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3-5・思い出すのはあの夏の日だ。

ー/ー



 テニスを始めたのは小学校4年生のときだった。
 理由はハッキリと憶えていない。たしか母がなにか通い事をさせたいと考えていて、塾に行くのが嫌だった俺は咄嗟にその名前を口にしたとか。
 始めた理由はともかく、俺はテニスにハマった。上背があったからか、同年代の子の中では一番強くて勝ちまくっていたからというのもあるだろう。
 そんなこんなでテニスを続け、俺は高校生になった。名門ではないけれどそれなりに強いテニス部がある高校に入り、さらに練習へ打ち込んだ。
 部活の仲間たちと切磋琢磨する。ということは残念ながらあまりなかった。俺はいつも1人で練習していたし、団体戦にも参加せず個人戦にしか出なかった。
 理由はひとつ、ただ面倒だったから。チームメイトを見下していたわけではない。単純に皆と合わせてみたいなのが得意じゃなかったし、チームの責任を負うみたいなのも嫌だっただけ。
 そんな俺に対して気さくに接してくれたのは宗志くらいだった。よく練習相手になってくれたし、全国大会のときはヒッティングパートナーとして同行してくれた。
 そうやって多くの勝ちと少しの負けを積み重ねて、2年生の時に俺は全国大会で優勝した。
 優勝したときはもちろん嬉しかったけど、だけど同時にこんなものかと思った。こんなにも思った通りに出来るものなのかと、そう思ったんだ。
 高校生チャンピオンという箔をつけて、大学に行ってもテニスを続けて、やがてプロになる。
 漠然としたものではあったが、俺にはそんなビジョンがあったんだ。甘ったれたビジョンが。
「――まぁそういうことだから、助けてほしい。頼むわ」
 奈保ちゃんの家にお邪魔した翌日、俺は大学で友人である宗志に事の顛末を話した。
 俺が元高校生チャンピオンだと知った奈保ちゃんは、これまでの険悪なオーラはどこにいったのやら、興奮した様子でテニスの話をして、今度是非教えてほしいとお願いしてきたのだ。
 当然最初は断った。今はもうテニスをやってないから無理だと。だが奈保ちゃんは一歩も引かず、話の途中で起きた美穂ちゃんも加わり、頼むから教えてくれとせがまれてしまった。
 結局2人の勢いに負けて、1回だけではあるが練習を見てあげることになってしまったのだ。
 だが大きな問題がある。俺はもう3年近くテニスに触っていない。自分のラケットだって持っていない。精神的な意味でも、技術的な意味でも教えるなんてできない。
 ゆえに、現役のテニス部員である宗志へと助けを求めた。こいつならかっこいいし実力も確かだし、むしろ俺の代わりに行ってほしいくらいだ。
「んーまぁサコッシュの頼みだからいいけどさぁ」
 困ったように笑いながら、宗志が食堂の椅子に座り、背もたれに身体を預ける。
 俺も対面の席に座り、注文した油淋鶏定食をテーブルの上に置く。
「その子的には高校生チャンピオンだった佐古日之太に指導してもらいたいんじゃないの?」
「俺が太鼓判を押す人物ってことならそれでいいだろ。あと一応俺も参加はするし」
「そうねぇ……まぁでも、実際はサコッシュが色々見てあげた方がいいでしょ。ほら、美穂ちゃんにかっこいいとこ見せるチャンスだし」
「それは別に……無理だよ。もう3年もラケット握ってないんだ」
 嘆くように息を吐く俺を見て、宗志は「暗いなぁ」なんて遠慮なく言葉をぶつけてきた。
 ムッとして顔をあげると、奴は呑気に飯を食っていた。いや、ここは食堂なのだから別に食っててもおかしくはないのだが。
「別に自分が試合をするわけじゃないんだし、気にすることないんじゃないの?」
「あのな、そう単純な問題じゃ――」
「いいや、単純な話だね」
 宗志が俺の反論を遮る。クルクルとフォークを回してパスタを巻いて、バクッと口に入れる。
 ジッと俺を見つめながら咀嚼し、やがて、ごくんっと呑み込んだ。
「俺はなにもお前に選手として復帰しろって言ってるわけじゃないよ。あれがお前にとってどれほどショックだったか、分かってるつもりだし。でもな、サコッシュ。トラウマは擦り傷じゃないんだ。放っておいても良くはならない。自然治癒するものじゃない」
 宗志の言葉に俺は眉間にしわを寄せる。
 思い出すのはあの夏の日だ。コートの中で必死にもがく俺。思い通りにならないゲーム。じわじわと侵食され、歪んでいく視界。気付けば俺は部室のベンチで仰向けになっていた。
「虫歯と同じでさ、悪いところを削って、なにか代わりのものを詰めてかぶせて、そうやって向き合っていくんだよ。一切合切無視して生きてくことなんて、たぶんできない」
 宗志の言い方は乱暴だった。だけど、このくらいの言い方が、今の俺には心に響いた。
 確かにこいつの言う通りだ。いつまでも問題から逃げることはできない。
 グッと握りしめていた左手の拳を解く。カランと箸が落ちて、テーブルの上で転がる。
 転がっていく先を見上げると、宗志と目が合う。高校のときにうんざりするほど見た友人の顔は相変わらず温和だが、どこか有無を言わせぬ貫禄があった。
「それで、その奈保ちゃんって子は? 可愛い? キレイ系? 写真とかないの?」
「……会えば分かるよ」


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 テニスを始めたのは小学校4年生のときだった。
 理由はハッキリと憶えていない。たしか母がなにか通い事をさせたいと考えていて、塾に行くのが嫌だった俺は咄嗟にその名前を口にしたとか。
 始めた理由はともかく、俺はテニスにハマった。上背があったからか、同年代の子の中では一番強くて勝ちまくっていたからというのもあるだろう。
 そんなこんなでテニスを続け、俺は高校生になった。名門ではないけれどそれなりに強いテニス部がある高校に入り、さらに練習へ打ち込んだ。
 部活の仲間たちと切磋琢磨する。ということは残念ながらあまりなかった。俺はいつも1人で練習していたし、団体戦にも参加せず個人戦にしか出なかった。
 理由はひとつ、ただ面倒だったから。チームメイトを見下していたわけではない。単純に皆と合わせてみたいなのが得意じゃなかったし、チームの責任を負うみたいなのも嫌だっただけ。
 そんな俺に対して気さくに接してくれたのは宗志くらいだった。よく練習相手になってくれたし、全国大会のときはヒッティングパートナーとして同行してくれた。
 そうやって多くの勝ちと少しの負けを積み重ねて、2年生の時に俺は全国大会で優勝した。
 優勝したときはもちろん嬉しかったけど、だけど同時にこんなものかと思った。こんなにも思った通りに出来るものなのかと、そう思ったんだ。
 高校生チャンピオンという箔をつけて、大学に行ってもテニスを続けて、やがてプロになる。
 漠然としたものではあったが、俺にはそんなビジョンがあったんだ。甘ったれたビジョンが。
「――まぁそういうことだから、助けてほしい。頼むわ」
 奈保ちゃんの家にお邪魔した翌日、俺は大学で友人である宗志に事の顛末を話した。
 俺が元高校生チャンピオンだと知った奈保ちゃんは、これまでの険悪なオーラはどこにいったのやら、興奮した様子でテニスの話をして、今度是非教えてほしいとお願いしてきたのだ。
 当然最初は断った。今はもうテニスをやってないから無理だと。だが奈保ちゃんは一歩も引かず、話の途中で起きた美穂ちゃんも加わり、頼むから教えてくれとせがまれてしまった。
 結局2人の勢いに負けて、1回だけではあるが練習を見てあげることになってしまったのだ。
 だが大きな問題がある。俺はもう3年近くテニスに触っていない。自分のラケットだって持っていない。精神的な意味でも、技術的な意味でも教えるなんてできない。
 ゆえに、現役のテニス部員である宗志へと助けを求めた。こいつならかっこいいし実力も確かだし、むしろ俺の代わりに行ってほしいくらいだ。
「んーまぁサコッシュの頼みだからいいけどさぁ」
 困ったように笑いながら、宗志が食堂の椅子に座り、背もたれに身体を預ける。
 俺も対面の席に座り、注文した油淋鶏定食をテーブルの上に置く。
「その子的には高校生チャンピオンだった佐古日之太に指導してもらいたいんじゃないの?」
「俺が太鼓判を押す人物ってことならそれでいいだろ。あと一応俺も参加はするし」
「そうねぇ……まぁでも、実際はサコッシュが色々見てあげた方がいいでしょ。ほら、美穂ちゃんにかっこいいとこ見せるチャンスだし」
「それは別に……無理だよ。もう3年もラケット握ってないんだ」
 嘆くように息を吐く俺を見て、宗志は「暗いなぁ」なんて遠慮なく言葉をぶつけてきた。
 ムッとして顔をあげると、奴は呑気に飯を食っていた。いや、ここは食堂なのだから別に食っててもおかしくはないのだが。
「別に自分が試合をするわけじゃないんだし、気にすることないんじゃないの?」
「あのな、そう単純な問題じゃ――」
「いいや、単純な話だね」
 宗志が俺の反論を遮る。クルクルとフォークを回してパスタを巻いて、バクッと口に入れる。
 ジッと俺を見つめながら咀嚼し、やがて、ごくんっと呑み込んだ。
「俺はなにもお前に選手として復帰しろって言ってるわけじゃないよ。あれがお前にとってどれほどショックだったか、分かってるつもりだし。でもな、サコッシュ。トラウマは擦り傷じゃないんだ。放っておいても良くはならない。自然治癒するものじゃない」
 宗志の言葉に俺は眉間にしわを寄せる。
 思い出すのはあの夏の日だ。コートの中で必死にもがく俺。思い通りにならないゲーム。じわじわと侵食され、歪んでいく視界。気付けば俺は部室のベンチで仰向けになっていた。
「虫歯と同じでさ、悪いところを削って、なにか代わりのものを詰めてかぶせて、そうやって向き合っていくんだよ。一切合切無視して生きてくことなんて、たぶんできない」
 宗志の言い方は乱暴だった。だけど、このくらいの言い方が、今の俺には心に響いた。
 確かにこいつの言う通りだ。いつまでも問題から逃げることはできない。
 グッと握りしめていた左手の拳を解く。カランと箸が落ちて、テーブルの上で転がる。
 転がっていく先を見上げると、宗志と目が合う。高校のときにうんざりするほど見た友人の顔は相変わらず温和だが、どこか有無を言わせぬ貫禄があった。
「それで、その奈保ちゃんって子は? 可愛い? キレイ系? 写真とかないの?」
「……会えば分かるよ」