一方、学園の一教室。補習を受ける生徒が集まり、一日当たり四時間ほどの講習を一週間ほど受ける。そのはずだった。
その場にいたのは、礼安ただ一人のみ。その事実に、首を傾げていた。
(補習を受けるの……私だけなのかな?)
そんな礼安の胸中にある疑問は、ただの雑念だと思うことにした。しかし、担当教師がやってきたことで、礼安自身の疑問は疑念となり、より深まることとなる。
「瀧本礼安さん、ね? 学園長の娘さんの」
「そ、そうでげすだよ!」
その教師は、少なくとも今まで礼安が接してきたことのない教師。それもそのはず、その人物は丙良や信玄を担当する、二年一組担任教師。礼安たちの担任教師である目白よりも、圧倒的に厳格さ、真面目さを感じ取れるほどの風格であった。
壊滅的に敬語が苦手な礼安、というのは信一郎から聞いていた教師は、嘆息するも礼安に課題を手渡す。その内容に首を傾げながらも取り組む。
そのぎこちなさに、最初はただ分からないだけだ、不勉強なだけだと考えていた教師であったが、原点かつ初歩的な疑問点に行きついたのは、ものの数秒後。
「――待って瀧本さん。貴女『一年次』よね? 私『二年次』の補習担当をするはずだし、来るのも二年次って聞いていたんだけど」
「? 勿論そうだよ??」
早速敬語が抜けていることに、何とも悲しい気持ちになってしまう教師であったが、その教師はその教室を離れ、すぐさま二種類のテスト問題用紙の予備を手に帰ってくる。
そのテスト用紙は、『一年次』のものと『二年次』のもの。テストの採点時、なぜかいつもよりもすべて一枚多かったため、そして見慣れない文字があったため、疑問に思っていたのだが。礼安が抱いた疑念、そしてその教師の抱いた疑念が、照らし合わされる瞬間が訪れるのだった。
「――瀧本さん、この『二年次』のテスト問題、全て見覚えない?」
「……これ、全部私がやったテストと一緒だよ??」
「やっぱり……そうだ」
すぐさま、礼安に今回の一年次が解いたテストをすべて既定の時間内で、全教科分行うこととなった。全教科、既定の時間よりも圧倒的に早く、さらに当の本人も一切悩む様子がなかったため、全て時間を巻いて回収。本来なら補習一教科辺り一時間、一日四教科行いそれを最低三日間。合計十一時間予定なのだが、全十一教科がたった二時間弱で終わった。
模範解答を見ながら丁寧に正誤判定を下していくと、その教師は頭を抱えた。
「――――一切嘘偽りなく言うわ。『全問正解』よ。瀧本礼安さん……貴女普通にやったら間違いなく全教科一位を取って学年一位。それほどなのに……何で貴女だけが『二年次が解くはずの問題を解かされていた』の?」
「?? 分からないよ。私はただ、渡されたテストをそのままやっただけで……」
二年次のテスト時、全教科一枚だけ予備が減っている謎があった。当時はそこまで気にすることはせず、その用紙に不備があって予備が減らされたものだと考えていたのだが……実際は違っていた。
まず。何かしらの不備によって渡された――それこそ、一年次のテスト用紙の中に混入した二年次のテスト用紙を渡されて、疑問を抱かない生徒はいない。しかし、彼女は他の生徒よりも圧倒的に純粋であり、テストの担当監督教師から渡されたものを一切疑わなかった。
さらに、英雄学園のみならず、あらゆるテストに関してはどの学校や学園も、それぞれの担当教師によって厳重に管理されている。他学年のテストが混入するなど、それは担当教師の管理不行き届き。普通なら始末書ものである。
それに、礼安は二年次のテストをなぜか解かされた中で、一切勉強していない領域であるはずなのに、それでもなお過半数以上の点数を全教科獲得している。一年次よりも遥かに要求知識のレベルが上がり、今まで一組をキープしていた生徒が、二組や三組に落ちるなんてざらな話であるのに。呆けているものの、礼安の底力に恐怖したのだ。
「――とにかく、瀧本さん。貴女はもう補習を受けなくて構いません。そんなもの必要ないほどに、ちゃんとした学力を持ち合わせていることは理解できました。準備をして、帰ってもいいですよ」
「でも、パパから一週間みっちり勉強しておいた方がいいよ、って言われてたんだけど……」
その瞬間、礼安の言葉がトリガーとなり、不可解な事象の謎が全て解けていく。なぜか机に『ごめんね、急な休日出勤代だよ』と書かれた、ただの茶封筒の中に現ナマが一本入っていたことを思い出した。その瞬間に、それを受け取ってしまったことを酷く後悔したのだった。
「――アレはそういうことだったんですか……ただの補習にしてはやたら金額が多いと思った上に、銀行口座に直に振り込まれていなかったというか……いつの時代ですか全く」
礼安は首を傾げながら、その頭を抱える教師を見つめる。教師が一つ大きなため息を吐くと、再び黒板前の教卓に立つのだった。
「……しょうがないわ、あれだけの前金貰っておいて「出来ません」なんて言える訳無いもの。いいわ、貴女に特別で先の勉強を一週間みっちり叩き込んであげる。分からないことがあったら、その「分からない」を共に消していってあげる。その代わり、これから教える内容は二年次に学ぶであろう内容の全て。頑張ってついてきなさい」
「! ありがとう、先生!」
「小栗先生、でいいわ」
早速勉強の時間……となる前に、礼安は手を挙げて小栗に対し一つの質問を投げかける。先ほどとは異なり、実に神妙な面持ちで。
「――お勉強前に、一つ聞きたいことがあって」
「? 何かしら、瀧本さん」
「――――何でか知らないけど、皆……大切なことを『忘れてない』?」
そんな礼安の一言に、複数の予備教科書を手に持った小栗は、怪訝な表情をしながら頭の中の引き出しを乱雑に荒らす。まるで、空き巣に入った強盗のように。
しかし、該当事項は特に思い当たらない。それよりも、この補習を開くに至った『二年次のテストがなぜ一年次のテストに紛れていたのか』という謎が、小栗の脳内を占領していたのだ。
「……ごめんなさい、瀧本さん。特に直近物忘れが激しいってわけでもないし……荒れはしたけど『つつがなく』合同演習会は終わったでしょう??」
そんな小栗に対し、どこか悲哀に満ちた表情を一瞬見せるも、すぐにいつものような笑顔を取り戻す。
「……ごめんね、何でもないよ!」
無邪気なまま、学習机につく礼安。補習を受けた後は、病院にて検査の用事があったが、今は新たな学びに心を躍らせていた。
「――院ちゃんたち、楽しんでいるといいなあ」
愁いを帯びた表情の奥に隠された『何か』を知るものは、この場に誰もいない。ただ、どこか『疎外感』を感じながら、教師の持ってきた二年次が使用する教科書のスペアに、目を通し始めるのだった。