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瀬川(2)

ー/ー



 私は、暇を見つけては瀬川の許に通い続けた。
 やがて、瀬川は酒の相手をするようにはなったが、相変わらず凛とお高く止まったままだ。
 ――私と瀬川の「勝負」は、ここからが本番なのだろう。

 私は、金をかけて選びに選び抜いた品を持参して、瀬川の前に披露した。
 「まあ、素敵。ありがとうござりんす」
 彼女はこんな風にして、口と態度では喜びと感謝を穏やかに表現する。
 だが、その声の奥底には、真冬の冷たさが重く横たわっていた。
 ――そんなもので、私の心が買えるとでも?
 芙蓉の花は素知らぬ顔で艶やかに咲き誇る。
 (……っ)
 私は平静を装いながらも、拳をぎゅっと握りしめた。

 同席した取り巻き達は、
 「検校様の心づくしに、花魁、喜んでましたねえ」
 口々にそんな言葉で私を褒めそやした。
 ……どうやら、目が見える者は、彼女の微笑みにすっかり騙されてしまったようだ。

 ――贈り物などでは、到底物足りないということか。
 そう考えた私は、大枚を叩いて派手な花魁道中を仕立て、宴席では気前よく紙花を蒔いて見せた。
 しかし、瀬川の態度は変わらず冷淡だ。
 
 ――この女は、手ごわい。
 私はまたしても瀬川の心を動かせなかったことを思い知らされて、落胆する。
 では、瀬川が求めるものとは――?
 

 そんな悶々とした気持ちを抱えたまま、私は出掛けた先の神社に立ち寄った。
 御神体に商売繁盛を願った後で、私は健康守を買った。
 ――そうだ。瀬川に渡してやろう。
 私はほんの気紛れで、そんなことを考えた。
 
 「まあ――嬉しゅうござりんす。大事にしんす」
 健康守を受け取った瀬川は、ぱあっと艶やかに華やいだ。
 その声音には、あの真冬の冷淡さなど微塵もなかった。
 「……」
 私は、面食らった。
 ほんの気紛れで買ったどうということのないお守りを、瀬川がこんなに喜んでくれるとは思わなかったのだ。
 
 「いや……これは、たまたま立ち寄った神社で何の気なしに買ったものなのだが――」
 ややあって、私はまるで言い訳のように呟いた。
 すると、瀬川は、すっ、と私の手を取った。しなやかで優しい手だ。
 「主さんは、あちきを思って、あちきのためにこのお守りを買っておくんなんした。そのお気持ちが嬉しいのでありんす」
 
 「……!」
 私は戦慄した。
 瀬川が本当に望んでいたもの。
 それは、山吹色でも豪華な贈り物でも、男の矜持や懐の深さなどではなく。
 ただ、彼女のことを気遣い、大切に思う。その真心だけだというのか――。

 ――ならば。

 「太夫。三味線はあるかね?」
 「三味線……でありんすか?」
 私の言葉に、瀬川は怪訝そうな声を上げる。
 「ああ。私は検校になる前は三味線を弾いていてね――自分で言うのも何だが、巧いもんだったよ」
 「まあ――」
 「それで……今日は、太夫のために弾きたいのだ」
 「!」
 瀬川は、息を呑んだ。
 戸惑いの匂いが、ふっと通り過ぎた後。
 「主さん。是非聞かせておくんなんし」
 瀬川は、いつもよりも高い声で、率直にねだってきたものだ。
 
 
 この日から、私は瀬川と二人きりになると、三味線を弾いて聞かせるようになった。
 三味線の情緒ある音色と、瀬川の穏やかな吐息。そして、ゆったりと身じろぎする気配。
 あんなに頑なだった瀬川の心が、ゆっくりとほどけていく……。
 そのことを感じ取った私は、口元に微かな笑みを乗せた。

 そして。私は瀬川を、この胸に抱いた。
 瀬川は何の抵抗もなく、私を受け入れた。

 
 瀬川の心が緩んだせいだろうか――。
 彼女は時折、物憂げな溜息をつくようになった。何ともやるせなく、細く長い溜息だ。
 その意味するところを訊くのは野暮というもの。私は努めて素知らぬ顔を通した。
 
 そして、その溜息を目の当たりにした、ある日のこと。
 ――もしやして、瀬川には間夫がいるのか?
 とうとう私の心に、そんな疑いが沸き起こった。
 一度心に現れたその疑念は、まるで真実の顔をして私の心を揺さぶり続けた。
 
 ――瀬川は私のものだ。他の男になんぞ渡してなるものか。

 そして、私は遂に、実に「鳥山検校」らしいやり方で行動に出る。
 置屋の言い値で瀬川を身請けすることにしたのだ。

 ただ――。
 このことは私にとっても大きな賭けだった。
 瀬川ほどの花魁ともなると、置屋も彼女の気持ちを無下には出来ないのだ。

 水面下でひりつくような交渉が交わされる中。
 私は何食わぬ顔で瀬川の許へと通い、瀬川も変わらぬ様子で私と一夜を共にした。
 私は瀬川のために三味線を弾き、瀬川はその音色に物憂げな溜息を、乗せた。

 やがて、置屋から、「瀬川が身請け話を了承した」との知らせがもたらされた。
 私は約束通り、置屋の言い値の1400両を支払った。
 
 
 『あの鳥山検校が1400両で瀬川を身請けした――!』
 その知らせは、あっという間に江戸の町を席巻した。
 
 「あははははっ!」
 私は江戸の空を見上げ、高らかに笑い飛ばした。
 私は自らが望んだとおり、当代一の花魁を手中に収めて見事世間の耳目を集めたのだ。
 
 そして。
 世間では人々が紅葉狩りを楽しむ時分に、瀬川は吉原を去り、私の許へと住まいを移した。



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 私は、暇を見つけては瀬川の許に通い続けた。
 やがて、瀬川は酒の相手をするようにはなったが、相変わらず凛とお高く止まったままだ。
 ――私と瀬川の「勝負」は、ここからが本番なのだろう。
 私は、金をかけて選びに選び抜いた品を持参して、瀬川の前に披露した。
 「まあ、素敵。ありがとうござりんす」
 彼女はこんな風にして、口と態度では喜びと感謝を穏やかに表現する。
 だが、その声の奥底には、真冬の冷たさが重く横たわっていた。
 ――そんなもので、私の心が買えるとでも?
 芙蓉の花は素知らぬ顔で艶やかに咲き誇る。
 (……っ)
 私は平静を装いながらも、拳をぎゅっと握りしめた。
 同席した取り巻き達は、
 「検校様の心づくしに、花魁、喜んでましたねえ」
 口々にそんな言葉で私を褒めそやした。
 ……どうやら、目が見える者は、彼女の微笑みにすっかり騙されてしまったようだ。
 ――贈り物などでは、到底物足りないということか。
 そう考えた私は、大枚を叩いて派手な花魁道中を仕立て、宴席では気前よく紙花を蒔いて見せた。
 しかし、瀬川の態度は変わらず冷淡だ。
 ――この女は、手ごわい。
 私はまたしても瀬川の心を動かせなかったことを思い知らされて、落胆する。
 では、瀬川が求めるものとは――?
 そんな悶々とした気持ちを抱えたまま、私は出掛けた先の神社に立ち寄った。
 御神体に商売繁盛を願った後で、私は健康守を買った。
 ――そうだ。瀬川に渡してやろう。
 私はほんの気紛れで、そんなことを考えた。
 「まあ――嬉しゅうござりんす。大事にしんす」
 健康守を受け取った瀬川は、ぱあっと艶やかに華やいだ。
 その声音には、あの真冬の冷淡さなど微塵もなかった。
 「……」
 私は、面食らった。
 ほんの気紛れで買ったどうということのないお守りを、瀬川がこんなに喜んでくれるとは思わなかったのだ。
 「いや……これは、たまたま立ち寄った神社で何の気なしに買ったものなのだが――」
 ややあって、私はまるで言い訳のように呟いた。
 すると、瀬川は、すっ、と私の手を取った。しなやかで優しい手だ。
 「主さんは、あちきを思って、あちきのためにこのお守りを買っておくんなんした。そのお気持ちが嬉しいのでありんす」
 「……!」
 私は戦慄した。
 瀬川が本当に望んでいたもの。
 それは、山吹色でも豪華な贈り物でも、男の矜持や懐の深さなどではなく。
 ただ、彼女のことを気遣い、大切に思う。その真心だけだというのか――。
 ――ならば。
 「太夫。三味線はあるかね?」
 「三味線……でありんすか?」
 私の言葉に、瀬川は怪訝そうな声を上げる。
 「ああ。私は検校になる前は三味線を弾いていてね――自分で言うのも何だが、巧いもんだったよ」
 「まあ――」
 「それで……今日は、太夫のために弾きたいのだ」
 「!」
 瀬川は、息を呑んだ。
 戸惑いの匂いが、ふっと通り過ぎた後。
 「主さん。是非聞かせておくんなんし」
 瀬川は、いつもよりも高い声で、率直にねだってきたものだ。
 この日から、私は瀬川と二人きりになると、三味線を弾いて聞かせるようになった。
 三味線の情緒ある音色と、瀬川の穏やかな吐息。そして、ゆったりと身じろぎする気配。
 あんなに頑なだった瀬川の心が、ゆっくりとほどけていく……。
 そのことを感じ取った私は、口元に微かな笑みを乗せた。
 そして。私は瀬川を、この胸に抱いた。
 瀬川は何の抵抗もなく、私を受け入れた。
 瀬川の心が緩んだせいだろうか――。
 彼女は時折、物憂げな溜息をつくようになった。何ともやるせなく、細く長い溜息だ。
 その意味するところを訊くのは野暮というもの。私は努めて素知らぬ顔を通した。
 そして、その溜息を目の当たりにした、ある日のこと。
 ――もしやして、瀬川には間夫がいるのか?
 とうとう私の心に、そんな疑いが沸き起こった。
 一度心に現れたその疑念は、まるで真実の顔をして私の心を揺さぶり続けた。
 ――瀬川は私のものだ。他の男になんぞ渡してなるものか。
 そして、私は遂に、実に「鳥山検校」らしいやり方で行動に出る。
 置屋の言い値で瀬川を身請けすることにしたのだ。
 ただ――。
 このことは私にとっても大きな賭けだった。
 瀬川ほどの花魁ともなると、置屋も彼女の気持ちを無下には出来ないのだ。
 水面下でひりつくような交渉が交わされる中。
 私は何食わぬ顔で瀬川の許へと通い、瀬川も変わらぬ様子で私と一夜を共にした。
 私は瀬川のために三味線を弾き、瀬川はその音色に物憂げな溜息を、乗せた。
 やがて、置屋から、「瀬川が身請け話を了承した」との知らせがもたらされた。
 私は約束通り、置屋の言い値の1400両を支払った。
 『あの鳥山検校が1400両で瀬川を身請けした――!』
 その知らせは、あっという間に江戸の町を席巻した。
 「あははははっ!」
 私は江戸の空を見上げ、高らかに笑い飛ばした。
 私は自らが望んだとおり、当代一の花魁を手中に収めて見事世間の耳目を集めたのだ。
 そして。
 世間では人々が紅葉狩りを楽しむ時分に、瀬川は吉原を去り、私の許へと住まいを移した。