宗志からの呼び出しで訪れたファミリーレストランには、呼び出してきた本人である宗志と、筑田奈保ちゃんがいた。
美穂ちゃんの親友である奈保ちゃん。彼女がスペシャルゲストということなのだろう。
「おつかれ、サコッシュ」
「あぁ、おつかれ。久しぶり、奈保ちゃん」
「……どうも」
ズズッとカフェラテを飲んでぼそっと呟く奈保ちゃん。相変わらずの塩対応だ。
四人掛けの席の通路側、奈保ちゃんの対面に座る。宗志は俺の隣で黒烏龍茶を飲んでいる。
俺もひとまずドリンクを取りに行き、ジンジャーエールを持って席に戻った。
「スペシャルゲストって美穂ちゃんが来ると思った?」
「思わないよ。お前が呼べるわけない」
ハッと短く笑って答える。本当はほんの少しだけ期待したがここは黙っておこう。
「でも奈保ちゃん呼んだのだって頑張ったんだぜ? 美穂ちゃんに悟られないようテニス部の練習も理由つけて休んでもらったし」
「その言い方だと頑張ったのは奈保ちゃんだけだな。ていうか良かったの? 練習休んで」
「別に、日之太さんのためじゃないですから。美穂のためです」
「……美穂ちゃんは元気なの?」
「元気ですよ。パッと見た感じだと」
含みのある言い方だ。美穂ちゃんの親友である奈保ちゃんから見ると元気がないようにも捉えられる。ていうか絶対そうだ。そうじゃなきゃわざわざここへ来たりしない。
「美穂とのこと、聞きました」
奈保ちゃんがカフェラテのカップを置いてふぅっと息を吐く。
チラッと視線を隣にいる宗志へやると、「ごめんな」と言ってにへらっと笑う。
仕方がない。話を進めるためにはこれまでのことを知っておいてもらわなければならない。奈保ちゃんにとって今俺の評価はかなり低いだろう。
これも仕方がない。俺は彼女の親友を傷つけた。どんな理由があったにせよ許せないはずだ。
「日之太さんは、別に悪くないと思います」
思ってもなかった言葉に俺は目を丸くして固まった。
てっきり怒られるとばかり思ったのに、奈保ちゃんは首を横に振り、また息を吐く。
「美穂は怖がりなんです。日之太さんならそんなことないって自分で思ってるはずなのに……その様子なら、美穂の身体のこと、もう分かってるんですよね?」
「……なんとなくはね、察しはつくよ。あの子は、なにか特別な身体なんだろ?」
「美穂は、生まれたときから一切の痛みを感じないんです。そういう、病気なんです」
病気という言葉に俺は思わず身構えてしまう。
『まぁ、美穂ちゃんが実は生まれつき痛みを感じない特殊能力を――』
冗談で言った俺の発言に対して大声をあげた美穂ちゃん。まさか本当にそうだったなんて。
いや、そうだったからこそ、あのとき彼女は叫んだのだ。そして俺のあの発言は、きっと冗談でも言ってはいけないことだった。
「先天性の無痛症ってやつ? 確かめちゃくちゃ珍しい病気なんだよね?」
宗志が神妙な声色で訊ねる。奈保ちゃんはカップに触りながら難しい表情を浮かべた。
「正確には先天性無痛症の五型です。私も詳しくは分かんないですけど、無痛症には四型とか五型があって、四型は無痛無汗症で、痛覚と体温調節機能も消失するそうです」
「体温調節……あぁ、だから無汗症か。いやそれは、なんていうか……大変な病気じゃない?」
「でも美穂ちゃんはその四型じゃないんだよね? 五型? そっちはどういう病気なの?」
「私が知ってる話だと五型は温痛覚、つまり暑いとか冷たい、あとは痛いとかが分からないそうです。触っても何も感じないみたいなわけではないみたいですけど」
奈保ちゃんの説明に俺は納得しながらも、どこか変だと思っていた。
その話が本当なら美穂ちゃんは痛いという感覚を知らないないはずだ。それなのに――
『私もあります。ちっちゃい頃ですけど、そもそもなんなのかよく分かんなくて、こう、持ち上げようとしたら刺されたみたいで。気付いたら手もめっちゃ腫れてて』
水族館でデートしたときだ。クラゲの特設展示コーナーを回っていたとき、彼女は幼い頃クラゲに刺された話をしていた。
手が腫れて大変だったと語る彼女に対して、俺は痛かったでしょと訊いた。そして美穂ちゃんは「痛かったです」と答えたのだ。
もし彼女が本当に痛みというものを知らないなら、そんな答えはしないはず。あれは一体どういうことなのだろう。ただ単に俺の話に合わせて嘘をついただけなのか。
『本当ですか? 私、そういうの分からないから。本当につらかったら、ちゃんと言ってください』
かつての彼女の言葉を思い出す。痛くないかと聞いてきて、分からないといった。あの時の言葉は、本当だったのかもしれない。
「美穂は自分の病気のことあまり知られたくないんです。気を遣われたり、変な目で見られたり、それこそ、病気の辛さを知らない人から無神経なこと言われて傷つきたくないから。テニス部でも病気のことを知ってるのは幼馴染の私と顧問の先生だけなんですよ。まぁ他には先生の何人か多分知ってると思いますけど」
「……痛みを感じない人生か。なんとなくしか想像できないな。突き放すつもりはないけどさ、痛みを感じないことのなにが怖いのか、正直分かんないと思う。俺はね」
宗志が顔の下半分を手で覆い、肘をついて目を細める。奈保ちゃんは宗志のまっすぐな言葉に少し驚きながらも、悲しそうに目を伏せた。
痛みを感じないというものは一見すれば便利な風に聴こえるけれど、実際はその逆だ。
人は痛みによって成長する。赤ちゃんの頃手当たり次第にものを叩き、口にいれようとするのは痛みを知らないからで、転んでぶつけると痛いから、転ばない歩き方を学ぶ。
食事中に急いで食べて舌を噛む、なんて経験ほとんどの人があるだろう。急いで食べようとすると舌を噛み、痛みが生じる。だからゆっくり咀嚼をして、舌を噛まないようにする。
だけど痛みを感じないなら。いつまでたっても力の加減を学べないし、何度も転ぶ。食事中に舌を噛んでも痛みを感じないから、そのまま噛み続ける。酷いときは切れてしまうだろう。
だけど痛くないから平然としている。しかし、あくまでそれは感じないだけで傷ついてはいるのだ。皮膚は切れるし血も流れる。穴が空いたり骨が折れるときだってあるはず。
それでも気付かない。なにせ痛くないから。
ここまで分かっているのに、俺は本当の意味で痛覚がない『恐怖』が分かっていない。
生まれたときから持ち合わせている感覚だから、それがなくなったらなんて、想像はできるかもしれないが、共感することはできないのだ。