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2話

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 悪縁の相手と繋がってしまう、運命の黒い糸。
 しかし一般的に言い伝えられている、「運命の赤い糸」と異なる点が一つある。
 赤い糸は生まれた頃より一生繋がるものとされているが。黒い糸は出現や消失を繰り返すものであり、また色合いも変わっていくことだった。
 茶色がかった黒とされる「黒褐色(くろかっしょく)」程度なら軽い人間関係の捻れであり、糸で繋がったままでも共に生活可能。皆、折り合いを付けて人間関係を保っている。
 しかし「漆黒(しっこく)」ほどに、どす黒くなるのは深すぎる悪縁であり、いずれも破綻していく運命だと泰造は目の当たりにしている。

 幸い彼女と繋がった糸はまだ黒褐色で、この段階なら折り合いをつけた人間関係を継続可能。
 一番の円満解決は和解をして悪縁のみを断ち切り、黒い糸を消失させる方法だが。一度嫌悪感を抱いた相手への印象を変化させるのは困難で、現実的な解決方法ではない。
 だからこそ前みたいな関わりのない生活を送り、悪縁と共に縁も切り、黒い糸を消失させるのが最良の方法だった。泰造は彼女と二度と関わりを持たず、このまま穏便に縁を切ることを願った。
 しかし隣人は、こちらの気も知らず接してきた。
 共に出勤しようと待ち伏せのようなことを繰り返したり、変わらずお裾分けを持ってきたり、何かと理由をつけて話をしようとしたり。泰造はその度に彼女を遠ざけようとするが、女性は対応を変えてこなかった。

 そんな日々が過ぎ一週間。
 運命の黒い糸は消失どころかその色を濃くし、関係性が修復不可能となる漆黒色に類似していく。
 ここまで早期に起こる、黒い糸の変色を目の当たりにするのは初めてであり、彼の精神までもが崩壊の一途を辿っていた。

 ピンポーン。
 無意識に身をすくませる、悪魔のような音。
 小指より伸びる先は玄関へと繋がっており、訪問者の確認など必要なかった。
 乱暴に玄関ドアを開けるとそこには隣人がおり、また簡易容器を持参して俯いている。
 その姿は小刻みに揺れ、まるで愚かな自分を嘲笑しているように心付いた。
 その瞬間に湧き上がる、自責の念。
 自身の脆弱さと醜い本性を見透かされた羞恥心。それに耐えられず。
「あんたに何が分かる!」
 気付けば、そう声を荒らげていた。
「俺のこと最低な人間だと軽蔑してるんだろ? 自己中なクズだとか思ってるんだろ?」
 泰造の怒声に対し、こちらを真っ直ぐな目で見つめてくる隣人女性。
「な、何言ってるのか。分からなくて。……ただ、私は……」
 恐怖からか言葉が続かない彼女に、泰造は容赦なく捲し立てる。

「あんた目障りなんだよ! 二度と顔見せるな!」
 そう言い放ち、立ち尽くしている女性を感情のまま突き飛ばすと、彼女は力なく倒れてしまう。

「……あ」
 その光景にようやく我に返る。
 元々の性格が穏やかな泰造にとって理解し難い暴挙で、混乱の中彼女を起き上がらせようと手を伸ばすと、その指が視界に入った。
 小指より伸びる、漆黒の糸が。
 この人間関係は修復不可能。そう告げられた。

「……え? 何、この色?」
 女性はそう呟き、泰造と自身の小指に何度も視線を送り混濁の表情を浮かべているが。彼は玄関ドアを強く閉め、その場にへたり込んでしまう。
 気付けば体全体が小刻みに震えており、自身の小指をただ傍観していた。
 自身の過ちに苛まれながら。


 「運命の黒い糸」を認識したのは物心着く頃。初めて目の当たりにしたのは両親だった。
 悪縁の関係になると黒い糸が二人を結び、関係性の悪化によって色濃く染めていき。そして修復不可能となり互いに離れていくと、黒い糸は消失する。
 そんな人間関係の不和を見透せる力が自分にはあるのだと気付いた、小学三年生の夏。
 そんな力を誰かに相談出来るはずもなく、親にすら心を開かなかった彼は精神を病むが、生きる為に決意する。
 浅い人間関係を築き、その他は一切見ない。
 周りに蔓延る黒い糸全てを、ないものとして生きていくと。


 あれから泰造は漫画喫茶を転々とし、アパートには戻らなかった。
 そして始めたのは、新たな生活の拠点となる住処探し。彼女と離れる。そう決めた。
 しかし頭に埋め尽くされるのはこれからの人生ではなく、彼女のこと。
 頭に血が昇って、感情のまま行動に移してしまった罪悪感。何故あんな関わりを見せてきたのかという疑念。
 そう思いながら黒い糸を眺めていると、突如その色は半透明にと変化してしまう。
「……あ」
 これは悪縁が消える前兆であるが、彼女とは和解をしていない。
 つまり彼女との縁は、この黒い糸と共に消失するということだった。
 終わったと目を閉じ溜息を漏らすが、そこで浮かんだのは彼女と出会った日だった。
 自分を見た途端、挨拶の為に持参していた箱を落とし、それを拾うこともなくこちらを凝視してきた。
 ただそれ以降、関わりもなく三年を過ごしていたが、半年前に突然始まったお裾分け。
 初めては和風ハンバーグだった。
 あまり好きではなかったが、柔らかくてさっぱりしていて、夢中で食べていた。
 また持ってきてくれないかと淡い期待を持っていたら、その気持ちを汲み取ったかのようにお裾分けは継続していき。彼女への疑念や脅威を感じていたが、もう一つの感情。彼女の気遣いや、善意を信じたくなっていた。
 だからこそ彼女に悪意を常に疑い、違った時の予防線を張っていた。そうすることで、自身の脆い心を守っていた。
 だから、彼女を突き飛ばしてしまった。
 彼女が何を考え行動に移していたのかを、知るのが怖くて。もし、自身の生き様を責められたら耐えられなくて。
 小指を見れば、先程より薄くなっている運命の糸。消えゆくのも時間の問題だろう。

 気付けば泰造は夜道を走っていた。小指で繋がるその先に。
 今まで黒い糸から目を逸らしてきた。
 誰が不仲になっても、絶縁しても関係ない。変に口を挟んだら、今度は自分が巻き込まれるのではないか。そんな思いで。
 だから最低限の関わりしかしないと決めたが、人が離れていくのが悲しくて、誰とも深い関係になれないのが苦しくて葛藤する毎日。
 このまま誰とも関わらず、誰かと共に食事をすることもなく、一人生きていくのだと思っていた時に現れたのは彼女だった。

 頼む、消えないでくれ。
 今までの意図に反したことをひたすらに願いながら、消えゆく糸を手掛かりに走って行く。

 行き着いた先は児童公園で、街灯は少なく薄暗い。
 空に光る月明かりと、スマホのライトで照らしならが糸を追って歩いていく。
 それはまるで、運命の黒い糸が彼女の元に導いてくれるかのような、そんな不思議な感覚だった。
 するとその先には、街灯の下にスーツ姿でベンチに座っている彼女が居た。
「あ……」
 彼女は泰造に気付くと、すぐに立ち上がりその場を後にしようとする。
「ま、待ってください! すみませんでした。一方的に危害を加えて……。話も聞かず……。悪縁の関係になってしまったのは、俺の弱さのせいです。あなたの優しさが嬉しくて、でも(いさか)いに巻き込まれたくないと悪縁に気付いても仲裁してこなかった醜い本性を、知られたと思うと怖くて。突き放した方が楽だと考えて。だけど、こんな形で縁が切れるのは嫌で。だから、身勝手ですみません。もう一度、隣人として関わらせてもらえませんか?」

 和解に導き、悪縁のみを断ち切る。
 泰造は初めて、人と真っ直ぐ向き合うと決めた。

「違いますよ。関係性が変わったのは、私が運命の糸に舞い上がったから。あなたの迷惑も考えずに。私はもう耐えられない。あなたと繋がる糸が変わっていくのは……」
 彼女は糸が繋がる左小指をもう片方の手で隠し、結び付く糸を見ないようにしていた。
 先程よりこちらを見ないのは、繋がる糸を目視しない為だった。

「俺は、あなたと繋がってて良かったと思いました。だって、これがなかったら、今こうしてあなたを探し出せなかった」
 その言葉に彼女が泰造の方を向き、互いが顔を見合わせた瞬間。二人を結ぶ黒い糸は跡形もなく消えていった。

「消えた……」
「嘘! 赤色に戻ってる!」
「……え?」
 互いの発言が耳に入ってきた二人は、また顔を見合わせる。
 そこでようやく、「互いが視ていた糸の違い」に気付いたのだった。


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 悪縁の相手と繋がってしまう、運命の黒い糸。
 しかし一般的に言い伝えられている、「運命の赤い糸」と異なる点が一つある。
 赤い糸は生まれた頃より一生繋がるものとされているが。黒い糸は出現や消失を繰り返すものであり、また色合いも変わっていくことだった。
 茶色がかった黒とされる「|黒褐色《くろかっしょく》」程度なら軽い人間関係の捻れであり、糸で繋がったままでも共に生活可能。皆、折り合いを付けて人間関係を保っている。
 しかし「|漆黒《しっこく》」ほどに、どす黒くなるのは深すぎる悪縁であり、いずれも破綻していく運命だと泰造は目の当たりにしている。
 幸い彼女と繋がった糸はまだ黒褐色で、この段階なら折り合いをつけた人間関係を継続可能。
 一番の円満解決は和解をして悪縁のみを断ち切り、黒い糸を消失させる方法だが。一度嫌悪感を抱いた相手への印象を変化させるのは困難で、現実的な解決方法ではない。
 だからこそ前みたいな関わりのない生活を送り、悪縁と共に縁も切り、黒い糸を消失させるのが最良の方法だった。泰造は彼女と二度と関わりを持たず、このまま穏便に縁を切ることを願った。
 しかし隣人は、こちらの気も知らず接してきた。
 共に出勤しようと待ち伏せのようなことを繰り返したり、変わらずお裾分けを持ってきたり、何かと理由をつけて話をしようとしたり。泰造はその度に彼女を遠ざけようとするが、女性は対応を変えてこなかった。
 そんな日々が過ぎ一週間。
 運命の黒い糸は消失どころかその色を濃くし、関係性が修復不可能となる漆黒色に類似していく。
 ここまで早期に起こる、黒い糸の変色を目の当たりにするのは初めてであり、彼の精神までもが崩壊の一途を辿っていた。
 ピンポーン。
 無意識に身をすくませる、悪魔のような音。
 小指より伸びる先は玄関へと繋がっており、訪問者の確認など必要なかった。
 乱暴に玄関ドアを開けるとそこには隣人がおり、また簡易容器を持参して俯いている。
 その姿は小刻みに揺れ、まるで愚かな自分を嘲笑しているように心付いた。
 その瞬間に湧き上がる、自責の念。
 自身の脆弱さと醜い本性を見透かされた羞恥心。それに耐えられず。
「あんたに何が分かる!」
 気付けば、そう声を荒らげていた。
「俺のこと最低な人間だと軽蔑してるんだろ? 自己中なクズだとか思ってるんだろ?」
 泰造の怒声に対し、こちらを真っ直ぐな目で見つめてくる隣人女性。
「な、何言ってるのか。分からなくて。……ただ、私は……」
 恐怖からか言葉が続かない彼女に、泰造は容赦なく捲し立てる。
「あんた目障りなんだよ! 二度と顔見せるな!」
 そう言い放ち、立ち尽くしている女性を感情のまま突き飛ばすと、彼女は力なく倒れてしまう。
「……あ」
 その光景にようやく我に返る。
 元々の性格が穏やかな泰造にとって理解し難い暴挙で、混乱の中彼女を起き上がらせようと手を伸ばすと、その指が視界に入った。
 小指より伸びる、漆黒の糸が。
 この人間関係は修復不可能。そう告げられた。
「……え? 何、この色?」
 女性はそう呟き、泰造と自身の小指に何度も視線を送り混濁の表情を浮かべているが。彼は玄関ドアを強く閉め、その場にへたり込んでしまう。
 気付けば体全体が小刻みに震えており、自身の小指をただ傍観していた。
 自身の過ちに苛まれながら。
 「運命の黒い糸」を認識したのは物心着く頃。初めて目の当たりにしたのは両親だった。
 悪縁の関係になると黒い糸が二人を結び、関係性の悪化によって色濃く染めていき。そして修復不可能となり互いに離れていくと、黒い糸は消失する。
 そんな人間関係の不和を見透せる力が自分にはあるのだと気付いた、小学三年生の夏。
 そんな力を誰かに相談出来るはずもなく、親にすら心を開かなかった彼は精神を病むが、生きる為に決意する。
 浅い人間関係を築き、その他は一切見ない。
 周りに蔓延る黒い糸全てを、ないものとして生きていくと。
 あれから泰造は漫画喫茶を転々とし、アパートには戻らなかった。
 そして始めたのは、新たな生活の拠点となる住処探し。彼女と離れる。そう決めた。
 しかし頭に埋め尽くされるのはこれからの人生ではなく、彼女のこと。
 頭に血が昇って、感情のまま行動に移してしまった罪悪感。何故あんな関わりを見せてきたのかという疑念。
 そう思いながら黒い糸を眺めていると、突如その色は半透明にと変化してしまう。
「……あ」
 これは悪縁が消える前兆であるが、彼女とは和解をしていない。
 つまり彼女との縁は、この黒い糸と共に消失するということだった。
 終わったと目を閉じ溜息を漏らすが、そこで浮かんだのは彼女と出会った日だった。
 自分を見た途端、挨拶の為に持参していた箱を落とし、それを拾うこともなくこちらを凝視してきた。
 ただそれ以降、関わりもなく三年を過ごしていたが、半年前に突然始まったお裾分け。
 初めては和風ハンバーグだった。
 あまり好きではなかったが、柔らかくてさっぱりしていて、夢中で食べていた。
 また持ってきてくれないかと淡い期待を持っていたら、その気持ちを汲み取ったかのようにお裾分けは継続していき。彼女への疑念や脅威を感じていたが、もう一つの感情。彼女の気遣いや、善意を信じたくなっていた。
 だからこそ彼女に悪意を常に疑い、違った時の予防線を張っていた。そうすることで、自身の脆い心を守っていた。
 だから、彼女を突き飛ばしてしまった。
 彼女が何を考え行動に移していたのかを、知るのが怖くて。もし、自身の生き様を責められたら耐えられなくて。
 小指を見れば、先程より薄くなっている運命の糸。消えゆくのも時間の問題だろう。
 気付けば泰造は夜道を走っていた。小指で繋がるその先に。
 今まで黒い糸から目を逸らしてきた。
 誰が不仲になっても、絶縁しても関係ない。変に口を挟んだら、今度は自分が巻き込まれるのではないか。そんな思いで。
 だから最低限の関わりしかしないと決めたが、人が離れていくのが悲しくて、誰とも深い関係になれないのが苦しくて葛藤する毎日。
 このまま誰とも関わらず、誰かと共に食事をすることもなく、一人生きていくのだと思っていた時に現れたのは彼女だった。
 頼む、消えないでくれ。
 今までの意図に反したことをひたすらに願いながら、消えゆく糸を手掛かりに走って行く。
 行き着いた先は児童公園で、街灯は少なく薄暗い。
 空に光る月明かりと、スマホのライトで照らしならが糸を追って歩いていく。
 それはまるで、運命の黒い糸が彼女の元に導いてくれるかのような、そんな不思議な感覚だった。
 するとその先には、街灯の下にスーツ姿でベンチに座っている彼女が居た。
「あ……」
 彼女は泰造に気付くと、すぐに立ち上がりその場を後にしようとする。
「ま、待ってください! すみませんでした。一方的に危害を加えて……。話も聞かず……。悪縁の関係になってしまったのは、俺の弱さのせいです。あなたの優しさが嬉しくて、でも|諍《いさか》いに巻き込まれたくないと悪縁に気付いても仲裁してこなかった醜い本性を、知られたと思うと怖くて。突き放した方が楽だと考えて。だけど、こんな形で縁が切れるのは嫌で。だから、身勝手ですみません。もう一度、隣人として関わらせてもらえませんか?」
 和解に導き、悪縁のみを断ち切る。
 泰造は初めて、人と真っ直ぐ向き合うと決めた。
「違いますよ。関係性が変わったのは、私が運命の糸に舞い上がったから。あなたの迷惑も考えずに。私はもう耐えられない。あなたと繋がる糸が変わっていくのは……」
 彼女は糸が繋がる左小指をもう片方の手で隠し、結び付く糸を見ないようにしていた。
 先程よりこちらを見ないのは、繋がる糸を目視しない為だった。
「俺は、あなたと繋がってて良かったと思いました。だって、これがなかったら、今こうしてあなたを探し出せなかった」
 その言葉に彼女が泰造の方を向き、互いが顔を見合わせた瞬間。二人を結ぶ黒い糸は跡形もなく消えていった。
「消えた……」
「嘘! 赤色に戻ってる!」
「……え?」
 互いの発言が耳に入ってきた二人は、また顔を見合わせる。
 そこでようやく、「互いが視ていた糸の違い」に気付いたのだった。