうだ。
 女子探偵部を立ち上げた時交わした三人の約束を覚えている。今日はそれを叶えにきたのだ。
 卒業したら三人で集まって豪遊するぞ。最後はハンバーガーを食べて終わりだ! 今思えば、かなりバカっぽい約束だ。でもこの約束には続きがあった。私たちはそれぞれ別の道を行く。私は大学に、由美は就職。瀬奈は起業。全員バラバラでちぐはぐ。お別れの挨拶をするという、ささやかな約束だ。
「探偵部、なんで男版はなかったんだろう」
 何気なく私は口に出した。泣けないなら笑おうと思ったのだ。
「そりゃあ決まってるでしょ。先生達が却下するさ。ただでさえ私たちは……っていうか瀬奈か。瀬奈が問題ばかり起こしてたからな」
 強気と好奇心が組み合わされた人間は制御が難しくなる。瀬奈は自分で事件を見つけ、イジメ問題や先生同士の色恋沙汰といった過激な物から紛失物の捜索まで幅広くやっていた。感謝される日も多かったが、お節介を好まない生徒もいた。
「そろそろ行く? それか瀬奈と話したいことある?」
 由美の言葉に少し悩んだ私は、墓石を見た。綺麗な墓石があるだけだった。だから私はこう言った。
「大丈夫。師匠のところにいこう」
 師匠とは瀬奈の父親のことだ。私たちは一駅分の電車に乗り、もう見慣れた二階建ての三階堂家に訪れた。チャイムを鳴らすと、師匠の響《きょう》が出てきた。
「いらっしゃい。会うのも今日で最後になるか」
「珍しい。師匠ってそんな寂しがりだったっけ」
 師匠は細見で、ラフな服装だった。髪も短く、半年前に比べれば生気も戻ってきたように思える。
「まあね。僕はもう卒業して三十数年近く経ってるけど、なんだかその頃の気持ちが蘇ってきたように思うよ。とりあえず入って」
 お邪魔します、と私は由美に続いて中に入った。
 仏壇《ぶつだん》には半分くらい灰になった線香が立っていた。私たちもライターでロウソクに火をつけて二度目のお参りを終わらせると、仏間を後にしてリビングへと向かった。黒いテーブルの上にはカモミールティーが置かれていて、師匠は座りながら小説を読んでいた。私たちが来ると彼は顔を上げ、いつもの弱々しい笑みを向けると座るように促した。
 私たちが座ると、彼はこう切り出した。
「ある男が密室で殺害された。扉の外に落ちていたのは拳銃と一発の薬莢《やっきょう》。刑事は訝《いぶか》しがった。遺体には銃創がないのに、なぜここに拳銃があるのか分からなかったんだ。だが探偵はこう言った。この人は、銃によって殺害されたんだと。これはどんなトリックだと思う?」
 通例ながら、師匠は話す前にクイズを出す。今回は少し難しい方な気がする。私と由美は揃って考えた。
 部屋は密室で、外には銃が落ちていた。普通なら扉越しに撃って殺害した、と言えるだろうが遺体は銃で撃たれてはいなかった。しかし銃が使われた形跡はあった。私が答えに迷っていると、由美は何度も繋ぎ言葉を入れながら口を開いた。
「銃を撃って、そして。銃弾で室内にあるトラップを起動させたとか?」
「発想は良いんだけど、トラップの類ではないよ」
「なら自殺説。発砲が合図で、中にいる人は自殺したんじゃない?」
 私が想像すらできなかった説をすらすら出せてしまう由美。つくづく私は助手でよかったと思い知らされる。探偵部の頭脳派らしく、かなり納得感のある答えだ。しかしどうやら、答えは違うらしい。自殺でないとはつまり、他殺だ。
 すると、由美は手を叩いた。何かを閃いたようだ。
「その被害者って心臓が弱かったりしない?」
 おっ、と師匠は足を組んだ。由美の言葉を遮《さえぎ》らないように口を閉じたから、由美は続けた。
 どうやら正解に辿り着いてしまったらしい。私も黙って聞くことにした。
「ショック死か。きっと壁が薄かったんだろうね、銃弾じゃなくて銃声で死んでしまったっていうトリックか」
「正解だよ、すごいな」師匠はコーヒーカップに口をつけた。彼だけはブラックコーヒーのようだ。私たちは二人ともコーヒーが飲めないから毎回気を使ってくれるのが申し訳なく感じる。
 由美は小さくガッツポーズをして、勝利の美茶を飲んでいた。私も小さく拍手した。
 すりガラスから見える外はまだ明るかった。段々と日が落ちる時間が遅くなっている。良いことだ、と私は思う。生命にとって必要なのは光だから。
「師匠は一人で平気そう? 私たち、多分もう来ないと思うけど」
 瀬奈が墓石に入ってから、師匠は孤独になった。病室で私は瀬奈に、パパをお願いと言われたのを覚えている。だから今日までずっと師匠の家に入り浸っていたのだ。毎日ではないものの、私にとっては歳の差親友だ。
 師匠もそう思ってくれているはずだと、私は根拠もない確信をしている。
「平気だよ、ありがとう」
 一拍《ひとはく》置いてから、彼は窓の方を見て言った。
「最近気付いたんだ。死っていうのは悲劇的に描かれるけど、本質としっかり向き合えば決して悲劇ではないって」
 私と由美は顔を見合わせた。師匠が哲学的な話をするのは初めてだったからだ。それに、実のところ私たちは師匠が何を言おうとしているのか分からなかった。
 話を聞きながら、私はカモミールティーを啜《すす》った。
「別れとは、悲しみじゃない。今ははっきりとそう言える」
「そんなワケない。ただ悲しいだけだよ」
 由美の反論に師匠は頷いた。
 いなくなって気付く感情がある、死こそが救済という話なら私も理解できる。師匠はそれを言っているとしか思えなかった。だとしたら、なんて大仰に言っているのだろうと。だが次に彼が口にした話はまったく異なるものだった。耳にして、私は自分の考えがいかに浅はかだったか知るのだ。
 きっと私が大人になっても忘れないだろう。
「瀬奈は僕に教えてくれた。生きたければ、生きればいいじゃないかと」
 私と由美はもう一度顔を見合わせた。理由は同じだ。結局何が言いたいのか分からなかったからだ。私や由美も疑問を呈《てい》さなかったのは、師匠の顔つきがさっきと違うのに気付いたからだ。そこに弱々しさはなかった。
 三階堂家を出る頃には日が落ちかけていた。出る時に気付いたのだが、私は玄関に一冊の本が置かれていたと気付いた。タイトルは「さよならだけが人生か」というものだった。特に深入りする必要もなく、私と由美は靴を履いて揃って外に出た。
「じゃあね、師匠。ずっと元気でいてよ」
「お互い様だな」
 師匠との別れも告げ、私たちは駅に向かった。あと五分もすれば電車は来るらしい。改札前の開けた場所で向かい合っていると照れ臭く感じているのはどうやら私だけのよう。
 私と由美は意を決してスマートフォンを取り出した。ロックを解除すると、私と由美はスマートフォンを交換した。お互いに開いたのはメッセージアプリだ。離れていても私たちを繋いでくれる優れ物。ここには、私と由美のやり取りが五年分も詰まっていた。
「もう一度確認しとくけど、梨沙は後悔しないよね」
「うん。もう決めたことだから。後悔は絶対すると思うけど、大丈夫」
「良い返事だ。それじゃあいいよ、押して」
 躊躇《ちゅうちょ》がないと言えば嘘になる。一度操作してしまえば後戻りはできない。二度と戻ってこないのだ。由美も私の端末を前にして固まっていた。
 どうでもいいことなのに、私は昼間公衆トイレで見た文章の答えに気付いた。なぜ未来が腐ってないと言えるのか、という本当に場違いな問いの答えだ。
 考えてみれば当然だった。未来っていうのは腐りようがないのだ。だって、存在していないのだから。
 私はボタンを押した。これまでのやり取りが、一秒も経たずに削除された。遅れて由美も履歴《りれき》を削除すると、お互いに端末を返した。
 空を見上げたら、ボヤけていた。
「じゃあね、梨沙。明日から私たちは他人同士だ。どこまでも歩いてくよ。歩けるところまでね」
「だね。由美に会えてよかった。ありがとう、私の友達になってくれて」
 クサい言葉だ。十年後思い出したら私は叫んでしまいたくなるだろう。
 これ以上長居はできない。私は振り返らず改札を通った。由美も隣の改札を通り、私は左に見える一番ホームに。由美は反対側に。
 サヨナラも悪くない、私は根拠もなく――いや、根拠ならあるかもしれない。
 瀬奈が父親に何かを授けたように、由美も私に何かを教えてくれるような気がしたからだ。
 電車に乗り空いている席を探した。心地よい電車の揺れを感じながら、車窓から見える街並みを眺めた。