星が流れた。
そう思った少しあと、どこかから間抜けなくしゃみが聞こえてきた。
「……ぇくしょい」
「くしゃみって死んだやつがしても意味なくない?」
見ればそばに立っていたのはやっぱり僕のよく知る人で、鼻を拭う寒がりな姿は数十年ぶりに見ても全く変わらなかった。
「ああ、うるせえ」
彼は故人のくせにふてぶてしい態度で、年々寒くなる夜風に耐えるように眉を寄せて言った。
「冬に討伐するんじゃなかったぜ。おかげでこんなくそさみい日にてめえに唾かけにくる羽目に……っくしょ」
「天空の方がよっぽど寒そうだけれど」
「お前のと違って、こっちの闇は暖かいさ。なんせ神が用意してくれた隠居生活だからな」
彼は僕に向けて顎をしゃくる。
僕は、そう、すっかり忘れていた身動きの取れない手足を思い出してちょっと不愉快な気持ちになった。
「神なんて、君のために星に椅子を置いて満足したら放置だろう。人間の大敵を殺した英雄くんは民からの感謝と供物が居心地いいだけなんじゃないのかい」
「まあそう拗ねるな」
僕を討った英雄は何処吹く風で、くたびれたマントを尻に踏んづけながら凍るような地面に胡座をかく。
「お前も出会い頭に俺を殺そうとしたろ。相討ちで痛み分け、イーブンだ」
いけしゃあしゃあと言ってくれるが、死んだ後に文字通り天と地の差があれば痛み分けの理論など全く機能しないのである。
「で……せっかく星と帰ってきたんだろ。僕以外に会いたい人とかいないわけ?」
「とっくにみんな死んだよ。何年経ったと思ってる」
俺も生きてりゃ百歳だしなと英雄は雑に指を折った。
「違うね。九十六だよ。僕たちがこの地で果ててから七十六年が経ったんだ」
「なんでおめーが俺の死んだ歳知ってんだよ」
聞いてもいないのに君がべらべら名乗ったんじゃないか、と僕は言った。
だけど数えたところで虚しいだけだ。この地で彼と同時に命を落とし、魂を縛られて百年近くの年月を過ごせば、すべてが近くて……すべてがはるか遠く。
永久の時間を、怪物は取り残されている。
「まあ、他に俺のことを知ってる知り合いもいねえし、たまには自分で屠った地縛霊の様子も見とくかと思ってさ。間違って蘇ったりしてねえかな、って」
「さすが、規模が違うね。生まれた土地と地続きなら全部故郷か」
「空も寂しいもんだぜ。話し相手もピカピカうるせえ星だけだ」
若い英雄の魂はすっかり星座が板についてしまったらしい。どんな立場に立とうとも孤独からは抜け出せない、なんと苦しい生き物か。
「君さぁ、最近出来た星座の名前、知ってる?」
「あ? 知らない。なんだよ」
「かめむし座。これと並ぶなら君も取るに足らないもんだよね。偉業といってもこんな辺境で僕を倒したことくらいだし仕方ないかな」
「てめー、鼻で笑いやがって。なんで最新のニュースがこんな辺境に入ってきてんだよ」
アハハと我ながら喉の潰れた醜い笑い声が暗い祭壇に反響する。
空気が揺れるほど声を上げたのは久しぶりで、最後が何だったかといえば剣に貫かれた時の断末魔であった。
「人は僕が蘇ることを異様に信じてるけど」
今でも時折、人間が祈りを捧げに祭壇を訪れる。それは英雄に向けるような感謝ではなく、憎しみのこもった封印の祈り。
冷たい火のような、僕に対する罰だ。
「だが死は不可逆だ。僕も……君も。いかに超自然の化け物でもそんなことできるわけがないだろう」
僕の祭壇にどっかり座る英雄は、頬杖をついて僕の言葉を退屈そうな顔で聞いている。僕にそんな生意気な態度をとる人間はこいつくらいだ。
「祭壇、壊してってくれない? それがあるとゆっくり眠れないんだ。恨み言が直接頭に流れてくる感じで」
僕を殺した英雄はひょいと祭壇から降りると、軽快な足取りでさらに僕のところまで下ってきた。
そして、僕を殺した時と同じくらい顔を近付けて言った。
「弱音か? 情けねえ」
低い声が僕の魂にずしんとのしかかる。不思議と、どこか面白がっているようにも聞こえた。
「俺は別に、仇をとるためにお前を倒したんじゃない。指示通りに動いただけだ。お前の腹には二十一人の人が入ってて、そのお前を殺した俺も、二十一人足して一匹殺したのとそう変わらねえよな」
ぶつ、ぶつ、と何か断ち切るような音が耳元に届く。既に屍体もない魂だけの僕は、彼が何をしているのかぼんやりとしか分からない。
英雄は、くるりと自慢の直剣を回して肩に担ぐ。
「だから星にぶら下がるのも甘んじて受け入れた」
「…………」
痛み分けだろ、と歯を見せる彼は朝日と似ている。
二等星の集まりなんかでは勿体ないと思った。
「……また来てもいいよ。どうせ暇だし」
「もう来ねーよ」
そう言ってマントを翻し、英雄はそれらしく歩き出す。
英雄の魂は座へ。
僕は再び、地の眠りへ還った。
君はそれも、誂え向きだと笑うのだろう。