ドッペルゲンガー。
自分自身の姿を自分自身で目撃するという現象。怪奇現象の類として扱われることが多く、死の前兆とも言われる。
自分とは違うもう一人の自分と会ってしまうということ。この世に二人以上の自分が存在しているということ。
――ドッペルゲンガー。
僕は今、そいつと一緒にお花見をしている。
***
「桜、きれいだね」
“僕”が言う。
近所の大きな公園の、「さくら広場」と呼ばれる原っぱにて。そこは名前の通り、まばらに桜の木が植えられており、お花見シーズンになるととても混み合う桜の名所だ。
皆、芝生の上にレジャーシートを敷いたり、折りたたみチェアを置いたりして、ジュースやお酒や団子を片手に桜を見ている。
きれいな青空、時折吹く暖かな春風。
お花見をするには文句なしのシチュエーションなのに、今、僕の目の前には――。
「桜斗、そんなに僕の方を見て、どうかしたの?」
いや、どうしたもなにも。
「なんで目の前に、僕が居るんだよ!」
「桜の季節だからじゃないかな」
「答えになってないよ! どういうこと?」
「さあね」
含みある笑みを浮かべる、“僕”。
そう、僕の目の前に居るのは“僕”だ。折りたたみのアウトドア用チェアに深く腰掛け、足を組んでいる。ちなみに僕は、その前に立って“僕”を見下ろしていた。
全く同じ姿かたち、全く同じ声音、全く同じ服装。僕の複製とでも言いたいくらい、僕と同じ存在がそこに居る。
「ねぇ、キミってドッペルゲンガーってやつじゃないの?」
「どっぺる? なにそれ、聞いたこと無いね」
「とぼけてるだろ、絶対」
こんなに似ていて、……似ているというより同じで、ドッペルゲンガーじゃないってこと、ある!?
心の中でツッコみながら、改めて僕は“僕”を見た。坂﨑桜斗、十七歳、男。バレーボール部所属。どこにでもいる平凡な男子高校生の僕が、何故こんな公園に居るのかと言うと、簡単な話。来週末の家族でのお花見の下見に来たというだけだ。
珍しく今日は部活がオフで、暇を持て余していたから、母に頼まれてフラッと公園に来た。……それだけなのに。
「木の陰から、急にキミが曲がってくるんだもん! びっくりしちゃった!」
「それはこちらのセリフだよ!」
肩を竦める“僕”に対して全力で返す。
「ドッペルゲンガーって、死の前兆とか言われるやつだろ!? ねぇ、僕、死ぬわけ?」
「さあね」
「ねぇぇぇ! こっちとしては深刻な問題なんだけど!」
「そうだね、確かに……天国に行けるか、地獄に堕ちるかは深刻な問題だね」
「そっちじゃねぇぇ!」
僕のツッコミが響き渡る。こいつは一体、なんなんだ? 深刻な問題なのは、生きるか死ぬかの話だろ。
どうやら、ドッペルゲンガーと言っても、“僕”と僕の性格は違うらしい。“僕”は天然ボケって感じで、僕はどちらかというとツッコミ担当だからだ。
「え、じゃあなに。死にたくないってこと?」
「当たり前だよ! 僕そんなに、死にたいほど思い詰めている感じする?」
「いや、全く。でも近ごろの若者はすぐ『死にたい』とか言うからさ」
「偏見甚だしすぎだろっ!」
僕は思わず、ツッコミと同時に目の前の“僕”の頭を叩いた。――いや、叩こうとした。その瞬間。
スカッ。
僕の手は、何も掴まなかった。なにかに触れた感触すら無かった。
「……えっ」
僕はもう一度、“僕”の体に手を伸ばす。肩に触れようとする。もちろん触れない。頭を撫でようとする。もちろん撫でられない。
加えて、“僕”の体が少し半透明のように見えてきた。
「えぇぇぇ! 透けてるんですけどぉぉ!?」
「ふっ、驚いたか、桜斗。これが僕の力だ」
「いや、意味わかんないから。それに僕の名前を、僕の顔と声で呼ぶのやめてくれない?」
「じゃあ、なんと呼べばいいのさ、桜斗」
「だからやめてってば」
話の通じないやつだ。僕はため息をつく。そして諦めてスマホを取り出す。
「検索かけてやる」
「なんて?」
「目の前にウザったいドッペルゲンガーが居ます。どう対処すればいいですか」
「絶対何も出てこないと予想」
僕は検索結果の一番上に出てきた記事をタップした。
「『虫の侵入予防、害虫駆除に! なんでも聞く殺虫スプレー』」
「絶対『対処』のワードに反応しただろ」
「……これ買おうかな」
「僕は害虫じゃないよぉ」
「じゃあやっぱりドッペルゲンガーだろ」
「さあ」
「そうやってはぐらかすところが、怪しいんだって」
今度は、単に「ドッペルゲンガー」と検索してみる。すると。どうやらドッペルゲンガーは霊魂が肉体から分離したものであるらしい、ということが分かった。それに、ドッペルゲンガーと二回遭遇すると、その人は死ぬと言われているということも。
「なるほど。だから僕はキミに触れることができないのかな」
「そういうことかもね」
“僕”が頷く。その瞬間、僕は目の前の“僕”の胸ぐらを掴んでいた。……いや、掴むそぶりをした、だけで終わったけど。
「おい! 頷いたってことは、お前やっぱりドッペルゲンガーじゃないか!」
「さあね。それに僕は肯定したわけじゃないさ。『かもね』って言ったし!」
「そういう問題じゃないだろ。ってことは……僕はもう一度“僕”に会ってしまうと、死ぬってわけか」
「そうかもね」
肩を揺らす“僕”。一体何が面白いんだか。
僕が更になにか言ってやろうと口を開いたとき、“僕”はやんわりと言った。
「それよりさ、今は桜を楽しもうよ」
僕はその優しい声に、思わず黙った。揃って桜の木を見上げる僕ら。
「うーん……まだつぼみがあるね。来週末には満開かな」
「じゃあちょうど」
家族で花見をする頃には、爛漫と咲き誇る桜が見られるだろうか。
「雨、降らないと良いね」
「うん」
「だって家族でお花見だもんね」
「うん……って!」
僕は再び“僕”に向かって叫んだ。
「キミが何故それを知ってるんだよ!」
「だって僕はキミで、キミは僕だからね」
「やっぱりドッペルゲンガーなんじゃないか!」
「さあどうだろうね」
“僕”はフッと笑った。
「この人口の多さだぜ? 一人くらい、全く同じ人間が居てもいいんじゃない?」
「だからそれをドッペルゲンガーって言うんだって!」
なかなかドッペルゲンガーであるということを認めない“僕”。全く、本当になんなんだ。
でも。
「なんかキミ、面白いな」
僕はそう言った。同じ姿かたち、中身は真反対……とまでは行かないけれど、変だし。僕とは違う。
「キミも、十分面白いよ」
“僕”が笑った。
「じゃあそろそろ、僕は帰るよ。今日は下見に来ただけだし」
「じゃあ僕も帰ろうかな」
「ってことで、それ、返して?」
僕は“僕”が座っているチェアを指差す。それは僕が持ってきた物だったのに、桜の下で開いた瞬間、そこに“僕”が座っていて。……要するに、横取りされたものだったのである。
「ああ、ごめんよ」
“僕”がイスから立ち上がった。僕は丁寧にそれを畳んで、持っていた収納袋に入れる。
「じゃ、バイバイ」
僕は“僕”に向かって手を振る。すると、“僕”も鏡写しのように手を振り返してきた。
「うん、またね」
「いや、またねじゃないから」
「え、なんで!?」
「『また』会っちゃったら、僕、死ぬから」
「じゃあ今生の別れか」
「なんか嫌だな、その言い方」
僕は思わず笑う。“僕”も笑っていた。
じゃあ。
声が重なる。
「「バイバイ」」
ふわぁっと風が吹いた。桜の花びらが数枚、僕の目の前を通り過ぎていく。思わず目を瞑り、再び目を開けると――そこには。
「あれ」
“僕”の姿は、跡形もなく消えていた。
透けて触れられない体、飄々とした性格。
桜の木の陰から現れ、花びらとともに去っていったあいつは――。
「桜の木の精、だったりして」
一人でそんなことを思いながら、僕は家路につく。もうすぐで満開の頃を迎えそうな桜たちが、僕の背中を見送っていた。
(了)