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ロウキ

ー/ー



 低く唸るような音とともに重たい扉が開き、男が部屋の中に入ってきた。男は「夜ごはんだよ」と言って、手に持った皿を床に置いた。
「今日はユカの大好きなカレーにしてあげたよ」
 男が少女に笑いかける。少女はそれになかなか手を付けようとしない。
「どうしたの、ユカ? お母さんの作った料理が食べられないの?」
 男の言葉に、少女はびくっと身を震わせる。なんとか手を動かそうとするが、身体(からだ)が言うことをきかないようだ。
「わかった。それじゃ、お母さんが食べさせてあげる」
 男はスプーンで料理を掬うと、「はい、あーん」と少女の口にそれを近づける。少女はどうにか口を開き、差し出されたスプーンをその口に咥えた。
「どう? おいしい?」
 男はニタッとした笑みを少女に向ける。
 男と少女の間には何らの血縁関係もない。しかし男は自分のことを少女の「お母さん」だと言い、また少女にも自分のことをそう呼ばせる。男は少女をこの狭い部屋の中に閉じこめ、こうして日に何度かやってきては彼女の「お世話」をする。それが少女にとって望まれることでないのは彼女の様子や態度を見れば明らかだが、彼女――いや、彼女たちは、その間おとなしくそれに耐えねばならない。
 男がこのようなことを始めたのはいつからだったろう。一緒に暮らしていた女が出ていったのが彼を狂わせるきっかけになったのか、あるいは元々もっていた性質が何かの弾みで顕在化しただけなのか。そのあたりのことは私にはわからない。
 少女は男に無理やり口に入れられた料理を懸命に咀嚼しようとする。が、次の瞬間、少女の背中がびくんと跳ねるように震え、胃の中のものもろとも床に吐き出してしまった。「まあ、ユカ」と男は驚いたような顔をしてみせる。
「本当に、ユカはいけない子ねえ」
 と、男は少女に向かってねっとりとした声で言う。
「こんな悪い子には、たっぷりお仕置きをしてあげないと」
 少女は放心したような表情で男の顔を黙って見上げる。恐怖も、嫌悪も、その虚ろな瞳からは何も読み取れない。そこにあるのはただ、諦めだけだった。
 おそらく彼女も、もう限界なのだろう。きっと近いうちに彼女はここからいなくなる。そしてまた、新しい少女がやってくる。代わりはいくらでもいるのだ。男にとってそれは、壊れたおもちゃを買い替えるのと同じような感覚なのだろう。
「さあ、おいで、ユカ」
 男が少女のやせ細った腕を掴み、ベッドの上に連れていく。と、そこへ、どこからか何か音が聞こえてきた。
 家の呼び鈴が鳴る音だった。


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 低く唸るような音とともに重たい扉が開き、男が部屋の中に入ってきた。男は「夜ごはんだよ」と言って、手に持った皿を床に置いた。
「今日はユカの大好きなカレーにしてあげたよ」
 男が少女に笑いかける。少女はそれになかなか手を付けようとしない。
「どうしたの、ユカ? お母さんの作った料理が食べられないの?」
 男の言葉に、少女はびくっと身を震わせる。なんとか手を動かそうとするが、|身体《からだ》が言うことをきかないようだ。
「わかった。それじゃ、お母さんが食べさせてあげる」
 男はスプーンで料理を掬うと、「はい、あーん」と少女の口にそれを近づける。少女はどうにか口を開き、差し出されたスプーンをその口に咥えた。
「どう? おいしい?」
 男はニタッとした笑みを少女に向ける。
 男と少女の間には何らの血縁関係もない。しかし男は自分のことを少女の「お母さん」だと言い、また少女にも自分のことをそう呼ばせる。男は少女をこの狭い部屋の中に閉じこめ、こうして日に何度かやってきては彼女の「お世話」をする。それが少女にとって望まれることでないのは彼女の様子や態度を見れば明らかだが、彼女――いや、彼女たちは、その間おとなしくそれに耐えねばならない。
 男がこのようなことを始めたのはいつからだったろう。一緒に暮らしていた女が出ていったのが彼を狂わせるきっかけになったのか、あるいは元々もっていた性質が何かの弾みで顕在化しただけなのか。そのあたりのことは私にはわからない。
 少女は男に無理やり口に入れられた料理を懸命に咀嚼しようとする。が、次の瞬間、少女の背中がびくんと跳ねるように震え、胃の中のものもろとも床に吐き出してしまった。「まあ、ユカ」と男は驚いたような顔をしてみせる。
「本当に、ユカはいけない子ねえ」
 と、男は少女に向かってねっとりとした声で言う。
「こんな悪い子には、たっぷりお仕置きをしてあげないと」
 少女は放心したような表情で男の顔を黙って見上げる。恐怖も、嫌悪も、その虚ろな瞳からは何も読み取れない。そこにあるのはただ、諦めだけだった。
 おそらく彼女も、もう限界なのだろう。きっと近いうちに彼女はここからいなくなる。そしてまた、新しい少女がやってくる。代わりはいくらでもいるのだ。男にとってそれは、壊れたおもちゃを買い替えるのと同じような感覚なのだろう。
「さあ、おいで、ユカ」
 男が少女のやせ細った腕を掴み、ベッドの上に連れていく。と、そこへ、どこからか何か音が聞こえてきた。
 家の呼び鈴が鳴る音だった。