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諦めが許されない世界

ー/ー



己の人生で誰でも1つは名作が書けるらしいが、それは応募規定に収まる29年分の人生でもそうだろうか。1人暮らしも板についてきた部屋に、パソコンの排熱音だけが響く。

時計の針は天辺を越え、〆切まであと4時間。

後は応募をクリックするだけの状態で、何分が経っただろう。
マウスカーソルを応募ボタンから外している自分が恨めしい。

これが駄目なら、最後にしよう。
決意からさらに1時間後、俺は震える手で送信ボタンを押した。

ーー

「で、何で僕宛に送ってきたんですか」

翌朝、俺は吉野に呼び出された。11年も連絡をとっていなかった後輩が、まさか山手線で2駅先に住んでいるとは思いもよらなかった。

俺は昨日、遂に応募のボタンを押せず、代わりに高校時代の後輩で6年前に華々しく文壇デビューを果たした吉野へ作品を送ったのだ。「おめでとう」を言えなかったメールアドレスに、長い言い訳を送り付けるかのように。

「魂胆はわかります。この作品に日の目をみせる自信がなかったんでしょう」

吉野がプリントアウトされた原稿に目を落とす。

そこに書かれているのは、とある男の人生そのものだった。

唐突に文芸部に現れた生意気な後輩が、淡々と部誌のために書いた1,000文字の物語。瞬きを忘れさせるかのような鮮烈なその文章に心を焦がされ、いつまで燻ぶったままの男の、挑戦の物語。

「己の人生を使えば1つは名作を書けると言いますが、それを嫉妬の対象である僕に押し付けるなんて、どんな神経ですか」

吉野は昔から、作品から読み取れたことを作者の全てだと決めつけて話すのが癖だった。ただ、それが間違っていたことは一度もない。

俺が立ち尽くしていると、吉野は原稿の束を床へと放った。

「お前、それはなんでも!」

とっさに原稿に手を伸ばす。

散らばると思ったそれは、ズンと床に落ちた。よく見れば原稿は綴じ紐でくくられており、めくれ上がったページにはどこにも赤色の訂正が入っている。

「気持ち悪いと感じた部分だけチェックしてます。誤字脱字だけは隅々まで確認する癖、変わってませんね、先輩」

吉野はさも愉快そうに笑った。

「あなたが完成させて下さい。何なら今、そんな顔になっている心情も入れるといいですよ」

ーー

地方賞だと侮っていたが、ホールの観客席にはずらりとカメラが並んでいた。スポットライトの下が熱いなんて感じたのは何年ぶりだろうか。

司会者の「受賞のお気持ちを一言」の声に合わせて、俺は乾燥した空気を吸い込んでから言葉を絞り出す。

「いや、本当に信じられなくて、まさか自分が大賞を受賞できるなんて……」

ふと、目線を上げる。
カメラの向こう、講堂の壁際に吉野が立っていた。

用意してきた言葉が喉元でつっかえる。

「いや、でもこれは……実は僕だけの力じゃないんです。これは」

長い言い訳がまた口からこぼれ落ち始める。

壊れたレジスターのように延々とレシートを吐き出しそうになる俺に見えるように、吉野は唇の前に人差し指を立てた。

――作品講評なんて仲間内で何度もやってますよ。それを共作なんて言ったら世の小説のほとんどは共著だ。

あの日、別れ際に吉野に言われた言葉を思い出す。途端に苦虫を嚙み潰したような、酸っぱい味が口内に広がった。

吉野の顔が、あの日のように歪む。

(その心情も、次回作にぶつけられるといいですね)

そのまま音もたてずに去ろうとする吉野の背中にぶつけるように、俺は「……私だけでなく、支えてくれた皆のおかげでとった賞です」と謝辞を述べた。


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己の人生で誰でも1つは名作が書けるらしいが、それは応募規定に収まる29年分の人生でもそうだろうか。1人暮らしも板についてきた部屋に、パソコンの排熱音だけが響く。
時計の針は天辺を越え、〆切まであと4時間。
後は応募をクリックするだけの状態で、何分が経っただろう。
マウスカーソルを応募ボタンから外している自分が恨めしい。
これが駄目なら、最後にしよう。
決意からさらに1時間後、俺は震える手で送信ボタンを押した。
ーー
「で、何で僕宛に送ってきたんですか」
翌朝、俺は吉野に呼び出された。11年も連絡をとっていなかった後輩が、まさか山手線で2駅先に住んでいるとは思いもよらなかった。
俺は昨日、遂に応募のボタンを押せず、代わりに高校時代の後輩で6年前に華々しく文壇デビューを果たした吉野へ作品を送ったのだ。「おめでとう」を言えなかったメールアドレスに、長い言い訳を送り付けるかのように。
「魂胆はわかります。この作品に日の目をみせる自信がなかったんでしょう」
吉野がプリントアウトされた原稿に目を落とす。
そこに書かれているのは、とある男の人生そのものだった。
唐突に文芸部に現れた生意気な後輩が、淡々と部誌のために書いた1,000文字の物語。瞬きを忘れさせるかのような鮮烈なその文章に心を焦がされ、いつまで燻ぶったままの男の、挑戦の物語。
「己の人生を使えば1つは名作を書けると言いますが、それを嫉妬の対象である僕に押し付けるなんて、どんな神経ですか」
吉野は昔から、作品から読み取れたことを作者の全てだと決めつけて話すのが癖だった。ただ、それが間違っていたことは一度もない。
俺が立ち尽くしていると、吉野は原稿の束を床へと放った。
「お前、それはなんでも!」
とっさに原稿に手を伸ばす。
散らばると思ったそれは、ズンと床に落ちた。よく見れば原稿は綴じ紐でくくられており、めくれ上がったページにはどこにも赤色の訂正が入っている。
「気持ち悪いと感じた部分だけチェックしてます。誤字脱字だけは隅々まで確認する癖、変わってませんね、先輩」
吉野はさも愉快そうに笑った。
「あなたが完成させて下さい。何なら今、そんな顔になっている心情も入れるといいですよ」
ーー
地方賞だと侮っていたが、ホールの観客席にはずらりとカメラが並んでいた。スポットライトの下が熱いなんて感じたのは何年ぶりだろうか。
司会者の「受賞のお気持ちを一言」の声に合わせて、俺は乾燥した空気を吸い込んでから言葉を絞り出す。
「いや、本当に信じられなくて、まさか自分が大賞を受賞できるなんて……」
ふと、目線を上げる。
カメラの向こう、講堂の壁際に吉野が立っていた。
用意してきた言葉が喉元でつっかえる。
「いや、でもこれは……実は僕だけの力じゃないんです。これは」
長い言い訳がまた口からこぼれ落ち始める。
壊れたレジスターのように延々とレシートを吐き出しそうになる俺に見えるように、吉野は唇の前に人差し指を立てた。
――作品講評なんて仲間内で何度もやってますよ。それを共作なんて言ったら世の小説のほとんどは共著だ。
あの日、別れ際に吉野に言われた言葉を思い出す。途端に苦虫を嚙み潰したような、酸っぱい味が口内に広がった。
吉野の顔が、あの日のように歪む。
(その心情も、次回作にぶつけられるといいですね)
そのまま音もたてずに去ろうとする吉野の背中にぶつけるように、俺は「……私だけでなく、支えてくれた皆のおかげでとった賞です」と謝辞を述べた。