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最終話 死

ー/ー



「それにな、どうにも叶わん(えん)っちゅうもんがあるがやき、うちには分かっちゅうつもりや」

 凪沙(なぎさ)愛玲奈(あれな)には淑枝(としえ)の言わんとすることが判然としなかった。まさか彼女も同性愛者と言うわけではあるまい。

「うちには、想い合いよった男がおった。けんど、結局別の男との縁談が親から来て、その男とは別れたがよ。そねえことよ。それが、おんしの親父や」

 父親。わたしの父親。凪沙は歯が軋むほど食いしばった。母と自分と幼い千絵を置いて外国人の踊り子とどこかに行ってしまった父親。

「われは、まっこと親父そっくりやのう。女だてらに女を作って逃げるとこまで、一緒とはのう。親父に逃げられ、姉にも逃げられた千絵が不憫や」

 凪沙は返す言葉がなかった。藤峯の家も村もどうなったって良い。ただ千絵を悲しませる自分が憎かった。
 淑枝は凪沙と愛玲奈(あれな)から背を向けたまま俯いて大きなため息を吐く。再びしばしの沈黙が続いた後、淑枝は俯いた面をゆっくりと上げる。見上げる先には旅客機が轟音を立てて飛び立っていく、ねずみ色の低い雲の垂れこめた天が映っていた。そしてもう一度、今度は小さなため息を吐く。さっきまでの鋭さが嘘のように消えたうめくような小声で呟く。

「秋田港で聞いたがよ。一週間前、女二人連れが手に手を取って、航行中のフェリーからおらんなったっちゅう目撃情報があったらしい。警察と消防が懸命に捜索しよったけんど、二人の行方はさっぱり分からんがやと。みんなもう魚の餌になって、見つからんろうと言いよる」

 凪沙と愛玲奈(あれな)には淑枝が何を言っているのか判らなかった。

「今思うたら、あれがおんしらやったがかもしれんのう……」

 凪沙の声は震えていた。

「それじゃあ……」

「おんしらは心中したがや。親を捨て、妹を捨て、古里(ふるさと)も過去も捨て、友を捨て、人並みの恋も愛も捨て、なにもかも捨てて死んだがや。旦那さんにもそう言うちょくき」

「母さん……」

 そう呟いた凪沙を淑枝は肩越しにひと睨みすると冷たい言葉で言い放った。

「われに母さんと呼ばれる筋合いは、もうないがぜ。われはもう死んだがやき、うちの敷居もまたぐなや。電話もかけてくるな。えいかね? 千絵にも、そねえ言うてきかすき」

「わ、分かった……」

 淑枝の重々しくも疲れ切ったかすれ声が、風に乗って凪紗と愛玲奈(あれな)の耳にまで響く。

「凪沙」

「うん」

「われの気持ちなんか、うちにはどうにも分からんがぜ。けんど、いとさんを幸せにしちゃりよ。なんちゃあ言わん、えいとこのいとさんやき、苦労も多いろうけんど、自分で選んだ道や。かならず、いとさんを守り通しやき」

「分かった……」

「いとさん」

「はい」

「凪沙はなんでも器用にこなすくせに、肝心なところで道を踏み外す意気地なしや。どうか、末永う目ぇ離さんといてくれんか」

「はいっ!」

 淑枝は肩越しに寂し気な諦観の眼で二人を一瞥するとそのまますたすた歩いて展望デッキを降りていった。
 凪沙と愛玲奈(あれな)は抱き合って泣いた。いつまでも泣いていた。自分たちの愛が認められて許された喜びと感謝に泣いた。頭上を旅客機が轟音を立てて行き来していた。


 夜になると、昨日行った「冨久屋」で桐吾(とうご)たちのおごりで、桐吾や(あきら)と一緒に四人揃って飲んだ。閉店まで飲み明かした四人はそれぞれの寝床に帰っていく。

 帰宅するとドアの郵便受けから何かが投かんされていた。拾ってみると「大事に使え」と淑枝の字で書かれた封筒だった。中には三十万円が入っていた。凪沙は号泣した。
 夜は二人で涙を浮かべながらお互いを深く愛おしみ慈しむように求め合い、そのまま抱き合って寝た。

 翌日、二人は五稜郭タワーに出かけた。コートに隠れるように手を握って。
 タワーの展望台から五稜郭を望む。雪景色の五稜郭を見つめる二人。やがて愛玲奈(あれな)が微かな笑顔を浮かべてぽつりと言った。

「ねえ、私望みが叶っちゃった」

 凪沙には言っていることがよく判らなかった。愛玲奈(あれな)は満ち足りた微笑みを浮かべたままだ。

「ん? 函館に来たこと、でしょ」

 凪紗が返答すると愛玲奈(あれな)はちょっと意外そうな顔になる。

「ううん、函館で死にたいって言ったこと」

「ああ」

 なるほど確かに愛玲奈(あれな)はここに来て遂に死ぬことが叶った。

「私、死んで本当に身も心も楽になった。私死んだんだからもう逃げたりせずに自分で自分の生き方を決めていいのね」

 嬉しそうな笑みを浮かべる愛玲奈(あれな)。丸眼鏡の奥の瞳がキラキラと輝いている。

「そうだね。死んだ愛玲奈(あれな)はもう愛玲奈(あれな)自身のためだけに生きていいんだ」

 凪沙は愛玲奈(あれな)を後ろから強く抱き締める。

                           ―了―


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「それにな、どうにも叶わん|縁《えん》っちゅうもんがあるがやき、うちには分かっちゅうつもりや」
 |凪沙《なぎさ》と|愛玲奈《あれな》には|淑枝《としえ》の言わんとすることが判然としなかった。まさか彼女も同性愛者と言うわけではあるまい。
「うちには、想い合いよった男がおった。けんど、結局別の男との縁談が親から来て、その男とは別れたがよ。そねえことよ。それが、おんしの親父や」
 父親。わたしの父親。凪沙は歯が軋むほど食いしばった。母と自分と幼い千絵を置いて外国人の踊り子とどこかに行ってしまった父親。
「われは、まっこと親父そっくりやのう。女だてらに女を作って逃げるとこまで、一緒とはのう。親父に逃げられ、姉にも逃げられた千絵が不憫や」
 凪沙は返す言葉がなかった。藤峯の家も村もどうなったって良い。ただ千絵を悲しませる自分が憎かった。
 淑枝は凪沙と|愛玲奈《あれな》から背を向けたまま俯いて大きなため息を吐く。再びしばしの沈黙が続いた後、淑枝は俯いた面をゆっくりと上げる。見上げる先には旅客機が轟音を立てて飛び立っていく、ねずみ色の低い雲の垂れこめた天が映っていた。そしてもう一度、今度は小さなため息を吐く。さっきまでの鋭さが嘘のように消えたうめくような小声で呟く。
「秋田港で聞いたがよ。一週間前、女二人連れが手に手を取って、航行中のフェリーからおらんなったっちゅう目撃情報があったらしい。警察と消防が懸命に捜索しよったけんど、二人の行方はさっぱり分からんがやと。みんなもう魚の餌になって、見つからんろうと言いよる」
 凪沙と|愛玲奈《あれな》には淑枝が何を言っているのか判らなかった。
「今思うたら、あれがおんしらやったがかもしれんのう……」
 凪沙の声は震えていた。
「それじゃあ……」
「おんしらは心中したがや。親を捨て、妹を捨て、|古里《ふるさと》も過去も捨て、友を捨て、人並みの恋も愛も捨て、なにもかも捨てて死んだがや。旦那さんにもそう言うちょくき」
「母さん……」
 そう呟いた凪沙を淑枝は肩越しにひと睨みすると冷たい言葉で言い放った。
「われに母さんと呼ばれる筋合いは、もうないがぜ。われはもう死んだがやき、うちの敷居もまたぐなや。電話もかけてくるな。えいかね? 千絵にも、そねえ言うてきかすき」
「わ、分かった……」
 淑枝の重々しくも疲れ切ったかすれ声が、風に乗って凪紗と|愛玲奈《あれな》の耳にまで響く。
「凪沙」
「うん」
「われの気持ちなんか、うちにはどうにも分からんがぜ。けんど、いとさんを幸せにしちゃりよ。なんちゃあ言わん、えいとこのいとさんやき、苦労も多いろうけんど、自分で選んだ道や。かならず、いとさんを守り通しやき」
「分かった……」
「いとさん」
「はい」
「凪沙はなんでも器用にこなすくせに、肝心なところで道を踏み外す意気地なしや。どうか、末永う目ぇ離さんといてくれんか」
「はいっ!」
 淑枝は肩越しに寂し気な諦観の眼で二人を一瞥するとそのまますたすた歩いて展望デッキを降りていった。
 凪沙と|愛玲奈《あれな》は抱き合って泣いた。いつまでも泣いていた。自分たちの愛が認められて許された喜びと感謝に泣いた。頭上を旅客機が轟音を立てて行き来していた。
 夜になると、昨日行った「冨久屋」で|桐吾《とうご》たちのおごりで、桐吾や|晃《あきら》と一緒に四人揃って飲んだ。閉店まで飲み明かした四人はそれぞれの寝床に帰っていく。
 帰宅するとドアの郵便受けから何かが投かんされていた。拾ってみると「大事に使え」と淑枝の字で書かれた封筒だった。中には三十万円が入っていた。凪沙は号泣した。
 夜は二人で涙を浮かべながらお互いを深く愛おしみ慈しむように求め合い、そのまま抱き合って寝た。
 翌日、二人は五稜郭タワーに出かけた。コートに隠れるように手を握って。
 タワーの展望台から五稜郭を望む。雪景色の五稜郭を見つめる二人。やがて|愛玲奈《あれな》が微かな笑顔を浮かべてぽつりと言った。
「ねえ、私望みが叶っちゃった」
 凪沙には言っていることがよく判らなかった。|愛玲奈《あれな》は満ち足りた微笑みを浮かべたままだ。
「ん? 函館に来たこと、でしょ」
 凪紗が返答すると|愛玲奈《あれな》はちょっと意外そうな顔になる。
「ううん、函館で死にたいって言ったこと」
「ああ」
 なるほど確かに|愛玲奈《あれな》はここに来て遂に死ぬことが叶った。
「私、死んで本当に身も心も楽になった。私死んだんだからもう逃げたりせずに自分で自分の生き方を決めていいのね」
 嬉しそうな笑みを浮かべる|愛玲奈《あれな》。丸眼鏡の奥の瞳がキラキラと輝いている。
「そうだね。死んだ|愛玲奈《あれな》はもう|愛玲奈《あれな》自身のためだけに生きていいんだ」
 凪沙は|愛玲奈《あれな》を後ろから強く抱き締める。
                           ―了―