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ギナス

ー/ー



 気がつくと、寺院のような建物の中にいた。

 ここは、モッケ族の里にある大精霊の社だ。

 鈍い痛みが、こめかみの奥に残っている。

 その時、脳内に声が響いた。

 ――あのっ、わ、わたし――だ、大地の大精霊と申しますっ! で、では今一度、聖剣に宿らせていただきますねっ!

 どこか頼りない。けれど、一生懸命な声だった。

 岩の破片で形作られていた狼の姿が、きらめく粒子となって崩れ落ちる。光の砂は、聖剣クトネシスの柄頭に束ねられた被毛へと吸い込まれていった。

 これで、四大精霊はあと一つだ。

 勇斗はゆっくり目を閉じ、ランパの記憶を反芻する。

 特殊なエネルギー核、ラマシル。

 四肢を切断された魔女。

 そして、赤く染まった髪で叫び続けていたランパ。

 思考が絡まり、整理がつかない。呼吸が浅くなる。

「ユート、目が覚めたんスね」

 その声で、ようやく意識が現実へ引き戻された。

 顔を上げると、チカップがすぐそばにしゃがみ込み、こちらを見ていた。額にある金色の第三の目は、コタによく似ている。

「チカップ、ラマシルって知ってる?」

「ラマシル? 何スか、それ?」

 チカップが不思議そうに首を傾げた。

「あ、いや……何でもない。忘れて」

「一体、何を見たんスか?」

「えっと……いろいろ」

「あとで、ちゃんと聞かせてほしいッス」

「うん」

 チカップの言葉が、少しだけ安心をくれた。

 ふと、周囲を見渡す。

「そうだ、ランパは?」

「全然、目を覚まさないッス」

 チカップが振り返る。視線の先には、床に横たわったままのランパの姿があった。小さな体が丸くなっている。

 眠っているようだが、表情は苦しげで、眉根が寄っていた。

「破壊と――創造――うぅっ、ルーク、ルーク――」

 断片的な言葉が漏れ出ている。

 しばらく、そっとしておこう。

 勇斗はゆっくり立ち上がった。

 振り返ると、ソーマがこちらを見ていた。どこか怯えているように見える。

「あれ、ミュールは?」

「ユートが目を覚ます前に、外へ出ていったッス。里を見て回ってくるって」

 チカップの声が少し沈む。唇をきゅっと結び、そのまま黙り込んだ。

「チカップ、ランパをお願い」

 勇斗は建物の外へ向かって歩き出した。


 冷たい風が吹いていた。

 空を仰ぐと、二つの月が浮かんでいる。青白い光が、静かに大地を照らしていた。

 廃墟となったモッケ族の里も、月明かりの下ではどこか幻想的に見えた。

 骨組みだけが残った家屋。崩れた塀。風に揺れる草。すべてが、ただ静かだった。

 広場にたどり着く。

 ミュールは一人、腰を下ろしていた。その隣には、白い犬が寄り添っている。

 ミュールの手が、犬の頭をやさしく撫でていた。

「ミュール、こんなところにいたんだ。その犬は?」

 勇斗がそっと声をかける。

「こいつ、ひとりぼっちみたいでさ。親も兄弟も、みんな死んじまったらしい」

 ミュールの声は低く、淡々としていた。

「ほら、いけよ。達者でな」

 犬は一声、ワンと鳴いた。ミュールの頬をぺろりと舐めると、くるりと背を向けて走り去っていく。

「オレもアイツも、同じだな」

 ぽつりと漏れた声が、月明かりに溶けた。

「ユート、座れよ」

 促されるまま、勇斗はミュールの隣に腰を下ろした。

 ふと、ミュールが朽ちた家のひとつを指差す。もはや原型をほとんど留めていなかった。

「あれ、オレの家。めちゃくちゃだよな。何もかも、失っちまった」

 ミュールは空を仰いだ。

「二人きりなの、見張りの塔以来だな。あの時も、月が出てたっけ?」

「うん。よく覚えてる」

「ビラード、飲んだよな」

「うん。初めてお酒を飲んだ」

「じーちゃんの稽古、大変だったよな」

「うん。きつかった」

「あれから、あっという間だったな。ユートはどんどん強くなっていった。チビスケも、チカップも強くなってる。それに比べて、オレは――」

 虚ろな眼差しが、遠くの一点をぼんやり見つめる。

「なんてな。こんなしけた面してたらチビスケに笑われちまう。さっさと山を下りて、最後の大精霊のところに行こうぜ。あ、その前にメシ作ってやんないとな。あいつ、うるさいからな」

 白い歯を見せて、ミュールは人懐っこい笑顔を浮かべた。

「ミュール、きみは――」

 声をかけようとした、その瞬間だった。

 ぴきっ、と何かを裂くような音が空気を震わせた。直後、悲鳴のような獣の声が闇の中から響く。

 風向きが変わる。木々がざわめいた。

 足音がする。誰か来る。

「チッ、めんどくせぇ命令だぜ」

 低く濁った声が、闇の向こうから響いた。

 風が止む。月明かりが、ふっと陰る。

 ぼさっ、と赤い塊が勇斗たちの目の前に落ちてきた。

 さっきの犬だった。もう動かない。

 ミュールは両肩をぶるぶると震わせていた。目つきは刃物のように鋭く、尻尾が逆立っている。

「よぉ。テメェが今の勇者か? ……へぇ。思ったより、ずいぶん小せぇな」

 闇の中から現れたのは、漆黒の鱗に覆われた巨体だった。二メートルを優に超える竜人型の魔族。その口にはグランデサイズの葉巻が咥えられ、白煙がゆらゆらと揺れている。

 黄色い目が、冷たく鋭く勇斗を射抜いていた。

「お前は――」

 勇斗は聖剣クトネシスの柄に手をかける。

 竜人型の魔族は唇の端を吊り上げ、口から煙を吐き出した。

「オレ様はギナス。魔神の直属ってやつだ」

 声は低く、地鳴りのように響いた。

「そんなに怖い顔をするなよ。今日はただのお遊びだ。勇者の力を見てこいって言われてな。殺しはしねぇよ」

 ギナスは葉巻を咥え直す。

「さて、新しい勇者の力とやらを見せてもらおうか。ガッカリさせんなよ? それじゃあ――」

 言い終わる前に、ミュールの姿が視界から消えた。

「貴様ぁぁぁぁッ!!」

 怒りに染まった咆哮が広場を揺らす。ミュールは野獣のように跳びかかっていた。

 連撃。嵐のような打撃がギナスへ叩き込まれる。

「何だァ、テメェ?」

 だがギナスは動じない。ミュールの猛攻を軽々といなし、まるで子どもの暴れをあしらうように受け流していく。

「ガロの……ガロの仇ッ――!」

「ガロ? 誰だそりゃ? 弱ぇやつの名前なんざ、覚えちゃいねぇんでな」

「うおおおおおッ!!」

 ミュールが咆哮する。重心を落とし、鋭い突きをギナスの腹へ突き刺した。続けざまに回転し、顎を狙って蹴りを叩き込む。

 火花のような連撃が、ギナスの肉体へ打ち込まれていく。

「ぬぅ――」

 ギナスの顔が、わずかに歪んだ。

「うおおおおおっ!!」

 飛び上がったミュールが、渾身の拳をギナスの頭へ叩きつけようとする。

「スマートじゃねぇな。隙だらけだぞ」

 ギナスはその拳を、右手であっさり受け止めた。まるで動じていない。

「なっ――!」

 次の瞬間、ギナスの左手がミュールの顎を突き上げた。ばきり、と鈍い音が鳴る。ミュールの体が空中で仰け反った。

「ふんっ」

 体をひねったギナスの尾が唸る。

 鉄の棍棒のような一撃が、ミュールの胴へ叩き込まれた。

「がはっ――!」

 血を吐きながら吹き飛んだミュールを、ギナスは空中で掴む。足首を握ったまま、その体を勢いよく地面へ振り下ろした。

 地響き。砕ける音。

「うぐっ、ぁ――」

 ミュールは仰向けのまま痙攣していた。

 ギナスの鉤爪が振り下ろされる。寸前、ミュールの体がわずかにずれた。

 どず、と鈍く重い音が響く。

 ギナスの爪は、ミュールの胸へ深々と突き刺さっていた。

「――急所を狙ったはずだが、まぁいい」

 ギナスは不機嫌そうに爪を引き抜いた。鮮血が噴き出す。

「雑魚にしては、まぁまぁの動きだったぜ」

 そう呟くと、ギナスは片腕でミュールを持ち上げ、広場の端へ無造作に放り捨てた。まるでゴミを捨てるような手つきだった。

「ミ、ミュールゥゥゥゥッ!」

 勇斗は絶叫し、地を蹴った。

 地面に転がったミュールの胸には、拳ほどの穴が空いていた。流れ出た血は赤ではない。黒く濁り、泥のように胸元を汚している。呼吸は浅く、ひゅうひゅうと空気の漏れる音がした。

「ミュール、しっかり!」

 駆け寄った勇斗へ、ミュールがかすかに目を向ける。だが焦点が合っていない。血の混じった涎が口の端から垂れ、唇は青白く震えていた。

 勇斗が触れた瞬間、ミュールの体がびくりと跳ねた。喉の奥から絞り出すような声が漏れる。だが、それは言葉にならなかった。

 まずい。このままじゃ。

「おいおい、仲間の心配か? 優しいねぇ」

 侮蔑を浮かべたまま、ギナスがゆっくり歩いてくる。

「でもな、優しさなんて戦場には不要だ。あいつはもうすぐ死ぬ。助かりはしねぇよ」

 ギナスの口から、白煙がふっと漏れた。

「くっ――」

 勇斗は黙ってドラシガーを取り出す。火をつけ、咥える。

「ほう、テメェも吸うのか。しかもグランデサイズじゃねぇか」

 ギナスは鋭い牙を剥き、にやりと笑った。

「でかい葉巻が象徴するのは――力、知恵、そしてリーダーシップだ。テメェ、その葉巻に見合うだけの器があるのか?」

 自分はそんな器じゃない。でも――

 勇斗は聖剣クトネシスを抜き、構えた。

「さあ、どれだけやれるか見せてみろ。オレ様を楽しませてくれっ!」

 高らかな叫びとともに、ギナスの両腕が左右へ広がる。背中の翼も、ばさりと音を立てて大きく開いた。

 衝撃波。風圧。大地が軋み、石が弾ける。

 頭の中がざわめく。逃げるか。戦うか。

 答えは、考える前に決まっていた。

 逃げ切れる保証はない。それでも、勝つしかない。

 一瞬だけミュールへ目を向ける。

 長くはもたない。急いでギナスを倒し、ランパに治してもらわなければならない。

 勇斗は大きく息を吸い込み、口の隙間から煙を吐き出した。

 斬る――!

 緑の煙をまとい、一直線に跳ぶ。炎の精霊術をまとわせた剣を、ギナスの胸元へ叩き込んだ。

 がんっ、と金属が軋むような音が鳴る。

 勇斗は目を見開いた。

「まだ似合ってねぇな、その煙は」

 ギナスが、炎をまとった剣を片手で受け止めていた。涼しい顔のまま。

 勇斗は息を呑む。

 信じられない。全力で斬りかかったはずなのに。

「この程度でオレ様を傷つけられると思うなよ?」

 ギナスの指先が動く。

 ぎり、ぎちぎち、と不快な軋み音が響いた。

 まさか。

「聖剣とやらも、大したことねぇな」

 わずかな力が、その指先にこもる。

 甲高い破裂音が、夜空に響いた。

 聖剣クトネシスの刃が、真っ二つに折れた。


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 気がつくと、寺院のような建物の中にいた。
 ここは、モッケ族の里にある大精霊の社だ。
 鈍い痛みが、こめかみの奥に残っている。
 その時、脳内に声が響いた。
 ――あのっ、わ、わたし――だ、大地の大精霊と申しますっ! で、では今一度、聖剣に宿らせていただきますねっ!
 どこか頼りない。けれど、一生懸命な声だった。
 岩の破片で形作られていた狼の姿が、きらめく粒子となって崩れ落ちる。光の砂は、聖剣クトネシスの柄頭に束ねられた被毛へと吸い込まれていった。
 これで、四大精霊はあと一つだ。
 勇斗はゆっくり目を閉じ、ランパの記憶を反芻する。
 特殊なエネルギー核、ラマシル。
 四肢を切断された魔女。
 そして、赤く染まった髪で叫び続けていたランパ。
 思考が絡まり、整理がつかない。呼吸が浅くなる。
「ユート、目が覚めたんスね」
 その声で、ようやく意識が現実へ引き戻された。
 顔を上げると、チカップがすぐそばにしゃがみ込み、こちらを見ていた。額にある金色の第三の目は、コタによく似ている。
「チカップ、ラマシルって知ってる?」
「ラマシル? 何スか、それ?」
 チカップが不思議そうに首を傾げた。
「あ、いや……何でもない。忘れて」
「一体、何を見たんスか?」
「えっと……いろいろ」
「あとで、ちゃんと聞かせてほしいッス」
「うん」
 チカップの言葉が、少しだけ安心をくれた。
 ふと、周囲を見渡す。
「そうだ、ランパは?」
「全然、目を覚まさないッス」
 チカップが振り返る。視線の先には、床に横たわったままのランパの姿があった。小さな体が丸くなっている。
 眠っているようだが、表情は苦しげで、眉根が寄っていた。
「破壊と――創造――うぅっ、ルーク、ルーク――」
 断片的な言葉が漏れ出ている。
 しばらく、そっとしておこう。
 勇斗はゆっくり立ち上がった。
 振り返ると、ソーマがこちらを見ていた。どこか怯えているように見える。
「あれ、ミュールは?」
「ユートが目を覚ます前に、外へ出ていったッス。里を見て回ってくるって」
 チカップの声が少し沈む。唇をきゅっと結び、そのまま黙り込んだ。
「チカップ、ランパをお願い」
 勇斗は建物の外へ向かって歩き出した。
 冷たい風が吹いていた。
 空を仰ぐと、二つの月が浮かんでいる。青白い光が、静かに大地を照らしていた。
 廃墟となったモッケ族の里も、月明かりの下ではどこか幻想的に見えた。
 骨組みだけが残った家屋。崩れた塀。風に揺れる草。すべてが、ただ静かだった。
 広場にたどり着く。
 ミュールは一人、腰を下ろしていた。その隣には、白い犬が寄り添っている。
 ミュールの手が、犬の頭をやさしく撫でていた。
「ミュール、こんなところにいたんだ。その犬は?」
 勇斗がそっと声をかける。
「こいつ、ひとりぼっちみたいでさ。親も兄弟も、みんな死んじまったらしい」
 ミュールの声は低く、淡々としていた。
「ほら、いけよ。達者でな」
 犬は一声、ワンと鳴いた。ミュールの頬をぺろりと舐めると、くるりと背を向けて走り去っていく。
「オレもアイツも、同じだな」
 ぽつりと漏れた声が、月明かりに溶けた。
「ユート、座れよ」
 促されるまま、勇斗はミュールの隣に腰を下ろした。
 ふと、ミュールが朽ちた家のひとつを指差す。もはや原型をほとんど留めていなかった。
「あれ、オレの家。めちゃくちゃだよな。何もかも、失っちまった」
 ミュールは空を仰いだ。
「二人きりなの、見張りの塔以来だな。あの時も、月が出てたっけ?」
「うん。よく覚えてる」
「ビラード、飲んだよな」
「うん。初めてお酒を飲んだ」
「じーちゃんの稽古、大変だったよな」
「うん。きつかった」
「あれから、あっという間だったな。ユートはどんどん強くなっていった。チビスケも、チカップも強くなってる。それに比べて、オレは――」
 虚ろな眼差しが、遠くの一点をぼんやり見つめる。
「なんてな。こんなしけた面してたらチビスケに笑われちまう。さっさと山を下りて、最後の大精霊のところに行こうぜ。あ、その前にメシ作ってやんないとな。あいつ、うるさいからな」
 白い歯を見せて、ミュールは人懐っこい笑顔を浮かべた。
「ミュール、きみは――」
 声をかけようとした、その瞬間だった。
 ぴきっ、と何かを裂くような音が空気を震わせた。直後、悲鳴のような獣の声が闇の中から響く。
 風向きが変わる。木々がざわめいた。
 足音がする。誰か来る。
「チッ、めんどくせぇ命令だぜ」
 低く濁った声が、闇の向こうから響いた。
 風が止む。月明かりが、ふっと陰る。
 ぼさっ、と赤い塊が勇斗たちの目の前に落ちてきた。
 さっきの犬だった。もう動かない。
 ミュールは両肩をぶるぶると震わせていた。目つきは刃物のように鋭く、尻尾が逆立っている。
「よぉ。テメェが今の勇者か? ……へぇ。思ったより、ずいぶん小せぇな」
 闇の中から現れたのは、漆黒の鱗に覆われた巨体だった。二メートルを優に超える竜人型の魔族。その口にはグランデサイズの葉巻が咥えられ、白煙がゆらゆらと揺れている。
 黄色い目が、冷たく鋭く勇斗を射抜いていた。
「お前は――」
 勇斗は聖剣クトネシスの柄に手をかける。
 竜人型の魔族は唇の端を吊り上げ、口から煙を吐き出した。
「オレ様はギナス。魔神の直属ってやつだ」
 声は低く、地鳴りのように響いた。
「そんなに怖い顔をするなよ。今日はただのお遊びだ。勇者の力を見てこいって言われてな。殺しはしねぇよ」
 ギナスは葉巻を咥え直す。
「さて、新しい勇者の力とやらを見せてもらおうか。ガッカリさせんなよ? それじゃあ――」
 言い終わる前に、ミュールの姿が視界から消えた。
「貴様ぁぁぁぁッ!!」
 怒りに染まった咆哮が広場を揺らす。ミュールは野獣のように跳びかかっていた。
 連撃。嵐のような打撃がギナスへ叩き込まれる。
「何だァ、テメェ?」
 だがギナスは動じない。ミュールの猛攻を軽々といなし、まるで子どもの暴れをあしらうように受け流していく。
「ガロの……ガロの仇ッ――!」
「ガロ? 誰だそりゃ? 弱ぇやつの名前なんざ、覚えちゃいねぇんでな」
「うおおおおおッ!!」
 ミュールが咆哮する。重心を落とし、鋭い突きをギナスの腹へ突き刺した。続けざまに回転し、顎を狙って蹴りを叩き込む。
 火花のような連撃が、ギナスの肉体へ打ち込まれていく。
「ぬぅ――」
 ギナスの顔が、わずかに歪んだ。
「うおおおおおっ!!」
 飛び上がったミュールが、渾身の拳をギナスの頭へ叩きつけようとする。
「スマートじゃねぇな。隙だらけだぞ」
 ギナスはその拳を、右手であっさり受け止めた。まるで動じていない。
「なっ――!」
 次の瞬間、ギナスの左手がミュールの顎を突き上げた。ばきり、と鈍い音が鳴る。ミュールの体が空中で仰け反った。
「ふんっ」
 体をひねったギナスの尾が唸る。
 鉄の棍棒のような一撃が、ミュールの胴へ叩き込まれた。
「がはっ――!」
 血を吐きながら吹き飛んだミュールを、ギナスは空中で掴む。足首を握ったまま、その体を勢いよく地面へ振り下ろした。
 地響き。砕ける音。
「うぐっ、ぁ――」
 ミュールは仰向けのまま痙攣していた。
 ギナスの鉤爪が振り下ろされる。寸前、ミュールの体がわずかにずれた。
 どず、と鈍く重い音が響く。
 ギナスの爪は、ミュールの胸へ深々と突き刺さっていた。
「――急所を狙ったはずだが、まぁいい」
 ギナスは不機嫌そうに爪を引き抜いた。鮮血が噴き出す。
「雑魚にしては、まぁまぁの動きだったぜ」
 そう呟くと、ギナスは片腕でミュールを持ち上げ、広場の端へ無造作に放り捨てた。まるでゴミを捨てるような手つきだった。
「ミ、ミュールゥゥゥゥッ!」
 勇斗は絶叫し、地を蹴った。
 地面に転がったミュールの胸には、拳ほどの穴が空いていた。流れ出た血は赤ではない。黒く濁り、泥のように胸元を汚している。呼吸は浅く、ひゅうひゅうと空気の漏れる音がした。
「ミュール、しっかり!」
 駆け寄った勇斗へ、ミュールがかすかに目を向ける。だが焦点が合っていない。血の混じった涎が口の端から垂れ、唇は青白く震えていた。
 勇斗が触れた瞬間、ミュールの体がびくりと跳ねた。喉の奥から絞り出すような声が漏れる。だが、それは言葉にならなかった。
 まずい。このままじゃ。
「おいおい、仲間の心配か? 優しいねぇ」
 侮蔑を浮かべたまま、ギナスがゆっくり歩いてくる。
「でもな、優しさなんて戦場には不要だ。あいつはもうすぐ死ぬ。助かりはしねぇよ」
 ギナスの口から、白煙がふっと漏れた。
「くっ――」
 勇斗は黙ってドラシガーを取り出す。火をつけ、咥える。
「ほう、テメェも吸うのか。しかもグランデサイズじゃねぇか」
 ギナスは鋭い牙を剥き、にやりと笑った。
「でかい葉巻が象徴するのは――力、知恵、そしてリーダーシップだ。テメェ、その葉巻に見合うだけの器があるのか?」
 自分はそんな器じゃない。でも――
 勇斗は聖剣クトネシスを抜き、構えた。
「さあ、どれだけやれるか見せてみろ。オレ様を楽しませてくれっ!」
 高らかな叫びとともに、ギナスの両腕が左右へ広がる。背中の翼も、ばさりと音を立てて大きく開いた。
 衝撃波。風圧。大地が軋み、石が弾ける。
 頭の中がざわめく。逃げるか。戦うか。
 答えは、考える前に決まっていた。
 逃げ切れる保証はない。それでも、勝つしかない。
 一瞬だけミュールへ目を向ける。
 長くはもたない。急いでギナスを倒し、ランパに治してもらわなければならない。
 勇斗は大きく息を吸い込み、口の隙間から煙を吐き出した。
 斬る――!
 緑の煙をまとい、一直線に跳ぶ。炎の精霊術をまとわせた剣を、ギナスの胸元へ叩き込んだ。
 がんっ、と金属が軋むような音が鳴る。
 勇斗は目を見開いた。
「まだ似合ってねぇな、その煙は」
 ギナスが、炎をまとった剣を片手で受け止めていた。涼しい顔のまま。
 勇斗は息を呑む。
 信じられない。全力で斬りかかったはずなのに。
「この程度でオレ様を傷つけられると思うなよ?」
 ギナスの指先が動く。
 ぎり、ぎちぎち、と不快な軋み音が響いた。
 まさか。
「聖剣とやらも、大したことねぇな」
 わずかな力が、その指先にこもる。
 甲高い破裂音が、夜空に響いた。
 聖剣クトネシスの刃が、真っ二つに折れた。