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ー/ー俺は、大学卒業後、とある地方銀行に就職した。
できれば地元からより遠い場所へ行きたい、と思っていた。
なので、地元からは飛行機の距離の、その地方銀行に就職にできたのは、俺からしたら渡りに船だ。
そこからたった半年。
俺は死にたくなっていた。
意味がわからないと思うが、こんな感情はわからない方がいい。
平日は基本的に外回り営業。
アクの強い主任に連れ回され、顔を覚えてもらうのに必死だ。
月二回の土曜日は、勤める支店で不動産などのローン相談会が開催されるため、出勤。
日曜は、だらだらと起きて、朝昼晩ご飯を全て兼ねた食事を夕方に摂る。
これが、配属されてから毎週繰り返している、一週間の過ごし方だった。
今日は金曜。明日は土曜。ローン相談会がある日なので、出勤だ。
この半年、これが当たり前の流れなのだが、明日が出勤日だと思うと、気分が重くなる。
今夜の夕食は、中華料理のチェーン店で食べてきた。
久しぶりに食べられそうな気がして頼んだ、炒飯と餃子、回鍋肉は、俺の胃のキャパシティを超えていた。
胸焼けする体を早く横にさせたい、と俺はゆっくり歩きながらも気持ちだけは焦って、自宅へ帰ってきた。
手洗いもそこそこに、ソファに寝そべりると、TVのリモコンを手にした。
TVでは、プロ野球の中継が始まっていた。
どちらの球団も、関東の都市が本拠地だった。
この地方で、ゴールデンタイムにこの試合を流しても視聴率が取れるのか、謎でしかない。
アップになってカメラに映るバッターの姿に、ユニフォーム姿の弟が重なる。
弟が、そのバッターボックスに立っていたかもしれない、と夢見ている俺がいた。
当の弟は、もうとっくに諦めたはずだろうに。
俺はソファでそのまま寝入ってしまい、目が覚めた時には、もう朝だった。
つけっぱなしのTVには、土曜の朝らしく芸能人がどこかの観光地を訪れ、その土地のグルメを紹介する番組が流れていた。
芸能人は一口頬張るごとに、「おいし〜い」と目を丸くしながら、大袈裟にリアクションしている。
朝から見るにはうるさい、と思った。
芸能人のリアクションを画面越しに見ながら、アクの強い主任のことを思い出していた。
主任は、パワハラ、アルハラ、モラハラ、この世の全てのハラスメントを凝縮させてできた生き物だ。
「おはようございます」の声が小さい、と怒鳴りつけ、その場で満足するまで何回もやり直しを強要される。
外回り先へ持っていくノベルティを用意しろと言われ、選んで袋詰めする。すると、「選ぶノベルティのセンスがない」だの「お前は半年も教えてるのに、何も理解していない」だのと言われる。
結局、主任が選ぶノベルティを持っていくのだから、俺がやる意味はない。俺をこき下ろすためだけに、主任は俺に頼むのだ。
この主任の横暴に付き合っているのはしんどい。
だが、もっとしんどいのは、長年この地に暮らす高齢者たちの大半が、新参者には手厳しいところだった。
営業は向いていない、と一ヶ月目で思った。
それでも半年続けたのは、この主任が、せっかく書いた辞表を破り捨てたからだ。曰く、「半年で辞めたら、他のどこでも続かない」。
主任は、視界の中に偉い人がいれば、その偉い人のもとへ一目散に駆け寄っていく。そして、いつもべったり付いて回っている。
俺が、主任を飛び越して、もっと上にいる部長や支店長に辞表を出そうと思っても、ことごとく邪魔するように現れる。
だから、俺は考えるのをやめた。
日々、主任のサンドバッグとして半年、無の境地で仕事していた。
無愛想に応対されても、営業先へは常に愛想良くしていた。愛想を良くしたところで、営業成績は振るわなかったが。
時計代わりに点けていたテレビを消し、俺は部屋を出た。
出勤するために、いつも通りの決まった時間に駐車場へ行き、車に乗った。
運転席のシートベルトを締めた瞬間、俺は涙が溢れ出していた。
悲しいなんて感情はない。怒りも悲しみも、何も感じていないはずのに、涙は勝手に出てきた。
こんなのは初めてだった。
どうにかしなくては、と焦れば焦るほど、呼吸は荒くなって涙がボロボロ落ちてくる。
仕事に行かなくては。
いや、遅刻するなんて連絡をしたら、主任が何を言ってくるかわからない。
こんな状態で、電話できるはずがない。
ショートメッセージやメッセージアプリ? そんなツールを使ったら、社会人としての常識がないだとか、無礼だとか、主任がドヤしてくる。
主任の顔がちらつくたびに、心拍数が上がっていく。自分の声にならない泣き声よりも、心臓の音の方が大きく聞こえる。
この辺りでやっと、この現象がなぜ起きたのか把握できた気がした。
俺の精神は限界に近づいているのだ。
逃げたい。逃げたい。死にたい。死にたい。どこかへ行きたい。姿形を消したい。――そんな感情が渦巻いて、さらに呼吸は荒くなる。
その瞬間、日焼けした顔で、満足げに「今日の試合、勝てたよ」と笑う弟の姿が目の前に浮かんだ。
漠然と、その時に思った。
あぁ、弟が野球ができなくなった時、こんな気持ちだったんじゃないのか。
もちろん、弟が置かれた状況と俺が置かれている状況は全く別物で、同じだと思い込むのはいけないんだろう。だが、今の俺には、弟の苦悩と俺の苦悩に、どんな差があるのかなんて、考えられる余裕がなかった。
この時点で、俺はものすごく、不安になっていたのだ。
このまま仕事に行ったら、死ぬんじゃないか。
自殺するのか、主任を巻き込んで死ぬのか、どちらなのかはわからないが、俺は死のうとするだろう。
判断力が著しく低下した俺の頭でも、それだけはわかった。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
俺は、大学卒業後、とある地方銀行に就職した。
できれば地元からより遠い場所へ行きたい、と思っていた。
なので、地元からは飛行機の距離の、その地方銀行に就職にできたのは、俺からしたら渡りに船だ。
できれば地元からより遠い場所へ行きたい、と思っていた。
なので、地元からは飛行機の距離の、その地方銀行に就職にできたのは、俺からしたら渡りに船だ。
そこからたった半年。
俺は死にたくなっていた。
意味がわからないと思うが、こんな感情はわからない方がいい。
平日は基本的に外回り営業。
アクの強い主任に連れ回され、顔を覚えてもらうのに必死だ。
月二回の土曜日は、勤める支店で不動産などのローン相談会が開催されるため、出勤。
日曜は、だらだらと起きて、朝昼晩ご飯を全て兼ねた食事を夕方に摂る。
これが、配属されてから毎週繰り返している、一週間の過ごし方だった。
アクの強い主任に連れ回され、顔を覚えてもらうのに必死だ。
月二回の土曜日は、勤める支店で不動産などのローン相談会が開催されるため、出勤。
日曜は、だらだらと起きて、朝昼晩ご飯を全て兼ねた食事を夕方に摂る。
これが、配属されてから毎週繰り返している、一週間の過ごし方だった。
今日は金曜。明日は土曜。ローン相談会がある日なので、出勤だ。
この半年、これが当たり前の流れなのだが、明日が出勤日だと思うと、気分が重くなる。
この半年、これが当たり前の流れなのだが、明日が出勤日だと思うと、気分が重くなる。
今夜の夕食は、中華料理のチェーン店で食べてきた。
久しぶりに食べられそうな気がして頼んだ、炒飯と餃子、回鍋肉は、俺の胃のキャパシティを超えていた。
胸焼けする体を早く横にさせたい、と俺はゆっくり歩きながらも気持ちだけは焦って、自宅へ帰ってきた。
久しぶりに食べられそうな気がして頼んだ、炒飯と餃子、回鍋肉は、俺の胃のキャパシティを超えていた。
胸焼けする体を早く横にさせたい、と俺はゆっくり歩きながらも気持ちだけは焦って、自宅へ帰ってきた。
手洗いもそこそこに、ソファに寝そべりると、TVのリモコンを手にした。
TVでは、プロ野球の中継が始まっていた。
どちらの球団も、関東の都市が本拠地だった。
この地方で、ゴールデンタイムにこの試合を流しても視聴率が取れるのか、謎でしかない。
どちらの球団も、関東の都市が本拠地だった。
この地方で、ゴールデンタイムにこの試合を流しても視聴率が取れるのか、謎でしかない。
アップになってカメラに映るバッターの姿に、ユニフォーム姿の弟が重なる。
弟が、そのバッターボックスに立っていたかもしれない、と夢見ている俺がいた。
当の弟は、もうとっくに諦めたはずだろうに。
俺はソファでそのまま寝入ってしまい、目が覚めた時には、もう朝だった。
つけっぱなしのTVには、土曜の朝らしく芸能人がどこかの観光地を訪れ、その土地のグルメを紹介する番組が流れていた。
芸能人は一口頬張るごとに、「おいし〜い」と目を丸くしながら、大袈裟にリアクションしている。
朝から見るにはうるさい、と思った。
つけっぱなしのTVには、土曜の朝らしく芸能人がどこかの観光地を訪れ、その土地のグルメを紹介する番組が流れていた。
芸能人は一口頬張るごとに、「おいし〜い」と目を丸くしながら、大袈裟にリアクションしている。
朝から見るにはうるさい、と思った。
芸能人のリアクションを画面越しに見ながら、アクの強い主任のことを思い出していた。
主任は、パワハラ、アルハラ、モラハラ、この世の全てのハラスメントを凝縮させてできた生き物だ。
主任は、パワハラ、アルハラ、モラハラ、この世の全てのハラスメントを凝縮させてできた生き物だ。
「おはようございます」の声が小さい、と怒鳴りつけ、その場で満足するまで何回もやり直しを強要される。
外回り先へ持っていくノベルティを用意しろと言われ、選んで袋詰めする。すると、「選ぶノベルティのセンスがない」だの「お前は半年も教えてるのに、何も理解していない」だのと言われる。
結局、主任が選ぶノベルティを持っていくのだから、俺がやる意味はない。俺をこき下ろすためだけに、主任は俺に頼むのだ。
結局、主任が選ぶノベルティを持っていくのだから、俺がやる意味はない。俺をこき下ろすためだけに、主任は俺に頼むのだ。
この主任の横暴に付き合っているのはしんどい。
だが、もっとしんどいのは、長年この地に暮らす高齢者たちの大半が、新参者には手厳しいところだった。
だが、もっとしんどいのは、長年この地に暮らす高齢者たちの大半が、新参者には手厳しいところだった。
営業は向いていない、と一ヶ月目で思った。
それでも半年続けたのは、この主任が、せっかく書いた辞表を破り捨てたからだ。|曰《いわ》く、「半年で辞めたら、他のどこでも続かない」。
それでも半年続けたのは、この主任が、せっかく書いた辞表を破り捨てたからだ。|曰《いわ》く、「半年で辞めたら、他のどこでも続かない」。
主任は、視界の中に偉い人がいれば、その偉い人のもとへ一目散に駆け寄っていく。そして、いつもべったり付いて回っている。
俺が、主任を飛び越して、もっと上にいる部長や支店長に辞表を出そうと思っても、ことごとく邪魔するように現れる。
俺が、主任を飛び越して、もっと上にいる部長や支店長に辞表を出そうと思っても、ことごとく邪魔するように現れる。
だから、俺は考えるのをやめた。
日々、主任のサンドバッグとして半年、無の境地で仕事していた。
無愛想に応対されても、営業先へは常に愛想良くしていた。愛想を良くしたところで、営業成績は振るわなかったが。
日々、主任のサンドバッグとして半年、無の境地で仕事していた。
無愛想に応対されても、営業先へは常に愛想良くしていた。愛想を良くしたところで、営業成績は振るわなかったが。
時計代わりに点けていたテレビを消し、俺は部屋を出た。
出勤するために、いつも通りの決まった時間に駐車場へ行き、車に乗った。
運転席のシートベルトを締めた瞬間、俺は涙が溢れ出していた。
出勤するために、いつも通りの決まった時間に駐車場へ行き、車に乗った。
運転席のシートベルトを締めた瞬間、俺は涙が溢れ出していた。
悲しいなんて感情はない。怒りも悲しみも、何も感じていないはずのに、涙は勝手に出てきた。
こんなのは初めてだった。
どうにかしなくては、と焦れば焦るほど、呼吸は荒くなって涙がボロボロ落ちてくる。
どうにかしなくては、と焦れば焦るほど、呼吸は荒くなって涙がボロボロ落ちてくる。
仕事に行かなくては。
いや、遅刻するなんて連絡をしたら、主任が何を言ってくるかわからない。
こんな状態で、電話できるはずがない。
ショートメッセージやメッセージアプリ? そんなツールを使ったら、社会人としての常識がないだとか、無礼だとか、主任がドヤしてくる。
ショートメッセージやメッセージアプリ? そんなツールを使ったら、社会人としての常識がないだとか、無礼だとか、主任がドヤしてくる。
主任の顔がちらつくたびに、心拍数が上がっていく。自分の声にならない泣き声よりも、心臓の音の方が大きく聞こえる。
この辺りでやっと、この現象がなぜ起きたのか把握できた気がした。
俺の精神は限界に近づいているのだ。
逃げたい。逃げたい。死にたい。死にたい。どこかへ行きたい。姿形を消したい。――そんな感情が渦巻いて、さらに呼吸は荒くなる。
逃げたい。逃げたい。死にたい。死にたい。どこかへ行きたい。姿形を消したい。――そんな感情が渦巻いて、さらに呼吸は荒くなる。
その瞬間、日焼けした顔で、満足げに「今日の試合、勝てたよ」と笑う弟の姿が目の前に浮かんだ。
漠然と、その時に思った。
漠然と、その時に思った。
あぁ、弟が野球ができなくなった時、こんな気持ちだったんじゃないのか。
もちろん、弟が置かれた状況と俺が置かれている状況は全く別物で、同じだと思い込むのはいけないんだろう。だが、今の俺には、弟の苦悩と俺の苦悩に、どんな差があるのかなんて、考えられる余裕がなかった。
この時点で、俺はものすごく、不安になっていたのだ。
この時点で、俺はものすごく、不安になっていたのだ。
このまま仕事に行ったら、死ぬんじゃないか。
自殺するのか、主任を巻き込んで死ぬのか、どちらなのかはわからないが、俺は死のうとするだろう。
判断力が著しく低下した俺の頭でも、それだけはわかった。