倉庫の中は暗く、少しひんやりとしている。汗がひき、さっきまでの背中の灼けるような熱も、もうない。倉庫の端にあった汚れた茶色のマットを引き伸ばし、横になる。少年野球の頃に嗅ぎ慣れた、乾いた土の匂い。少しだけ、安心した。
ついさっき──一ノ瀬さんの太ももが、俺のにそっと触れていた。あの瞬間に戻りたい。もう少し、一ノ瀬さんと話をしたかった。もっと、一ノ瀬さんのこと、知りたかった。
もう、戻れない。二度と。
背中に現れた、あの数字。緑に点滅していた「38」。ニュージーランドの巨人と同じ。他の2体とも同じ、緑に点滅する数字──背中に刻まれた、呪いのような数字。
──いや、明らかに同じものだった。
ということは、「……俺も、あいつらと“同類”ってことなのか?」
どうしたらいい?誰にも話せるわけない。一ノ瀬さんには……もう、会えないかもしれない。学校にも……もう、行けないかもしれない。
(……これが夢なら、覚めてくれ)
──そのとき。
ドォォン!!!!
何か爆発したような音。倉庫が揺れた。天井から、砂がパラパラと落ちてくる。
(地震?)
反射的に、長机の下に滑り込む。
──ガガガッ、ドォォン!
もう一度、爆音。でも地面は揺れてない。音が、すぐ外から聞こえている。俺は、机を這い出て、倉庫の小窓から外を見た。
「信じられなかった。校舎が崩れていた。」
西棟の一部が吹き飛び、コンクリートの塊と鉄骨が瓦礫と化している。
そこに“ヤツ”はいた。
全身が灰色の巨人。装甲を纏ったような手足。顔には、目も口も“あるはず”だが、全体が石膏のようなもので覆われていて表情は読み取れない。3階建ての校舎の、倍以上の身長。
灰色の巨人は、両方の手をぶん回して後者を殴っている。鉄筋コンクリの校舎がいとも簡単に崩れる。それは“怒り”じゃない。もっと単純な、“破壊”だ。
(……あれは)
巨人の背中が、ちらりと見えた。緑に、数字が光る。
『37……!!』
“38”と“37”……俺の「38」のひとつ前。ただの偶然か? それとも──何か意味があるのか?わからない。
あいつは、俺たちの教室がある棟を壊そうとしていた。俺には学校に大した思い入れはない。でも、あんなふうに無惨に壊されるのを見ていると、腹の奥が、じりじりと熱くなった。
──そのとき。屋上に、1つの人影。
制服姿の……女の子?
誰か、生徒が残ってる……!臨時休校のはずなのに。
巨人の拳が屋上の手すりを砕く。そのすぐ近くに、誰かが走って逃げている。
助ける? どうやって?あんな化け物に──勝てるわけない。
心臓の音が聞こえる。緊張が、胸を締めつける。鼓動が暴れ出す。
『……チキュウジンヲセンメツセヨ……』
また、あの不気味な声。
『……チキュウジンヲセンメツセヨ……』
一ノ瀬さんの家で聞いた、あの声だ。
背中が、熱くなっていく。あの感覚が、また来る。──今度は、さっきよりもはるかに強い。心臓がバクバクと鳴り、手足が勝手に震え出した。
屋上の一部が崩れ、生徒が何やら叫んだような気がした。
『……チキュウジンヲセンメツセヨ……』
灼けるような背中の熱。皮膚の内側で、何かが暴れてる。背中が脈打つ。内側から身体がねじられていく。指先が痺れ、足元がぐらつく。何かが入り込んでくる。俺の中に。自分の体が何か別なものに支配されていく。拒絶しきれない。
「……っ……」
喉が震えた。けど、声にはならなかった。巨人は、拳を振り上げていた。
(やめろよ……!やめてくれ)
祈る気持ちだ。そして、何かしなければという焦燥感ばかりが募る。
(……助けなきゃ。でも、どうやって?)
でも、足は動かない。腕も、震えているだけ。でも──もう、抗えなかった。
『……オマエハチカラガホシイカ……』
(え、さっきと違う。力?……欲しくなんか……ない。けど──)
校舎を潰す拳。誰かが、死ぬ。
(俺が、止めなきゃ……でも……)
──背中から何かが滲み出す。神経の奥から“異物”が伸びてくる。指先がしびれ、視界が淡く滲む──まるで自分が“自分”からはがれていくようだった。
「助けたい。でも、逃げたかった。
──そんな葛藤すら、力が押し流していく。
すう……音もなく、視界が暗転した。」
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次の瞬間、俺はグラウンドの真ん中に立っていた。
(……まるで、見慣れた世界が、遠く縮んでしまったような──)校舎が、低い。地面が、遠い。遠くの町が見える。
──そうか、自分がでかくなったんだ。
屋上を見る。いや、見下ろしている。先ほどの制服姿の人影が見える。良かった、間に合った。まだ生きている。……一ノ瀬さん?──いや、別人だ。
灰色の巨人は、動きを止めて、顔をこちらに向けた。ほとんど同じ目線だ。俺も巨人になったのだ。
何だ、力がみなぎってくる。身体はすでに、“別のもの”だった。腕を振ると、空気が唸った。重さは感じない。むしろ、軽い。
何だ、これまで体験したことのないようなエネルギーを体内に感じる。
(……この力を、試してみたいと……思ってしまった自分がいた)
顔には、目も口もあるはずだ。だが、石膏の仮面のように無表情なそれは、何も語らなかった。しかし、お互いに見合っている。何だ、この感じ。誰かに似てるようなる……?いや、気のせいだ。こんな化け物、知らないはずだろ……こいつは破壊者だ。俺たちの高校を破壊している。俺は違う……。
灰色の巨人は、俺に向かって身を構えた。なのに、怖くない。むしろ、心地いい。この体、この力──俺はもう、“普通の俺”に戻れないかもしれない。
(……来る!)
「──なら、やってやるよ。」
声は、もう俺の声ではなかった。