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イシュタルとユージ(1)

ー/ー



 同じ頃。
 駅近くの雑踏の中を、数人の若い男たちが連れ立って歩いていた。どうやら仕事帰りらしい。
 「今日は作業が早く終わって助かったな」
 「ほんとほんと。毎日これぐらい早く上がれると楽なんすけど」
 そんなことを話しながら、和気あいあいと楽しそうにしている。
 そのうちの一人が、端正な顔立ちをした、一番歳の若そうな男の横に移動して、声を掛けた。
 「なあ、リューイ。明日の合コン、絶対に来てくれよな。お前がいるといないとじゃ、女の子の盛り上がり方が全然違うんだよ」
 「えー、またっすか。ついこないだ合コンやったばっかじゃないですか」
 リューイと呼ばれたその男は、うんざりしたような声を上げた。
 「そう言わずに頼むよ。気に入った娘がいたら、お持ち帰りしていいからさ」
 「まあ先輩の許可がなくても、当然そうしますけどね」
 眉一つ動かさず、さらりとそんなことを言ってみせる。
 
 黒髪の短髪に東洋風の顔立ちだが、リューイと名乗るこの男の正体は、天界最後の蒼き龍・イシュタルだ。
 中道界の、特にジムルグでは生来の出で立ちでは目立ってしまうため、龍の力を使って姿を変えているのだ。
 
 (はあ。面倒臭えな)
 イシュタルは同僚に気づかれないように溜息をつく。
 中道界で人間達に混ざって生活している以上、彼らと上手に付き合っていく必要があることは、イシュタル自身も理解している。が、今回のように明らかに自分をだしに使って、ちゃっかりおこぼれに預かろうという魂胆が透けて見える状況は、やはり面白くないのだ。
 (あんまり続くようだったら、まだ早いけど居場所変えよっかな)
 イシュタルは素知らぬ顔でそんなことを考えている。そして、
 (とりあえず今回は、返事するのやめとこ)
 先輩がしつこく食い下がるのを適当に聞き流しながら、そう決意していた。

 
 その雑踏の中。
 イシュタル達に向かって、左手にレジ袋を2つぶら下げたユージがやってきた。
 (えーと、買い忘れはないかな)
 ユージはポケットからメモを取り出して内容を確認する。
 (うん、大丈夫だ)
 ユージは軽く頷くと、顔を上げて歩く速度を速めた。
 そして。
 ユージとイシュタルはお互いの存在に気づかぬままに、ほんの1メートルほどの間隔を開けてすれ違った。
 
 その瞬間。
 
 「!」
 イシュタルの背中がぞわぞわっと泡立った。
 (な、何だ?今、触られた?)
 イシュタルは、厳しい視線を周囲に送り、自分に触れた人物の気配を追いかける。そして、
 (あの人……か)
 彼の視線が、ユージの背中で止まった。
 「おい、リューイ、なんかあったか?」
 先輩が不審な声を上げたのへ、
 「あっ……ちょっと用事思い出したんで、これで失礼します。それじゃ」
 イシュタルは早口で返答すると、足早にユージの後を追い始めた。
 
 (すれ違いざまにこの俺に……龍に触れるとは、一体何者なんだ?)
 そう、自分に「触れた」男の正体を探りたくなったのだ。
 
 イシュタルはユージの数メートル後ろという距離を保ちながら、感覚を研ぎ澄まし、龍の力を使ってユージを探り続けている。
 (特別何かって感じはしないけど、隠し切ってるとしたら相当なもんだ)
 そのうち、龍の尻尾がジーンズの隙間から顔を出しそうになっていることに気づくと、
 (あ、いけね)
 とばかりに尻尾を引っ込めた。
 ユージの方は、イシュタルに尾行されていることなど全く気付かぬままだ。
 
 やがて、ユージは裏路地の飲み屋街に入り、そのうちの一軒の裏手へ回った。
 (ここで働いてるのか)
 イシュタルは、ユージがその勝手口に消えたのを確認すると、裏路地に戻った。
 そして、どの店に入ろうか物色しているふりをして飲み屋街をうろつきながら、
 (どうしよっかな)
 と、思案していた。
 相手の素性がわからない以上、深追いするのは危険な気がした。でも、今後のこともあるし、対策を考える上でもある程度のことは知っておきたい。
 天界ならいざ知らず、ここ中道界で龍に触れられる人物が存在するというのは、イシュタルにとって想定外の出来事だったのだ。
 (なんかあってからじゃ、遅いもんな)
 イシュタルは心を決め、居酒屋の縄のれんを潜った。
 まだ開店直後の時間帯で、客はまばらだ。
 
 「いらっしゃいませ!」
 果たして、龍に触れたと思しき男は笑顔で出迎えた。
 (やっぱりここの従業員か)
 イシュタルもまた、素知らぬ顔で
 「あ、ここ、いいっすか?」
 と、最も入り口に近いカウンター席を指差した。
 「はい、どうぞ」
 ユージはイシュタルの前におしぼりを置いた。その時、イシュタルはさりげなくユージの匂いを嗅いだ。
 (この匂い。こいつ、魔界人か)
 龍とは何の縁もない筈の魔界人に触れられたとなれば、ますます想定外の状況だ。
 (わかんねえ。マジで気持ち悪いな)
 「何にしましょう?」
 ユージの声が、イシュタルの思考を遮った。
 「あっ……じゃ、とりあえず生」
 「はい」
 すぐにお通しとビールジョッキが運ばれてきた。
 (ちょっとだけ、探ってみるか)
 イシュタルは目を上げて、立ち去ろうとしたユージにいきなり公用語で話し掛けた。
 「兄さん、魔界の人でしょ」
 「えっ?お客さん、どうしてわかったんですか?」
 ユージは心底驚いた顔で、公用語で答えた。
 「何となくそうかなって思ったんす。ビンゴでしたね」
 イシュタルは薄く笑うと、ビールを口にした。
 「こっち、長いんすか?」
 「えっと、1年と2カ月ってところです」
 「そうすか。魔界の人が中道界に長期滞在なんて珍しいすね」
 「まあ確かに――そういうお客さんも、中道界の人ではないですよね?」
 ユージの言葉に、イシュタルの目が少しだけ鋭くなった。
 「どうしてそう思うんすか?」
 「公用語で話し掛けて下さったので」
 (あ。それだけ?)
 ユージの回答に、イシュタルは拍子抜けした。
 「ははは、忙しいのに呼び止めて済みませんでした。後は適当に楽しませてもらいます」
 「是非是非。どうぞごゆっくり」
 ユージは笑顔で応じると、再びいそいそと働き始めた。
 (なんか、俺のことを龍とは思ってないみたいだな)
 ふん、とイシュタルはひとつ息をついて、お通しの糠漬けをつまんだ。
 (となると――いやいやいや、そっちの方が気持ち悪いって)
 イシュタルは自分の脳裏に浮かんだことを打ち消すように頭を振った。
 
 そして。
 天界の蒼き龍はキッチンから出てきた割烹着姿の女に仰天する。



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 同じ頃。
 駅近くの雑踏の中を、数人の若い男たちが連れ立って歩いていた。どうやら仕事帰りらしい。
 「今日は作業が早く終わって助かったな」
 「ほんとほんと。毎日これぐらい早く上がれると楽なんすけど」
 そんなことを話しながら、和気あいあいと楽しそうにしている。
 そのうちの一人が、端正な顔立ちをした、一番歳の若そうな男の横に移動して、声を掛けた。
 「なあ、リューイ。明日の合コン、絶対に来てくれよな。お前がいるといないとじゃ、女の子の盛り上がり方が全然違うんだよ」
 「えー、またっすか。ついこないだ合コンやったばっかじゃないですか」
 リューイと呼ばれたその男は、うんざりしたような声を上げた。
 「そう言わずに頼むよ。気に入った娘がいたら、お持ち帰りしていいからさ」
 「まあ先輩の許可がなくても、当然そうしますけどね」
 眉一つ動かさず、さらりとそんなことを言ってみせる。
 黒髪の短髪に東洋風の顔立ちだが、リューイと名乗るこの男の正体は、天界最後の蒼き龍・イシュタルだ。
 中道界の、特にジムルグでは生来の出で立ちでは目立ってしまうため、龍の力を使って姿を変えているのだ。
 (はあ。面倒臭えな)
 イシュタルは同僚に気づかれないように溜息をつく。
 中道界で人間達に混ざって生活している以上、彼らと上手に付き合っていく必要があることは、イシュタル自身も理解している。が、今回のように明らかに自分をだしに使って、ちゃっかりおこぼれに預かろうという魂胆が透けて見える状況は、やはり面白くないのだ。
 (あんまり続くようだったら、まだ早いけど居場所変えよっかな)
 イシュタルは素知らぬ顔でそんなことを考えている。そして、
 (とりあえず今回は、返事するのやめとこ)
 先輩がしつこく食い下がるのを適当に聞き流しながら、そう決意していた。
 その雑踏の中。
 イシュタル達に向かって、左手にレジ袋を2つぶら下げたユージがやってきた。
 (えーと、買い忘れはないかな)
 ユージはポケットからメモを取り出して内容を確認する。
 (うん、大丈夫だ)
 ユージは軽く頷くと、顔を上げて歩く速度を速めた。
 そして。
 ユージとイシュタルはお互いの存在に気づかぬままに、ほんの1メートルほどの間隔を開けてすれ違った。
 その瞬間。
 「!」
 イシュタルの背中がぞわぞわっと泡立った。
 (な、何だ?今、触られた?)
 イシュタルは、厳しい視線を周囲に送り、自分に触れた人物の気配を追いかける。そして、
 (あの人……か)
 彼の視線が、ユージの背中で止まった。
 「おい、リューイ、なんかあったか?」
 先輩が不審な声を上げたのへ、
 「あっ……ちょっと用事思い出したんで、これで失礼します。それじゃ」
 イシュタルは早口で返答すると、足早にユージの後を追い始めた。
 (すれ違いざまにこの俺に……龍に触れるとは、一体何者なんだ?)
 そう、自分に「触れた」男の正体を探りたくなったのだ。
 イシュタルはユージの数メートル後ろという距離を保ちながら、感覚を研ぎ澄まし、龍の力を使ってユージを探り続けている。
 (特別何かって感じはしないけど、隠し切ってるとしたら相当なもんだ)
 そのうち、龍の尻尾がジーンズの隙間から顔を出しそうになっていることに気づくと、
 (あ、いけね)
 とばかりに尻尾を引っ込めた。
 ユージの方は、イシュタルに尾行されていることなど全く気付かぬままだ。
 やがて、ユージは裏路地の飲み屋街に入り、そのうちの一軒の裏手へ回った。
 (ここで働いてるのか)
 イシュタルは、ユージがその勝手口に消えたのを確認すると、裏路地に戻った。
 そして、どの店に入ろうか物色しているふりをして飲み屋街をうろつきながら、
 (どうしよっかな)
 と、思案していた。
 相手の素性がわからない以上、深追いするのは危険な気がした。でも、今後のこともあるし、対策を考える上でもある程度のことは知っておきたい。
 天界ならいざ知らず、ここ中道界で龍に触れられる人物が存在するというのは、イシュタルにとって想定外の出来事だったのだ。
 (なんかあってからじゃ、遅いもんな)
 イシュタルは心を決め、居酒屋の縄のれんを潜った。
 まだ開店直後の時間帯で、客はまばらだ。
 「いらっしゃいませ!」
 果たして、龍に触れたと思しき男は笑顔で出迎えた。
 (やっぱりここの従業員か)
 イシュタルもまた、素知らぬ顔で
 「あ、ここ、いいっすか?」
 と、最も入り口に近いカウンター席を指差した。
 「はい、どうぞ」
 ユージはイシュタルの前におしぼりを置いた。その時、イシュタルはさりげなくユージの匂いを嗅いだ。
 (この匂い。こいつ、魔界人か)
 龍とは何の縁もない筈の魔界人に触れられたとなれば、ますます想定外の状況だ。
 (わかんねえ。マジで気持ち悪いな)
 「何にしましょう?」
 ユージの声が、イシュタルの思考を遮った。
 「あっ……じゃ、とりあえず生」
 「はい」
 すぐにお通しとビールジョッキが運ばれてきた。
 (ちょっとだけ、探ってみるか)
 イシュタルは目を上げて、立ち去ろうとしたユージにいきなり公用語で話し掛けた。
 「兄さん、魔界の人でしょ」
 「えっ?お客さん、どうしてわかったんですか?」
 ユージは心底驚いた顔で、公用語で答えた。
 「何となくそうかなって思ったんす。ビンゴでしたね」
 イシュタルは薄く笑うと、ビールを口にした。
 「こっち、長いんすか?」
 「えっと、1年と2カ月ってところです」
 「そうすか。魔界の人が中道界に長期滞在なんて珍しいすね」
 「まあ確かに――そういうお客さんも、中道界の人ではないですよね?」
 ユージの言葉に、イシュタルの目が少しだけ鋭くなった。
 「どうしてそう思うんすか?」
 「公用語で話し掛けて下さったので」
 (あ。それだけ?)
 ユージの回答に、イシュタルは拍子抜けした。
 「ははは、忙しいのに呼び止めて済みませんでした。後は適当に楽しませてもらいます」
 「是非是非。どうぞごゆっくり」
 ユージは笑顔で応じると、再びいそいそと働き始めた。
 (なんか、俺のことを龍とは思ってないみたいだな)
 ふん、とイシュタルはひとつ息をついて、お通しの糠漬けをつまんだ。
 (となると――いやいやいや、そっちの方が気持ち悪いって)
 イシュタルは自分の脳裏に浮かんだことを打ち消すように頭を振った。
 そして。
 天界の蒼き龍はキッチンから出てきた割烹着姿の女に仰天する。