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第百五十三話

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 一通り体が軽くなった一行は、『理想郷』内のレストエリアにて、今この場にいない二人について、そして信一郎から頼まれた事柄を伝える。
 一つ、二人は山梨県南都留郡忍野村にある「忍野 しのびの里」に滞在していること。
 二つ、二人は現状長が不在となるしのびの里の、事実上護衛的存在となっていること。
 三つ、グレープに渦巻く闇を、清志郎を追加した三人で暴くこと。
 以上三点が伝えられた後、二人は頭を抱えていた。
「――本当、エヴァ先輩には悪いですが、今この場に礼安がいなくて本当に良かったと思いますわ。あの子がいたら、その闇を暴く以前に大騒ぎになります」
「だな、悪いが同感だ。だからあの学園長はわざと赤点にでもしたか」
「や、それはないな」
 清志郎は透の予想を完全に否定する。
 潜入に不利だから、という理由で実の娘をのけ者にする、なんてことを、親バカな信一郎が考えるとは思えない。むしろ、今分からない何かしらの要素と天秤にかけるべきは、「『闇』を暴く際の戦闘」について。一年次最強とされる彼女の情報は、清志郎は十分に理解している。だからこそ、この場にいない理由がよく分からなかったのだ。
「アイツが考えなしな行動をとる……なんてことは有り得ない。いつだって、今みたいに丸くなる前でもアイツは切れ者だった。頭の中ではじき出したあらゆる計算、その結果生まれる――まあある意味『未来予測』に近い作戦を、圧倒的武力でこなす。瀧本礼安を採用した場合のリスクを考えた結果……だろうな。この現状は。だから赤点塗れにして学園都市から動けなくしてるんだろ」
 しかし、その採用を見送った理由は、この場の全員が分からないまま。
「――ま、ここで頭を悩ませているのも、正直時間の無駄だ。そろそろ――お」
 先ほど漆黒のカードを渡したマッサージ師が、三人に同行を促す。どこに向かうなんて、学生である二人は与り知らない。ゆえに、どこか恐怖心が芽生えるのだが、それを和らげるのは他でもない清志郎であった。
「――ここから立ち入る場所は、通常の富豪じゃあ入れないような場所だ。信一郎は、あまりにもの気味悪さにそこに立ち入ろうともしない」
「……つまり、教職者となった後には立ち入りづらい場所、とおっしゃるのですか?」
「ま、そういうこと。私も……ちょっと用事があってね。立ち入ることは私も気に入らないんだけど、のっぴきならない事情があるんだよ、私にも」
 その真剣な表情は、かつての経歴として語った『元陸将』としての厳格さがにじみ出るもの。先ほどまでは優しい小児科医と言った印象だが、そこに何が待っているのだろう。
「――安心してもらっていい。私がいる以上……君ら未来を担う子供たちに傷を負わせるわけにはいかないのさ。もし仮に傷物にしてしまったら、信一郎にどやされてしまう」
 不安を軽くするためのおどけ。しかし、二人にとってはふざけた格好をして山梨に訪れたどこぞの学園長よりも信頼できる、そんな不確かな確信を得たのだ。どこぞの学園長には悪いが。
「……到着しました。後のことは、私たちは黙認、及び一切の責任を取りませんので」
 たった一人のマッサージ師は、そう語ると清志郎にカードを手渡し、お辞儀をして持ち場に戻るのみであった。辿り着いたエリアは、どの理想郷のエリアにも属さない、理想郷中央部であった。まるで、大豪邸の中庭、と言った風貌であったが、そこに異常などは何もありはしない。
「……?? 清志郎さんよ、何もないぜ?」
「まあ見てなって。今から……映画顔負けの面白いものが見られるから」
 中央部に位置するのはホログラムで多量の水を見せる巨大な噴水。そこにある白色のレバーを下すと、中から出でたのはカードリーダー。先ほどの漆黒のカードをかざすと、噴水が次第に変形し、漆黒の昇降機が現れたのだ。
「――君たちは、マズローの欲求五段階説には……続きがある、っての分かるかい」
 昇降機に乗り込む一行であったが、二人は首を傾げる。
「……まあ、そのもう一つの段階は、マズローが晩年になって発表したものだ。認知度はそこまで高くない。実際その新たな段階ってのが何なのか……それは分かりやすく言うならば『自己超越』、自分のことを叶える場じゃあない、弱者救済を謳う段階だ」
 『自己超越欲求』。全世界の人口あたり二パーセントほどの数少ない存在が該当するとされるのは、自身ではなく他者に向けられた欲求。自分のエゴを超え、社会そのものを良くしたいという理想を求める欲求こそ、『自己超越欲求』であるのだ。
 世界から貧困、争いを無くしたい。ボランティアや募金等を経て、社会をより良くしたい。そういったものである。
 昇降機が下降していく中、清志郎は恨めしそうに語りだす。
「――そんな、高尚な欲求がなぜこれから向かう場に繋がる、あの広場に充てられているか。それが君たちに分かるかな」
「……まさか、この下に……関係≪こたえ≫があるのですか」
「ご明察だ。この先に待つのは……表向きは大人の楽園だのなんだの騙っているが、根底にあるのは薄汚い傷害欲とそれ以上の……口にするだけで胸糞悪くなる欲ばかり。それらを解決したいがために、理想郷は皮肉を込めて『自己超越』の名を秘密裏に冠するようになった」
 次第に、目的地が見えてくる。そこには、今までのような富豪は存在しない。代わりに存在するのは、表層にはいなかった戦いや争いを生業にする者ばかり。二人は、思わず生唾を呑み込む。
「通常の世界を、ここでは『ライトボディ』と呼ぶ。赤ワインの濃度を示す名前からきているのさ。そこから富豪が立ち入る場……グレープと聞かされたね。そこは『ミディアムボディ』と呼ばれる。表層に溢れかえるものでは、欲を満たせない、満たしきれない者が集まる場だ」
 大人の楽園、そう称される国黙認のギャンブル・風俗エリア。表立って禁止している理由は、ここが存在するからこそ。通常の世界にあったとしたら特別感は薄れる上に、遊び方を知らない下手な人間がカジノの毒にやられたら、そこから抜け出すことはできない。
 選ばれた人間が、程よく楽しむためにはある程度の事前選別が必要なのだ。
「だが……我々がこれから向かう場所は――『フルボディ』。麻薬だのなんだの、犯罪の温床たる場所だ。それと同時に、反社会的勢力……俗っぽい言い方するならヤクザが拠点としている場所だ。最悪の欲の坩堝(るつぼ)……それこそが、このグレープの最下層に位置するのさ」
 そんな場所に、清志郎自身何の用があるのか。二人はそんな問いをはさむ間もなく、昇降機は底の底に到着。
 この先に待つものは、少なくとも常人が触れてはならない、禁断の花園。絶望の旅路が、運命の悪戯によって始まった瞬間であった。



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 一通り体が軽くなった一行は、『理想郷』内のレストエリアにて、今この場にいない二人について、そして信一郎から頼まれた事柄を伝える。
 一つ、二人は山梨県南都留郡忍野村にある「忍野 しのびの里」に滞在していること。
 二つ、二人は現状長が不在となるしのびの里の、事実上護衛的存在となっていること。
 三つ、グレープに渦巻く闇を、清志郎を追加した三人で暴くこと。
 以上三点が伝えられた後、二人は頭を抱えていた。
「――本当、エヴァ先輩には悪いですが、今この場に礼安がいなくて本当に良かったと思いますわ。あの子がいたら、その闇を暴く以前に大騒ぎになります」
「だな、悪いが同感だ。だからあの学園長はわざと赤点にでもしたか」
「や、それはないな」
 清志郎は透の予想を完全に否定する。
 潜入に不利だから、という理由で実の娘をのけ者にする、なんてことを、親バカな信一郎が考えるとは思えない。むしろ、今分からない何かしらの要素と天秤にかけるべきは、「『闇』を暴く際の戦闘」について。一年次最強とされる彼女の情報は、清志郎は十分に理解している。だからこそ、この場にいない理由がよく分からなかったのだ。
「アイツが考えなしな行動をとる……なんてことは有り得ない。いつだって、今みたいに丸くなる前でもアイツは切れ者だった。頭の中ではじき出したあらゆる計算、その結果生まれる――まあある意味『未来予測』に近い作戦を、圧倒的武力でこなす。瀧本礼安を採用した場合のリスクを考えた結果……だろうな。この現状は。だから赤点塗れにして学園都市から動けなくしてるんだろ」
 しかし、その採用を見送った理由は、この場の全員が分からないまま。
「――ま、ここで頭を悩ませているのも、正直時間の無駄だ。そろそろ――お」
 先ほど漆黒のカードを渡したマッサージ師が、三人に同行を促す。どこに向かうなんて、学生である二人は与り知らない。ゆえに、どこか恐怖心が芽生えるのだが、それを和らげるのは他でもない清志郎であった。
「――ここから立ち入る場所は、通常の富豪じゃあ入れないような場所だ。信一郎は、あまりにもの気味悪さにそこに立ち入ろうともしない」
「……つまり、教職者となった後には立ち入りづらい場所、とおっしゃるのですか?」
「ま、そういうこと。私も……ちょっと用事があってね。立ち入ることは私も気に入らないんだけど、のっぴきならない事情があるんだよ、私にも」
 その真剣な表情は、かつての経歴として語った『元陸将』としての厳格さがにじみ出るもの。先ほどまでは優しい小児科医と言った印象だが、そこに何が待っているのだろう。
「――安心してもらっていい。私がいる以上……君ら未来を担う子供たちに傷を負わせるわけにはいかないのさ。もし仮に傷物にしてしまったら、信一郎にどやされてしまう」
 不安を軽くするためのおどけ。しかし、二人にとってはふざけた格好をして山梨に訪れたどこぞの学園長よりも信頼できる、そんな不確かな確信を得たのだ。どこぞの学園長には悪いが。
「……到着しました。後のことは、私たちは黙認、及び一切の責任を取りませんので」
 たった一人のマッサージ師は、そう語ると清志郎にカードを手渡し、お辞儀をして持ち場に戻るのみであった。辿り着いたエリアは、どの理想郷のエリアにも属さない、理想郷中央部であった。まるで、大豪邸の中庭、と言った風貌であったが、そこに異常などは何もありはしない。
「……?? 清志郎さんよ、何もないぜ?」
「まあ見てなって。今から……映画顔負けの面白いものが見られるから」
 中央部に位置するのはホログラムで多量の水を見せる巨大な噴水。そこにある白色のレバーを下すと、中から出でたのはカードリーダー。先ほどの漆黒のカードをかざすと、噴水が次第に変形し、漆黒の昇降機が現れたのだ。
「――君たちは、マズローの欲求五段階説には……続きがある、っての分かるかい」
 昇降機に乗り込む一行であったが、二人は首を傾げる。
「……まあ、そのもう一つの段階は、マズローが晩年になって発表したものだ。認知度はそこまで高くない。実際その新たな段階ってのが何なのか……それは分かりやすく言うならば『自己超越』、自分のことを叶える場じゃあない、弱者救済を謳う段階だ」
 『自己超越欲求』。全世界の人口あたり二パーセントほどの数少ない存在が該当するとされるのは、自身ではなく他者に向けられた欲求。自分のエゴを超え、社会そのものを良くしたいという理想を求める欲求こそ、『自己超越欲求』であるのだ。
 世界から貧困、争いを無くしたい。ボランティアや募金等を経て、社会をより良くしたい。そういったものである。
 昇降機が下降していく中、清志郎は恨めしそうに語りだす。
「――そんな、高尚な欲求がなぜこれから向かう場に繋がる、あの広場に充てられているか。それが君たちに分かるかな」
「……まさか、この下に……関係≪こたえ≫があるのですか」
「ご明察だ。この先に待つのは……表向きは大人の楽園だのなんだの騙っているが、根底にあるのは薄汚い傷害欲とそれ以上の……口にするだけで胸糞悪くなる欲ばかり。それらを解決したいがために、理想郷は皮肉を込めて『自己超越』の名を秘密裏に冠するようになった」
 次第に、目的地が見えてくる。そこには、今までのような富豪は存在しない。代わりに存在するのは、表層にはいなかった戦いや争いを生業にする者ばかり。二人は、思わず生唾を呑み込む。
「通常の世界を、ここでは『ライトボディ』と呼ぶ。赤ワインの濃度を示す名前からきているのさ。そこから富豪が立ち入る場……グレープと聞かされたね。そこは『ミディアムボディ』と呼ばれる。表層に溢れかえるものでは、欲を満たせない、満たしきれない者が集まる場だ」
 大人の楽園、そう称される国黙認のギャンブル・風俗エリア。表立って禁止している理由は、ここが存在するからこそ。通常の世界にあったとしたら特別感は薄れる上に、遊び方を知らない下手な人間がカジノの毒にやられたら、そこから抜け出すことはできない。
 選ばれた人間が、程よく楽しむためにはある程度の事前選別が必要なのだ。
「だが……我々がこれから向かう場所は――『フルボディ』。麻薬だのなんだの、犯罪の温床たる場所だ。それと同時に、反社会的勢力……俗っぽい言い方するならヤクザが拠点としている場所だ。最悪の欲の|坩堝《るつぼ》……それこそが、このグレープの最下層に位置するのさ」
 そんな場所に、清志郎自身何の用があるのか。二人はそんな問いをはさむ間もなく、昇降機は底の底に到着。
 この先に待つものは、少なくとも常人が触れてはならない、禁断の花園。絶望の旅路が、運命の悪戯によって始まった瞬間であった。