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4-11・俺は眠りに落ちていった。

ー/ー



 近くのコンビニで飲み物とか軽食とかを買って家に戻ると、美穂ちゃんが部屋にいた。
 俺のハーフパンツとTシャツを着て、ベッドの前で座っている。
「おかえりなさい、日之太さん」
 俺の部屋で美少女が女の子座りしてる。なんだか夢みたいな光景に俺はポカンと口を開け、しばらく呆けてしまう。
「日之太さん? どうしたんですか?」
「……え? あっ、あぁごめん。なんでもない」
 声をかけられてようやく正気を取り戻す。バタバタと足音を立てながら、テーブルを挟んで彼女の向かい側に座った。
「これさ、飲み物とか、色々買ってきたから。良かったらどうぞ」
 言いながら買ってきたものをテーブルに並べる。ドリンクの隙間から彼女の姿を覗くと、ソワソワとしていてどこか落ち着きのない様子だった。テーブルの上に置かれた品物を見ながらも、その視線は室内の色々なものに注がれている。
「あの、美穂ちゃん? 大丈夫? 部屋暑かったりする?」
「え? あっ、ぜんぜん大丈夫です」
「そう? なんかあったら言って。あーそうだ、服大丈夫だった? 急遽用意したものだけど」
「はい、もうぴったり……ってことはないですけど。でも普通に着れてます」
 座ったままの姿勢で美穂ちゃんがシャツの裾を抓む。オーバーサイズの服のおかげか半袖のシャツは肘よりも先に伸びていて、パンツも膝まで隠れている。
 なんていうか普通に可愛い。美少女はどんな服を着ても美少女というわけだ。
「いやぁ、良かったよ。そういえば着てた服は? 大丈夫そう?」
「はい、もうほとんど渇いてるので、今度クリーニングに持っていきます。普通の洗濯機だとダメになっちゃうんで」
「あーなるほど、大変だね女の子は」
 適当な感想を述べると美穂ちゃんはあははっと簡素に笑う。
 夏の日の夕方、他愛のない話をする。
 幸せな時間だ。なんだかんだで雨のおかげだ。
「日之太さんって英語の勉強されてるんですか?」
 適当に会話を続けていると、不意に美穂ちゃんが訊ねてきた。その視線はテーブルの上にある翻訳途中の英語論文や、乱雑に積んである資料へと向けられている。
「うん、英語というか翻訳かな。大学の先生からこの論文を翻訳しろとか、この原稿を翻訳しろとか。多少の報酬もあるから自主的にやってるってわけ」
「えーすごい。それってお仕事ですよね? 日之太さんって翻訳家さんだったんですね」
「英語しかできないけどね。まぁ英語なら文章だけじゃなくて日常会話くらいならいけるけど」
「喋れるんですか? 英語?」
 俺がフッとシニカルに笑うと、美穂ちゃんが目を輝かせて見つめてくる。尊敬のまなざしだ。
「すごい、ほんとにすごい。私英語全然だめだから羨ましいです」
「英語は結構分かりやすい方だよ。良かったら今度見よっか?」
「お願いします。私もうほんとダメで。でもなんでそんな出来るんですか?」
「んー? アレだね、子供の頃通ってたテニスクラブでコーチに言われたんだよ。海外で活躍する選手になりたいなら英語くらい喋れてないとだめだって。それで勉強した」
 なんの気なしに理由を説明すると、それまで楽しそうに喋っていた彼女が絶句した。
 視線を斜め下にして、手で口を覆う。あぁ、しまった。そんなつもりじゃなかったのに。
「ご、ごめんなさい。私、あの……」
 ペコっと頭を下げて言葉を濁す美穂ちゃん。彼女は俺の過去を知っている。プロを目指したけどイップスで諦めたという過去。地雷を踏んでしまったと思ったのだろう。
 正直、全く痛くないと言うと嘘になる。だけど、動けなくなるほどの痛みではない。
「そんな申し訳なさそうにしないで。大丈夫だよ」
「でも、あんまり触れていいことなのかなって」
「今はもう大丈夫だから。それにね、プロを目指してたとは言ったけど、なんていうか、本気で目指してたかというと実はそうでもなくて、なんとなくそうなるくらいの認識だった。だからこそ諦めが早かったんだけど」
「……プロになったときのことを考えて英語の勉強までしてたのに?」
「うん、そうだね。でもさ、あのとき続けてたことが今の俺が出来ることになってる。本当に辛かったら翻訳なんてやってないよ」
 彼女はさっきまでの気まずい表情ではなく、どこか心配するような顔で俺を見つめてくる。
 オレンジ色の瞳に涙を滲ませて、笑いかける俺にふるふると首を横に振っていた。
 別に無理をしているわけじゃない――いや、無理はしているけど、でもそういうものなのだ。
 プロになるという夢を失った俺は空っぽの人間になった。そう思っていたけど、そうはいかなかった。人生は無理にでも人を前へと進ませる。
 今俺は七葉ちゃんから仕事未満の案件を貰ってるし、不眠の美少女の安眠枕の役割だってある。後者は俺のキャリアとは全く関係ないけど。
 とにかく俺が言いたいことは――美穂ちゃん、わざわざ君が心を削る必要なんてないんだよ――ということだ。
 少しだけ世間知らずでピュアな優しさを持った女の子。思えば出会ってからまだ数か月しか経っていないというのに、俺は俺なんかのために涙を浮かべてくれる彼女のことがすっかり好きになっていた。
「美穂ちゃん、大丈夫……じゃなくて、ありがとう」
 ここは宥めるのではなくお礼を言うべきだ。テーブルの上に置いてあるティッシュを差し出すと、美穂ちゃんは無言でそれを受け取る。
 涙を拭いて、控えめに鼻をかむ。ドリンクを一口飲んで、彼女はふぅっと一息ついた。
 落ち着いてくれたみたいだ。ひとまず安心した俺は肩を竦め、くぁっとあくびをかみ殺す。
「眠いんですか?」
 美穂ちゃんが覗き込んでくる。俺は「あぁ、ごめん」と言って、ポリポリと頬を軽く掻いた。
「いやぁ、最近寝不足気味でさ。実を言うと今日もデートが楽しみであんまり眠れてなかった」
 はははっと笑う。言えない。君にキスされたことでずっとドキドキして眠れない日々を送ってたなんて。寝たら寝たで君が夢に出てきて何度か慌てて跳び起きたということも。
「そうだったんですか? 良くないですよ寝不足は」
「美穂ちゃんが言うと説得力あるね。まぁでも大丈夫。今日はぐっすり眠れると思うよ」
「それならいいですけど……そうだっ、日之太さん」
 パッと美穂ちゃんがその場から立ち上がる。テーブルを回って隣に来て俺の手をとった。
「今から一緒に寝ましょ」
 およそ16歳らしからぬ蠱惑的な笑みを浮かべ、彼女が俺の手をギュッと握る。
 なにを言われたのかすぐに理解できなくて、俺は呆けることしかできない。
 その間にも美穂ちゃんは俺の手を引っ張ってベッドに座り、夏用の掛け布団を整える。
「いやあの美穂ちゃん? 一緒にっていうのはどういう……」
「私と一緒に横になってください。ほら、こっち」
 横になった状態で手を引っ張る彼女。これまでの見守るのとは違う、共寝をしろというのか。
「いやぁ、美穂ちゃん。いきなり一緒に寝よっていうのはちょっと、ハードル高いというか」
「これまでも一緒ではあったじゃないですか。それとも、私と一緒に寝るの……嫌ですか?」
 寝転がったまま美穂ちゃんが上目遣いを駆使して追い詰めてくる。ずるい、ずる過ぎる。そんな言い方されたらどう考えたってノーと言えないじゃないか。
 彼女の手を握ったまま俺は考える。一緒に寝る。そうだ、あくまでも一緒に寝るだけ。そこに愛情はあれど下心はない。
 それに、いつものことだとしたら、美穂ちゃんはすぐに眠るはずだ。そうすれば俺は起きてベッドから抜け出せばいいだけのこと。
 うん、それでいい。その作戦で行こう。俺はひとまず頷き、ベッドで横になる。
 枕は美穂ちゃんが使っているので俺はただ布団で横になってるだけだ。そういう意味でも少し窮屈だが仕方ない。彼女が寝るまでの辛抱だ。
「それじゃあおやすみ、美穂ちゃん」
「おやすみなさい、日之太さん」
 美穂ちゃんが返事をする。その瞬間、ニュッと左右から腕が伸びてきた。
 美穂ちゃんの腕だ。頭を掴まれたと思ったらさらにギュッと抱き寄せられ、彼女の手よりもずっと柔らかい感触が訪れる。
 目の前に広がる真っ白な景色。微かに感じる彼女の匂いと確かな弾力に、俺は瞬く間すらなく身体が熱くなってしまう。
「ちょ、ちょっと美穂ちゃん。これは流石に――」
「ねんねしてください。目ぇつぶって、ゆっくり鼻で息して、大丈夫ですよー」
 俺の抵抗を潰したのは彼女の小さな子供あやすような声――ではなく、むぎゅっと抱き寄せられたことによる窒息だった。
 鼻の中いっぱいに彼女と自分のシャツの匂いが広がる。このままじゃマジで窒息する。どうにか逃れなければ。
 グイっと頭を動かす。シャツ越しだというのにしっとりとした肌感と布地が擦れる感触が伝播し、純白の台地からなんとか顔を出すと、ふよんとそれが元の形を取り戻した。
 柔らかすぎる。女の子ってこんなにも柔らかかったのか。こんなふわふわで、むにっとしてて、しっかり目を凝らすと彼女の輪郭というかふくらみが――これ以上はまずい。
 頑張れ俺の理性。負けるな俺の意志。鎮まれ俺の勇気。ここで暴れるわけにはいかないんだ。
 そうだ、美穂ちゃんの言う通り眠ってしまえばいい。そうすれば意識しないで済む。
 目を瞑って意識を集中すると彼女の匂いも柔らかさも、眠りへ誘うためのものと思えてくる。
 これならば眠れそうだ。目を瞑ったままふーっと息を吐くと「んぅっ」という声が聴こえ、目の前の彼女が身をよじった気がした。
 ズレた位置を修正するように、俺も頭を動かす。ずっと腕を下にやってたらしびれてしまうだろうから、右腕から離れ、そのまま前へ寄る。
 彼女の胸を通してぬくもりが伝わってくる。誰かと触れあって眠るなんて何年ぶりだろう。
 幸いなことに恋人ができたことはあったけど、こんな風に眠ることはなかった。
 不安定だった心が落ち着いていく。同時に自分の意識も深いところまで沈んでいき、やがて――俺は眠りに落ちていった。


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 近くのコンビニで飲み物とか軽食とかを買って家に戻ると、美穂ちゃんが部屋にいた。
 俺のハーフパンツとTシャツを着て、ベッドの前で座っている。
「おかえりなさい、日之太さん」
 俺の部屋で美少女が女の子座りしてる。なんだか夢みたいな光景に俺はポカンと口を開け、しばらく呆けてしまう。
「日之太さん? どうしたんですか?」
「……え? あっ、あぁごめん。なんでもない」
 声をかけられてようやく正気を取り戻す。バタバタと足音を立てながら、テーブルを挟んで彼女の向かい側に座った。
「これさ、飲み物とか、色々買ってきたから。良かったらどうぞ」
 言いながら買ってきたものをテーブルに並べる。ドリンクの隙間から彼女の姿を覗くと、ソワソワとしていてどこか落ち着きのない様子だった。テーブルの上に置かれた品物を見ながらも、その視線は室内の色々なものに注がれている。
「あの、美穂ちゃん? 大丈夫? 部屋暑かったりする?」
「え? あっ、ぜんぜん大丈夫です」
「そう? なんかあったら言って。あーそうだ、服大丈夫だった? 急遽用意したものだけど」
「はい、もうぴったり……ってことはないですけど。でも普通に着れてます」
 座ったままの姿勢で美穂ちゃんがシャツの裾を抓む。オーバーサイズの服のおかげか半袖のシャツは肘よりも先に伸びていて、パンツも膝まで隠れている。
 なんていうか普通に可愛い。美少女はどんな服を着ても美少女というわけだ。
「いやぁ、良かったよ。そういえば着てた服は? 大丈夫そう?」
「はい、もうほとんど渇いてるので、今度クリーニングに持っていきます。普通の洗濯機だとダメになっちゃうんで」
「あーなるほど、大変だね女の子は」
 適当な感想を述べると美穂ちゃんはあははっと簡素に笑う。
 夏の日の夕方、他愛のない話をする。
 幸せな時間だ。なんだかんだで雨のおかげだ。
「日之太さんって英語の勉強されてるんですか?」
 適当に会話を続けていると、不意に美穂ちゃんが訊ねてきた。その視線はテーブルの上にある翻訳途中の英語論文や、乱雑に積んである資料へと向けられている。
「うん、英語というか翻訳かな。大学の先生からこの論文を翻訳しろとか、この原稿を翻訳しろとか。多少の報酬もあるから自主的にやってるってわけ」
「えーすごい。それってお仕事ですよね? 日之太さんって翻訳家さんだったんですね」
「英語しかできないけどね。まぁ英語なら文章だけじゃなくて日常会話くらいならいけるけど」
「喋れるんですか? 英語?」
 俺がフッとシニカルに笑うと、美穂ちゃんが目を輝かせて見つめてくる。尊敬のまなざしだ。
「すごい、ほんとにすごい。私英語全然だめだから羨ましいです」
「英語は結構分かりやすい方だよ。良かったら今度見よっか?」
「お願いします。私もうほんとダメで。でもなんでそんな出来るんですか?」
「んー? アレだね、子供の頃通ってたテニスクラブでコーチに言われたんだよ。海外で活躍する選手になりたいなら英語くらい喋れてないとだめだって。それで勉強した」
 なんの気なしに理由を説明すると、それまで楽しそうに喋っていた彼女が絶句した。
 視線を斜め下にして、手で口を覆う。あぁ、しまった。そんなつもりじゃなかったのに。
「ご、ごめんなさい。私、あの……」
 ペコっと頭を下げて言葉を濁す美穂ちゃん。彼女は俺の過去を知っている。プロを目指したけどイップスで諦めたという過去。地雷を踏んでしまったと思ったのだろう。
 正直、全く痛くないと言うと嘘になる。だけど、動けなくなるほどの痛みではない。
「そんな申し訳なさそうにしないで。大丈夫だよ」
「でも、あんまり触れていいことなのかなって」
「今はもう大丈夫だから。それにね、プロを目指してたとは言ったけど、なんていうか、本気で目指してたかというと実はそうでもなくて、なんとなくそうなるくらいの認識だった。だからこそ諦めが早かったんだけど」
「……プロになったときのことを考えて英語の勉強までしてたのに?」
「うん、そうだね。でもさ、あのとき続けてたことが今の俺が出来ることになってる。本当に辛かったら翻訳なんてやってないよ」
 彼女はさっきまでの気まずい表情ではなく、どこか心配するような顔で俺を見つめてくる。
 オレンジ色の瞳に涙を滲ませて、笑いかける俺にふるふると首を横に振っていた。
 別に無理をしているわけじゃない――いや、無理はしているけど、でもそういうものなのだ。
 プロになるという夢を失った俺は空っぽの人間になった。そう思っていたけど、そうはいかなかった。人生は無理にでも人を前へと進ませる。
 今俺は七葉ちゃんから仕事未満の案件を貰ってるし、不眠の美少女の安眠枕の役割だってある。後者は俺のキャリアとは全く関係ないけど。
 とにかく俺が言いたいことは――美穂ちゃん、わざわざ君が心を削る必要なんてないんだよ――ということだ。
 少しだけ世間知らずでピュアな優しさを持った女の子。思えば出会ってからまだ数か月しか経っていないというのに、俺は俺なんかのために涙を浮かべてくれる彼女のことがすっかり好きになっていた。
「美穂ちゃん、大丈夫……じゃなくて、ありがとう」
 ここは宥めるのではなくお礼を言うべきだ。テーブルの上に置いてあるティッシュを差し出すと、美穂ちゃんは無言でそれを受け取る。
 涙を拭いて、控えめに鼻をかむ。ドリンクを一口飲んで、彼女はふぅっと一息ついた。
 落ち着いてくれたみたいだ。ひとまず安心した俺は肩を竦め、くぁっとあくびをかみ殺す。
「眠いんですか?」
 美穂ちゃんが覗き込んでくる。俺は「あぁ、ごめん」と言って、ポリポリと頬を軽く掻いた。
「いやぁ、最近寝不足気味でさ。実を言うと今日もデートが楽しみであんまり眠れてなかった」
 はははっと笑う。言えない。君にキスされたことでずっとドキドキして眠れない日々を送ってたなんて。寝たら寝たで君が夢に出てきて何度か慌てて跳び起きたということも。
「そうだったんですか? 良くないですよ寝不足は」
「美穂ちゃんが言うと説得力あるね。まぁでも大丈夫。今日はぐっすり眠れると思うよ」
「それならいいですけど……そうだっ、日之太さん」
 パッと美穂ちゃんがその場から立ち上がる。テーブルを回って隣に来て俺の手をとった。
「今から一緒に寝ましょ」
 およそ16歳らしからぬ蠱惑的な笑みを浮かべ、彼女が俺の手をギュッと握る。
 なにを言われたのかすぐに理解できなくて、俺は呆けることしかできない。
 その間にも美穂ちゃんは俺の手を引っ張ってベッドに座り、夏用の掛け布団を整える。
「いやあの美穂ちゃん? 一緒にっていうのはどういう……」
「私と一緒に横になってください。ほら、こっち」
 横になった状態で手を引っ張る彼女。これまでの見守るのとは違う、共寝をしろというのか。
「いやぁ、美穂ちゃん。いきなり一緒に寝よっていうのはちょっと、ハードル高いというか」
「これまでも一緒ではあったじゃないですか。それとも、私と一緒に寝るの……嫌ですか?」
 寝転がったまま美穂ちゃんが上目遣いを駆使して追い詰めてくる。ずるい、ずる過ぎる。そんな言い方されたらどう考えたってノーと言えないじゃないか。
 彼女の手を握ったまま俺は考える。一緒に寝る。そうだ、あくまでも一緒に寝るだけ。そこに愛情はあれど下心はない。
 それに、いつものことだとしたら、美穂ちゃんはすぐに眠るはずだ。そうすれば俺は起きてベッドから抜け出せばいいだけのこと。
 うん、それでいい。その作戦で行こう。俺はひとまず頷き、ベッドで横になる。
 枕は美穂ちゃんが使っているので俺はただ布団で横になってるだけだ。そういう意味でも少し窮屈だが仕方ない。彼女が寝るまでの辛抱だ。
「それじゃあおやすみ、美穂ちゃん」
「おやすみなさい、日之太さん」
 美穂ちゃんが返事をする。その瞬間、ニュッと左右から腕が伸びてきた。
 美穂ちゃんの腕だ。頭を掴まれたと思ったらさらにギュッと抱き寄せられ、彼女の手よりもずっと柔らかい感触が訪れる。
 目の前に広がる真っ白な景色。微かに感じる彼女の匂いと確かな弾力に、俺は瞬く間すらなく身体が熱くなってしまう。
「ちょ、ちょっと美穂ちゃん。これは流石に――」
「ねんねしてください。目ぇつぶって、ゆっくり鼻で息して、大丈夫ですよー」
 俺の抵抗を潰したのは彼女の小さな子供あやすような声――ではなく、むぎゅっと抱き寄せられたことによる窒息だった。
 鼻の中いっぱいに彼女と自分のシャツの匂いが広がる。このままじゃマジで窒息する。どうにか逃れなければ。
 グイっと頭を動かす。シャツ越しだというのにしっとりとした肌感と布地が擦れる感触が伝播し、純白の台地からなんとか顔を出すと、ふよんとそれが元の形を取り戻した。
 柔らかすぎる。女の子ってこんなにも柔らかかったのか。こんなふわふわで、むにっとしてて、しっかり目を凝らすと彼女の輪郭というかふくらみが――これ以上はまずい。
 頑張れ俺の理性。負けるな俺の意志。鎮まれ俺の勇気。ここで暴れるわけにはいかないんだ。
 そうだ、美穂ちゃんの言う通り眠ってしまえばいい。そうすれば意識しないで済む。
 目を瞑って意識を集中すると彼女の匂いも柔らかさも、眠りへ誘うためのものと思えてくる。
 これならば眠れそうだ。目を瞑ったままふーっと息を吐くと「んぅっ」という声が聴こえ、目の前の彼女が身をよじった気がした。
 ズレた位置を修正するように、俺も頭を動かす。ずっと腕を下にやってたらしびれてしまうだろうから、右腕から離れ、そのまま前へ寄る。
 彼女の胸を通してぬくもりが伝わってくる。誰かと触れあって眠るなんて何年ぶりだろう。
 幸いなことに恋人ができたことはあったけど、こんな風に眠ることはなかった。
 不安定だった心が落ち着いていく。同時に自分の意識も深いところまで沈んでいき、やがて――俺は眠りに落ちていった。