最下層、『グレープ』一階。そこまで降下したリムジンは、黒服に誘導されるまま底にある駐車場に停車。明石は諸々の準備や単独行動をするため分かれ、一足先に信一郎と三人の女子たちは、グレープの空気感を味わうのだった。
「改めて説明すると……ここは山梨の地下広範囲にわたり造られた、
大人の楽園・『グレープ』。あらゆる観光地に、かつて某夢の国で使われていたファストパスの如く直通で行けることから、あらゆる
葡萄の実に栄養を行き届ける
茎……その関係性と、産出量日本一の葡萄を掛け合わせたからこそ、その名が付けられたんだ」
グレープは、各県の超富裕層や、大企業の重鎮が足を踏み入れること限定の、一切明かされない至高の娯楽施設、その総称である。国が認知こそしていないものの、いざ踏み込まれた時のため、非合法なことはない。クリーンな酒池肉林を象徴した存在である。言葉だけだと矛盾しているように思えるが、実態を見てもらえれば実に分かりやすい。
酒は世界各地から取り寄せた、最高品質かつ最高級のものを取りそろえ、あらゆる食材も不足はない。食に困ることはない。性の分野に関しても、世界各地から集った美男美女が揃い、夜の相手や晩酌相手など、一切の不足はない。ここを去るものがいたとしたら、全員が全員笑顔かつ満たされて帰っていく。
大人の、大人による、大人のための最高の楽園。それこそが大人の楽園の名を冠する、グレープなのだ。
そのため、非合法なことや紳士や淑女としての姿を崩したら最後、一生ここに戻ることは許されない。節度を持ち、人間の三大欲求に正直になれる人間がこの場に集まるからこそ、クリーンなままでいられるのだ。
さらに、グレープが雇った秘密警察もこの場に常駐しており、二十四時間三百六十五日、このグレープは安全なままである。
「――しかし、そんな場所に私たちがいていいんですか? 私、正直可愛い女の子いたらつまみ食いしてみたいのですが」
「出来るんじゃあないかな? 前金は基本払っちゃってるし……って、何を言い出すんだいエヴァちゃん!?」
「大丈夫です、今の本命は礼安さんだけですのでお義父さん」
「だからお義父さんって言われるのむず痒いんだけど!? それにつまみ食いしたら浮気になるよね、仮にもお義父さんって言っている私の目の前で言い放つ台詞じゃあないよね!?」
実に軽妙なやり取りをしながらも、すぐに目的地へたどり着く。それこそが、『理想郷』。
理想郷の名を冠するだけあって、設備は最高峰を優に超える。アヴァロンエリア、蓬莱エリア、ザナドゥエリア、エル・ドラドエリア、アガルタエリアという五つのエリアに分かれ、人間の欲求を満たす最高峰のおもてなしを受ける。
人間には、ありとあらゆる欲求が存在する。それを心理学理論として分かりやすく示したのが、『マズローの欲求五段階説』。
一番下には人間の生存に関わる『生理的欲求』。食欲、睡眠欲、性欲の三つが当てはまる。
その上に当てはまるのが『安全の欲求』。健康、経済的安定性、社会福祉等が当てはまる。
さらに上に行くと、集団に所属し、仲間を求める『社会的欲求』、他者から認められたい『承認欲求』、自分の価値観等に基づき、満足できる自分になりたい『自己実現の欲求』がピラミッド型に位置する。
それらを、エリアごとではあるものの全てが満たされる。人間として一段階はおろか、何段階もランクアップが見込める、最高峰の旅館であったのだ。
「ここが、私たちの宿泊施設さ――って、話聞いてる皆?」
「すんごいですわ……改めて、自分の生まれた家がトンデモクラスな大富豪であることを認識しますわ……」
「――あのチビたち、連れてきたかったなあ……」
それぞれが眼前の華美な施設に心躍りながら、院と透は二人して浮かれながらもその施設内に入り込む。しかし。肝心のエヴァは異なった。
どこか、心ここにあらず、と言った印象。先ほどまでの、ふざけていたようなテンションは消え失せていた。
「……エヴァちゃん、どうしたのかな?」
「――ああ、申し訳ないです、聞いていませんでした」
普通なら、そのセリフはボケて話されるものだと思ったが、彼女の雰囲気がそうではないと暗に示している。それもそのはず、彼女にとって、大切な存在が今この場にいないのだから、喜びは半減以上である。先ほどの軽口も、多少なり普段見せる皮を被った姿であった。
「……礼安がいないから、やっぱり乗り気じゃあないかな? 多分『それ以外』もあるだろうけど」
「――――バレて、ましたか」
どれほど高級な場であろうと、どれほど高級なものを提示されても、どれほど性的欲求を満たせる場であろうと。金では買えない本当の『最高』を知ってしまった彼女には、どれも陳腐なものに見えて仕方ないのだ。『大切』なものを一度失ったからこそ、その『大切』を何より大事にするのだ。
「……私には礼安さんのような、心の色を見る第六感はありませんが……また、貴方はバカンスと称して、何かやろうと企んでいるのでしょう? 礼安さんが赤点だなんて……あれだけの状況判断能力、知識や理解力がある人が……普通ならあり得ません。特に一年次の夏休み前、中間テストは基本的に全教科『易しくする』傾向があります。例年のデータも上がっていますし、それらを今この場で見比べたって構いません」
「――だとしたら? 私を……グーで行くかい? 正直、それを君にされても……私は文句の一つも言えないだろう、そんな立場だよね」
実にミスマッチ、ふざけた格好であったが、飄々と口元は笑んでいた。しかし、サングラスの奥に潜む瞳は、一切笑っていなかった。エヴァの推理は的中しているも同然である。
「……何を考えているかは知りませんが……今回は誰のための『嘘』なんですか」
「やだなあ、人聞きの悪い。心配せずとも、私は英雄たちの元締めであり、味方であり続ける。そのスタンスはずーっと変わらず。頑張る生徒を裏切るだなんて、そんな奴は教育者の風上にも置けない奴さ」
今回、山梨にバカンス……というのも、未だここの教会支部が潰れていないことも、何か考えているからこそとしか思えない。いくら穏健派と言え、現在支部が崩壊した場所に向かえば、戦いが発生する可能性はまずないはず。わざわざ山梨に来た理由が、支部を壊す目的であるなら合点がいくのだ。
誰に対しても、腹の底をいつも隠しているからこそ、本心を誰にも明かしていないからこそ、いつも英雄側で最も疑われる。最も頼りになる存在は、最も真なる意味で信用ならない。それを体現した存在こそ、
現状の信一郎であった。
「――少々、用があります。院さんと透さんには、「後で戻る」とだけ、伝えてください」
「オーケー、不破学園長としてではなく、瀧本信一郎として任されたよ」
その場を足早に去るエヴァ。そしてその背中を黙って見送る信一郎。しばらく、彼女の背中を見送っているものの、そんな中で自分の信頼の無さを痛感していたのだ。そう疑念を抱くのは正解ではあったが。
「――全く、私も色々考えすぎて、生徒からの信頼が無くなってきたみたいだ。でも……今回ばかりは本当に『君たち』のためだ。エヴァちゃんだけじゃあない、礼安や院、透ちゃんや丙良くん……そして、信玄くんを手ずから守るための『策』。まあ……そう語ったところで、聞く耳を持たないんだろうね。『本心』なのに」
その表情は、今までにないほど哀愁に満ちていた。最も多くを背負った存在は、往々にして最も苦労しているのだ。