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モッケ族の里

ー/ー



 巨大スライムを倒した勇斗たちは、消えたミュールを探していた。

「ランパ、大丈夫?」

「んー。まだちょっとふらふらするけど、平気。ユートのおかげだな」

 ランパはルンルンとスキップをした。

「ソーマ、さっきからずっと黙ってるけど、大丈夫っスか?」

 チカップが心配そうに声をかけると、ソーマの肩がわずかに震えた。

「何でもありませんわ。さぁ、ミュールさんを探しましょう」

 口調こそ明るいが、その表情は引きつり、笑顔がどこか噛み合っていなかった。

「そういうチカップこそ、大丈夫?」

 勇斗は小さな声で問いかけた。

 自分はドラシガーの力で何とか回復できたが、チカップはランパの精霊術で応急処置を受けただけだ。体力は限界に近いだろう。

「どこかに休める場所があればいいんだけどなぁ」

 ランパが額に手を当て、遠くを見渡した。

 気づけば、空はオレンジ色に染まっていた。

「おっ、あれは!」

 突然、ランパが走り出した。

「おーい、ワンコー!」

 湿地帯を抜けた先にある大岩に、ミュールはもたれて座っていた。全身に浴びた血で、顔まで赤黒く染まっている。ガントレットの爪先からは、血がぽたぽたと滴り落ちていた。

 勇斗たちはミュールに歩み寄った。

「ワンコー! 探してたんだぞ! オイラ腹へった!」

「チビスケ。ユートたちも無事だったか」

 息を荒くしながら、ミュールが掠れた声で言った。

「ミュール、その血は? まさか、魔族と戦っていたの?」

「あぁ。でかいのと小さいの合わせて二十匹は仕留めたかな。そっちは?」

「大きなスライムを倒した。僕は大丈夫だけど、チカップがそろそろ限界みたい」

 肩で息をしているチカップを見やり、勇斗は唇を噛んだ。

「どこか、休めるところ知らない?」

「休む? 今はそんな暇ないだろ。……さっさとカルント山へ行くぞ」

 ミュールは立ち上がり、地面に転がっていたリュックを背負った。

「どうしたんだよ、そんなに焦って。ワンコらしくないぞ?」

「チビは黙ってろ」

 ミュールが鋭い声で言い放つ。

「チカップが倒れてもいいのかよ!」

 ランパは声を荒げた。

「オイラの精霊術は、ペックみたいに一瞬で治るもんじゃねーんだ!」

「じゃあ、もっと強い精霊術が使えるように修行したらいいだけだろ!」

「なんだとー」

 張り詰めた空気の中で、二人の言い争いはどんどん過熱していく。

 勇斗は眉間に深くしわを寄せ、頬を紅潮させた。

「もうっ! 二人とも、やめてよっ!」

 誰かが倒れるのは、もう見たくない。

 ランパとミュールが目を見開き、動きを止めた。

 凍りついたような沈黙。

 生まれて初めて人前で怒鳴った。胸がざわつき、喉がからからに渇いている。

「ご、ごめん」

 肩をぎゅっとすぼめたランパがぽつりと呟く。

「オレも、悪かった」

 ミュールは深い息を吐いた。

 静かに時が流れる。

 やがて、ミュールの口が開いた。

「――この先に、狩人たちが使う小屋がある。そこで休もう。チカップ、まだ歩けるか?」

「へ、平気っス。ありがとう、ミュール」

 チカップが小さく微笑むと、ミュールは小さくうなずいた。

 ミュールの目はどこか寂しげだった。

 勇斗は静かに息をつき、二人を見つめた。

 空はわずかに曇り、やがて小雨が降ってきた。
 
 
 小屋で一夜を明かした勇斗たちは、カルント山を目指して歩き始めた。

 雨は止んでいた。雲の隙間から光がわずかに差している。

 無言の時間が続く。誰も余計な言葉を挟まない。何だか、胸の奥が落ち着かない。

 一時間ほど歩いた頃、彼方に鋭くそびえ立つ山の姿が現れた。山肌は薄い霧に包まれ、雲と溶け合うようにぼやけている。ひんやりとした風が吹き抜け、頬をかすめた。

 カルント山は、まるで息を潜めるかのように重苦しい静寂に包まれていた。鳥のさえずりも、獣の唸り声も聞こえない。ただ、霧がわずかに流れ、葉が擦れるかすかな音だけが耳を通り抜けていく。足元は徐々に冷たくなり、山道を進むにつれて気温が下がっていくのを感じた。

 やがて、崖上の細い小道に出た。

 足元の崖下から、水が滝のように勢いよく流れる音が響いてくる。霧に包まれた谷底は見えず、音だけが不気味に反響していた。
 
 ミュールが、突然足を止めた。

「どうした、ワンコ」

 ランパが声を曇らせた。

 ミュールは短く首を振った。

「――何でもない。……進むぞ。里の入り口まで、もうすぐだ」

 さらに進むと、かつて立派な門があったことを示す巨大な石柱が現れた。

 石柱を越えた先に広がっていたのは、廃墟と化した集落だった。家屋は焼け落ち、瓦礫と化している。壁が半壊し、骨組みだけが残る家がいくつも並ぶ。

「ここが、モッケ族の里。ミュールの故郷――」

 視線を横に向けると、ミュールがその場で膝をつき、崩れ落ちていた。ぽかんと口を開けたまま、言葉を失い、その光景を見つめていた。

 重い沈黙が流れた。

 しばらくすると、ミュールがふらりと立ち上がった。

「地の大精霊の封印は、里の奥地にある。行こう」

 ミュールはかすれた声で言うと、焼け焦げた廃墟の中をゆっくりと進んでいった。

 その後ろ姿は、どこか小さく、儚かった。

 集落を抜けると、険しい石段が現れた。

 石段を登りきると、屋根瓦と重厚な石造りが調和した寺院のような建物が目の前に現れた。入り口の両脇にぽつんと佇んでいる石灯籠が、静寂の中で、取り残されたように火を灯していた。

「地の大精霊は、大地の母みたいなもんなんだ」

 重厚な木扉を開けたミュールが、ぽつりと語り始めた。

「命を与え、育み、そして戻してくれる存在。狩りに出る前は祈りを捧げ、狩りから帰ったら感謝を捧げる。それが俺たちモッケ族の、ずっと続いてきた習わしだ」

 建物を奥へと進む。滑らかな石畳を踏みしめる音だけが響き、息をする音すら重苦しく聞こえるほどの静寂が支配する。

 やがて、大広間にたどり着いた。

 広間の中央には巨大な岩塊が置かれていた。苔や蔓植物が全体を覆い尽くしている。

 勇斗が岩に手を触れた瞬間、脳内に優しく温かみのある声が響いた。

 ――記憶を。

 岩は音もなく崩れ、破片が浮き上がる。ふわりと破片が集まり、小さな狼のシルエットを形作る。

 柔らかな光が放たれる。

 勇斗とランパは、同時にその場に崩れ落ちた。
 
 ◆

 視界に浮かび上がる淡い映像。広い雪原が映し出される。

 ランパの記憶――見るのはこれで三回目だ。

 大きな狼の姿をした始祖精霊レブンの背中に、ランパが乗っていた。レタからもらった弁当をもぐもぐと食べている。

「ルーク、レタを助けに行くんだってな。会ったばかりの人を助けるなんて、オイラにはよくわからない」

「ランパ、人を助けたいという気持ちに、理由はいらないんだ」

「うーん、オイラにゃ難しいぞ」

「いつか、わかるよ」

 ランパはちらりと横目でルークを見た。

 ルークは寒空の下、上半身裸で突きや蹴りを繰り返していた。

「おーい、ルーク。何で剣の練習じゃないんだ?」

 ランパが目を細めながら声をかけた。

「魔女はどんな妖しげな術を使ってくるかわからない。剣を封じられても戦えるように、鍛えている」

「慎重だなぁ」

「コタの助言さ」

「ルーク、いい型をしているね。それは我流かい?」

 レブンが、ランパを背に乗せたまま、のしのしとルークに近づいた。

「我流というか、いろんな技を混ぜて自分なりに組み立てたものさ」

「いい動きだ。オレも試してみようかな」

 レブンは器用に二本足で立ち上がり、前足をひゅんひゅんと振った。

「わっ!」

 バランスを崩し、ランパが転げ落ちた。雪に顔面がめり込む。

「二本足で立つって難しいや。いいなぁ、人間は。こんな動きができて」

 レブンはふっと笑い、すぐに前足を地につけて大きなあくびをした。

「ルーク、大変だ! 魔族がきた! 熊みたいなやつ!」

 ランパが慌てて叫ぶ。

「よし。剣なしでどこまでやれるか試してみるか」

 熊のような魔族が咆哮を上げ、雪をかき分けながらルーク目掛けて突進した。
 
 ルークは冷静にステップを踏み、鋭い拳を魔族の顎に打ちつける。
 
 反撃に出ようとした魔族の腕を取り、背負い投げで地面に叩きつけた。

 大地が揺れ、魔族は動かなくなった。

「やっぱすげぇな。オイラもルークみたいに強くなりたい」

「なれるよ、ランパなら」

 ルークは、口角を上げた。
 

 急に場面が切り替わった。深い森の中だった。

 剣を納めたルークの傍で、魔族は抵抗らしい抵抗もできず消えていった。

 ルークの口から淡い緑色の煙が勢いよく吐き出された。

「ドラシガーを吸うと、体の奥からどんどん力が湧いてくる。これは一体、何なのだろうな」

 ルークがぼそりとつぶやくと、頭上から柔らかな羽音が響いた。

「そのことについて、お話ししましょう」

 巨大なフクロウの姿をした始祖精霊コタが、ふわりと舞い降りてくる。

「コタ、知っているのか?」

「ええ。あなたが戦っている間や眠っている間に、この第三の目で少し、覗かせてもらいました」

 コタの額についている金色の目が輝いた。

「趣味が悪いな」

「ホッ! 誤解です! やましいことなんて、何ひとつ!」

 コタの首が忙しなく回転する。

 ルークはわずかに口元を緩めた。

「冗談だよ。教えてくれ」

「正直、私にもまだよくわかっていない部分があるのですが」

 コタは羽を畳み、ルークに視線を向けた。

「あなたの体内には、心臓とは別に、核のようなものが存在しています」

「核?」

「ええ。私はそれを――『ラマシル』と名付けました。あなたの胸腔に宿っていた、その蒼白い核。もともとは、肉体の自然治癒力を飛躍的に高める装置のようです。さらに、ドラシガーによって取り込まれた高濃度のマナを変換し、身体能力までも強化していた。――まさに、生き延びるために備わった力、というべきでしょうね」

「そんなものが、私の中にあるなんて。凄いな」

「ええ、でも」

 コタの羽が鋭くルークに向けられる。

「注意してください。ラマシルは、その、どうも万能というわけではなさそうです。過剰に活性化させると、体への負荷が極端に増して、制御が難しくなるようで」

「確かに、ドラシガーを一気に吸ったとき、少し立ちくらみを感じたことがある」

「それが兆候です。限界を超えてマナを取り込みすぎると、暴走してしまうかもしれません。最悪の場合――自分自身を内側から壊してしまう可能性すらあります」

 コタは小さく肩を落とし、言葉を続けた。

「私も、ラマシルの全てを理解しているわけではありません。でも、ひとつだけ言えるのは――その力は、素晴らしくも恐ろしいものです。どう向き合うか、どう使いこなしていくか。それは、あなた次第です」

「なるほどね」
 
 ルークは、ドラシガーの先端から立ち昇る緑の煙をじっと見つめた。
 

 視界が歪み、ざらついたノイズの中で、場面が切り替わる。

 どこかの神殿だろうか。紫炎の明かりが揺らめく、広い空間。その中心に、直径三メートルほどの八角形の石台が鎮座している。

 濃密な瘴気が渦巻く中、魔女が不気味に口角を吊り上げていた。

「イーヒッヒッ! さすがは、勇者ルーク。このアタシの幻術を破るとは、たいしたもんだよ」

 八角形の石台の上で、魔女がガラガラと割れた声で嗤う。顔の皮膚がただれ、白い髪はぼろぼろと抜け落ちていた。

 ルークの手が震える。

「黙れ、この下衆が」

 一歩踏み込み、剣閃が走る。魔女の左腕が切り飛ばされた。

「イヒッ、イヒヒヒッ! 痛くもかゆくもないよ。だって、もうとっくに壊れてるんだからねぇ」

 痩せ細った体をくねらせ、四肢を欠いたまま這っている。その動きはまるで芋虫のようだった。

「あの娘の全てを奪ってやったよ。ざまぁないねぇ」

「黙れ」

 魔女の胸元に、銀の光が閃いた。聖剣クトネシスが突き立てられる。

 魔女の瞳が見開かれた。数度、身体が痙攣し、身体中から黒い煙が噴き上がる。

「イヒ、ヒ――」

 まだ笑おうとする魔女の口元を見て、ルークは刃を深く突き込んだ。

 魔女の身体が崩れ、闇に溶けていく。八角形の石台の上には、おびただしい量の血だけが残った。

「どこだ、レタ!」

 ルークが叫ぶ。

 ランパは、異常なほど取り乱しているルークの姿を呆然と見つめていた。
 

 場面が切り替わる。

 映像が不安定に揺れる。
 
 ノイズ混じりの視界。
 
 赤い光がチラつく。

 炎に包まれた空間。
 
 その中心に、ランパが立っていた。

 緑だった髪は赤に染まり、目は虚ろで焦点が定まらない。

 ランパが絶叫する。

 視界が歪む。

 赤と黒が点滅する。

 耳鳴りのようなノイズ音が、頭の奥でビリビリと響く。

 映像は唐突に、プツンと切れた。


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 巨大スライムを倒した勇斗たちは、消えたミュールを探していた。
「ランパ、大丈夫?」
「んー。まだちょっとふらふらするけど、平気。ユートのおかげだな」
 ランパはルンルンとスキップをした。
「ソーマ、さっきからずっと黙ってるけど、大丈夫っスか?」
 チカップが心配そうに声をかけると、ソーマの肩がわずかに震えた。
「何でもありませんわ。さぁ、ミュールさんを探しましょう」
 口調こそ明るいが、その表情は引きつり、笑顔がどこか噛み合っていなかった。
「そういうチカップこそ、大丈夫?」
 勇斗は小さな声で問いかけた。
 自分はドラシガーの力で何とか回復できたが、チカップはランパの精霊術で応急処置を受けただけだ。体力は限界に近いだろう。
「どこかに休める場所があればいいんだけどなぁ」
 ランパが額に手を当て、遠くを見渡した。
 気づけば、空はオレンジ色に染まっていた。
「おっ、あれは!」
 突然、ランパが走り出した。
「おーい、ワンコー!」
 湿地帯を抜けた先にある大岩に、ミュールはもたれて座っていた。全身に浴びた血で、顔まで赤黒く染まっている。ガントレットの爪先からは、血がぽたぽたと滴り落ちていた。
 勇斗たちはミュールに歩み寄った。
「ワンコー! 探してたんだぞ! オイラ腹へった!」
「チビスケ。ユートたちも無事だったか」
 息を荒くしながら、ミュールが掠れた声で言った。
「ミュール、その血は? まさか、魔族と戦っていたの?」
「あぁ。でかいのと小さいの合わせて二十匹は仕留めたかな。そっちは?」
「大きなスライムを倒した。僕は大丈夫だけど、チカップがそろそろ限界みたい」
 肩で息をしているチカップを見やり、勇斗は唇を噛んだ。
「どこか、休めるところ知らない?」
「休む? 今はそんな暇ないだろ。……さっさとカルント山へ行くぞ」
 ミュールは立ち上がり、地面に転がっていたリュックを背負った。
「どうしたんだよ、そんなに焦って。ワンコらしくないぞ?」
「チビは黙ってろ」
 ミュールが鋭い声で言い放つ。
「チカップが倒れてもいいのかよ!」
 ランパは声を荒げた。
「オイラの精霊術は、ペックみたいに一瞬で治るもんじゃねーんだ!」
「じゃあ、もっと強い精霊術が使えるように修行したらいいだけだろ!」
「なんだとー」
 張り詰めた空気の中で、二人の言い争いはどんどん過熱していく。
 勇斗は眉間に深くしわを寄せ、頬を紅潮させた。
「もうっ! 二人とも、やめてよっ!」
 誰かが倒れるのは、もう見たくない。
 ランパとミュールが目を見開き、動きを止めた。
 凍りついたような沈黙。
 生まれて初めて人前で怒鳴った。胸がざわつき、喉がからからに渇いている。
「ご、ごめん」
 肩をぎゅっとすぼめたランパがぽつりと呟く。
「オレも、悪かった」
 ミュールは深い息を吐いた。
 静かに時が流れる。
 やがて、ミュールの口が開いた。
「――この先に、狩人たちが使う小屋がある。そこで休もう。チカップ、まだ歩けるか?」
「へ、平気っス。ありがとう、ミュール」
 チカップが小さく微笑むと、ミュールは小さくうなずいた。
 ミュールの目はどこか寂しげだった。
 勇斗は静かに息をつき、二人を見つめた。
 空はわずかに曇り、やがて小雨が降ってきた。
 小屋で一夜を明かした勇斗たちは、カルント山を目指して歩き始めた。
 雨は止んでいた。雲の隙間から光がわずかに差している。
 無言の時間が続く。誰も余計な言葉を挟まない。何だか、胸の奥が落ち着かない。
 一時間ほど歩いた頃、彼方に鋭くそびえ立つ山の姿が現れた。山肌は薄い霧に包まれ、雲と溶け合うようにぼやけている。ひんやりとした風が吹き抜け、頬をかすめた。
 カルント山は、まるで息を潜めるかのように重苦しい静寂に包まれていた。鳥のさえずりも、獣の唸り声も聞こえない。ただ、霧がわずかに流れ、葉が擦れるかすかな音だけが耳を通り抜けていく。足元は徐々に冷たくなり、山道を進むにつれて気温が下がっていくのを感じた。
 やがて、崖上の細い小道に出た。
 足元の崖下から、水が滝のように勢いよく流れる音が響いてくる。霧に包まれた谷底は見えず、音だけが不気味に反響していた。
 ミュールが、突然足を止めた。
「どうした、ワンコ」
 ランパが声を曇らせた。
 ミュールは短く首を振った。
「――何でもない。……進むぞ。里の入り口まで、もうすぐだ」
 さらに進むと、かつて立派な門があったことを示す巨大な石柱が現れた。
 石柱を越えた先に広がっていたのは、廃墟と化した集落だった。家屋は焼け落ち、瓦礫と化している。壁が半壊し、骨組みだけが残る家がいくつも並ぶ。
「ここが、モッケ族の里。ミュールの故郷――」
 視線を横に向けると、ミュールがその場で膝をつき、崩れ落ちていた。ぽかんと口を開けたまま、言葉を失い、その光景を見つめていた。
 重い沈黙が流れた。
 しばらくすると、ミュールがふらりと立ち上がった。
「地の大精霊の封印は、里の奥地にある。行こう」
 ミュールはかすれた声で言うと、焼け焦げた廃墟の中をゆっくりと進んでいった。
 その後ろ姿は、どこか小さく、儚かった。
 集落を抜けると、険しい石段が現れた。
 石段を登りきると、屋根瓦と重厚な石造りが調和した寺院のような建物が目の前に現れた。入り口の両脇にぽつんと佇んでいる石灯籠が、静寂の中で、取り残されたように火を灯していた。
「地の大精霊は、大地の母みたいなもんなんだ」
 重厚な木扉を開けたミュールが、ぽつりと語り始めた。
「命を与え、育み、そして戻してくれる存在。狩りに出る前は祈りを捧げ、狩りから帰ったら感謝を捧げる。それが俺たちモッケ族の、ずっと続いてきた習わしだ」
 建物を奥へと進む。滑らかな石畳を踏みしめる音だけが響き、息をする音すら重苦しく聞こえるほどの静寂が支配する。
 やがて、大広間にたどり着いた。
 広間の中央には巨大な岩塊が置かれていた。苔や蔓植物が全体を覆い尽くしている。
 勇斗が岩に手を触れた瞬間、脳内に優しく温かみのある声が響いた。
 ――記憶を。
 岩は音もなく崩れ、破片が浮き上がる。ふわりと破片が集まり、小さな狼のシルエットを形作る。
 柔らかな光が放たれる。
 勇斗とランパは、同時にその場に崩れ落ちた。
 ◆
 視界に浮かび上がる淡い映像。広い雪原が映し出される。
 ランパの記憶――見るのはこれで三回目だ。
 大きな狼の姿をした始祖精霊レブンの背中に、ランパが乗っていた。レタからもらった弁当をもぐもぐと食べている。
「ルーク、レタを助けに行くんだってな。会ったばかりの人を助けるなんて、オイラにはよくわからない」
「ランパ、人を助けたいという気持ちに、理由はいらないんだ」
「うーん、オイラにゃ難しいぞ」
「いつか、わかるよ」
 ランパはちらりと横目でルークを見た。
 ルークは寒空の下、上半身裸で突きや蹴りを繰り返していた。
「おーい、ルーク。何で剣の練習じゃないんだ?」
 ランパが目を細めながら声をかけた。
「魔女はどんな妖しげな術を使ってくるかわからない。剣を封じられても戦えるように、鍛えている」
「慎重だなぁ」
「コタの助言さ」
「ルーク、いい型をしているね。それは我流かい?」
 レブンが、ランパを背に乗せたまま、のしのしとルークに近づいた。
「我流というか、いろんな技を混ぜて自分なりに組み立てたものさ」
「いい動きだ。オレも試してみようかな」
 レブンは器用に二本足で立ち上がり、前足をひゅんひゅんと振った。
「わっ!」
 バランスを崩し、ランパが転げ落ちた。雪に顔面がめり込む。
「二本足で立つって難しいや。いいなぁ、人間は。こんな動きができて」
 レブンはふっと笑い、すぐに前足を地につけて大きなあくびをした。
「ルーク、大変だ! 魔族がきた! 熊みたいなやつ!」
 ランパが慌てて叫ぶ。
「よし。剣なしでどこまでやれるか試してみるか」
 熊のような魔族が咆哮を上げ、雪をかき分けながらルーク目掛けて突進した。
 ルークは冷静にステップを踏み、鋭い拳を魔族の顎に打ちつける。
 反撃に出ようとした魔族の腕を取り、背負い投げで地面に叩きつけた。
 大地が揺れ、魔族は動かなくなった。
「やっぱすげぇな。オイラもルークみたいに強くなりたい」
「なれるよ、ランパなら」
 ルークは、口角を上げた。
 急に場面が切り替わった。深い森の中だった。
 剣を納めたルークの傍で、魔族は抵抗らしい抵抗もできず消えていった。
 ルークの口から淡い緑色の煙が勢いよく吐き出された。
「ドラシガーを吸うと、体の奥からどんどん力が湧いてくる。これは一体、何なのだろうな」
 ルークがぼそりとつぶやくと、頭上から柔らかな羽音が響いた。
「そのことについて、お話ししましょう」
 巨大なフクロウの姿をした始祖精霊コタが、ふわりと舞い降りてくる。
「コタ、知っているのか?」
「ええ。あなたが戦っている間や眠っている間に、この第三の目で少し、覗かせてもらいました」
 コタの額についている金色の目が輝いた。
「趣味が悪いな」
「ホッ! 誤解です! やましいことなんて、何ひとつ!」
 コタの首が忙しなく回転する。
 ルークはわずかに口元を緩めた。
「冗談だよ。教えてくれ」
「正直、私にもまだよくわかっていない部分があるのですが」
 コタは羽を畳み、ルークに視線を向けた。
「あなたの体内には、心臓とは別に、核のようなものが存在しています」
「核?」
「ええ。私はそれを――『ラマシル』と名付けました。あなたの胸腔に宿っていた、その蒼白い核。もともとは、肉体の自然治癒力を飛躍的に高める装置のようです。さらに、ドラシガーによって取り込まれた高濃度のマナを変換し、身体能力までも強化していた。――まさに、生き延びるために備わった力、というべきでしょうね」
「そんなものが、私の中にあるなんて。凄いな」
「ええ、でも」
 コタの羽が鋭くルークに向けられる。
「注意してください。ラマシルは、その、どうも万能というわけではなさそうです。過剰に活性化させると、体への負荷が極端に増して、制御が難しくなるようで」
「確かに、ドラシガーを一気に吸ったとき、少し立ちくらみを感じたことがある」
「それが兆候です。限界を超えてマナを取り込みすぎると、暴走してしまうかもしれません。最悪の場合――自分自身を内側から壊してしまう可能性すらあります」
 コタは小さく肩を落とし、言葉を続けた。
「私も、ラマシルの全てを理解しているわけではありません。でも、ひとつだけ言えるのは――その力は、素晴らしくも恐ろしいものです。どう向き合うか、どう使いこなしていくか。それは、あなた次第です」
「なるほどね」
 ルークは、ドラシガーの先端から立ち昇る緑の煙をじっと見つめた。
 視界が歪み、ざらついたノイズの中で、場面が切り替わる。
 どこかの神殿だろうか。紫炎の明かりが揺らめく、広い空間。その中心に、直径三メートルほどの八角形の石台が鎮座している。
 濃密な瘴気が渦巻く中、魔女が不気味に口角を吊り上げていた。
「イーヒッヒッ! さすがは、勇者ルーク。このアタシの幻術を破るとは、たいしたもんだよ」
 八角形の石台の上で、魔女がガラガラと割れた声で嗤う。顔の皮膚がただれ、白い髪はぼろぼろと抜け落ちていた。
 ルークの手が震える。
「黙れ、この下衆が」
 一歩踏み込み、剣閃が走る。魔女の左腕が切り飛ばされた。
「イヒッ、イヒヒヒッ! 痛くもかゆくもないよ。だって、もうとっくに壊れてるんだからねぇ」
 痩せ細った体をくねらせ、四肢を欠いたまま這っている。その動きはまるで芋虫のようだった。
「あの娘の全てを奪ってやったよ。ざまぁないねぇ」
「黙れ」
 魔女の胸元に、銀の光が閃いた。聖剣クトネシスが突き立てられる。
 魔女の瞳が見開かれた。数度、身体が痙攣し、身体中から黒い煙が噴き上がる。
「イヒ、ヒ――」
 まだ笑おうとする魔女の口元を見て、ルークは刃を深く突き込んだ。
 魔女の身体が崩れ、闇に溶けていく。八角形の石台の上には、おびただしい量の血だけが残った。
「どこだ、レタ!」
 ルークが叫ぶ。
 ランパは、異常なほど取り乱しているルークの姿を呆然と見つめていた。
 場面が切り替わる。
 映像が不安定に揺れる。
 ノイズ混じりの視界。
 赤い光がチラつく。
 炎に包まれた空間。
 その中心に、ランパが立っていた。
 緑だった髪は赤に染まり、目は虚ろで焦点が定まらない。
 ランパが絶叫する。
 視界が歪む。
 赤と黒が点滅する。
 耳鳴りのようなノイズ音が、頭の奥でビリビリと響く。
 映像は唐突に、プツンと切れた。