表示設定
表示設定
目次 目次




3

ー/ー




 午前中は、ドアを開けるのも、シートベルトを外すのもできず、ましてや一歩も動ける状態でなかった。
 
 スマホはずっと鳴り響いている。発信元は主任。
 そんなに電話をかけてくる暇があるなら、一人で営業先に行けばいいのに、と思ってしまった。

 陽の光がさんさんと照らす世界は、いつも見ている朝の風景よりも、コントラストが激しく見えた。

 ここにいても死にたくなる。
 職場にいたら死にたくなる。

 俺は考えあぐねて、気の向くままに車を走らせた。
 顧客先を回る時に通りかかったところを避け、ひたすら行ったことのない道を選んでいった。
 木が立ち並ぶ山道、コンクリートの法面(のりめん)が延々と続く道。そういった場所を抜けると、少しずつ住宅が増えてくる。

 道路の案内標識を見る限り、俺の車は二つ隣の市に入り込んでいる。

 ちょっと移動したところで、俺は自由になったわけじゃない。だが、そろそろ一休みしたいと思い始めていた。
 精神状態が万全じゃない以上、無理はしないと決めて、この車を走らせていた。万が一、他人を巻き込む事故でも起こしたら、シャレにならない。
 車を停められる場所を探していると、 「おだやかわきあいあい市民公園」という、駐車場もある大きな公園が見えてきた。駐車場は、土曜日の昼間にもかかわらず奇跡的に一台空いていたので、停めさせてもらった。

 「穏やか」と「和気藹々(わきあいあい)」を繋げた公園の名前を考えた人は、一体何を思っていたのだろう。名前が長すぎる。
 
 フロントガラス越しに見る、土曜の昼下がりの公園は、当然ながら親子連れが多い。
 キックボードやバドミントンのシャトルとラケットを持った子供は、ある一方を見て進んで行く。
 その姿だけで、公園の肝である広場や遊具の類が、その方向にあるのだろうと察せた。

 視線を右方向に向けると、野球用のグラウンドが見えた。
 土曜の昼間、この地域の少年野球チームが試合していた。
 
 赤いキャップと赤地のユニフォームのチームと、青いキャップと青地のユニフォームのチームの試合だ。


 俺が小学生の頃、友達に誘われて、地元の少年野球チームに入った。
 何回か、両親に連れられて弟も練習を見にきて、それがきっかけで、弟も野球を始めた。
 弟の野球人生の始まりは、こういう、地元の泥臭い少年野球チームからだった。

 弟はあれよあれよと上達して、強豪ジュニアチームからお声がかかった。その頃俺は、地元の少年野球チームでベンチを温めていた。
 
 両親は、それでも兄弟両方を応援してくれた。
 だが、俺のために割いている労力を、弟に使ってくれたら、弟はもっと翔けるかもしれないのに。――と、俺は思った。
 だから、小学校卒業のタイミングで、俺は野球を辞めた。

 中学になったら野球を辞める、と弟に言った時の弟の顔は、まだ覚えている。
 唇を噛んで、申し訳なさと、少しの怒りの混じった眼で、俺を見ていた。

 『俺、アキがやってたから、野球をやりたいと思ったんだ』

 俺がやっていた姿がきっかけで弟という逸材が生まれたなら、それはそれで誇らしい、と思った。
 地元の少年野球のエースだって、甲子園出場校のスタメンだって、その活躍の裏に埋もれていった数多のプレーヤーたちの想いを背負っている。モブみたいなプレーヤーたちは、エースやスタメンたちへ、羨望と嫉妬、そこへ自分の夢を乗せている。
 俺も、弟の背中にたくさんのものを乗せた。「お前ならどこでもいける、お前ならできる」と呪いのような祝福の言葉を、弟へかけた。

 今、視界の中で繰り広げられている少年野球の試合を眺めながら、そんな風に昔のことを思い出していた。
 赤いユニフォームのチームにも、青いユニフォームのチームにも、ベンチを温めている高学年の子供がいる。
 俺も、そんな子供の一人だった。
 ベンチを温める子供もいれば、ユニフォームを泥だけにして活躍する子供もいる。
 
 チャンスは平等でも、才能は平等じゃない。

 



スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 4


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…




 午前中は、ドアを開けるのも、シートベルトを外すのもできず、ましてや一歩も動ける状態でなかった。
 スマホはずっと鳴り響いている。発信元は主任。
 そんなに電話をかけてくる暇があるなら、一人で営業先に行けばいいのに、と思ってしまった。
 陽の光がさんさんと照らす世界は、いつも見ている朝の風景よりも、コントラストが激しく見えた。
 ここにいても死にたくなる。
 職場にいたら死にたくなる。
 俺は考えあぐねて、気の向くままに車を走らせた。
 顧客先を回る時に通りかかったところを避け、ひたすら行ったことのない道を選んでいった。
 木が立ち並ぶ山道、コンクリートの|法面《のりめん》が延々と続く道。そういった場所を抜けると、少しずつ住宅が増えてくる。
 道路の案内標識を見る限り、俺の車は二つ隣の市に入り込んでいる。
 ちょっと移動したところで、俺は自由になったわけじゃない。だが、そろそろ一休みしたいと思い始めていた。
 精神状態が万全じゃない以上、無理はしないと決めて、この車を走らせていた。万が一、他人を巻き込む事故でも起こしたら、シャレにならない。
 車を停められる場所を探していると、 「おだやかわきあいあい市民公園」という、駐車場もある大きな公園が見えてきた。駐車場は、土曜日の昼間にもかかわらず奇跡的に一台空いていたので、停めさせてもらった。
 「穏やか」と「|和気藹々《わきあいあい》」を繋げた公園の名前を考えた人は、一体何を思っていたのだろう。名前が長すぎる。
 フロントガラス越しに見る、土曜の昼下がりの公園は、当然ながら親子連れが多い。
 キックボードやバドミントンのシャトルとラケットを持った子供は、ある一方を見て進んで行く。
 その姿だけで、公園の肝である広場や遊具の類が、その方向にあるのだろうと察せた。
 視線を右方向に向けると、野球用のグラウンドが見えた。
 土曜の昼間、この地域の少年野球チームが試合していた。
 赤いキャップと赤地のユニフォームのチームと、青いキャップと青地のユニフォームのチームの試合だ。
 俺が小学生の頃、友達に誘われて、地元の少年野球チームに入った。
 何回か、両親に連れられて弟も練習を見にきて、それがきっかけで、弟も野球を始めた。
 弟の野球人生の始まりは、こういう、地元の泥臭い少年野球チームからだった。
 弟はあれよあれよと上達して、強豪ジュニアチームからお声がかかった。その頃俺は、地元の少年野球チームでベンチを温めていた。
 両親は、それでも兄弟両方を応援してくれた。
 だが、俺のために割いている労力を、弟に使ってくれたら、弟はもっと翔けるかもしれないのに。――と、俺は思った。
 だから、小学校卒業のタイミングで、俺は野球を辞めた。
 中学になったら野球を辞める、と弟に言った時の弟の顔は、まだ覚えている。
 唇を噛んで、申し訳なさと、少しの怒りの混じった眼で、俺を見ていた。
 『俺、アキがやってたから、野球をやりたいと思ったんだ』
 俺がやっていた姿がきっかけで弟という逸材が生まれたなら、それはそれで誇らしい、と思った。
 地元の少年野球のエースだって、甲子園出場校のスタメンだって、その活躍の裏に埋もれていった数多のプレーヤーたちの想いを背負っている。モブみたいなプレーヤーたちは、エースやスタメンたちへ、羨望と嫉妬、そこへ自分の夢を乗せている。
 俺も、弟の背中にたくさんのものを乗せた。「お前ならどこでもいける、お前ならできる」と呪いのような祝福の言葉を、弟へかけた。
 今、視界の中で繰り広げられている少年野球の試合を眺めながら、そんな風に昔のことを思い出していた。
 赤いユニフォームのチームにも、青いユニフォームのチームにも、ベンチを温めている高学年の子供がいる。
 俺も、そんな子供の一人だった。
 ベンチを温める子供もいれば、ユニフォームを泥だけにして活躍する子供もいる。
 チャンスは平等でも、才能は平等じゃない。