罪と罰
ー/ー
廃墟に背を向けて走った。
ひたすらに墓石の隙間を抜けて角を曲がり、一心不乱に駆ける。あまりの恐怖で頭がおかしくなりそうだった。
そういえば、常盤はいったいなにをしているんだ。車に戻ってからもう一時間は経っている。木戸はポケットからスマホを取り出して常盤に電話をかけた。
「あれ? 思ってたより早かったね」
直ぐに繋がって常盤の落ち着いた声が聞こえてくる。恐怖より怒りが満ちてくるのを感じた。
「おい、今どこにいるんだよ!」
「どこって、駐車場に決まってるじゃないか」
「ふ、ふざけんな! 言ったろ、ちょっと取りに行くだけだって」
「それで、桜には会えたかい?」常盤に被せるように言われ、木戸は言葉を失った。立ち止まると流れる汗が顎先から滴っていく。
「なに言ってんだよお前」
「だから、殺した女に会えたのかって聞いたんだよ」
電話口で常盤が笑うのがわかった。
「木戸さあ、惚れた弱みに漬け込んで、桜からお金を借りてたでしょ? その額がどんどん膨れ上がって、桜は稼ぎのいい夜の仕事を始めた。僕はずっと相談に乗ってたんだ。お金を返してもらうには、この生活を終わらせるにはどうすればいいかって」
心臓が破裂しそうなほど早く動いている。どうしてこんなことになったんだ。自問自答が繰り返された。しかしどれだけ考えても思考がまとまらない。あの夜、屋上で聞いた桜の声がよみがえる。
「ねえ! 今すぐお金を返して。返せないなら弁護士に相談する」
そのときにはもう借金は百万に達していた。ギャンブル癖が抜けず、貯蓄なんて全くなかった。だから嫌がる桜を引っ張ってベランダから突き落とした。
「桜が死んだ日も電話が来たんだよ。仕事が終わったらもう一度木戸に話してみるって」
「違う、桜は自殺だ。警察もそう言ってただろ」
「おかしいな。死ぬと決めた人間が、次の日に会う約束をするかな」
涼しい常盤の声を聞きながら、これは罰なのだと木戸は確信した。しかし、死ぬ気も行方不明になる気も毛頭ない。木戸はもう一度走り出した。後ろから足音がした。誰かが追ってくる気配がある。
「帰ったら自首でもなんでもする! だから頼むよ! 助けてくれよ!」
「あのさあ。僕が恋人の葬儀も来ないうえに、墓の場所すら知らないやつの言葉を信じると思うかい?」
「‥‥墓?」
「うん。きみが今走っている墓地に桜が埋まってるの、知らなかったでしょ?」
「そんな話し今関係ないだろ! お前の望みはなんだ? 金か? おれの罪を償わせることか?」
「ふふっ」嘲笑するような常盤の笑いかたに、思わずカッとなった。
「なにが面白い」
「いや面白いでしょ。僕らの作り出した架空の記事の依頼を信じ込んで、こうして怖い目に遭っているのに、まだ助けてくれると思ってる」
「お前、騙してたのか‥‥」
「僕はきみを殺したいほど憎んでいたけど、自分の手を汚すほど馬鹿じゃない。だから『鵺の歌会』を利用したんだ。きっとこの墓地にいる桜が、きみを殺してくれると思ってね」
向日葵が咲く墓の前で、木戸はつまづいて転んでしまった。後ろのほうで「あなた生きてますよね」と抑揚のない声が聞こえた。振り返るのが恐ろしくて、木戸はスマホを耳に当てたまま這って進む。
「なあ、ずっと、桜に惚れてたのか?」
「どうかな。でも、きみに話す必要はないよ」
そこで電話が切れ、「あなた生きてますよね」という声がすぐ後ろで響いた。恐怖で身体が固まり、眼球だけでちらりと後ろを見てみると、桜が足元に立って見下ろしていた。
「ねぇ、あなたの最期を詠ってよ」
木戸は堪らず叫んだ。
この世のものではない存在が自分を見ている。理性が崩壊した木戸の両足を桜が掴むと、もの凄い力に引っ張られるようにして、墓地の奥へと消えていった。
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そういえば、常盤はいったいなにをしているんだ。車に戻ってからもう一時間は経っている。木戸はポケットからスマホを取り出して常盤に電話をかけた。
「あれ? 思ってたより早かったね」
直ぐに繋がって常盤の落ち着いた声が聞こえてくる。恐怖より怒りが満ちてくるのを感じた。
「おい、今どこにいるんだよ!」
「どこって、駐車場に決まってるじゃないか」
「ふ、ふざけんな! 言ったろ、ちょっと取りに行くだけだって」
「それで、桜には会えたかい?」常盤に被せるように言われ、木戸は言葉を失った。立ち止まると流れる汗が顎先から滴っていく。
「なに言ってんだよお前」
「だから、殺した女に会えたのかって聞いたんだよ」
電話口で常盤が笑うのがわかった。
「木戸さあ、惚れた弱みに漬け込んで、桜からお金を借りてたでしょ? その額がどんどん膨れ上がって、桜は稼ぎのいい夜の仕事を始めた。僕はずっと相談に乗ってたんだ。お金を返してもらうには、この生活を終わらせるにはどうすればいいかって」
心臓が破裂しそうなほど早く動いている。どうしてこんなことになったんだ。自問自答が繰り返された。しかしどれだけ考えても思考がまとまらない。あの夜、屋上で聞いた桜の声がよみがえる。
「ねえ! 今すぐお金を返して。返せないなら弁護士に相談する」
そのときにはもう借金は百万に達していた。ギャンブル癖が抜けず、貯蓄なんて全くなかった。だから嫌がる桜を引っ張ってベランダから突き落とした。
「桜が死んだ日も電話が来たんだよ。仕事が終わったらもう一度木戸に話してみるって」
「違う、桜は自殺だ。警察もそう言ってただろ」
「おかしいな。死ぬと決めた人間が、次の日に会う約束をするかな」
涼しい常盤の声を聞きながら、これは罰なのだと木戸は確信した。しかし、死ぬ気も行方不明になる気も毛頭ない。木戸はもう一度走り出した。後ろから足音がした。誰かが追ってくる気配がある。
「帰ったら自首でもなんでもする! だから頼むよ! 助けてくれよ!」
「あのさあ。僕が恋人の葬儀も来ないうえに、墓の場所すら知らないやつの言葉を信じると思うかい?」
「‥‥墓?」
「うん。きみが今走っている墓地に桜が埋まってるの、知らなかったでしょ?」
「そんな話し今関係ないだろ! お前の望みはなんだ? 金か? おれの罪を償わせることか?」
「ふふっ」嘲笑するような常盤の笑いかたに、思わずカッとなった。
「なにが面白い」
「いや面白いでしょ。僕《《ら》》の作り出した架空の記事の依頼を信じ込んで、こうして怖い目に遭っているのに、まだ助けてくれると思ってる」
「お前、騙してたのか‥‥」
「僕はきみを殺したいほど憎んでいたけど、自分の手を汚すほど馬鹿じゃない。だから『鵺の歌会』を利用したんだ。きっとこの墓地にいる桜が、きみを殺してくれると思ってね」
向日葵が咲く墓の前で、木戸はつまづいて転んでしまった。後ろのほうで「あなた生きてますよね」と抑揚のない声が聞こえた。振り返るのが恐ろしくて、木戸はスマホを耳に当てたまま這って進む。
「なあ、ずっと、桜に惚れてたのか?」
「どうかな。でも、きみに話す必要はないよ」
そこで電話が切れ、「あなた生きてますよね」という声がすぐ後ろで響いた。恐怖で身体が固まり、眼球だけでちらりと後ろを見てみると、桜が足元に立って見下ろしていた。
「ねぇ、あなたの最期を詠ってよ」
木戸は堪らず叫んだ。
この世のものではない存在が自分を見ている。理性が崩壊した木戸の両足を桜が掴むと、もの凄い力に引っ張られるようにして、墓地の奥へと消えていった。