Farewell,my steel heart
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−−さよなら、鋼鉄の心。
「……ちょっとばかり、手厳しかったんじゃねえか?」
前を走るシルバの背を見ながら駆けるセトミに、ショウがタバコの火を着けながら言う。その表情は複雑ながら、どこか苦い。
「仕方ないでしょ、本当のことなんだから。こんなの……取り繕った言葉で慰められるほど、私、舌先が器用じゃないもの」
そう言うセトミの表情も、言葉とは裏腹にすっきりしたものではない。それは、先ほどの言をリリアに面と向かって言えなかったことにも表れていた。
「まあな……確かに、リリアの嬢ちゃんには、ちっとばかりきつい事実だったろうな。まさか仇敵と思ってた相手が、自分の焦がれる主だったなんてよ」
そう改めて言葉にされると、セトミもやはり、胸の奥がちくりとするような痛みを感じていた。しかし、自分は神様ではない。それをどうにかする手段も、ハッピーエンドに変える魔法も、持ってはいないのだ。
「まあ、しかし俺は、あのニコラの気持ちもわからないでもないぜ。女は生きることに道を求めるが、男は死ぬことに意義を見出そうとするもんだからな」
息をつくように紫煙を吐きながら、ショウが言う。
「……だから、男ってバカなのよ」
憮然とした表情でふんと鼻をならすセトミだが、その心の奥ではどこか腑に落ちるものがあった。それは、先日のエデンでの騒乱の際、ショウが命を賭して彼女を守ろうとした事実があったからかもしれない。だが、それを踏まえた上での思いが今の言葉だった。
「男はなんかのために死んで、女はそれでも生きていけってんなら、結局苦労すんのは女じゃないのよ。ったく、かっこばっかつけて、満足して勝手に死ぬなっての」
「まあな。だが、この世界がくそったれだってんなら、そんな死に方がお似合いだろ? こんなくそったれの世界――――足跡の一歩も誰かの心に残せたなら、上出来だ」
ショウの言葉と同時に、短くなり始めたタバコがジジッという音とともに灰と散る。
「ほんと……バカみたい」
そう吐き捨てるように言いながらも、セトミは呆れともあきらめともつかない表情でため息をついた。
やがて、その姿はシルバとともに基地の外へと飛び出す。そこは、地も空も、一面赤の世界と化していた。
地上はすでにアンビションとタリアの率いる軍との戦闘が始まっているらしく、戦火が街を覆い尽くし、空はその炎を映す鏡の如く、赤く染まっている。
数秒おきに爆発音と轟音が響き、怒声、悲鳴、銃声がその合間を彩るように木霊する。
「まったく、趣味の悪いオーケストラね。こんな音を奏でてる指揮者の頭、ぶん殴りに行くわよ」
「あ、ちょっと待った」
AOWを構えたセトミの機先を制する形で、ショウが言う。
「確か、ミナたちはウロボロスを止めに行ったんだったな? だったら、俺に一つ案がある。ミナと通信をつないでくれ」
「ミナと? わかった」
エマのインストールされたデヴァイスと、セトミは通信をつなぐ。あちらは作業が完了しているのか、すぐにミナがモニターに現れた。
「……おねえちゃん、なに?」
「ちょっと、ドッグからお願いがあるって。シェイも、聞いてくれる?」
改まったように、ショウが咳払いをしてから話し出す。
「シェイ、ウロボロスの方はどうだ? 掌握できたか?」
「ああ、システムのオーヴァーライドは完了した。やっぱり、こっちはあくまで目くらましだったのかもしれないな」
アンビションが起動してしまった今、ウロボロスの重要性を考えてか、シェイの表情が微妙なものになる。
「よし、てことは、データの書き換えも可能なわけだな。ソドムで戦ってるオートマトンの制御がそこからできるか?」
「うん、それは可能だよ。……あの人のシナリオに乗るようで、あまりいい気分ではないけれど」
ショウの意図をくみ取ったらしく、少々渋い顔でシェイが言う。
「……ああ、まあ、俺もだ。だが……こうなった以上、もうそうするしかねえ」
「なによ、どういうこと?」
一人、会話の内容を理解していない様子のセトミが頬を膨らませて、ショウの映るモニターに詰め寄る。
「今、タリアの部隊と戦ってるオートマトンのコントロールを掌握する。で、一緒に戦ってもらうんだ。ニコラの策に乗るような形にはなるが……」
「……はー、そゆこと」
戦術的には納得がいくものの、確かにニコラのやろうとした『人とオートマトンの共闘による両者の歩み寄り』というものに乗るような形になるのは否めない。
「ま、いいんじゃない? やり方はともかく、その目的は悪いことじゃないと私は思うよ」
「まあ、な。よし、それじゃあシェイ、始めてくれ」
ショウのその声と同時に、モニターの向こうからキーボードをたたく音が響きだす。
「さて、それじゃあ、こっちも動きますかね、お侍さま」
「誰がお侍さまだ……まあいい、よし、動くぞ」
セトミがAOWを、シルバがハンティングライフルを構え、巨大な影の闊歩する戦場へ、足を踏み入れた。
リリア・アイアンメイデンは、言葉もなく座り込み、ただ呆とアンビションの飛び立っていった赤い空を見上げていた。
彼女の心を支配しているのは、今まで感じたこともないような迷いだった。オートマトンである自分は、己の持つシステム――――防衛回路・システム・ガーディアンによって、いつもその場その場でどう対応するべきか、冷静に、正確な答えを出してきた。
戦いの場においても、日常生活の場においても、彼女は今、自分がどうすべきか、迷うことなどなかった。迷いは行動を鈍らせ、事態の悪化を招く。システムに刻み込まれたそのプログラムが、いつも瞬時に答えを導き出してきた。
――――しかし、今回の出来事に関しては、システムはまるで壊れてしまったかのように、エラーを繰り返すのみだった。
「私は……どうすれば……」
先ほど、セトミに投げかけた言葉を、再び彼女は反芻する。
『……自分で考えて』
『自分で決めなきゃいけないのよ』
そのセトミの答えが、メモリーから再生された。
――――そうだ。確かに、自分は『己の存在理由は自分で決めるもの』と、言った。ならばこの問いの答えさえも、自ら決めなければならないのだろうか? どのような決断をしようと、後悔と未練だけが残るように思える、この問いの答えを。
「マスター……あなたは、残酷です……。後悔も、未練も、業罪も……すべて背負って、それでも生きろと言うのですか? 私には……あなたのいない世界なんて……太陽を亡くした世界のようなものだというのに……」
ゆっくりと、空から視線を床に落とす。燃えるような赤い空を見続けたレンズが、その空間の暗さに対応するまで、数秒のタイムラグを発生させる。
「……あれは……?」
その瞳が暗闇に慣れたころ、そこに映ったのは、なにやら機械の反応を示す、小さな物体だった。なにとはなしにそれを拾い上げたリリアは、それが様々なデータを保存できる、小型のメモリースティックだということに気づく。
「なぜ……こんなところに……?」
不思議に思ったリリアが、己の外部接続デヴァイスにメモリースティックを接続する。そのデータを読み込むと同時に、それは自動的に再生された。
そこに記憶されていたのは、ホログラム映像と、音声データだった。リリアが茫然と見つめる中、現れたノイズはやがて人の形をとっていく。
「あ……マス、ター……」
そこに現れたのは、他ならぬマスター・ニコラその人だった。シュナイゼルに乗っ取られたあの醜悪な表情ではなく、笑顔在りし日の、優しい優しい、マスター・ニコラ。
「……やあ、リリア。君がこれを見ているということは、きっと僕は、すでに死んでいるのだろうと思う」
どうやらそれは、ビデオレターのようだった。恐らく、彼の計画ではここでリリアに決着をつけてもらい、すべてを終わらせるつもりだったのだろう。
ということは――――これは、リリアがマスターである彼を殺してしまったと気づいた時に、彼女が見るようにと送られたものだということになる。
「今――――きっと、君は激しく動揺していることと思う。……まずは、すまない。こうするより他に……私には、皆を救う手立てが、思いつかなかった」
ホログラムのニコラが、嘆くように小さく首を横に振った。
「……ひどく残酷なことと思う。恨んでくれていい。憎んでくれたって構わない。ただ……一つだけ、お願いがある」
「お願い……?」
相手はホログラムとわかっていながら、思わずリリアは言葉を返していた。たとえ実際にはそこに存在しない彼であっても、彼と話をしているように思いたかったからかもしれない。
「君は……生きろ」
だが、その彼から発せられたのは奇しくも、先ほど、自分が彼は残酷だと嘆いた際に出てきた言葉と同じものだった。すべてを背負って生きろなどと残酷だ、と。
リリアが顔を伏せるのを、まるでわかっていたかのように、ホログラムであるはずのニコラが強い視線で彼女を見る。その視線は、言葉以上に雄弁に、彼の意思を伝えていた。『生きろ』と。
「君はかつて、僕に聞いたね。『自分は生きているのだろうか』と。その言葉は、ずっと、僕の胸の中にあった。君が仲間を守ろうとする時――――、戦う時――――、そして、友と過ごす時。僕は、その言葉を抱いたまま、君を見ていた」
「……え?」
リリアが、困惑しつつも顔を上げる。
「……そして、思った。君は、生きている。必死に仲間を庇う時の決意のこもった表情。仲間を守り切った時の、笑顔。それは、心なく、冷たい、生きていないもののできる顔じゃない。優しい心を持った、生きる者の顔だと」
「……マスター……」
そうだ。はるか昔、彼をマスターと選んだ時、確かに聞いた。おぼろげな意識の中で、機械の身体である自分――――システムに従って動いているだけの自分は、果たして、生きているのか――――と。
それを、ニコラは覚えていてくれた。そしてずっと、見ていてくれた。
「そう、君は、生きている。生きているんだ。だから……それを、もっとたくさんの人々に伝えてほしい。君が、己の生きる意義とした、何かを、誰かを、守るということの尊さを」
ただ、何も考えることができないままに、リリアは呆けたようにニコラを見つめる。人間の、涙を流すという機能が、これほどに羨ましく思えたことは、いまだかつてなかった。
「人間も、オートマトンも――――己の欲望のために、他者の運命を狂わすなんてことがあってはいけないんだ。だが――――それを語るには、僕の手はもう、汚れすぎた。だから君が……それを、語り継いで、生きてほしい」
そう、かつて彼女がいつも見ていた笑顔で。しかし、その頬はあふれ出した涙に濡れて。
マスター・ニコラは、リリアにそう告げた。
「そして最後に――――僕を止めてくれて、ありがとう。人と機械ではあったけれど……きっと、僕は――――」
そして彼は、涙をぬぐうことさえせずに。
「……君を、愛していた」
発せられたその一言は、今までのどんなデータよりも重く、強く、リリアのメモリーに刻み込まれた。
「ありがとう……。そして、さようなら……リリア」
ひどく無常に、ひどくあっけなく、録画されたホログラムは、そこで終わり、彼の姿はその別れを惜しむ間もなく、消え去った。
後には、ひどくシステム――――システムと言う名の心をざわつかせたままの、リリア・アイアンメイデンが残された。
「……マスター……あなたはやはり、残酷です。なぜ……最期の最期に、私が求めていた言葉をかけてくれるのですか……」
うつむいたまま、表情もなく、リリアはささやくように言う。しかし次の刹那、彼女はゆっくりと顔を上げる。その強い光を宿した瞳は、彼女の背負った意志を掲げるかのように、赤い空へと向けられる。
「ですが……あなたが生きろというなら、私は生きます。それは自分が造られた過程や、目的によるものではなく……自分の意志で、私は生きます」
その言葉とともに、彼女の背に鋼鉄の翼の如く、飛行ユニット――――エイシス・ハイが顕現する。同時に、右手にはガンマレイによる槍、メイデン・トゥルーパー。
リリアの足が力強く地を蹴るのと同時に、その身体が宙を駆ける。アンビションが射出された射出口へ向かって突き進むその姿は、さながら鋼鉄の天使のようだった。
「そして皆を守れというのなら……まず私が守るべき最たるもの――――あなたが生きた意味を――――守って見せます」
やがてその姿は戦火に抗う一点の雫のように、赤く染まった街へと飛び出していった。
ヘヴンリーは、アンビションからから離れ、単独で戦っていた。先ほどまでこちらの指揮下にあったオートマトンたちの部隊が、標的をアンビションに切り替え、攻撃を開始したためだ。
おそらくは、ウロボロスのコントロールを掌握されたのだろう。
「フン……無駄なことを。戦闘プログラムも持たない雑魚どもなど、あれどころか私一機の足元にすら及ばん」
酷薄な笑みを浮かべ、飛行ユニットで滞空するヘヴンリーが、眼下に集うオートマトンたちを文字通り見下す。その死の鎌――――デスサイズは、まるで彼らの命を刈り取ることを待ちわびるかのように、深く赤く、明滅していた。
「さて……せっかくこの雑魚どもを独り占めできるのだ。簡単に破壊してしまっては面白くない。せいぜい遊んでから、瓦礫と変ええてやることとしよう」
彼らを嬲るように、ヘヴンリーがデスサイズを振るう。それと同時にその軌跡からガンマレイが放たれ、地上のオートマトンたちを薙ぎ払う。その一撃で、そのオートマトン部隊の三分の一ほどが衝撃に吹き飛ばされた。
「おっと……予想よりもずいぶんと脆弱な奴らだ。少し力を入れたらあっという間に消し飛んでしまうな。では……今度はもう少し、手加減してやろう」
再びその得物にエネルギーが収束し、ヘヴンリーが攻撃の構えを取る。
「さあ、今度は何体生き残れるかな? クッククク……」
その笑みがなおのこと深く歪み、デスサイズがまたしても閃光を放った、その刹那。
それを掻き消そうとするかのように射線に飛び込んだ青い影が、その死の赤い光を阻んだ。
「―――――――!」
そのエネルギー反応に、ヘヴンリーの表情が変わる。一瞬、険しく己の攻撃を阻んだものを睨み――――だが、その顔は再び笑みに染まる。
「これ以上……彼らを傷つけることは、許しません」
それはヘヴンリーが目的とする相手……次こそは破壊するとそのシステムに記録した相手――――リリア・アイアンメイデンだった。
「フン――――来たか」
ゆっくりと、ヘヴンリーはデスサイズを構えなおす。
「ここに来たということは、ようやく己のマスターを殺すつもりになったということだ。クククク……ガーディアンであるはずの貴様が、自分たちのためにマスターを殺すとは、まったく、結局は貴様も人殺しの道具というわけだ」
不遜な笑みを浮かべ嘲るヘヴンリーに、しかしリリアは動揺することはない。それどころか、より強い光のこもった瞳で、ヘヴンリーを見返す。
「それは、違います」
「……なに?」
笑みを浮かべていたヘヴンリーの顔に、剣呑な色が差した。
「私は、殺すために戦うのではありません。守るために行くのです」
だがそれも一瞬のこと。その答えに、ヘヴンリーは哄笑する。
「ハハハハハ……なにを言うかと思えば、またそれか! くだらんな、なにを言おうと、どう取り繕うと、やっていることは所詮、殺戮ではないか! 貴様も私と同じだ、己が造られた理由に従って、破壊を行っているにすぎん」
だがそう笑うヘヴンリーを見るリリアの目は、どこか憐れみを帯びたような、愁いに染まった光を宿していた。
「……あなたには、理解できないでしょう。己の欲望のために破壊を行うことと、なにかを、誰かを守るために戦うことは、違うのだということが」
その視線、そしてその言葉に、ヘヴンリーの表情が一変する。どこか余裕を見せていた先ほどまでのそれから、その纏う色が象徴するかのような、憤怒の表情へと。
「理解できぬ……? ああ、その通りだ、理解できぬとも。なぜなら、私が製造された理由は、破壊し、侵略し、奪い尽くすためだからだ。システム・ガーディアンを搭載する貴様とは、この世に存在するようになってから、相容れぬ運命なのだ!」
デスサイズを突き付けるように構え、ヘヴンリーは吠える。
「……あなたもまた、縛られた存在なのですね」
しかしリリアは、その様をどこか憐れむような響きのその言葉を、彼女に返した。
「……なに……?」
「あなたは、大戦時に破壊と殺戮のために造られたということを、いまだに引きずっているだけです。それ以外に己の存在する理由が見つからないから、自分が存在することの意味に意味がないという結論に達してしまうのが怖いから、そうやってその理由にしがみついているだけ……」
「黙れぇぇぇぇッ!」
刹那、なおのこと怒りに染まった表情で、ヘヴンリーが飛来する。大きく振りかぶり、振り下ろすだけの、単純ながら力のこもったその一撃は、彼女の怒りと、リリアの言葉が事実であることを如実に伝えていた。
予測するまでもなく、その一撃を見切ったリリアは、しかし避けることはせず、あえて正面から受け止める。そして武器越しに、射抜くような瞳でヘヴンリーを見た。
「……人であろうと、機械であろうと……意志ある、生きるものならば、自分が存在する理由は自分で選ぶべきなのです。たとえそれが困難な道であろうと、幾多の悲しみが待つと分かっていても……」
不意に、ヘヴンリーの腕に重圧が押しかかる。リリアが彼女のデスサイズを止めた己の得物である槍で、ヘヴンリーの武器を払ったのだ。
「それが、生きるということなのですッ!」
「ぐうッ……!」
その武器の……そして言葉の力強さに押し込まれ、弾かれるようにしてヘヴンリーが体勢を崩す。追撃を警戒し、距離を取るヘヴンリーに、しかしリリアは鋭く視線を返すのみだ。確実にできていた一瞬の隙に、リリアが攻め込んでこなかったことが、さらにヘヴンリーの心をざわつかせた。
おそらく、あえてリリアはそうしたのだ。まるで自分を破壊することが目的ではないと、その行動でも示すかのように。
「生きる……だと……」
まだ大きく動いたわけでもないというのに、ヘヴンリーは肩で息をするように、己の中から空気を排気する。
「我々機械が、生きているなどと言うのか! 人間の手で造られ、利用されるだけの我々が、生きているなどと……ッ!」
「生きているということは、身体の構造如何によるものではありません。どのようにしてこの世に存在するようになったものであろうと、その存在した結果によるもの」
再び、リリアが槍を構えなおす。
「すなわち、己の意志を持って臨み、自分の想いで行動を選び、自らの力を以って、その道を歩むこと。そしてその結果として――――誰かの、なにかの中に、伝えるべき足跡を残すということ――――!」
刹那、その姿は青き閃光となって空を駆けた。今までになかったような神速を以って、リリアはヘヴンリーの眼前に迫る。
「なっ――――!」
その動揺が動作に影響したかのように、ヘヴンリーは反応できない。そしてその青き刃が孤を描き――――。
――――斬。
ヘヴンリーの手にした、デスサイズを、真っ二つに切り裂いた。
彼女が体勢を立て直す間もなく、その得物を破壊した刃が、今度は彼女自身に向けられる。
「……壊すがいい」
ぎりり、と歯を食いしばりながら、ヘヴンリーがうめくように言う。
「私を破壊しろ……! 無様な負け様をさらしてまで、存在し続けようなどとは思わんッ! 勝利できぬ弱い兵器に、存在価値などないッ!」
しかしその声に、リリアは悲しげに瞳を細めるのみだ。
「……あなたは、まだそんなことを……」
「なに!?」
猛るヘヴンリーに、リリアは示して見せるように、ゆっくりと槍を引く。
「私が戦うのは、勝利のためでも、制圧するためでもありません。……あなたもいつか、その答えを知るはず」
「……………」
言葉を失うヘヴンリーを置き去りに、リリアは彼女に背を向け、空を進んでいく。己の主の、その姿をしたものの元へ。
「待て!」
その背に、ヘヴンリーの言葉が追いすがる。だがその響きは、強い語気とは裏腹に、どこか迷い子のごとき色を帯びていた。
「その答えとやらのために……お前は……お前は、自分のマスターを殺そうというのか?」
問うヘヴンリーに、リリアは振り返らない。ただ、その心をはるか過去へと思いはせながら、静かに答えた。
「……私は、マスターを殺しに行くのではありません。あの人の生きた意味を……存在した理由を……生かすために、行くのです」
そして。
リリアは、赤く染まる空を、巨大な兵器が歩むその先へと飛ぶ。真っ赤な絶望の戦火の中を、唯一輝く、青い希望の如く。
――――後には、ただうつむき歯噛みする、ヘヴンリーのみが残された。
「弾幕を張れッ! 奴にエネルギー充填の機会を与えるなッ!」
一方、対アンビションの前線では事実上の指揮官であるタリアが自らも応戦しながら兵たちに激を飛ばし、その進軍を止めようと奮戦していた。だが、対非戦闘型オートマトンを想定して配備された装備では、文字通り足止めにしかならなかった。
主にアサルトライフルを主武装とするタリアの部隊は、それでも街への被害を抑えるべく弾幕を張り、巨大な機械の兵の足を止めようとするが、それはその銃弾を蚊を払うかのように振り払い、兵たちを蹴散らしていく。
「だ、だめです! この程度の火力では、あれには太刀打ちできません!」
「それでもだ! 撃ち続けろ! 一人でも多くの市民が避難するための時間を作れ!」
無論、タリアも巨大な金属の塊であるそれに、決して口径の大きくはない武器で勝てるなどとは考えてはいなかった。アンビションはその使用意図のためか、ガンマレイ出力によるバリア機構は装備されていないようだったが、それでもアサルトライフル程度ではかすり傷をつける程度のダメージしか与えられない。
――――だが、抗戦をやめるわけにはいかぬ。たとえわずかでも、街への被害を減らすために。
「――――タリア!」
歯噛みするタリアに、不意にその声が届いた。反射的に、その声のした方向を振り返る。
「シルバ! 無事だったか!」
そこにいたのは中央管理局に潜入したはずのシルバと、セトミの姿だった。思わず安堵の表情を浮かべそうになる顔を、それどころではないと引き締めなおす。
「だが生憎だな、こっちはご覧の有様だ。あそこから無事に戻れたとて、諸手をあげては喜べん」
「でしょうね。正直なところ、旗色も良くはなさそうだし」
周囲の様子を一瞥しながら、セトミが言うのに、タリアは頷く。
「ああ。元よりこちらは、対人戦用の装備が主なものだ。非戦闘型オートマトンに対抗するのでやっとだったというのに、あれが相手ではな」
「……その点に関しては、少し力になれるかもしれん」
吐き捨てるようなタリアの言葉に、シルバが力強く答える。
「どういうことだ?」
「見ればわかる。セトミ、シェイに交戦開始と伝えてくれ」
説明するより見てもらった方が早いと踏んだか、シルバがセトミに言う。それに一つ頷いて見せると、セトミは左腕のデヴァイスからシェイへと通信をつないだ。
「シェイ、聞こえる?」
「オーケーオーケー、感度良好。始めるのかい?」
モニターには、ウロボロスの端末を前にしたシェイの姿が映る。その奥には、辺りを警戒しているらしいミナの姿もあった。
「ええ、向こうも派手にやってるみたいだから、負けないくらいガチでやっちゃって」
「了解。システム・ウロボロス稼働開始。オーダー、コード・ファイト。攻撃対象、アンビション。……ああ、神様。何も知らぬ彼らを戦地に赴かせる罪深き我らをお許しください」
「……その言い方、やめて」
システムに打ち込むコードを復唱した後、一見冗談めかして、しかしどこか複雑な心根を映したシェイのセリフに、セトミが渋い表情になる。
その言葉が終わるか終らないかのうちに、周囲に大きな機械音が響きだす。それは、多数のオートマトンが稼働時に出す音だった。やがて、先ほどまでウロボロスによりクーデター軍の尖兵となっていたオートマトンたちが、前線で戦う兵たちを守るように戦場に姿を現した。
前線の兵たちは一瞬、その姿に身を固くするものの、オートマトンたちがアンビションを攻撃し、自分たちを敵の攻撃から身を挺して守ろうとするのを見ると、状況を理解したか、その表情をにわかに活気づかせる。
「そうか、ウロボロスを取り戻したのか! 彼らのガンマレイならば、我々の実弾銃よりは奴に効果があるはずだ。考えたな!」
わずかながら希望を取り戻すタリアに、しかしセトミはばつが悪そうに頭を掻く。
「ま……いろいろあって、ちょっとばかり気持ち的には複雑なんだけどさ」
その様子にタリアは一瞬、不思議そうな顔を見せるが、ふと思い出したような表情でセトミを見た。
「……そうだ、そういえば、貴君らと行動を共にしていた、オートマトンの少女はどうした? 彼女のガンマレイならば、この局面では大きな戦力になるはずだ。他のオートマトンが味方に付いた今ならば、彼女がいてくれれば、なんとかなるかもしれない」
「……タリア……彼女は……」
だがそこにシルバが、苦い表情で言いよどむ。
「……どうした? まさか……」
思わず最悪の想像をしたのか、タリアが息を飲むのに対し、セトミが首を振って見せる。
「ああ、そうじゃないのよ。ちょっとばかり、ロボ子は遅刻してくるだけよ」
「……セトミ、しかしリリアは……」
言いよどむシルバに背を向け、セトミはAOWを取り出す。アタッチメントを交換し、そのスタイルを一撃の威力を高めたハイパワーモードへと切り替えた。これなら、対戦車ライフルほどの威力はあるはずだ。
「大丈夫。ああは言ったけど、あの子は来るわよ。機械だってのに、妙に根性は座ってるもの。人格プログラムとやらを再設定した人が、根性ある人だったのかもね」
ちらりと意味ありげにアンビションを一瞥し、セトミはAOWをリロードする。ガチッという接続音に続いて、銃身にエネルギーが充填されていく甲高い音がかすかに響いた。
「だってのに、私らがビビり入ってるわけにもいかないっしょ? 覚悟決めて、ぶっこむわよ」
「……そうだな。奇しくもニコラの思惑通り、人とオートマトンが、同じ目的のために――――これ以上の破壊を止めるために、戦っている。俺たちが尻込みしていては、彼らに顔向けができん」
シルバも手にしていたライフルに、ショウの作成した徹甲弾を装填する。
「さて――――そんじゃあ、最後のひと暴れと参りましょうか!」
その叫びとともに、セトミを先頭に三人は散開しながら戦場へと飛び込んだ。
威嚇するようにアンビションへ向かって撃ち続けながら、セトミは破壊された建物の影へと身を隠す。
「セトミ、聞こえるかい?」
「はいはい、聞こえてますよ」
不意に入るシェイの通信に答えつつも、撃ち続けることはやめない。それに反応してか、アンビションから機銃のようなガンマレイが撃ち込まれ、再び物陰へと身を隠す。
「今、こちらの端末からアンビションのデータにアクセスした。それによると、闇雲に撃ってもだめだ。奴の装甲は実弾銃はもちろん、ガンマレイに対しても耐性があるように設計されている」
「なるほどね。どうりでバリアが装備されてないわけだわ。装備してないんじゃなくて、装備する必要がなかったってわけね」
合点がいったとばかりにうめくセトミに、モニターの中のシェイがうなずく。
「そういうことだ。だから、まずは装甲の薄い、機銃やミサイルの射出口を狙うんだ。それらを破壊できれば、ガンマレイエネルギーの暴発を誘える。奴にダメージを与えるにはそれしかない」
「なるほどね。了解!」
その言葉と同時に、セトミは物陰を飛び出す。先ほどの銃撃でこちらの位置を把握したか、狙っていたかのように機銃での掃射がその後を追う。だが、間一髪のところでセトミはシルバが身をひそめる物陰へと、飛び込み前転の要領で転がり込む。
「……ミサイルの射出口と、機銃!」
視線すら合わせず、ひどく端的に言った言葉だったが、シルバにはそれで十分伝わったようだった。
「……了解した!」
彼がセトミの来た方向へと飛び出すのとほぼ同時に、セトミは物陰の反対側から飛び出す。一瞬、シルバを追いかけ始めた機銃の掃射が、迷いを見せるようにさまよった。
「もらった!」
その迷いを、ハーフであるシルバの瞳は逃さなかった。それでも刹那のものであったその隙のうちに、徹甲弾を機銃の砲塔へと食い込ませる。
「ナイスアシスト!」
同様に、瞳を紅く染め、集中したセトミが、徹甲弾により破損しかけた砲塔に、走りながらAOWを打ち込む。他のオートマトンらのガンマレイとは比べ物にならないほどの質量を持ったエネルギーが、砲塔の一つを打ち砕く。実弾銃に比べ、反動の少ないガンマレイタイプの銃だからこそできる芸当だ。
内部機構までその大容量のガンマレイに焼かれた砲塔は、内部のエネルギーの炸裂により自壊する。
「よし、まずは一個!」
AOWをリロードしながら笑むセトミに、しかし機械越しの重々しい声が響いた。
「クク、機銃を破壊したか。だが、それがどうした? この機体には、まだまだ様々な兵装が施されている。その程度のことなど、象が鼻先を焼かれたほどのダメージもないわ!」
アンビションから響くその声は、確かにシュナイゼルのものだ。どうやら、内部に配備されたマイクか何かで声をこちらまで伝えているようだ。
「フン――――ならばこちらは、その火傷が全身に広がるまで撃ち続けるのみよッ!」
単発式のライフルにスコープを付け、スナイパーライフルにカスタムした銃で狙いを定めていたタリアが、アンビションの左ひざ――――先ほど破壊した砲塔の左右反対側に位置する砲塔に、立て続けに射撃を命中させる。
それに反応して、機銃の銃口がまるで猛禽の瞳が獲物を捕らえたかのように、タリアに向かって掃射を開始する。
タリアが素早く物陰に身を隠すのと同時に、セトミとシルバが同時に物陰から飛び出した。
機銃はそれに反応して狙いを切り替える。先ほどの連携を警戒してシルバに狙いを定めるが、今度は先に発砲したのはセトミの方だった。
発射直前の機銃がガンマレイのエネルギーにまともにさらされ、その銃弾も巻き込み誘爆した。大きなダメージに機銃の狙いは大きくそれ、虚空へ向けて無駄弾をばらまくにとどまった。
「今度は、こっちの番だ!」
それを好機と、シルバが壊れかけた機銃に続けざまに徹甲弾を撃ち込んだ。すでに衝撃に耐えられる状態ではなかった機銃は、砲塔ごと吹き飛ぶ。
「おのれ、貴様らのような鉄くずと愚者どもにィッ……!」
左右の砲塔を破壊され、さすがにその声に焦りがにじんだように聞こえたシュナイゼルだったが、ふと思い出したように、その声が落ち着きを取り戻す。
「クッククク……まあいいだろう。貴様らも、少しはできるということを認めてやろう。だがそれは、より凄惨な結果しかもたらさぬということを、その身を以って知るがいい……」
いや――――それは落ち着きなどではなかった。さらなる大規模の破壊兵器を操作しながら笑うそれは、狂気。多くの人間を死に至らしめるかもしれない行為を行いながら、嗤っていられるなどというそれは、狂人の心理に他ならなかった。
ゆっくりと、アンビションの胸部が開いていく。その奥から、まるで肉食獣の牙のごとく姿をのぞかせているのは、恐らく対人用と思われる、ずらりとならんだ小型ミサイルだった。
「まずい、散開しろ! 各人、とにかく何かの影へ隠れるんだ!」
茫然とその様を見ていた兵士たちが、半ばパニックになりながら駆けだす。セトミらもとにかくいまだ破壊されていない、コンクリートの塊の影へと退避するが、ミサイルの破壊力がどれほどのものかわからない今、それでも確実に安全とは言い難い。
「死ねェッ! 愚民ども! 鉄クズどもがァ! ヒャッハハハハハハ!」
シュナイゼルの狂気に満ちた哄笑とともに、ミサイルの発射音が辺りに響く。
「……伏せろぉッ!」
兵たちに向けて発せられたタリアの絶叫にも近い声は、やがて飛来するミサイルの迫る音に掻き消された。
巻き上がる砂塵や、ばらまかれたコンクリートの破片にもかまわず、セトミはその上に身を伏せる。飛来音の後、すぐに襲ってきた爆音と衝撃に、何がどこにどうあたったのかもわからず、あまりの轟音に聴覚もヒューズが落ちたように、一瞬、機能しなかった。
なんとか戻ってきた五感を使い、周囲の状況を探る。どうやら自分の方には被害はなかったようだが、辺りには倒れた人間の姿や破壊されたオートマトンの残骸が散らばっていた。
ぎりり、と。セトミが、歯噛みしたその時。
「――――タリアッ!」
シルバの絶叫が聞こえた。その声に思わず声のした方向を見る。そこには、下半身を瓦礫の下に挟まれたタリアの姿があった。
「しっかりしろ! タリア!」
「……そんなに大声を出さなくとも……幸か不幸か、生きてるよ。今のでざっくりやってくれた方が、よかったかもしれないが、な……」
途切れ途切れながら、タリアは皮肉めいた笑みを浮かべる。だが、その額には脂汗が浮かび、挟まれた下半身のうち、左足はかなり圧迫されているようだ。
「バカ野郎! ……待ってろ、すぐに助け出す!」
シルバが、近くにいた数人の兵と協力し、タリアを助け出そうと瓦礫を動かし始める。セトミがそこに加わろうと走り出した刹那、その視界の端に、アンビションが何か動くのが映った。
それは、その胴体部分に装備された、先ほどの機銃よりも大きな砲塔。それが、格納されていたらしい胸部から姿を現したのだ。
それと同時に、セトミの、普通の人間よりも鋭敏な嗅覚を、刺激臭が刺す。
次の瞬間、セトミは瞳を覚醒させると同時に、猫の耳のような突起を顕現させる。人の限界を超えた速度でAOWを構え、狙いを胸部の砲塔へ定め、続けざまに発砲した。
威力を高めたAOWが連続で命中し、砲塔を破壊されることを警戒したか、開きかけた砲座が再び閉じた。
「救出を急げッ! ナパームを撃って来る気だッ!」
珍しいセトミの鋭い声に、シルバが息を飲む。普段の彼女とは全く違うその声色に、危機感はレッドゾーンへとその針を振り切る。もし、兵が密集しているこの場にそんなものを撃ち込まれれば、全滅は必至だ。
「……お前たち、ちょっとの間だけ、瓦礫を支えていてくれ」
周囲の兵たちに視線を巡らせると、シルバはライフルを背中に背負う。そして、腰のカタナに手をかけた。
「……………」
そしてその瞳を覚醒させ、赤く染める。静かに息を吸い、そして止める。周囲のなにもかもを五感から排除し、目の前の一点だけに集中する。
「……はァッ!」
――――気合一閃。
まさに神速の速さを以って、シルバは瓦礫に居合切りを仕掛けた。極限まで研ぎ澄まされた神経が、まるではさみで紙を斬るかのごとく、コンクリートの塊である瓦礫を斬り裂いた。
その圧力から解放されたタリアを、兵たちが驚愕とも歓声ともつかぬ叫びとともに、助け出した。
……しかし。
「……だめだ」
その声は、すぐに絶望へと変わる。
タリアの足は、完全に折れていた。それも普通の骨折ではなく、その歪み具合から見て、かなり複雑な折れ方をしていることは間違いない。
「シルバ少佐、これでは動かせません。動かすにしても、担架を用意して慎重にやらなければ……」
「……くそ……」
歯噛みするシルバに、しかし妙案は浮かばない。担架を用意し、なるべく動かさないように、ゆっくりと彼女を搬送する――――そんなことをしている間に、追撃が来るのは明白だ。
「……私のことなど……捨て置けッ……。戦闘を、継続しろ……」
「バカなことをいうな! 必ず助ける!」
先ほどよりもかすかに荒い息で、絞りだすように言うタリアに、シルバは思わず叫ぶ。
「ちょっと、まだ!? こっちもいつまでももたないわよ!」
機銃やナパーム砲に応戦しながら、セトミが叫ぶ。それでもタリアの側を離れられないシルバには、タリアを見捨てることなどできない。
そして再び、アンビションの胸部からナパームの砲塔が姿をのぞかせる。それに反応したセトミがAOWの狙いをそれにつけるが、同時に開いた機銃による射撃に、その狙いが逸らされた。
「まずい! ……来るっ!」
セトミが退避行動をせざるを得なかった一瞬に、ナパームの砲塔が完全に開ききった。静かに熱を発するそれは、もはや発射準備を完全に終えているようだった。
再びその動きを止めようとセトミがAOWの照準をナパーム砲へと向けるが、そのたびに機銃が彼女を狙い撃つ。どうやら、機銃でセトミの動きを抑え、その間にナパームの発射準備を終えるつもりのようだ。
「……散開、しろ……ッ! このままでは、全滅、だ……!」
「しかし、それでは少将が!」
死を覚悟して叫ぶタリアだが、誰一人としてその場を離れようとしない。だが彼女を助け出す策があるわけでもなく、ただ時だけが過ぎる。
そのタリアの目が、驚愕に開かれた。
「来る……ぞ! 総員……退避ッ!」
ついにナパーム弾が発射されたのだ。それはまさに成層圏に突入してきた隕石のごとく、燃え上がる火球となりながら、放物線を描くようにしてにタリアらの方へと飛来する。
その声に兵士らが振り向くが、その時にはもう遅かった。それはあたかもこれから広がる、地獄のような情景を、その一瞬だけでも想起させるほどに赤く、禍々しく燃え上がる、悪魔の炎。
誰もがおのれのもがき苦しみ死ぬ様を想像してしまったその時――――『それ』が現れた。
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−−さよなら、鋼鉄の心。
「……ちょっとばかり、手厳しかったんじゃねえか?」
前を走るシルバの背を見ながら駆けるセトミに、ショウがタバコの火を着けながら言う。その表情は複雑ながら、どこか苦い。
「仕方ないでしょ、本当のことなんだから。こんなの……取り繕った言葉で慰められるほど、私、舌先が器用じゃないもの」
そう言うセトミの表情も、言葉とは裏腹にすっきりしたものではない。それは、先ほどの言をリリアに面と向かって言えなかったことにも表れていた。
「まあな……確かに、リリアの嬢ちゃんには、ちっとばかりきつい事実だったろうな。まさか仇敵と思ってた相手が、自分の焦がれる主だったなんてよ」
そう改めて言葉にされると、セトミもやはり、胸の奥がちくりとするような痛みを感じていた。しかし、自分は神様ではない。それをどうにかする手段も、ハッピーエンドに変える魔法も、持ってはいないのだ。
「まあ、しかし俺は、あのニコラの気持ちもわからないでもないぜ。女は生きることに道を求めるが、男は死ぬことに意義を見出そうとするもんだからな」
息をつくように紫煙を吐きながら、ショウが言う。
「……だから、男ってバカなのよ」
憮然とした表情でふんと鼻をならすセトミだが、その心の奥ではどこか腑に落ちるものがあった。それは、先日のエデンでの騒乱の際、ショウが命を賭して彼女を守ろうとした事実があったからかもしれない。だが、それを踏まえた上での思いが今の言葉だった。
「男はなんかのために死んで、女はそれでも生きていけってんなら、結局苦労すんのは女じゃないのよ。ったく、かっこばっかつけて、満足して勝手に死ぬなっての」
「まあな。だが、この世界がくそったれだってんなら、そんな死に方がお似合いだろ? こんなくそったれの世界――――足跡の一歩も誰かの心に残せたなら、上出来だ」
ショウの言葉と同時に、短くなり始めたタバコがジジッという音とともに灰と散る。
「ほんと……バカみたい」
そう吐き捨てるように言いながらも、セトミは呆れともあきらめともつかない表情でため息をついた。
やがて、その姿はシルバとともに基地の外へと飛び出す。そこは、地も空も、一面赤の世界と化していた。
地上はすでにアンビションとタリアの率いる軍との戦闘が始まっているらしく、戦火が街を覆い尽くし、空はその炎を映す鏡の如く、赤く染まっている。
数秒おきに爆発音と轟音が響き、怒声、悲鳴、銃声がその合間を彩るように木霊する。
「まったく、趣味の悪いオーケストラね。こんな音を奏でてる指揮者の頭、ぶん殴りに行くわよ」
「あ、ちょっと待った」
AOWを構えたセトミの機先を制する形で、ショウが言う。
「確か、ミナたちはウロボロスを止めに行ったんだったな? だったら、俺に一つ案がある。ミナと通信をつないでくれ」
「ミナと? わかった」
エマのインストールされたデヴァイスと、セトミは通信をつなぐ。あちらは作業が完了しているのか、すぐにミナがモニターに現れた。
「……おねえちゃん、なに?」
「ちょっと、ドッグからお願いがあるって。シェイも、聞いてくれる?」
改まったように、ショウが咳払いをしてから話し出す。
「シェイ、ウロボロスの方はどうだ? 掌握できたか?」
「ああ、システムのオーヴァーライドは完了した。やっぱり、こっちはあくまで目くらましだったのかもしれないな」
アンビションが起動してしまった今、ウロボロスの重要性を考えてか、シェイの表情が微妙なものになる。
「よし、てことは、データの書き換えも可能なわけだな。ソドムで戦ってるオートマトンの制御がそこからできるか?」
「うん、それは可能だよ。……あの人のシナリオに乗るようで、あまりいい気分ではないけれど」
ショウの意図をくみ取ったらしく、少々渋い顔でシェイが言う。
「……ああ、まあ、俺もだ。だが……こうなった以上、もうそうするしかねえ」
「なによ、どういうこと?」
一人、会話の内容を理解していない様子のセトミが頬を膨らませて、ショウの映るモニターに詰め寄る。
「今、タリアの部隊と戦ってるオートマトンのコントロールを掌握する。で、一緒に戦ってもらうんだ。ニコラの策に乗るような形にはなるが……」
「……はー、そゆこと」
戦術的には納得がいくものの、確かにニコラのやろうとした『人とオートマトンの共闘による両者の歩み寄り』というものに乗るような形になるのは否めない。
「ま、いいんじゃない? やり方はともかく、その目的は悪いことじゃないと私は思うよ」
「まあ、な。よし、それじゃあシェイ、始めてくれ」
ショウのその声と同時に、モニターの向こうからキーボードをたたく音が響きだす。
「さて、それじゃあ、こっちも動きますかね、お侍さま」
「誰がお侍さまだ……まあいい、よし、動くぞ」
セトミがAOWを、シルバがハンティングライフルを構え、巨大な影の闊歩する戦場へ、足を踏み入れた。
リリア・アイアンメイデンは、言葉もなく座り込み、ただ呆とアンビションの飛び立っていった赤い空を見上げていた。
彼女の心を支配しているのは、今まで感じたこともないような迷いだった。オートマトンである自分は、己の持つシステム――――防衛回路・システム・ガーディアンによって、いつもその場その場でどう対応するべきか、冷静に、正確な答えを出してきた。
戦いの場においても、日常生活の場においても、彼女は今、自分がどうすべきか、迷うことなどなかった。迷いは行動を鈍らせ、事態の悪化を招く。システムに刻み込まれたそのプログラムが、いつも瞬時に答えを導き出してきた。
――――しかし、今回の出来事に関しては、システムはまるで壊れてしまったかのように、エラーを繰り返すのみだった。
「私は……どうすれば……」
先ほど、セトミに投げかけた言葉を、再び彼女は反芻する。
『……自分で考えて』
『自分で決めなきゃいけないのよ』
そのセトミの答えが、メモリーから再生された。
――――そうだ。確かに、自分は『己の存在理由は自分で決めるもの』と、言った。ならばこの問いの答えさえも、自ら決めなければならないのだろうか? どのような決断をしようと、後悔と未練だけが残るように思える、この問いの答えを。
「マスター……あなたは、残酷です……。後悔も、未練も、業罪も……すべて背負って、それでも生きろと言うのですか? 私には……あなたのいない世界なんて……太陽を亡くした世界のようなものだというのに……」
ゆっくりと、空から視線を床に落とす。燃えるような赤い空を見続けたレンズが、その空間の暗さに対応するまで、数秒のタイムラグを発生させる。
「……あれは……?」
その瞳が暗闇に慣れたころ、そこに映ったのは、なにやら機械の反応を示す、小さな物体だった。なにとはなしにそれを拾い上げたリリアは、それが様々なデータを保存できる、小型のメモリースティックだということに気づく。
「なぜ……こんなところに……?」
不思議に思ったリリアが、己の外部接続デヴァイスにメモリースティックを接続する。そのデータを読み込むと同時に、それは自動的に再生された。
そこに記憶されていたのは、ホログラム映像と、音声データだった。リリアが茫然と見つめる中、現れたノイズはやがて人の形をとっていく。
「あ……マス、ター……」
そこに現れたのは、他ならぬマスター・ニコラその人だった。シュナイゼルに乗っ取られたあの醜悪な表情ではなく、笑顔在りし日の、優しい優しい、マスター・ニコラ。
「……やあ、リリア。君がこれを見ているということは、きっと僕は、すでに死んでいるのだろうと思う」
どうやらそれは、ビデオレターのようだった。恐らく、彼の計画ではここでリリアに決着をつけてもらい、すべてを終わらせるつもりだったのだろう。
ということは――――これは、リリアがマスターである彼を殺してしまったと気づいた時に、彼女が見るようにと送られたものだということになる。
「今――――きっと、君は激しく動揺していることと思う。……まずは、すまない。こうするより他に……私には、皆を救う手立てが、思いつかなかった」
ホログラムのニコラが、嘆くように小さく首を横に振った。
「……ひどく残酷なことと思う。恨んでくれていい。憎んでくれたって構わない。ただ……一つだけ、お願いがある」
「お願い……?」
相手はホログラムとわかっていながら、思わずリリアは言葉を返していた。たとえ実際にはそこに存在しない彼であっても、彼と話をしているように思いたかったからかもしれない。
「君は……生きろ」
だが、その彼から発せられたのは奇しくも、先ほど、自分が彼は残酷だと嘆いた際に出てきた言葉と同じものだった。すべてを背負って生きろなどと残酷だ、と。
リリアが顔を伏せるのを、まるでわかっていたかのように、ホログラムであるはずのニコラが強い視線で彼女を見る。その視線は、言葉以上に雄弁に、彼の意思を伝えていた。『生きろ』と。
「君はかつて、僕に聞いたね。『自分は生きているのだろうか』と。その言葉は、ずっと、僕の胸の中にあった。君が仲間を守ろうとする時――――、戦う時――――、そして、友と過ごす時。僕は、その言葉を抱いたまま、君を見ていた」
「……え?」
リリアが、困惑しつつも顔を上げる。
「……そして、思った。君は、生きている。必死に仲間を庇う時の決意のこもった表情。仲間を守り切った時の、笑顔。それは、心なく、冷たい、生きていないもののできる顔じゃない。優しい心を持った、生きる者の顔だと」
「……マスター……」
そうだ。はるか昔、彼をマスターと選んだ時、確かに聞いた。おぼろげな意識の中で、機械の身体である自分――――システムに従って動いているだけの自分は、果たして、生きているのか――――と。
それを、ニコラは覚えていてくれた。そしてずっと、見ていてくれた。
「そう、君は、生きている。生きているんだ。だから……それを、もっとたくさんの人々に伝えてほしい。君が、己の生きる意義とした、何かを、誰かを、守るということの尊さを」
ただ、何も考えることができないままに、リリアは呆けたようにニコラを見つめる。人間の、涙を流すという機能が、これほどに羨ましく思えたことは、いまだかつてなかった。
「人間も、オートマトンも――――己の欲望のために、他者の運命を狂わすなんてことがあってはいけないんだ。だが――――それを語るには、僕の手はもう、汚れすぎた。だから君が……それを、語り継いで、生きてほしい」
そう、かつて彼女がいつも見ていた笑顔で。しかし、その頬はあふれ出した涙に濡れて。
マスター・ニコラは、リリアにそう告げた。
「そして最後に――――僕を止めてくれて、ありがとう。人と機械ではあったけれど……きっと、僕は――――」
そして彼は、涙をぬぐうことさえせずに。
「……君を、愛していた」
発せられたその一言は、今までのどんなデータよりも重く、強く、リリアのメモリーに刻み込まれた。
「ありがとう……。そして、さようなら……リリア」
ひどく無常に、ひどくあっけなく、録画されたホログラムは、そこで終わり、彼の姿はその別れを惜しむ間もなく、消え去った。
後には、ひどくシステム――――システムと言う名の心をざわつかせたままの、リリア・アイアンメイデンが残された。
「……マスター……あなたはやはり、残酷です。なぜ……最期の最期に、私が求めていた言葉をかけてくれるのですか……」
うつむいたまま、表情もなく、リリアはささやくように言う。しかし次の刹那、彼女はゆっくりと顔を上げる。その強い光を宿した瞳は、彼女の背負った意志を掲げるかのように、赤い空へと向けられる。
「ですが……あなたが生きろというなら、私は生きます。それは自分が造られた過程や、目的によるものではなく……自分の意志で、私は生きます」
その言葉とともに、彼女の背に鋼鉄の翼の如く、飛行ユニット――――エイシス・ハイが顕現する。同時に、右手にはガンマレイによる槍、メイデン・トゥルーパー。
リリアの足が力強く地を蹴るのと同時に、その身体が宙を駆ける。アンビションが射出された射出口へ向かって突き進むその姿は、さながら鋼鉄の天使のようだった。
「そして皆を守れというのなら……まず私が守るべき最たるもの――――あなたが生きた意味を――――守って見せます」
やがてその姿は戦火に抗う一点の雫のように、赤く染まった街へと飛び出していった。
ヘヴンリーは、アンビションからから離れ、単独で戦っていた。先ほどまでこちらの指揮下にあったオートマトンたちの部隊が、標的をアンビションに切り替え、攻撃を開始したためだ。
おそらくは、ウロボロスのコントロールを掌握されたのだろう。
「フン……無駄なことを。戦闘プログラムも持たない雑魚どもなど、あれどころか私一機の足元にすら及ばん」
酷薄な笑みを浮かべ、飛行ユニットで滞空するヘヴンリーが、眼下に集うオートマトンたちを文字通り見下す。その死の鎌――――デスサイズは、まるで彼らの命を刈り取ることを待ちわびるかのように、深く赤く、明滅していた。
「さて……せっかくこの雑魚どもを独り占めできるのだ。簡単に破壊してしまっては面白くない。せいぜい遊んでから、瓦礫と変ええてやることとしよう」
彼らを嬲るように、ヘヴンリーがデスサイズを振るう。それと同時にその軌跡からガンマレイが放たれ、地上のオートマトンたちを薙ぎ払う。その一撃で、そのオートマトン部隊の三分の一ほどが衝撃に吹き飛ばされた。
「おっと……予想よりもずいぶんと脆弱な奴らだ。少し力を入れたらあっという間に消し飛んでしまうな。では……今度はもう少し、手加減してやろう」
再びその得物にエネルギーが収束し、ヘヴンリーが攻撃の構えを取る。
「さあ、今度は何体生き残れるかな? クッククク……」
その笑みがなおのこと深く歪み、デスサイズがまたしても閃光を放った、その刹那。
それを掻き消そうとするかのように射線に飛び込んだ青い影が、その死の赤い光を阻んだ。
「―――――――!」
そのエネルギー反応に、ヘヴンリーの表情が変わる。一瞬、険しく己の攻撃を阻んだものを睨み――――だが、その顔は再び笑みに染まる。
「これ以上……彼らを傷つけることは、許しません」
それはヘヴンリーが目的とする相手……次こそは破壊するとそのシステムに記録した相手――――リリア・アイアンメイデンだった。
「フン――――来たか」
ゆっくりと、ヘヴンリーはデスサイズを構えなおす。
「ここに来たということは、ようやく己のマスターを殺すつもりになったということだ。クククク……ガーディアンであるはずの貴様が、自分たちのためにマスターを殺すとは、まったく、結局は貴様も人殺しの道具というわけだ」
不遜な笑みを浮かべ嘲るヘヴンリーに、しかしリリアは動揺することはない。それどころか、より強い光のこもった瞳で、ヘヴンリーを見返す。
「それは、違います」
「……なに?」
笑みを浮かべていたヘヴンリーの顔に、剣呑な色が差した。
「私は、殺すために戦うのではありません。守るために行くのです」
だがそれも一瞬のこと。その答えに、ヘヴンリーは哄笑する。
「ハハハハハ……なにを言うかと思えば、またそれか! くだらんな、なにを言おうと、どう取り繕うと、やっていることは所詮、殺戮ではないか! 貴様も私と同じだ、己が造られた理由に従って、破壊を行っているにすぎん」
だがそう笑うヘヴンリーを見るリリアの目は、どこか憐れみを帯びたような、愁いに染まった光を宿していた。
「……あなたには、理解できないでしょう。己の欲望のために破壊を行うことと、なにかを、誰かを守るために戦うことは、違うのだということが」
その視線、そしてその言葉に、ヘヴンリーの表情が一変する。どこか余裕を見せていた先ほどまでのそれから、その纏う色が象徴するかのような、憤怒の表情へと。
「理解できぬ……? ああ、その通りだ、理解できぬとも。なぜなら、私が製造された理由は、破壊し、侵略し、奪い尽くすためだからだ。システム・ガーディアンを搭載する貴様とは、この世に存在するようになってから、相容れぬ運命なのだ!」
デスサイズを突き付けるように構え、ヘヴンリーは吠える。
「……あなたもまた、縛られた存在なのですね」
しかしリリアは、その様をどこか憐れむような響きのその言葉を、彼女に返した。
「……なに……?」
「あなたは、大戦時に破壊と殺戮のために造られたということを、いまだに引きずっているだけです。それ以外に己の存在する理由が見つからないから、自分が存在することの意味に意味がないという結論に達してしまうのが怖いから、そうやってその理由にしがみついているだけ……」
「黙れぇぇぇぇッ!」
刹那、なおのこと怒りに染まった表情で、ヘヴンリーが飛来する。大きく振りかぶり、振り下ろすだけの、単純ながら力のこもったその一撃は、彼女の怒りと、リリアの言葉が事実であることを如実に伝えていた。
予測するまでもなく、その一撃を見切ったリリアは、しかし避けることはせず、あえて正面から受け止める。そして武器越しに、射抜くような瞳でヘヴンリーを見た。
「……人であろうと、機械であろうと……意志ある、生きるものならば、自分が存在する理由は自分で選ぶべきなのです。たとえそれが困難な道であろうと、幾多の悲しみが待つと分かっていても……」
不意に、ヘヴンリーの腕に重圧が押しかかる。リリアが彼女のデスサイズを止めた己の得物である槍で、ヘヴンリーの武器を払ったのだ。
「それが、生きるということなのですッ!」
「ぐうッ……!」
その武器の……そして言葉の力強さに押し込まれ、弾かれるようにしてヘヴンリーが体勢を崩す。追撃を警戒し、距離を取るヘヴンリーに、しかしリリアは鋭く視線を返すのみだ。確実にできていた一瞬の隙に、リリアが攻め込んでこなかったことが、さらにヘヴンリーの心をざわつかせた。
おそらく、あえてリリアはそうしたのだ。まるで自分を破壊することが目的ではないと、その行動でも示すかのように。
「生きる……だと……」
まだ大きく動いたわけでもないというのに、ヘヴンリーは肩で息をするように、己の中から空気を排気する。
「我々機械が、生きているなどと言うのか! 人間の手で造られ、利用されるだけの我々が、生きているなどと……ッ!」
「生きているということは、身体の構造如何によるものではありません。どのようにしてこの世に存在するようになったものであろうと、その存在した結果によるもの」
再び、リリアが槍を構えなおす。
「すなわち、己の意志を持って臨み、自分の想いで行動を選び、自らの力を以って、その道を歩むこと。そしてその結果として――――誰かの、なにかの中に、伝えるべき足跡を残すということ――――!」
刹那、その姿は青き閃光となって空を駆けた。今までになかったような神速を以って、リリアはヘヴンリーの眼前に迫る。
「なっ――――!」
その動揺が動作に影響したかのように、ヘヴンリーは反応できない。そしてその青き刃が孤を描き――――。
――――斬。
ヘヴンリーの手にした、デスサイズを、真っ二つに切り裂いた。
彼女が体勢を立て直す間もなく、その得物を破壊した刃が、今度は彼女自身に向けられる。
「……壊すがいい」
ぎりり、と歯を食いしばりながら、ヘヴンリーがうめくように言う。
「私を破壊しろ……! 無様な負け様をさらしてまで、存在し続けようなどとは思わんッ! 勝利できぬ弱い兵器に、存在価値などないッ!」
しかしその声に、リリアは悲しげに瞳を細めるのみだ。
「……あなたは、まだそんなことを……」
「なに!?」
猛るヘヴンリーに、リリアは示して見せるように、ゆっくりと槍を引く。
「私が戦うのは、勝利のためでも、制圧するためでもありません。……あなたもいつか、その答えを知るはず」
「……………」
言葉を失うヘヴンリーを置き去りに、リリアは彼女に背を向け、空を進んでいく。己の主の、その姿をしたものの元へ。
「待て!」
その背に、ヘヴンリーの言葉が追いすがる。だがその響きは、強い語気とは裏腹に、どこか迷い子のごとき色を帯びていた。
「その答えとやらのために……お前は……お前は、自分のマスターを殺そうというのか?」
問うヘヴンリーに、リリアは振り返らない。ただ、その心をはるか過去へと思いはせながら、静かに答えた。
「……私は、マスターを殺しに行くのではありません。あの人の生きた意味を……存在した理由を……生かすために、行くのです」
そして。
リリアは、赤く染まる空を、巨大な兵器が歩むその先へと飛ぶ。真っ赤な絶望の戦火の中を、唯一輝く、青い希望の如く。
――――後には、ただうつむき歯噛みする、ヘヴンリーのみが残された。
「弾幕を張れッ! 奴にエネルギー充填の機会を与えるなッ!」
一方、対アンビションの前線では事実上の指揮官であるタリアが自らも応戦しながら兵たちに激を飛ばし、その進軍を止めようと奮戦していた。だが、対非戦闘型オートマトンを想定して配備された装備では、文字通り足止めにしかならなかった。
主にアサルトライフルを主武装とするタリアの部隊は、それでも街への被害を抑えるべく弾幕を張り、巨大な機械の兵の足を止めようとするが、それはその銃弾を蚊を払うかのように振り払い、兵たちを蹴散らしていく。
「だ、だめです! この程度の火力では、あれには太刀打ちできません!」
「それでもだ! 撃ち続けろ! 一人でも多くの市民が避難するための時間を作れ!」
無論、タリアも巨大な金属の塊であるそれに、決して口径の大きくはない武器で勝てるなどとは考えてはいなかった。アンビションはその使用意図のためか、ガンマレイ出力によるバリア機構は装備されていないようだったが、それでもアサルトライフル程度ではかすり傷をつける程度のダメージしか与えられない。
――――だが、抗戦をやめるわけにはいかぬ。たとえわずかでも、街への被害を減らすために。
「――――タリア!」
歯噛みするタリアに、不意にその声が届いた。反射的に、その声のした方向を振り返る。
「シルバ! 無事だったか!」
そこにいたのは中央管理局に潜入したはずのシルバと、セトミの姿だった。思わず安堵の表情を浮かべそうになる顔を、それどころではないと引き締めなおす。
「だが生憎だな、こっちはご覧の有様だ。あそこから無事に戻れたとて、諸手をあげては喜べん」
「でしょうね。正直なところ、旗色も良くはなさそうだし」
周囲の様子を一瞥しながら、セトミが言うのに、タリアは頷く。
「ああ。元よりこちらは、対人戦用の装備が主なものだ。非戦闘型オートマトンに対抗するのでやっとだったというのに、あれが相手ではな」
「……その点に関しては、少し力になれるかもしれん」
吐き捨てるようなタリアの言葉に、シルバが力強く答える。
「どういうことだ?」
「見ればわかる。セトミ、シェイに交戦開始と伝えてくれ」
説明するより見てもらった方が早いと踏んだか、シルバがセトミに言う。それに一つ頷いて見せると、セトミは左腕のデヴァイスからシェイへと通信をつないだ。
「シェイ、聞こえる?」
「オーケーオーケー、感度良好。始めるのかい?」
モニターには、ウロボロスの端末を前にしたシェイの姿が映る。その奥には、辺りを警戒しているらしいミナの姿もあった。
「ええ、向こうも派手にやってるみたいだから、負けないくらいガチでやっちゃって」
「了解。システム・ウロボロス稼働開始。オーダー、コード・ファイト。攻撃対象、アンビション。……ああ、神様。何も知らぬ彼らを戦地に赴かせる罪深き我らをお許しください」
「……その言い方、やめて」
システムに打ち込むコードを復唱した後、一見冗談めかして、しかしどこか複雑な心根を映したシェイのセリフに、セトミが渋い表情になる。
その言葉が終わるか終らないかのうちに、周囲に大きな機械音が響きだす。それは、多数のオートマトンが稼働時に出す音だった。やがて、先ほどまでウロボロスによりクーデター軍の尖兵となっていたオートマトンたちが、前線で戦う兵たちを守るように戦場に姿を現した。
前線の兵たちは一瞬、その姿に身を固くするものの、オートマトンたちがアンビションを攻撃し、自分たちを敵の攻撃から身を挺して守ろうとするのを見ると、状況を理解したか、その表情をにわかに活気づかせる。
「そうか、ウロボロスを取り戻したのか! 彼らのガンマレイならば、我々の実弾銃よりは奴に効果があるはずだ。考えたな!」
わずかながら希望を取り戻すタリアに、しかしセトミはばつが悪そうに頭を掻く。
「ま……いろいろあって、ちょっとばかり気持ち的には複雑なんだけどさ」
その様子にタリアは一瞬、不思議そうな顔を見せるが、ふと思い出したような表情でセトミを見た。
「……そうだ、そういえば、貴君らと行動を共にしていた、オートマトンの少女はどうした? 彼女のガンマレイならば、この局面では大きな戦力になるはずだ。他のオートマトンが味方に付いた今ならば、彼女がいてくれれば、なんとかなるかもしれない」
「……タリア……彼女は……」
だがそこにシルバが、苦い表情で言いよどむ。
「……どうした? まさか……」
思わず最悪の想像をしたのか、タリアが息を飲むのに対し、セトミが首を振って見せる。
「ああ、そうじゃないのよ。ちょっとばかり、ロボ子は遅刻してくるだけよ」
「……セトミ、しかしリリアは……」
言いよどむシルバに背を向け、セトミはAOWを取り出す。アタッチメントを交換し、そのスタイルを一撃の威力を高めたハイパワーモードへと切り替えた。これなら、対戦車ライフルほどの威力はあるはずだ。
「大丈夫。ああは言ったけど、あの子は来るわよ。機械だってのに、妙に根性は座ってるもの。人格プログラムとやらを再設定した人が、根性ある人だったのかもね」
ちらりと意味ありげにアンビションを一瞥し、セトミはAOWをリロードする。ガチッという接続音に続いて、銃身にエネルギーが充填されていく甲高い音がかすかに響いた。
「だってのに、私らがビビり入ってるわけにもいかないっしょ? 覚悟決めて、ぶっこむわよ」
「……そうだな。奇しくもニコラの思惑通り、人とオートマトンが、同じ目的のために――――これ以上の破壊を止めるために、戦っている。俺たちが尻込みしていては、彼らに顔向けができん」
シルバも手にしていたライフルに、ショウの作成した徹甲弾を装填する。
「さて――――そんじゃあ、最後のひと暴れと参りましょうか!」
その叫びとともに、セトミを先頭に三人は散開しながら戦場へと飛び込んだ。
威嚇するようにアンビションへ向かって撃ち続けながら、セトミは破壊された建物の影へと身を隠す。
「セトミ、聞こえるかい?」
「はいはい、聞こえてますよ」
不意に入るシェイの通信に答えつつも、撃ち続けることはやめない。それに反応してか、アンビションから機銃のようなガンマレイが撃ち込まれ、再び物陰へと身を隠す。
「今、こちらの端末からアンビションのデータにアクセスした。それによると、闇雲に撃ってもだめだ。奴の装甲は実弾銃はもちろん、ガンマレイに対しても耐性があるように設計されている」
「なるほどね。どうりでバリアが装備されてないわけだわ。装備してないんじゃなくて、装備する必要がなかったってわけね」
合点がいったとばかりにうめくセトミに、モニターの中のシェイがうなずく。
「そういうことだ。だから、まずは装甲の薄い、機銃やミサイルの射出口を狙うんだ。それらを破壊できれば、ガンマレイエネルギーの暴発を誘える。奴にダメージを与えるにはそれしかない」
「なるほどね。了解!」
その言葉と同時に、セトミは物陰を飛び出す。先ほどの銃撃でこちらの位置を把握したか、狙っていたかのように機銃での掃射がその後を追う。だが、間一髪のところでセトミはシルバが身をひそめる物陰へと、飛び込み前転の要領で転がり込む。
「……ミサイルの射出口と、機銃!」
視線すら合わせず、ひどく端的に言った言葉だったが、シルバにはそれで十分伝わったようだった。
「……了解した!」
彼がセトミの来た方向へと飛び出すのとほぼ同時に、セトミは物陰の反対側から飛び出す。一瞬、シルバを追いかけ始めた機銃の掃射が、迷いを見せるようにさまよった。
「もらった!」
その迷いを、ハーフであるシルバの瞳は逃さなかった。それでも刹那のものであったその隙のうちに、徹甲弾を機銃の砲塔へと食い込ませる。
「ナイスアシスト!」
同様に、瞳を紅く染め、集中したセトミが、徹甲弾により破損しかけた砲塔に、走りながらAOWを打ち込む。他のオートマトンらのガンマレイとは比べ物にならないほどの質量を持ったエネルギーが、砲塔の一つを打ち砕く。実弾銃に比べ、反動の少ないガンマレイタイプの銃だからこそできる芸当だ。
内部機構までその大容量のガンマレイに焼かれた砲塔は、内部のエネルギーの炸裂により自壊する。
「よし、まずは一個!」
AOWをリロードしながら笑むセトミに、しかし機械越しの重々しい声が響いた。
「クク、機銃を破壊したか。だが、それがどうした? この機体には、まだまだ様々な兵装が施されている。その程度のことなど、象が鼻先を焼かれたほどのダメージもないわ!」
アンビションから響くその声は、確かにシュナイゼルのものだ。どうやら、内部に配備されたマイクか何かで声をこちらまで伝えているようだ。
「フン――――ならばこちらは、その火傷が全身に広がるまで撃ち続けるのみよッ!」
単発式のライフルにスコープを付け、スナイパーライフルにカスタムした銃で狙いを定めていたタリアが、アンビションの左ひざ――――先ほど破壊した砲塔の左右反対側に位置する砲塔に、立て続けに射撃を命中させる。
それに反応して、機銃の銃口がまるで猛禽の瞳が獲物を捕らえたかのように、タリアに向かって掃射を開始する。
タリアが素早く物陰に身を隠すのと同時に、セトミとシルバが同時に物陰から飛び出した。
機銃はそれに反応して狙いを切り替える。先ほどの連携を警戒してシルバに狙いを定めるが、今度は先に発砲したのはセトミの方だった。
発射直前の機銃がガンマレイのエネルギーにまともにさらされ、その銃弾も巻き込み誘爆した。大きなダメージに機銃の狙いは大きくそれ、虚空へ向けて無駄弾をばらまくにとどまった。
「今度は、こっちの番だ!」
それを好機と、シルバが壊れかけた機銃に続けざまに徹甲弾を撃ち込んだ。すでに衝撃に耐えられる状態ではなかった機銃は、砲塔ごと吹き飛ぶ。
「おのれ、貴様らのような鉄くずと愚者どもにィッ……!」
左右の砲塔を破壊され、さすがにその声に焦りがにじんだように聞こえたシュナイゼルだったが、ふと思い出したように、その声が落ち着きを取り戻す。
「クッククク……まあいいだろう。貴様らも、少しはできるということを認めてやろう。だがそれは、より凄惨な結果しかもたらさぬということを、その身を以って知るがいい……」
いや――――それは落ち着きなどではなかった。さらなる大規模の破壊兵器を操作しながら笑うそれは、狂気。多くの人間を死に至らしめるかもしれない行為を行いながら、嗤っていられるなどというそれは、狂人の心理に他ならなかった。
ゆっくりと、アンビションの胸部が開いていく。その奥から、まるで肉食獣の牙のごとく姿をのぞかせているのは、恐らく対人用と思われる、ずらりとならんだ小型ミサイルだった。
「まずい、散開しろ! 各人、とにかく何かの影へ隠れるんだ!」
茫然とその様を見ていた兵士たちが、半ばパニックになりながら駆けだす。セトミらもとにかくいまだ破壊されていない、コンクリートの塊の影へと退避するが、ミサイルの破壊力がどれほどのものかわからない今、それでも確実に安全とは言い難い。
「死ねェッ! 愚民ども! 鉄クズどもがァ! ヒャッハハハハハハ!」
シュナイゼルの狂気に満ちた哄笑とともに、ミサイルの発射音が辺りに響く。
「……伏せろぉッ!」
兵たちに向けて発せられたタリアの絶叫にも近い声は、やがて飛来するミサイルの迫る音に掻き消された。
巻き上がる砂塵や、ばらまかれたコンクリートの破片にもかまわず、セトミはその上に身を伏せる。飛来音の後、すぐに襲ってきた爆音と衝撃に、何がどこにどうあたったのかもわからず、あまりの轟音に聴覚もヒューズが落ちたように、一瞬、機能しなかった。
なんとか戻ってきた五感を使い、周囲の状況を探る。どうやら自分の方には被害はなかったようだが、辺りには倒れた人間の姿や破壊されたオートマトンの残骸が散らばっていた。
ぎりり、と。セトミが、歯噛みしたその時。
「――――タリアッ!」
シルバの絶叫が聞こえた。その声に思わず声のした方向を見る。そこには、下半身を瓦礫の下に挟まれたタリアの姿があった。
「しっかりしろ! タリア!」
「……そんなに大声を出さなくとも……幸か不幸か、生きてるよ。今のでざっくりやってくれた方が、よかったかもしれないが、な……」
途切れ途切れながら、タリアは皮肉めいた笑みを浮かべる。だが、その額には脂汗が浮かび、挟まれた下半身のうち、左足はかなり圧迫されているようだ。
「バカ野郎! ……待ってろ、すぐに助け出す!」
シルバが、近くにいた数人の兵と協力し、タリアを助け出そうと瓦礫を動かし始める。セトミがそこに加わろうと走り出した刹那、その視界の端に、アンビションが何か動くのが映った。
それは、その胴体部分に装備された、先ほどの機銃よりも大きな砲塔。それが、格納されていたらしい胸部から姿を現したのだ。
それと同時に、セトミの、普通の人間よりも鋭敏な嗅覚を、刺激臭が刺す。
次の瞬間、セトミは瞳を覚醒させると同時に、猫の耳のような突起を顕現させる。人の限界を超えた速度でAOWを構え、狙いを胸部の砲塔へ定め、続けざまに発砲した。
威力を高めたAOWが連続で命中し、砲塔を破壊されることを警戒したか、開きかけた砲座が再び閉じた。
「救出を急げッ! ナパームを撃って来る気だッ!」
珍しいセトミの鋭い声に、シルバが息を飲む。普段の彼女とは全く違うその声色に、危機感はレッドゾーンへとその針を振り切る。もし、兵が密集しているこの場にそんなものを撃ち込まれれば、全滅は必至だ。
「……お前たち、ちょっとの間だけ、瓦礫を支えていてくれ」
周囲の兵たちに視線を巡らせると、シルバはライフルを背中に背負う。そして、腰のカタナに手をかけた。
「……………」
そしてその瞳を覚醒させ、赤く染める。静かに息を吸い、そして止める。周囲のなにもかもを五感から排除し、目の前の一点だけに集中する。
「……はァッ!」
――――気合一閃。
まさに神速の速さを以って、シルバは瓦礫に居合切りを仕掛けた。極限まで研ぎ澄まされた神経が、まるではさみで紙を斬るかのごとく、コンクリートの塊である瓦礫を斬り裂いた。
その圧力から解放されたタリアを、兵たちが驚愕とも歓声ともつかぬ叫びとともに、助け出した。
……しかし。
「……だめだ」
その声は、すぐに絶望へと変わる。
タリアの足は、完全に折れていた。それも普通の骨折ではなく、その歪み具合から見て、かなり複雑な折れ方をしていることは間違いない。
「シルバ少佐、これでは動かせません。動かすにしても、担架を用意して慎重にやらなければ……」
「……くそ……」
歯噛みするシルバに、しかし妙案は浮かばない。担架を用意し、なるべく動かさないように、ゆっくりと彼女を搬送する――――そんなことをしている間に、追撃が来るのは明白だ。
「……私のことなど……捨て置けッ……。戦闘を、継続しろ……」
「バカなことをいうな! 必ず助ける!」
先ほどよりもかすかに荒い息で、絞りだすように言うタリアに、シルバは思わず叫ぶ。
「ちょっと、まだ!? こっちもいつまでももたないわよ!」
機銃やナパーム砲に応戦しながら、セトミが叫ぶ。それでもタリアの側を離れられないシルバには、タリアを見捨てることなどできない。
そして再び、アンビションの胸部からナパームの砲塔が姿をのぞかせる。それに反応したセトミがAOWの狙いをそれにつけるが、同時に開いた機銃による射撃に、その狙いが逸らされた。
「まずい! ……来るっ!」
セトミが退避行動をせざるを得なかった一瞬に、ナパームの砲塔が完全に開ききった。静かに熱を発するそれは、もはや発射準備を完全に終えているようだった。
再びその動きを止めようとセトミがAOWの照準をナパーム砲へと向けるが、そのたびに機銃が彼女を狙い撃つ。どうやら、機銃でセトミの動きを抑え、その間にナパームの発射準備を終えるつもりのようだ。
「……散開、しろ……ッ! このままでは、全滅、だ……!」
「しかし、それでは少将が!」
死を覚悟して叫ぶタリアだが、誰一人としてその場を離れようとしない。だが彼女を助け出す策があるわけでもなく、ただ時だけが過ぎる。
そのタリアの目が、驚愕に開かれた。
「来る……ぞ! 総員……退避ッ!」
ついにナパーム弾が発射されたのだ。それはまさに成層圏に突入してきた隕石のごとく、燃え上がる火球となりながら、放物線を描くようにしてにタリアらの方へと飛来する。
その声に兵士らが振り向くが、その時にはもう遅かった。それはあたかもこれから広がる、地獄のような情景を、その一瞬だけでも想起させるほどに赤く、禍々しく燃え上がる、悪魔の炎。
誰もがおのれのもがき苦しみ死ぬ様を想像してしまったその時――――『それ』が現れた。