先生の落し物
ー/ー
季節が巡って春が来れば、なつき先輩は卒業してしまう。
縋るように胸ポケットに触れたとき、チャリン、と音がした。金属製の何かが落ちるような音だった。
慌てて足元を見ると、理科室のプレートが付いた鍵が転がっている。誰かの落とし物だろうか。拾おうとしてしゃがむと、今度は離れた場所にチョコが落ちていた。さらにその先には、赤いボールペン。石ころ。五百円玉。リップクリーム。そして、廊下に点々と続く落とし物の先に、白衣を着た男性教師の背中があった。
「ちょっと、先生!」
声に気づいて振り向いた、が、首を傾げられてしまう。先生は私のことを知らない。でも、私は先生のことを知っている。入院した松井先生の代わりに赴任したと、全校集会で聞かされていたからだ。
「これ、いっぱい落としてますよ」
言いながら、私は両手いっぱいの落とし物を差し出した。先生は不思議そうに胸ポケットを触る。そして、もっと他に大事なものがありそうなのに、石ころをつまみ上げた。
「ありがとう。ええと、きみは」
先生は他の落とし物を受け取りながら、柔らかな声で言う。近くで見ると優しい顔をしていて、身長もけっこう高い。でも、骨と皮しかなさそうな身体は、不健康そうにも見えた。
「一年の尾瀬 千里です」
「柏木 秀です。三年の理科を担当しています」
先生が頭を下げると、ころんっ、ころんっ、と飴玉が二つ落ちる。その様子があまりにも面白くて、私は思わず吹き出してしまった。
「ポケットに穴でも開いてるんじゃないですか?」
先生が白衣の右ポケットに手を入れる。やっぱり指が下から出てきた。
「ああ、本当だ」
「私、裁縫道具持っているので縫いますよ」
「いいの?」
「はい。ええと、その代わりと言ってはなんですけど、理科室を使わせてもらえないでしょうか」
「ぜんぜん構わないよ。放課後はだいたい理科室にいるから」
理科室に着いてすぐ、白衣を裏返してポケットの穴を並縫いしてみる。でも、どれだけ頑張ってもステッチが直線にならなかった。やっぱり、裁縫なんか向いてない。
「へぇ、尾瀬さんはお裁縫上手なんだね」
顔を上げると、さっきまでパソコンを打っていた先生が、隣に立っていた。恐る恐る縫い終わった白衣を渡す。先生はさっと羽織って、ポケットに手を入れる。指は出てこなかった。
「ありがとう。助かったよ」
「いえ、真っ直ぐ縫えなくてすみません」
「そんなことないよ」鍵やチョコレートをポケットへしまい、先生はあの石ころを眺めたあと、胸ポケットへ入れた。
「その石って、大事なものなんですか?」
「どうして?」
「胸ポケットに入れてるので」
「ああ、うん。これ、小学校のときに拾ったものなんだ。形が気に入ってて、ずっと、御守りにしてる」
先生の手が、そっと白衣の胸に触れる。
「こうやって大切なものを心臓の近くに置いておくと、守られてるような気がしない?」
「それ、わかります」
私も先生と同じように、左胸に触れる。ポケットの中で絆創膏が、かさり、と鳴る。
「尾瀬さんのポケットには何が入ってるの?」
「好きな人にもらった絆創膏です」
言ったあとで、正直に話し過ぎた、と後悔した。親にも友だちにも言ったことがないのに、どうして先生に話してしまったのだろう。ポケットの向こうで心臓がドクドク鳴っている。
「そっか。良いものを入れてるね」
予想に反して、先生は褒めてくれた。私は胸ポケットの感触を確かめながら、小さく頷いた。少しだけ嬉しかった。
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季節が巡って春が来れば、なつき先輩は卒業してしまう。 縋るように胸ポケットに触れたとき、チャリン、と音がした。金属製の何かが落ちるような音だった。
慌てて足元を見ると、理科室のプレートが付いた鍵が転がっている。誰かの落とし物だろうか。拾おうとしてしゃがむと、今度は離れた場所にチョコが落ちていた。さらにその先には、赤いボールペン。石ころ。五百円玉。リップクリーム。そして、廊下に点々と続く落とし物の先に、白衣を着た男性教師の背中があった。
「ちょっと、先生!」
声に気づいて振り向いた、が、首を傾げられてしまう。先生は私のことを知らない。でも、私は先生のことを知っている。入院した松井先生の代わりに赴任したと、全校集会で聞かされていたからだ。
「これ、いっぱい落としてますよ」
言いながら、私は両手いっぱいの落とし物を差し出した。先生は不思議そうに胸ポケットを触る。そして、もっと他に大事なものがありそうなのに、石ころをつまみ上げた。
「ありがとう。ええと、きみは」
先生は他の落とし物を受け取りながら、柔らかな声で言う。近くで見ると優しい顔をしていて、身長もけっこう高い。でも、骨と皮しかなさそうな身体は、不健康そうにも見えた。
「一年の|尾瀬 千里《おぜ ちさと》です」
「|柏木 秀《かしわぎ しゅう》です。三年の理科を担当しています」
先生が頭を下げると、ころんっ、ころんっ、と飴玉が二つ落ちる。その様子があまりにも面白くて、私は思わず吹き出してしまった。
「ポケットに穴でも開いてるんじゃないですか?」
先生が白衣の右ポケットに手を入れる。やっぱり指が下から出てきた。
「ああ、本当だ」
「私、裁縫道具持っているので縫いますよ」
「いいの?」
「はい。ええと、その代わりと言ってはなんですけど、理科室を使わせてもらえないでしょうか」
「ぜんぜん構わないよ。放課後はだいたい理科室にいるから」
理科室に着いてすぐ、白衣を裏返してポケットの穴を並縫いしてみる。でも、どれだけ頑張ってもステッチが直線にならなかった。やっぱり、裁縫なんか向いてない。
「へぇ、尾瀬さんはお裁縫上手なんだね」
顔を上げると、さっきまでパソコンを打っていた先生が、隣に立っていた。恐る恐る縫い終わった白衣を渡す。先生はさっと羽織って、ポケットに手を入れる。指は出てこなかった。
「ありがとう。助かったよ」
「いえ、真っ直ぐ縫えなくてすみません」
「そんなことないよ」鍵やチョコレートをポケットへしまい、先生はあの石ころを眺めたあと、胸ポケットへ入れた。
「その石って、大事なものなんですか?」
「どうして?」
「胸ポケットに入れてるので」
「ああ、うん。これ、小学校のときに拾ったものなんだ。形が気に入ってて、ずっと、御守りにしてる」
先生の手が、そっと白衣の胸に触れる。
「こうやって大切なものを心臓の近くに置いておくと、守られてるような気がしない?」
「それ、わかります」
私も先生と同じように、左胸に触れる。ポケットの中で絆創膏が、かさり、と鳴る。
「尾瀬さんのポケットには何が入ってるの?」
「好きな人にもらった絆創膏です」
言ったあとで、正直に話し過ぎた、と後悔した。親にも友だちにも言ったことがないのに、どうして先生に話してしまったのだろう。ポケットの向こうで心臓がドクドク鳴っている。
「そっか。良いものを入れてるね」
予想に反して、先生は褒めてくれた。私は胸ポケットの感触を確かめながら、小さく頷いた。少しだけ嬉しかった。