巨大スライム戦
ー/ー トトイの町を出発した勇斗たちは、カルント山に向かって歩いていた。
「宿屋のオーナー、大丈夫っスかね。かなり参っていた様子だったっスけど」
診療所へと運び込まれていたのは、風詩亭の料理人だった。アリシアの話によると、命こそ助かったものの、再び厨房に立つには長い時間が必要らしい。事情を聞いたオーナーの蒼白な顔が、今もまぶたの裏に焼き付いている。
「どうしてもワンコを雇いたいって言ってたぞ。あそこで働いてオイラにたらふく食わせてくれよ。もちろんタダで」
ランパはニヤつきながら、先導するミュールを肘で突いた。
「うるさい。チビスケは黙ってろ」
ミュールは硬い声で言った。
「な、なんだよぅ。冗談だって。そんなにむくれるなよ」
ランパは立ちすくんだ。冷や汗をかいている。
「ミュール、昨日から様子が変っスよ。何かあったんスか?」
浮かない顔をしたチカップが、こっそりと勇斗に尋ねてきた。
「あ、いや、ええと」
勇斗はおろおろした。みんなには、ミュールの過去のことは話していない。ミュールの姿を見ていると、どうにも踏ん切りがつかなかった。いつか打ち明けたほうが良いのだろうか。
しばらく歩くと、うっすらと霧が立ちこめ始めた。足元がぬかるんでいる。
勇斗たちは、どんよりと広がる湿地帯に足を踏み入れていた。沼の水面は暗くよどみ、不気味な気泡が湧き上がっている。粘土のような、独特な泥の臭いが鼻をつく。
足を取られぬよう、小道を慎重に進む。周りの雑草は伸び放題だ。歩を進めるたびに、霧はいっそう濃さを増していった。
「おかしいな。この辺りは霧なんて出ないはずだが」
ミュールが立ち止まり、警戒するように周囲を見渡す。尻尾をぴんと逆立て、ケモ耳をピクピクと動かした。
そのとき、霧の奥にぼんやりと黒い影が浮かび上がった。
「魔族っ!」
ミュールは叫ぶや否や、一人霧の中へと飛び込んでいった。
「ワンコ、一人で行くなよ! ――って、もう聞こえないか」
張り詰めた空気。辺りを異様な静けさが支配する。
霧はますます濃くなり、視界を完全に遮った。
「何も見えないよ」
「こういうのは、魔法で吹き飛ばせばいいんスよ」
落ち着いた声を出したチカップは、ベージュのコートのポケットから羽ペンを取り出し、宙に素早く魔法陣を描く。すると、どこからともなく風が吹き起こり、霧を吹き払った。視界がクリアになる。
なるほど、魔法はこんな使い方もできるのか。勇斗は関心した。
「ミュール、いないね。どこに行ったんだろう?」
「ユート、あれを見てくださいませ」
ソーマが右手で沼の方を指す。水面から、細長いゼリー状の棒が三本、ゆらゆらと蠢いていた。何だろう、あれ。気持ち悪い。
ぼこっ、と鈍い音が響く。
「ちょっとやばいのがいるみたいだな」
ランパは精霊樹の枝を握り締め、低く静かに言った。
「ソーマは隠れているんだ」
ソーマを遠ざけた勇斗は、素早くドラシガーに火をつけて咥え、聖剣クトネシスを引き抜いた。
三本の棒が、シュッと沼の中へと消える。
ざばぁ、と水面が球状に盛り上がった。水が四方に飛び散り、ぬるりとした影がせり上がってくる。やがて、勇斗たちの目の前にその正体が姿を現した。
半透明の巨大な粘液の塊――スライム。それも、かなりの大きさだ。薄い緑色をした体の奥で、何かが蠢いている。よく見ると、それは骨だった。大小さまざまな形の骨が、スライムの内部で漂いながら絡み合っていた。
「来るっスよ!」
巨大なスライムが、ぶよぶよと体を震わせながら迫ってきた。
先に動いたのは勇斗だった。淡い緑色の煙をまとい、風の精霊術を刃に宿して流れるようにスライムへと斬り込む。鋭い剣閃が粘液の巨体を裂いた。
だが、手応えはなかった。
スライムの表面はしっとりと柔らかく、水を斬ったような感触だった。確かに刃は通っているはずなのに、抵抗がほとんど感じられない。大量の水分を含んでいるのか、あるいは、攻撃そのものを無効化しているのか――
「物理がダメなら、魔法っス!」
チカップが素早く赤い魔法陣を描き、燃え盛る炎の矢をスライムに向かって放つ。続けてランパも、精霊術で生み出した木の実を弾丸のように撃ち込んだ。
スライムが、突然ピタリと動きを止めた。固い音とともに、攻撃が弾かれる。
「何じゃありゃ。カチコチになってるぞ!」
スライムの表面がまるで鋼のように硬化していた。ボディは透けたままだが、鉄よりもどこかクリスタルのような質感を持っている。
勇斗は再び斬りかかる。今度は明らかに手応えがあった。だが、相手はびくともしない。長期戦になりそうだ――そう思い、ドラシガーの吸い口を強く噛む。
「魔法が来るっスよ!」
チカップの警告。スライムの頭上に水色の魔法陣が描かれ、水の塊が生成される。
「ユート、避けろ!」
ランパの叫びと同時に、勇斗は左へ跳んだ。
直後、極細の高圧水流が発射される。さっきまで勇斗が立っていた地面が、大きくえぐれた。もし直撃していたら、と考えるだけで背筋が凍った。
スライムの表面が、ぐにゃりと歪む。どうやら再び軟化モードに入ったらしい。勇斗はすかさず、ランパとチカップに目で合図を送る。
「ちょっと待って。相手の様子がおかしいっス」
スライムの巨体から、長い触手が何本も生えていた。うねうねと蠢く異様な光景。最初に沼から顔を覗かせていたのは、あの触手だったのか。
触手がぐんぐんと伸びる。鞭のようにしならせ、襲いかかってきた。
勇斗たちはタイミングを見計らい、攻撃を回避する。次々と襲いかかる触手と水の魔法による高圧水流。防戦一方で攻撃に転じる余裕がない。
突如、霧が再び発生した。見通しが悪くなる。この霧はスライムが生み出しているのだろうか。
勇斗は左手を天に掲げ、風の精霊術を発動した。荒れ狂う風が霧を退ける。
霧が消えた瞬間、勇斗は息を呑んだ。
「ぐああああっ」
ランパの体が、触手に捕らえられていた。何重にも締めつけられ、苦しげにもがいている。
「うがっ! があっ! あっ、あ、ぁ――」
ランパ悲鳴が、どんどん小さくなる。顔が青ざめ、肌がやつれていく。
同時に、スライムの巨体がどんどん膨れ上がっていった。まさか、ランパのマナを吸い取ってるのか?
勇斗の動悸が激しくなったときには、すでに手遅れだった。
ランパは、枯れたようにぐったりと項垂れ、動かなくなった。
「ユート、まずいっス!」
元の倍に膨れ上がったスライムの頭上に、再び水色の魔法陣が描かれる。マナの流れが異常なほど乱れ、魔法陣から巨大な泡がいくつも生まれていく。
迫り来る泡の大群を避けようとした瞬間、勇斗は足元に違和感を覚えた。
見ると、粘液がグリーヴにまとわりついている。いつの間に。まずい、跳ぶのが遅れる。チカップも同様だった。
勇斗とチカップを包囲した泡が、耳をつんざく破裂音とともに一斉に弾けた。
衝撃波が周囲を薙ぎ払い、勇斗とチカップを飲み込む。血を撒き散らしながら、二人は大きく吹き飛ばされた。
泥水がしぶきを上げる。
沼地に叩きつけられた勇斗は、かすむ意識の中で空を見上げた。空が、ぐるぐると回っている。
「う、ぐっ――」
勇斗は激痛に耐えながら、泥水の中で体を引き起こした。幸い、沼はそれほど深くなかった。
「宿屋のオーナー、大丈夫っスかね。かなり参っていた様子だったっスけど」
診療所へと運び込まれていたのは、風詩亭の料理人だった。アリシアの話によると、命こそ助かったものの、再び厨房に立つには長い時間が必要らしい。事情を聞いたオーナーの蒼白な顔が、今もまぶたの裏に焼き付いている。
「どうしてもワンコを雇いたいって言ってたぞ。あそこで働いてオイラにたらふく食わせてくれよ。もちろんタダで」
ランパはニヤつきながら、先導するミュールを肘で突いた。
「うるさい。チビスケは黙ってろ」
ミュールは硬い声で言った。
「な、なんだよぅ。冗談だって。そんなにむくれるなよ」
ランパは立ちすくんだ。冷や汗をかいている。
「ミュール、昨日から様子が変っスよ。何かあったんスか?」
浮かない顔をしたチカップが、こっそりと勇斗に尋ねてきた。
「あ、いや、ええと」
勇斗はおろおろした。みんなには、ミュールの過去のことは話していない。ミュールの姿を見ていると、どうにも踏ん切りがつかなかった。いつか打ち明けたほうが良いのだろうか。
しばらく歩くと、うっすらと霧が立ちこめ始めた。足元がぬかるんでいる。
勇斗たちは、どんよりと広がる湿地帯に足を踏み入れていた。沼の水面は暗くよどみ、不気味な気泡が湧き上がっている。粘土のような、独特な泥の臭いが鼻をつく。
足を取られぬよう、小道を慎重に進む。周りの雑草は伸び放題だ。歩を進めるたびに、霧はいっそう濃さを増していった。
「おかしいな。この辺りは霧なんて出ないはずだが」
ミュールが立ち止まり、警戒するように周囲を見渡す。尻尾をぴんと逆立て、ケモ耳をピクピクと動かした。
そのとき、霧の奥にぼんやりと黒い影が浮かび上がった。
「魔族っ!」
ミュールは叫ぶや否や、一人霧の中へと飛び込んでいった。
「ワンコ、一人で行くなよ! ――って、もう聞こえないか」
張り詰めた空気。辺りを異様な静けさが支配する。
霧はますます濃くなり、視界を完全に遮った。
「何も見えないよ」
「こういうのは、魔法で吹き飛ばせばいいんスよ」
落ち着いた声を出したチカップは、ベージュのコートのポケットから羽ペンを取り出し、宙に素早く魔法陣を描く。すると、どこからともなく風が吹き起こり、霧を吹き払った。視界がクリアになる。
なるほど、魔法はこんな使い方もできるのか。勇斗は関心した。
「ミュール、いないね。どこに行ったんだろう?」
「ユート、あれを見てくださいませ」
ソーマが右手で沼の方を指す。水面から、細長いゼリー状の棒が三本、ゆらゆらと蠢いていた。何だろう、あれ。気持ち悪い。
ぼこっ、と鈍い音が響く。
「ちょっとやばいのがいるみたいだな」
ランパは精霊樹の枝を握り締め、低く静かに言った。
「ソーマは隠れているんだ」
ソーマを遠ざけた勇斗は、素早くドラシガーに火をつけて咥え、聖剣クトネシスを引き抜いた。
三本の棒が、シュッと沼の中へと消える。
ざばぁ、と水面が球状に盛り上がった。水が四方に飛び散り、ぬるりとした影がせり上がってくる。やがて、勇斗たちの目の前にその正体が姿を現した。
半透明の巨大な粘液の塊――スライム。それも、かなりの大きさだ。薄い緑色をした体の奥で、何かが蠢いている。よく見ると、それは骨だった。大小さまざまな形の骨が、スライムの内部で漂いながら絡み合っていた。
「来るっスよ!」
巨大なスライムが、ぶよぶよと体を震わせながら迫ってきた。
先に動いたのは勇斗だった。淡い緑色の煙をまとい、風の精霊術を刃に宿して流れるようにスライムへと斬り込む。鋭い剣閃が粘液の巨体を裂いた。
だが、手応えはなかった。
スライムの表面はしっとりと柔らかく、水を斬ったような感触だった。確かに刃は通っているはずなのに、抵抗がほとんど感じられない。大量の水分を含んでいるのか、あるいは、攻撃そのものを無効化しているのか――
「物理がダメなら、魔法っス!」
チカップが素早く赤い魔法陣を描き、燃え盛る炎の矢をスライムに向かって放つ。続けてランパも、精霊術で生み出した木の実を弾丸のように撃ち込んだ。
スライムが、突然ピタリと動きを止めた。固い音とともに、攻撃が弾かれる。
「何じゃありゃ。カチコチになってるぞ!」
スライムの表面がまるで鋼のように硬化していた。ボディは透けたままだが、鉄よりもどこかクリスタルのような質感を持っている。
勇斗は再び斬りかかる。今度は明らかに手応えがあった。だが、相手はびくともしない。長期戦になりそうだ――そう思い、ドラシガーの吸い口を強く噛む。
「魔法が来るっスよ!」
チカップの警告。スライムの頭上に水色の魔法陣が描かれ、水の塊が生成される。
「ユート、避けろ!」
ランパの叫びと同時に、勇斗は左へ跳んだ。
直後、極細の高圧水流が発射される。さっきまで勇斗が立っていた地面が、大きくえぐれた。もし直撃していたら、と考えるだけで背筋が凍った。
スライムの表面が、ぐにゃりと歪む。どうやら再び軟化モードに入ったらしい。勇斗はすかさず、ランパとチカップに目で合図を送る。
「ちょっと待って。相手の様子がおかしいっス」
スライムの巨体から、長い触手が何本も生えていた。うねうねと蠢く異様な光景。最初に沼から顔を覗かせていたのは、あの触手だったのか。
触手がぐんぐんと伸びる。鞭のようにしならせ、襲いかかってきた。
勇斗たちはタイミングを見計らい、攻撃を回避する。次々と襲いかかる触手と水の魔法による高圧水流。防戦一方で攻撃に転じる余裕がない。
突如、霧が再び発生した。見通しが悪くなる。この霧はスライムが生み出しているのだろうか。
勇斗は左手を天に掲げ、風の精霊術を発動した。荒れ狂う風が霧を退ける。
霧が消えた瞬間、勇斗は息を呑んだ。
「ぐああああっ」
ランパの体が、触手に捕らえられていた。何重にも締めつけられ、苦しげにもがいている。
「うがっ! があっ! あっ、あ、ぁ――」
ランパ悲鳴が、どんどん小さくなる。顔が青ざめ、肌がやつれていく。
同時に、スライムの巨体がどんどん膨れ上がっていった。まさか、ランパのマナを吸い取ってるのか?
勇斗の動悸が激しくなったときには、すでに手遅れだった。
ランパは、枯れたようにぐったりと項垂れ、動かなくなった。
「ユート、まずいっス!」
元の倍に膨れ上がったスライムの頭上に、再び水色の魔法陣が描かれる。マナの流れが異常なほど乱れ、魔法陣から巨大な泡がいくつも生まれていく。
迫り来る泡の大群を避けようとした瞬間、勇斗は足元に違和感を覚えた。
見ると、粘液がグリーヴにまとわりついている。いつの間に。まずい、跳ぶのが遅れる。チカップも同様だった。
勇斗とチカップを包囲した泡が、耳をつんざく破裂音とともに一斉に弾けた。
衝撃波が周囲を薙ぎ払い、勇斗とチカップを飲み込む。血を撒き散らしながら、二人は大きく吹き飛ばされた。
泥水がしぶきを上げる。
沼地に叩きつけられた勇斗は、かすむ意識の中で空を見上げた。空が、ぐるぐると回っている。
「う、ぐっ――」
勇斗は激痛に耐えながら、泥水の中で体を引き起こした。幸い、沼はそれほど深くなかった。
ドラシガーの火は消えてなかった。折れてないし、湿ってもない。
煙を吸い込み、意識を研ぎ澄ませる。喉の奥に泥水の苦味を感じるが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
チカップも泥だらけになりながら、沼から這い上がってくる。片膝をつき、荒い息を吐いている。口からは、泥に混じった血が滴っていた。
勇斗は視線を上げ、触手に捕らわれたままのランパを見た。がっくりとうなだれ、動く気配がない。
急がなければ、ランパが本当に危ない。
勇斗が斬撃を放ち、チカップが詠唱をする。しかし、スライムはなおも硬化と軟化を繰り返しながら、どんな攻撃も受け流していた。
勇斗の咥えていたドラシガーが、吸い口のリングだけを残して消滅した。
一回の戦闘でドラシガーを吸い切るのは初めてだった。それほど長く戦っているということか。かれこれ三十分以上は経過していた。
勇斗は迷わず、二本目のドラシガーに火をつけ、口に咥える。
そのとき、今までの戦闘を思い返し、あることに気づいた。スライムは、硬化モードに入る直前、必ず一瞬だけ動きを止めている。もしかして。
勇斗はチカップに目配せする。チカップも同じことを考えていたのか、素早く首を縦に振った。
今は軟化モード――つまり、硬化モードへ切り替わるタイミングを誘導できるはずだ。
勇斗の掌から連射された炎が、スライムの表面を焼く。スライムはぶよぶよと震えながら、その身を固めていく。
スライムの動きが、止まった。
「凍てつく風よ、全てを覆え!!」
第三の目を大きく見開いたチカップが青と緑の魔法陣を描き、羽ペンの先をスライムへと向ける。刹那、極寒の風が巻き起こり、スライムの体が凍りついていく。
今だ!
勇斗はドラシガーの煙を鋭く吸い込み、口の隙間から一気に吐き出した。
跳躍。炎を纏った刃が、上空で大きく弧を描く。聖剣を思い切り振り下ろす。斬撃とともに、炎の竜巻がスライムを包み込む。
真っ二つに裂けたスライムの巨体は、瞬く間に蒸発し、霧散した。
「うっ」
視界が一瞬霞み、足元がふらついた。全身の力が抜けそうになる。しかし、地面に投げ出されたランパの姿が目に入った瞬間、勇斗は迷いなく駆け出した。
ランパ!
仰向けに倒れたランパの身体が、徐々に透け始めている。精霊は外的要因で死ぬことがある。以前、コタ様から聞かされた言葉が脳裏をよぎる。
ランパはこのまま死んでしまうのか? 死んで、精霊石になってしまうのか?
ランパが死ぬ=ランパの助けを受けられない=ドラシガーを生成できない=強い魔族と戦えない=自分も死ぬ。勇斗の頭の中で、最悪のシナリオが瞬時に組み上がる。
ランパがいないと、元の世界に帰れる自信がない――
勇斗は、ドラシガーの先端から立ち昇る淡い緑色の煙を見つめた。
この煙はマナだ。精霊の身体も、マナでできている。なら、これをランパに分ければ?
勇斗は迷わずランパの元へ膝をついた。左腕でそっと抱きかかえ、そのげっそりとやつれた顔を見つめる。
間に合うか――いや、間に合わせる。
ドラシガーのボディを右手でしっかりと摘み、煙を口腔内に溜めた。
一か八か。勇斗は、そのまま顔を近づける。
唇が、重なる。
口に含んだマナの煙を、ランパの口へと送り込んでいく。
その瞬間。
ランパの身体が、びくっと震えた。
効いている!
勇斗はすぐにもう一度、煙を含み、ランパに移す。
消えかけていたランパの身体が、次第に色を取り戻していく。
もう少し、もう少しだ。
三回目の口移し。
すると、ランパのまぶたが、わずかに動いた。
「――んっ」
ランパがかすかに息を吹き返し、ゆっくりと目を開ける。
生きている!
安堵で胸がいっぱいになった瞬間、ランパが力なく口を開いた。
「男同士のチューなんて、オイラ、どうしたらいいんだよ」
契約のときもしたじゃないか、と思ったが、そのことは口には出さなかった。
「ふぅ」
ドラシガーを口から離し、煙を吐いた勇斗は精一杯の微笑みを浮かべた。
「おかえり、ランパ」
「おう。ただいま、ユート」
チカップも泥だらけになりながら、沼から這い上がってくる。片膝をつき、荒い息を吐いている。口からは、泥に混じった血が滴っていた。
勇斗は視線を上げ、触手に捕らわれたままのランパを見た。がっくりとうなだれ、動く気配がない。
急がなければ、ランパが本当に危ない。
勇斗が斬撃を放ち、チカップが詠唱をする。しかし、スライムはなおも硬化と軟化を繰り返しながら、どんな攻撃も受け流していた。
勇斗の咥えていたドラシガーが、吸い口のリングだけを残して消滅した。
一回の戦闘でドラシガーを吸い切るのは初めてだった。それほど長く戦っているということか。かれこれ三十分以上は経過していた。
勇斗は迷わず、二本目のドラシガーに火をつけ、口に咥える。
そのとき、今までの戦闘を思い返し、あることに気づいた。スライムは、硬化モードに入る直前、必ず一瞬だけ動きを止めている。もしかして。
勇斗はチカップに目配せする。チカップも同じことを考えていたのか、素早く首を縦に振った。
今は軟化モード――つまり、硬化モードへ切り替わるタイミングを誘導できるはずだ。
勇斗の掌から連射された炎が、スライムの表面を焼く。スライムはぶよぶよと震えながら、その身を固めていく。
スライムの動きが、止まった。
「凍てつく風よ、全てを覆え!!」
第三の目を大きく見開いたチカップが青と緑の魔法陣を描き、羽ペンの先をスライムへと向ける。刹那、極寒の風が巻き起こり、スライムの体が凍りついていく。
今だ!
勇斗はドラシガーの煙を鋭く吸い込み、口の隙間から一気に吐き出した。
跳躍。炎を纏った刃が、上空で大きく弧を描く。聖剣を思い切り振り下ろす。斬撃とともに、炎の竜巻がスライムを包み込む。
真っ二つに裂けたスライムの巨体は、瞬く間に蒸発し、霧散した。
「うっ」
視界が一瞬霞み、足元がふらついた。全身の力が抜けそうになる。しかし、地面に投げ出されたランパの姿が目に入った瞬間、勇斗は迷いなく駆け出した。
ランパ!
仰向けに倒れたランパの身体が、徐々に透け始めている。精霊は外的要因で死ぬことがある。以前、コタ様から聞かされた言葉が脳裏をよぎる。
ランパはこのまま死んでしまうのか? 死んで、精霊石になってしまうのか?
ランパが死ぬ=ランパの助けを受けられない=ドラシガーを生成できない=強い魔族と戦えない=自分も死ぬ。勇斗の頭の中で、最悪のシナリオが瞬時に組み上がる。
ランパがいないと、元の世界に帰れる自信がない――
勇斗は、ドラシガーの先端から立ち昇る淡い緑色の煙を見つめた。
この煙はマナだ。精霊の身体も、マナでできている。なら、これをランパに分ければ?
勇斗は迷わずランパの元へ膝をついた。左腕でそっと抱きかかえ、そのげっそりとやつれた顔を見つめる。
間に合うか――いや、間に合わせる。
ドラシガーのボディを右手でしっかりと摘み、煙を口腔内に溜めた。
一か八か。勇斗は、そのまま顔を近づける。
唇が、重なる。
口に含んだマナの煙を、ランパの口へと送り込んでいく。
その瞬間。
ランパの身体が、びくっと震えた。
効いている!
勇斗はすぐにもう一度、煙を含み、ランパに移す。
消えかけていたランパの身体が、次第に色を取り戻していく。
もう少し、もう少しだ。
三回目の口移し。
すると、ランパのまぶたが、わずかに動いた。
「――んっ」
ランパがかすかに息を吹き返し、ゆっくりと目を開ける。
生きている!
安堵で胸がいっぱいになった瞬間、ランパが力なく口を開いた。
「男同士のチューなんて、オイラ、どうしたらいいんだよ」
契約のときもしたじゃないか、と思ったが、そのことは口には出さなかった。
「ふぅ」
ドラシガーを口から離し、煙を吐いた勇斗は精一杯の微笑みを浮かべた。
「おかえり、ランパ」
「おう。ただいま、ユート」
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
トトイの町を出発した勇斗たちは、カルント山に向かって歩いていた。
「宿屋のオーナー、大丈夫っスかね。かなり参っていた様子だったっスけど」
診療所へと運び込まれていたのは、風詩亭の料理人だった。アリシアの話によると、命こそ助かったものの、再び厨房に立つには長い時間が必要らしい。事情を聞いたオーナーの蒼白な顔が、今もまぶたの裏に焼き付いている。
「どうしてもワンコを雇いたいって言ってたぞ。あそこで働いてオイラにたらふく食わせてくれよ。もちろんタダで」
ランパはニヤつきながら、先導するミュールを肘で突いた。
「うるさい。チビスケは黙ってろ」
ミュールは硬い声で言った。
「な、なんだよぅ。冗談だって。そんなにむくれるなよ」
ランパは立ちすくんだ。冷や汗をかいている。
「ミュール、昨日から様子が変っスよ。何かあったんスか?」
浮かない顔をしたチカップが、こっそりと勇斗に尋ねてきた。
「あ、いや、ええと」
勇斗はおろおろした。みんなには、ミュールの過去のことは話していない。ミュールの姿を見ていると、どうにも踏ん切りがつかなかった。いつか打ち明けたほうが良いのだろうか。
しばらく歩くと、うっすらと霧が立ちこめ始めた。足元がぬかるんでいる。
勇斗たちは、どんよりと広がる湿地帯に足を踏み入れていた。沼の水面は暗くよどみ、不気味な気泡が湧き上がっている。粘土のような、独特な泥の臭いが鼻をつく。
足を取られぬよう、小道を慎重に進む。周りの雑草は伸び放題だ。歩を進めるたびに、霧はいっそう濃さを増していった。
「おかしいな。この辺りは霧なんて出ないはずだが」
ミュールが立ち止まり、警戒するように周囲を見渡す。尻尾をぴんと逆立て、ケモ耳をピクピクと動かした。
そのとき、霧の奥にぼんやりと黒い影が浮かび上がった。
「魔族っ!」
ミュールは叫ぶや否や、一人霧の中へと飛び込んでいった。
「ワンコ、一人で行くなよ! ――って、もう聞こえないか」
張り詰めた空気。辺りを異様な静けさが支配する。
霧はますます濃くなり、視界を完全に遮った。
「何も見えないよ」
「こういうのは、魔法で吹き飛ばせばいいんスよ」
落ち着いた声を出したチカップは、ベージュのコートのポケットから羽ペンを取り出し、宙に素早く魔法陣を描く。すると、どこからともなく風が吹き起こり、霧を吹き払った。視界がクリアになる。
なるほど、魔法はこんな使い方もできるのか。勇斗は関心した。
「ミュール、いないね。どこに行ったんだろう?」
「ユート、あれを見てくださいませ」
ソーマが右手で沼の方を指す。水面から、細長いゼリー状の棒が三本、ゆらゆらと蠢いていた。何だろう、あれ。気持ち悪い。
ぼこっ、と鈍い音が響く。
「ちょっとやばいのがいるみたいだな」
ランパは精霊樹の枝を握り締め、低く静かに言った。
「ソーマは隠れているんだ」
ソーマを遠ざけた勇斗は、素早くドラシガーに火をつけて咥え、聖剣クトネシスを引き抜いた。
三本の棒が、シュッと沼の中へと消える。
ざばぁ、と水面が球状に盛り上がった。水が四方に飛び散り、ぬるりとした影がせり上がってくる。やがて、勇斗たちの目の前にその正体が姿を現した。
半透明の巨大な粘液の塊――スライム。それも、かなりの大きさだ。薄い緑色をした体の奥で、何かが蠢いている。よく見ると、それは骨だった。大小さまざまな形の骨が、スライムの内部で漂いながら絡み合っていた。
「来るっスよ!」
巨大なスライムが、ぶよぶよと体を震わせながら迫ってきた。
先に動いたのは勇斗だった。淡い緑色の煙をまとい、風の精霊術を刃に宿して流れるようにスライムへと斬り込む。鋭い剣閃が粘液の巨体を裂いた。
だが、手応えはなかった。
スライムの表面はしっとりと柔らかく、水を斬ったような感触だった。確かに刃は通っているはずなのに、抵抗がほとんど感じられない。大量の水分を含んでいるのか、あるいは、攻撃そのものを無効化しているのか――
「物理がダメなら、魔法っス!」
チカップが素早く赤い魔法陣を描き、燃え盛る炎の矢をスライムに向かって放つ。続けてランパも、精霊術で生み出した木の実を弾丸のように撃ち込んだ。
スライムが、突然ピタリと動きを止めた。固い音とともに、攻撃が弾かれる。
「何じゃありゃ。カチコチになってるぞ!」
スライムの表面がまるで鋼のように硬化していた。ボディは透けたままだが、鉄よりもどこかクリスタルのような質感を持っている。
勇斗は再び斬りかかる。今度は明らかに手応えがあった。だが、相手はびくともしない。長期戦になりそうだ――そう思い、ドラシガーの吸い口を強く噛む。
「魔法が来るっスよ!」
チカップの警告。スライムの頭上に水色の魔法陣が描かれ、水の塊が生成される。
「ユート、避けろ!」
ランパの叫びと同時に、勇斗は左へ跳んだ。
直後、極細の高圧水流が発射される。さっきまで勇斗が立っていた地面が、大きくえぐれた。もし直撃していたら、と考えるだけで背筋が凍った。
スライムの表面が、ぐにゃりと歪む。どうやら再び軟化モードに入ったらしい。勇斗はすかさず、ランパとチカップに目で合図を送る。
「ちょっと待って。相手の様子がおかしいっス」
スライムの巨体から、長い触手が何本も生えていた。うねうねと蠢く異様な光景。最初に沼から顔を覗かせていたのは、あの触手だったのか。
触手がぐんぐんと伸びる。鞭のようにしならせ、襲いかかってきた。
勇斗たちはタイミングを見計らい、攻撃を回避する。次々と襲いかかる触手と水の魔法による高圧水流。防戦一方で攻撃に転じる余裕がない。
突如、霧が再び発生した。見通しが悪くなる。この霧はスライムが生み出しているのだろうか。
勇斗は左手を天に掲げ、風の精霊術を発動した。荒れ狂う風が霧を退ける。
霧が消えた瞬間、勇斗は息を呑んだ。
「ぐああああっ」
ランパの体が、触手に捕らえられていた。何重にも締めつけられ、苦しげにもがいている。
「うがっ! があっ! あっ、あ、ぁ――」
ランパ悲鳴が、どんどん小さくなる。顔が青ざめ、肌がやつれていく。
同時に、スライムの巨体がどんどん膨れ上がっていった。まさか、ランパのマナを吸い取ってるのか?
勇斗の動悸が激しくなったときには、すでに手遅れだった。
ランパは、枯れたようにぐったりと項垂れ、動かなくなった。
「ユート、まずいっス!」
元の倍に膨れ上がったスライムの頭上に、再び水色の魔法陣が描かれる。マナの流れが異常なほど乱れ、魔法陣から巨大な泡がいくつも生まれていく。
迫り来る泡の大群を避けようとした瞬間、勇斗は足元に違和感を覚えた。
見ると、粘液がグリーヴにまとわりついている。いつの間に。まずい、跳ぶのが遅れる。チカップも同様だった。
勇斗とチカップを包囲した泡が、耳をつんざく破裂音とともに一斉に弾けた。
衝撃波が周囲を薙ぎ払い、勇斗とチカップを飲み込む。血を撒き散らしながら、二人は大きく吹き飛ばされた。
泥水がしぶきを上げる。
沼地に叩きつけられた勇斗は、かすむ意識の中で空を見上げた。空が、ぐるぐると回っている。
「う、ぐっ――」
勇斗は激痛に耐えながら、泥水の中で体を引き起こした。幸い、沼はそれほど深くなかった。
ドラシガーの火は消えてなかった。折れてないし、湿ってもない。
煙を吸い込み、意識を研ぎ澄ませる。喉の奥に泥水の苦味を感じるが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
チカップも泥だらけになりながら、沼から這い上がってくる。片膝をつき、荒い息を吐いている。口からは、泥に混じった血が滴っていた。
勇斗は視線を上げ、触手に捕らわれたままのランパを見た。がっくりとうなだれ、動く気配がない。
急がなければ、ランパが本当に危ない。
勇斗が斬撃を放ち、チカップが詠唱をする。しかし、スライムはなおも硬化と軟化を繰り返しながら、どんな攻撃も受け流していた。
勇斗の咥えていたドラシガーが、吸い口のリングだけを残して消滅した。
一回の戦闘でドラシガーを吸い切るのは初めてだった。それほど長く戦っているということか。かれこれ三十分以上は経過していた。
勇斗は迷わず、二本目のドラシガーに火をつけ、口に咥える。
そのとき、今までの戦闘を思い返し、あることに気づいた。スライムは、硬化モードに入る直前、必ず一瞬だけ動きを止めている。もしかして。
勇斗はチカップに目配せする。チカップも同じことを考えていたのか、素早く首を縦に振った。
今は軟化モード――つまり、硬化モードへ切り替わるタイミングを誘導できるはずだ。
勇斗の掌から連射された炎が、スライムの表面を焼く。スライムはぶよぶよと震えながら、その身を固めていく。
スライムの動きが、止まった。
「凍てつく風よ、全てを覆え!!」
第三の目を大きく見開いたチカップが青と緑の魔法陣を描き、羽ペンの先をスライムへと向ける。刹那、極寒の風が巻き起こり、スライムの体が凍りついていく。
今だ!
勇斗はドラシガーの煙を鋭く吸い込み、口の隙間から一気に吐き出した。
跳躍。炎を纏った刃が、上空で大きく弧を描く。聖剣を思い切り振り下ろす。斬撃とともに、炎の竜巻がスライムを包み込む。
真っ二つに裂けたスライムの巨体は、瞬く間に蒸発し、霧散した。
「うっ」
視界が一瞬霞み、足元がふらついた。全身の力が抜けそうになる。しかし、地面に投げ出されたランパの姿が目に入った瞬間、勇斗は迷いなく駆け出した。
ランパ!
仰向けに倒れたランパの身体が、徐々に透け始めている。精霊は外的要因で死ぬことがある。以前、コタ様から聞かされた言葉が脳裏をよぎる。
ランパはこのまま死んでしまうのか? 死んで、精霊石になってしまうのか?
ランパが死ぬ=ランパの助けを受けられない=ドラシガーを生成できない=強い魔族と戦えない=自分も死ぬ。勇斗の頭の中で、最悪のシナリオが瞬時に組み上がる。
ランパがいないと、元の世界に帰れる自信がない――
勇斗は、ドラシガーの先端から立ち昇る淡い緑色の煙を見つめた。
この煙はマナだ。精霊の身体も、マナでできている。なら、これをランパに分ければ?
勇斗は迷わずランパの元へ膝をついた。左腕でそっと抱きかかえ、そのげっそりとやつれた顔を見つめる。
間に合うか――いや、間に合わせる。
ドラシガーのボディを右手でしっかりと摘み、煙を口腔内に溜めた。
一か八か。勇斗は、そのまま顔を近づける。
唇が、重なる。
口に含んだマナの煙を、ランパの口へと送り込んでいく。
その瞬間。
ランパの身体が、びくっと震えた。
効いている!
勇斗はすぐにもう一度、煙を含み、ランパに移す。
消えかけていたランパの身体が、次第に色を取り戻していく。
もう少し、もう少しだ。
三回目の口移し。
すると、ランパのまぶたが、わずかに動いた。
「――んっ」
ランパがかすかに息を吹き返し、ゆっくりと目を開ける。
生きている!
安堵で胸がいっぱいになった瞬間、ランパが力なく口を開いた。
「男同士のチューなんて、オイラ、どうしたらいいんだよ」
契約のときもしたじゃないか、と思ったが、そのことは口には出さなかった。
「ふぅ」
ドラシガーを口から離し、煙を吐いた勇斗は精一杯の微笑みを浮かべた。
「おかえり、ランパ」
「おう。ただいま、ユート」