表示設定
表示設定
目次 目次




ゆめのかけら

ー/ー



『ゆめのかけら』




第1章:眠れない夜

ユイは、夜が来るのが怖かった。大好きだったおばあちゃんが亡くなってからというもの、夜の静けさが胸に刺さるようになった。おばあちゃんの声、
温もり、ぬくもり。全てが夢のように遠ざかっていく。日が暮れると、部屋の隅にある影すらも、おばあちゃんの不在を思い出させた。

ユイは、眠ろうと目を閉じても涙がこぼれ落ちる夜を繰り返していた。毎晩のように、おばあちゃんの名前を心の中で呼んだ。
けれど、返事はどこからも聞こえない。静寂が心にしみ、時計の針の音さえも遠く響いた。

母がそっと毛布をかけてくれても、その優しさに涙がこぼれてしまった。世界がまるごと冷たく感じる夜もあった。

ある晩、泣き疲れて眠りについたユイの前に、不思議な夢の世界が広がっていた。



第2章:星の草原

そこは、空が近くて、星が草花のように咲いている不思議な草原だった。足元には光る苔が広がり、
歩くたびにきらきらと音もなく光が舞った。あたりは柔らかな光に包まれ、まるで夜の帳が優しく微笑んでいるようだった。

ユイがぽつんと立っていると、どこからともなく声がした。

「ユイ、こっちよ」

振り返ると、白くてふわふわした存在が立っていた。
それはまるで雲をまとったような、小さな背の人物だった。目は見えないけれど、視線を感じるような不思議な気配があった。

「あなたは…誰?」

「私はムウム。ユイを導く存在よ」やさしい声だったけれど、顔はぼんやりとしていてはっきりしない。
けれどその声には、なぜか懐かしさがにじんでいた。

ムウムが差し出した手はあたたかく、ユイは自然とその手を取っていた。




第3章:忘れられた夢の扉
ムウムと手をつないで草原を歩いていると、ユイの前に一枚の扉が現れた。まわりに何もない草原の中、
ぽつんと立つ木の扉だった。古びた木の表面には、何かが書かれていたようだけど、風に削られ、読めない。

「ムウム、これなに?」

「忘れられた夢の扉よ。ユイだけじゃない。世界には、夢を忘れてしまった人がたくさんいるの。」

ユイは扉に手を伸ばしかけて、ふとためらった。

「勝手に入っていいの…?」

ムウムは静かにうなずいた。

「この扉は、今夜ユイを待っていたの。」


ユイがノブを回すと、扉は音もなく開いた。中には、
うす暗い風景が広がっていた。まるで、色を失った絵本の中に入ったようだった。

中には、小さな男の子がぽつんと座っていた。目を伏せて、ひとりきり。

「ユイ、この子は夢の中で迷ってしまってるの。思い出すのが、怖くなったのかもしれない。」

ユイは、そっと近づいて声をかけた。

「……ねえ、大丈夫?」

男の子は一瞬だけこちらを見た。でも、何も言わずにまた目をそらした。

その横顔を見て、ユイの胸がじんわりと熱くなった。
——まるで、昔の自分を見ているようだった。

「私ね、夢の中でやさしい人に会ったの。その人が言ってたの。思い出すのが怖いときは、心が自分を守ってるんだって。」

ユイの声に、男の子は小さく顔を上げた。

ユイは、ふとポケットを探った。すると、なぜか夢の中なのに、
“銀色の羽”がひとつ入っていた。

「これ、あげる。」

ユイが差し出すと、男の子はためらいながら受け取った。そして、小さな声でつぶやいた。

「ぼく……ソウタって、いうの。」

その瞬間、扉の中の景色がふわりと色を取り戻し始めた。遊んだ記憶、歌った声、誰かの笑顔。

ムウムがそっとユイの肩に手を置いた。

「よくできたわ。夢の中で迷っているのは、ユイだけじゃない。これからも、たくさんの“夢のかけら”が、ユイを待っている。」

ユイはうなずいた。
その手の中に残された羽のぬくもりが、胸の奥にじんわりと広がっていった。



第4章:月灯りの教室
ある晩、ムウムはユイに小さな銀の鈴を手渡した。

「この鈴が鳴ったとき、誰かの夢の扉が開くの。」

鈴がひとりでに鳴り始めると、ユイの足元に青白い光の道が伸び、彼女をある扉へと導いた。

その扉の向こうには、静まり返った夜の学校の教室が広がっていた。黒板には名前が雑に消されたまま、机はひとつだけぽつんと離れている。

教室の隅に座っていたのは、一人の女の子。机に顔を伏せて泣いていた。

「だれも、私のこと、知らないふりするの……」

ユイはそっと近づいた。「わかるよ、さびしいよね。」

女の子は顔を上げた。「ほんとにわかるの?」

ユイは、教室の窓を開けた。夜空の星が流れ込み、教室が少しずつ光を取り戻していく。

「私もね、夜が怖かった。でも、夢の中で誰かに手を握ってもらって、少しだけ変われたの。」

女の子は小さくうなずいた。

「名前、教えて?」

「ミカ……」

その瞬間、黒板に、光で描かれた「ミカ」の文字が浮かび上がった。
教室が温もりを取り戻し、夢の扉がそっと閉じた。



第5章:かなしみの駅
次に導かれたのは、夜の駅だった。時計の針は止まったまま、ホームには誰もいない。ユイの前に、うつむいた男の人が立っていた。スーツ姿で、片手には古いチケット。

「ここで、ずっと誰かを待ってる。でも、もう来ないのかもしれない。」

声は乾いていて、でも胸の奥に引っかかる悲しさがあった。

ユイは静かに隣に座った。

「何を待ってるの?」

「…最後に言えなかった言葉。謝りたかったんだ。あの人に。」

ユイはチケットをそっと受け取って、改札に向かって歩き出した。

「まだ間に合うかもしれない。夢の中なら、伝えられることもあるんだって、ムウムが言ってた。」

男の人は立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。改札の先に、小さな光が灯る。そこには、やさしく微笑む女性の姿。

「……ありがとう」

男の人が涙を流したとき、駅に止まっていた時計が、静かに動き出した。



第6章:忘却の森
三度目の夢の扉は、霧に包まれた森の中だった。

木々の間をさまよう影がいた。少年のようだったが、顔がうつむきすぎて見えなかった。

「……名前が、わからないんだ」

ユイは目を見開いた。

「自分の……?」

少年はうなずく。

「何も思い出せない。気づいたら、ここにいた。」

ユイはそっと手を握った。「あなたの中に、きっと残ってるよ。夢のかけらが。」

二人で霧の森を進むと、木の根元に埋もれた古いカバンが見つかった。その中には、絵本とノートと、小さな名札。

『ハルト』

「……それ、ぼく?」

「うん、ハルトくんだよ。きっと。」

少年の目に光が戻った瞬間、霧がふわりと晴れて、森の奥にやさしい光が差し込んだ。

「ありがとう。思い出せて、よかった」

ハルトの背に、羽のような光がふわりと浮かび上がり、やがて彼は穏やかな顔で消えていった。

ムウムの声が、風のように届いた。

「ユイの中にあるやさしさが、誰かの心をほどいていくの。」


ユイは、この言葉をどこか懐かしく思った。




第7章:消えかけた声
現実の世界でも、ユイは少しずつ変わっていった。
夜が、ほんの少しだけ怖くなくなってきた。夢の中で誰かと心を通わせた朝は、目覚めも穏やかだった。

けれど、夢の中のムウムは、だんだんと姿が薄くなっていった。

「ムウム、最近、声が遠くなってる気がする…」

「大丈夫よ。ユイが強くなるほど、私は少しだけ遠くなるの。」

それが何を意味するのか、ユイはまだわからなかった。けれど、どこか胸の奥で、その言葉の深さを感じ取っていた。

夢の余韻は、目覚めたあともユイの心にそっと残っていた。
彼女は、小さなノートに夢で見た世界を書き留めはじめた。そこには、ミカ、駅の人、ハルト…夢で出会った“誰か”の心が生きていた。



第8章:最後の夜の夢
ある晩、ユイはまた星の草原を歩いていた。草原の星は、まるで祝福のように光を揺らしていた。

「ユイ、今日が最後の夢の旅になるかもしれないわ」

ムウムがそう言ったとき、ユイは少しだけ驚いて、そして静かにうなずいた。

「ムウム、私ね……夜がもうあまり怖くないの。」

「それはね、あなたが誰かの夢を照らしたように、自分の心も照らせるようになったから。」

ムウムはポケットから、小さな箱を取り出した。
中には、銀色の羽と、古びたオルゴールの鍵が入っていた。

「これは、私がずっと大切にしていたもの。もう、ユイに託す時が来たの」

箱の底には、色あせた小さな紙が一枚。そこには、幼い子どもの字でこう書かれていた。

「ムウム、ずっといっしょ」

ユイはその文字を、そっと指でなぞった。涙がこぼれて、でもどこか温かかった。




第9章:名前の秘密
銀色の鍵に触れた瞬間、ユイの中に、波のように記憶が押し寄せた。

「ムウムって……おばあちゃんのこと、だったんだよね」

ユイはぽつりとつぶやいた。ムウムはそっと、うなずいた。

「そう。あなたが小さな頃、私にくれた“世界でひとつだけの名前”」

ユイの目に、涙が溢れた。

「どうしてずっと言ってくれなかったの?」

「あなたが自分の足で、愛を思い出せるって信じてたのよ。忘れてもいい。でも、思い出す力は、ちゃんとあなたの中にあるの。」

ムウムの声は、今まででいちばんやさしく、いちばん近くに響いていた。

ユイはもう一度、ムウムの手をぎゅっと握った。
手のぬくもりは、夢の中なのに、とてもリアルだった。



第10章:ゆめのかけら
「ユイ、そろそろお別れのとき」

ムウムがそっとユイの頬に触れた。

「もう、私がいなくても、あなたは自分の力で歩いていけるわ。あなたの中に、“あの時間”がちゃんと息づいてるから。」

「ムウム……ありがとう。ずっと、そばにいてくれて。」

朝の光が、ゆっくりと夢の草原を包んでいく。ムウムの姿は、やさしい風とともに空へ溶けていった。

目を覚ましたユイの枕元には、夢の中で見た銀色の羽が、ひっそりと置かれていた。

ユイは静かに窓を開け、あたたかな朝の光を浴びながら、まっすぐ空を見上げた。
星はもう見えないけれど、心の中に、確かな光が宿っていた。

胸に手を当てると、かつてのぬくもりが、今もそこにあると感じられた。
遠くで鳥のさえずりが響き、ユイは、少しだけ大人びた笑顔を浮かべた。

「思い出せて、よかった。」















おわり


スタンプを贈って作者を応援しよう!



みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



『ゆめのかけら』
第1章:眠れない夜
ユイは、夜が来るのが怖かった。大好きだったおばあちゃんが亡くなってからというもの、夜の静けさが胸に刺さるようになった。おばあちゃんの声、
温もり、ぬくもり。全てが夢のように遠ざかっていく。日が暮れると、部屋の隅にある影すらも、おばあちゃんの不在を思い出させた。
ユイは、眠ろうと目を閉じても涙がこぼれ落ちる夜を繰り返していた。毎晩のように、おばあちゃんの名前を心の中で呼んだ。
けれど、返事はどこからも聞こえない。静寂が心にしみ、時計の針の音さえも遠く響いた。
母がそっと毛布をかけてくれても、その優しさに涙がこぼれてしまった。世界がまるごと冷たく感じる夜もあった。
ある晩、泣き疲れて眠りについたユイの前に、不思議な夢の世界が広がっていた。
第2章:星の草原
そこは、空が近くて、星が草花のように咲いている不思議な草原だった。足元には光る苔が広がり、
歩くたびにきらきらと音もなく光が舞った。あたりは柔らかな光に包まれ、まるで夜の帳が優しく微笑んでいるようだった。
ユイがぽつんと立っていると、どこからともなく声がした。
「ユイ、こっちよ」
振り返ると、白くてふわふわした存在が立っていた。
それはまるで雲をまとったような、小さな背の人物だった。目は見えないけれど、視線を感じるような不思議な気配があった。
「あなたは…誰?」
「私はムウム。ユイを導く存在よ」やさしい声だったけれど、顔はぼんやりとしていてはっきりしない。
けれどその声には、なぜか懐かしさがにじんでいた。
ムウムが差し出した手はあたたかく、ユイは自然とその手を取っていた。
第3章:忘れられた夢の扉
ムウムと手をつないで草原を歩いていると、ユイの前に一枚の扉が現れた。まわりに何もない草原の中、
ぽつんと立つ木の扉だった。古びた木の表面には、何かが書かれていたようだけど、風に削られ、読めない。
「ムウム、これなに?」
「忘れられた夢の扉よ。ユイだけじゃない。世界には、夢を忘れてしまった人がたくさんいるの。」
ユイは扉に手を伸ばしかけて、ふとためらった。
「勝手に入っていいの…?」
ムウムは静かにうなずいた。
「この扉は、今夜ユイを待っていたの。」
ユイがノブを回すと、扉は音もなく開いた。中には、
うす暗い風景が広がっていた。まるで、色を失った絵本の中に入ったようだった。
中には、小さな男の子がぽつんと座っていた。目を伏せて、ひとりきり。
「ユイ、この子は夢の中で迷ってしまってるの。思い出すのが、怖くなったのかもしれない。」
ユイは、そっと近づいて声をかけた。
「……ねえ、大丈夫?」
男の子は一瞬だけこちらを見た。でも、何も言わずにまた目をそらした。
その横顔を見て、ユイの胸がじんわりと熱くなった。
——まるで、昔の自分を見ているようだった。
「私ね、夢の中でやさしい人に会ったの。その人が言ってたの。思い出すのが怖いときは、心が自分を守ってるんだって。」
ユイの声に、男の子は小さく顔を上げた。
ユイは、ふとポケットを探った。すると、なぜか夢の中なのに、
“銀色の羽”がひとつ入っていた。
「これ、あげる。」
ユイが差し出すと、男の子はためらいながら受け取った。そして、小さな声でつぶやいた。
「ぼく……ソウタって、いうの。」
その瞬間、扉の中の景色がふわりと色を取り戻し始めた。遊んだ記憶、歌った声、誰かの笑顔。
ムウムがそっとユイの肩に手を置いた。
「よくできたわ。夢の中で迷っているのは、ユイだけじゃない。これからも、たくさんの“夢のかけら”が、ユイを待っている。」
ユイはうなずいた。
その手の中に残された羽のぬくもりが、胸の奥にじんわりと広がっていった。
第4章:月灯りの教室
ある晩、ムウムはユイに小さな銀の鈴を手渡した。
「この鈴が鳴ったとき、誰かの夢の扉が開くの。」
鈴がひとりでに鳴り始めると、ユイの足元に青白い光の道が伸び、彼女をある扉へと導いた。
その扉の向こうには、静まり返った夜の学校の教室が広がっていた。黒板には名前が雑に消されたまま、机はひとつだけぽつんと離れている。
教室の隅に座っていたのは、一人の女の子。机に顔を伏せて泣いていた。
「だれも、私のこと、知らないふりするの……」
ユイはそっと近づいた。「わかるよ、さびしいよね。」
女の子は顔を上げた。「ほんとにわかるの?」
ユイは、教室の窓を開けた。夜空の星が流れ込み、教室が少しずつ光を取り戻していく。
「私もね、夜が怖かった。でも、夢の中で誰かに手を握ってもらって、少しだけ変われたの。」
女の子は小さくうなずいた。
「名前、教えて?」
「ミカ……」
その瞬間、黒板に、光で描かれた「ミカ」の文字が浮かび上がった。
教室が温もりを取り戻し、夢の扉がそっと閉じた。
第5章:かなしみの駅
次に導かれたのは、夜の駅だった。時計の針は止まったまま、ホームには誰もいない。ユイの前に、うつむいた男の人が立っていた。スーツ姿で、片手には古いチケット。
「ここで、ずっと誰かを待ってる。でも、もう来ないのかもしれない。」
声は乾いていて、でも胸の奥に引っかかる悲しさがあった。
ユイは静かに隣に座った。
「何を待ってるの?」
「…最後に言えなかった言葉。謝りたかったんだ。あの人に。」
ユイはチケットをそっと受け取って、改札に向かって歩き出した。
「まだ間に合うかもしれない。夢の中なら、伝えられることもあるんだって、ムウムが言ってた。」
男の人は立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。改札の先に、小さな光が灯る。そこには、やさしく微笑む女性の姿。
「……ありがとう」
男の人が涙を流したとき、駅に止まっていた時計が、静かに動き出した。
第6章:忘却の森
三度目の夢の扉は、霧に包まれた森の中だった。
木々の間をさまよう影がいた。少年のようだったが、顔がうつむきすぎて見えなかった。
「……名前が、わからないんだ」
ユイは目を見開いた。
「自分の……?」
少年はうなずく。
「何も思い出せない。気づいたら、ここにいた。」
ユイはそっと手を握った。「あなたの中に、きっと残ってるよ。夢のかけらが。」
二人で霧の森を進むと、木の根元に埋もれた古いカバンが見つかった。その中には、絵本とノートと、小さな名札。
『ハルト』
「……それ、ぼく?」
「うん、ハルトくんだよ。きっと。」
少年の目に光が戻った瞬間、霧がふわりと晴れて、森の奥にやさしい光が差し込んだ。
「ありがとう。思い出せて、よかった」
ハルトの背に、羽のような光がふわりと浮かび上がり、やがて彼は穏やかな顔で消えていった。
ムウムの声が、風のように届いた。
「ユイの中にあるやさしさが、誰かの心をほどいていくの。」
ユイは、この言葉をどこか懐かしく思った。
第7章:消えかけた声
現実の世界でも、ユイは少しずつ変わっていった。
夜が、ほんの少しだけ怖くなくなってきた。夢の中で誰かと心を通わせた朝は、目覚めも穏やかだった。
けれど、夢の中のムウムは、だんだんと姿が薄くなっていった。
「ムウム、最近、声が遠くなってる気がする…」
「大丈夫よ。ユイが強くなるほど、私は少しだけ遠くなるの。」
それが何を意味するのか、ユイはまだわからなかった。けれど、どこか胸の奥で、その言葉の深さを感じ取っていた。
夢の余韻は、目覚めたあともユイの心にそっと残っていた。
彼女は、小さなノートに夢で見た世界を書き留めはじめた。そこには、ミカ、駅の人、ハルト…夢で出会った“誰か”の心が生きていた。
第8章:最後の夜の夢
ある晩、ユイはまた星の草原を歩いていた。草原の星は、まるで祝福のように光を揺らしていた。
「ユイ、今日が最後の夢の旅になるかもしれないわ」
ムウムがそう言ったとき、ユイは少しだけ驚いて、そして静かにうなずいた。
「ムウム、私ね……夜がもうあまり怖くないの。」
「それはね、あなたが誰かの夢を照らしたように、自分の心も照らせるようになったから。」
ムウムはポケットから、小さな箱を取り出した。
中には、銀色の羽と、古びたオルゴールの鍵が入っていた。
「これは、私がずっと大切にしていたもの。もう、ユイに託す時が来たの」
箱の底には、色あせた小さな紙が一枚。そこには、幼い子どもの字でこう書かれていた。
「ムウム、ずっといっしょ」
ユイはその文字を、そっと指でなぞった。涙がこぼれて、でもどこか温かかった。
第9章:名前の秘密
銀色の鍵に触れた瞬間、ユイの中に、波のように記憶が押し寄せた。
「ムウムって……おばあちゃんのこと、だったんだよね」
ユイはぽつりとつぶやいた。ムウムはそっと、うなずいた。
「そう。あなたが小さな頃、私にくれた“世界でひとつだけの名前”」
ユイの目に、涙が溢れた。
「どうしてずっと言ってくれなかったの?」
「あなたが自分の足で、愛を思い出せるって信じてたのよ。忘れてもいい。でも、思い出す力は、ちゃんとあなたの中にあるの。」
ムウムの声は、今まででいちばんやさしく、いちばん近くに響いていた。
ユイはもう一度、ムウムの手をぎゅっと握った。
手のぬくもりは、夢の中なのに、とてもリアルだった。
第10章:ゆめのかけら
「ユイ、そろそろお別れのとき」
ムウムがそっとユイの頬に触れた。
「もう、私がいなくても、あなたは自分の力で歩いていけるわ。あなたの中に、“あの時間”がちゃんと息づいてるから。」
「ムウム……ありがとう。ずっと、そばにいてくれて。」
朝の光が、ゆっくりと夢の草原を包んでいく。ムウムの姿は、やさしい風とともに空へ溶けていった。
目を覚ましたユイの枕元には、夢の中で見た銀色の羽が、ひっそりと置かれていた。
ユイは静かに窓を開け、あたたかな朝の光を浴びながら、まっすぐ空を見上げた。
星はもう見えないけれど、心の中に、確かな光が宿っていた。
胸に手を当てると、かつてのぬくもりが、今もそこにあると感じられた。
遠くで鳥のさえずりが響き、ユイは、少しだけ大人びた笑顔を浮かべた。
「思い出せて、よかった。」
おわり