『人はどうして死ぬのだろう』
小さい頃、よくそんなことを考えていた。
私、右近黄香はアルビノ体質だ。
生まれつき肌が白く、髪も瞳も透き通るように淡い色をしている。
白い花みたいで可愛いわ、なんてお母さんは元気づけるように言っていたけれど、私はそんな可憐なものではない。
花は光合成をするけれど、太陽の光は私にとって敵だったからだ。
外に出るときは必ず長袖を着て帽子をかぶり、日傘を差す。それでも、紫外線を浴びると肌が焼けるように痛む。普通の人とは違う。昔から、私はこの世界の『異物』だった。
そんな私が唯一心を許せたのは──
「黄香! また屋上でぼーっとしてるの?」
――カンカン照りの中だろうと平気で駆け回る、太陽そのもののような彼女……花車橙華だった。
橙華は私と名前は似ているけれど、正反対の存在だ。
健康的な肌に、鮮やかな栗色の髪。いつも元気で誰とでもすぐに仲良くなれて、何よりいつも太陽のように眩しい笑顔を絶やさない。
「橙華、また授業サボったでしょ」
「げっ、バレてる……」
「もう。来てくれるのは嬉しいけど、もっと馬鹿になるよ?」
「いいのいいの。黄香に会えるなら馬鹿でいいからさ」
「またそんなこと言って……ふふ」
彼女の前なら、いつも仏頂面の私も無邪気に笑えた。
そうして笑わせてくれる、笑う彼女が私は羨ましかった。
──いや、本当は羨ましいなんてものじゃない。私は彼女のことが好きだった。
だけど、それを口にすることはできない。
だって私は──
「右近さん……ごめんなさい」
病院の白い壁の前で、医者の先生が申し訳なさそうな顔をした。
──分かっていた。
アルビノのせいか、私はもともと体が弱かった。それでもなんとか普通の生活を送ってきたけれど、最近は咳が止まらなくなかったり、体温が極端に低くなることも多くなってきていた。
検査の結果は末期の肺疾患。
長くは生きられないと、目の前の先生は重苦しそうに伝えてきた。
「知ってました。昔から、こうなるって」
「……そう」
お母さんは涙をこらえていたけれど、私は笑った。
私は、生まれたときから、死ぬために生きてきたようなものだ。
ここまで生きていられただけでも、感謝しなきゃいけない。
そう思いつつも、思考の端に橙華の姿がちらついた。
酷く、胸が痛んだ。
「黄香、また病院? …… 最近多くない?」
橙華が心配そうに私を覗き込む。
らしくない彼女の顔がなんだか少しおかしくて、私はからりと笑った。
「ちょっと、ね。大したことじゃないよ」
「嘘」
私の言葉を切るように、橙華がきっぱりと言い放った。
思わず、視界が揺れた。
「黄香、最近ずっと苦しそうな顔してる。ちゃんと話してよ」
──言えない。
「橙華には関係ないよ」
「……っ!」
笑顔で告げると、橙華は苦しげに眉を寄せた。
「関係ないわけないでしょ!」
そう叫んだあと、彼女は言葉を詰まらせた。そして小さく息を吐き、静かに口を開いた。
「……あたしね、貴女のことが好き」
──彼女の言葉に、時間が止まったような気がした。
「友達として、とかじゃなくて、ずっとずっと……好きなの」
私がずっと言えなかった言葉を、彼女はためらいなく口にした。
さらに彼女は続ける。
「だから……だから何かあるなら、ちゃんと話してほしい」
橙華の瞳は真剣だった。
いつもの眩しい笑顔ではなく、一筋の光を差すような……真っ直ぐな瞳で私を見つめている。
正直に言えば、嬉しい。
今すぐ彼女を抱きしめて、『私も』と無邪気に泣いて、笑いたいくらいだ。
けれど――
「……ごめん」
――私は、彼女の想いを拒んだ。
「な、んで……?」
私の答えに対し、橙華は問いかけてきた。
その目元には涙が溜まり、今にも雫となって流れ出しそうになっている。
「あたしが、女だから?」
「違う。そんなの関係ない」
「じょ、冗談だと思ってる?」
「本気だって分かってる」
「なら、どうして!? 黄香のこと、本当に、本気で好きなの! 少しくらい、考えてくれたって――」
普段の彼女からは想像がつかないくらいに取り乱した悲痛な声。
だけど、私の考えは変わらない。
――私なんかに時間を使うのは無駄なのだから。
「……私ね。もう長くないの」
静かに告げると、橙華の顔は凍りついた。
「病気で、あと少しで死んじゃうんだってさ」
なるべく暗くならないよう、あっけからんと伝える。
けれどそんな私の目論見なんて当然叶うはずはなく、橙華の口が震えた。
「……嫌だ……そんなの、嫌だよ」
私は笑った。
「私が死んでも、橙華は生きてるじゃない」
「ふざけないでよ!」
橙華は叫びながら、私の腕を掴んだ。
「なんでそんなこと言うの!? どうして諦めるの!? どうして……」
橙華は怒るように声を上げたかと思えば、消え入るように声をすぼめていった。
「……もう、決まってることだから」
私に縋るように涙を流す彼女に、にべもなく告げる。
それから橙華は何も言うことはなく、病室を後にした。
私は、最後まで橙華の顔を見ることが出来なかった。
次の日から、橙華は毎日私の元へ来るようになった。
「おはよう、黄香!」
「今日は映画でも見ようよ!」
橙華はずっと明るく振る舞っている。
今まで通り……いや、今まで以上に。
けれど、時が経つにつれてその笑顔に亀裂が入りつつあることに私は気が付いていた。
「橙華、もういいよ」
「何が?」
「私のために無理しないで」
「……っ!」
私がたしなめるように言うと、橙華の肩が震えた。
「無理なんか、してない! ……無理なんか……」
すぐにボロが出てきた素直な橙華を見て、私は暖かい気持ちになりながらも静かに目を閉じた。
──この子は、本当に優しい。私が死ぬまで、きっとずっとそばにいてくれるだろう。
でも、それは駄目。橙華は……彼女は、これからも生きていくんだから。
好きな人だからこそ、そばに居てほしくない。
だから私は――
「橙華とは、もう会いたくない」
――私は、彼女を強く突き放した。
私の放った明確な拒絶の言葉に、橙華の瞳が大きく揺れた。
「嘘……」
目を見開く彼女に対して、私は背を向けた。
「さよなら、橙華」
最後に短くそう告げると、私は歩き出した。
彼女から逃げるように。
流れそうになる涙を隠すように。
あの日から橙華は来なくなった。
なんだか広くなったような気がする病室で、私は独り静かに時を過ごしていた。
──これでよかったんだ。
しとしとと降る雨音に耳を傾けながら、心の中で呟いた。
部屋の中には雨の音と、私の咳音が時折響く。けれど、妙に静かに感じてしまう。
いいや、これでいい。今更寂しいだなんて、考えちゃだめだ。
彼女のためなら、これがいいんだ。
……そう思っていたのに。
「黄香」
気が付くと、橙華の声がした。
ハッとして声のする方へ顔を向けると……窓の外で雨に濡れた彼女の姿があった。
「なん、で……」
「……会いたかった」
急いで駆け寄り、窓を開けた。
橙華は泣いていた。
「黄香がいなくなるなんて、やっぱり嫌だよ……」
私は、震える手で橙華の頬に触れた。
だめだ。溢れ出してしまう。
言うつもりなんてないのに。彼女を苦しめることなんて、したくないのに。
「……私も、本当は……」
――びちゃり。
私が言葉を続けようとした瞬間、割って入るように厭な音が床から響いた。
思わず下へと視線を動かすと、そこには――
赤黒い水が、私の足元に落ちていた。
それを知覚した瞬間、喉の底から込み上げるように咳が溢れ出す。
「げほっ、げほっ……ごぼっ……」
「黄香!?」
立っていられなくて、その場にへたり込むようにして床に倒れ込む。
ぼやけてきた視界の端で、橙華が私の顔を覗き込んできているのが分かった。
窓から入ってくるなんて、本当に無邪気なんだから。起きたらまた小言を言ってやらないと。
ああ、でも、その前に……言っておかないと……。
――私も、橙華のことが……。
それを言葉にする前に、意識が遠のいていった。
「……黄香?」
ぼんやりと、橙華の声が聞こえた。
「ねえ、起きてよ」
雫の落ちる音がした。
「ねえ……おうか……」
──もう、声は届かなかった。
月の見えない雨風の夜。
濡れた太陽の腕の中で、一つの白い花は散ったのだった。