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第17話 決意する凪沙

ー/ー



 桐吾(とうご)は深刻そうな面持ちのままお猪口を飲み干すと凪沙(なぎさ)に尋ねた。

「凪沙さんは何と言ったのですか」

「あまりにびっくりしてしまって、行かないでくれ、くらいしか」

「愛してるとも?」

 凪沙は小さく頷いた。

「母がいたので」

「それは」

 珍しく(あきら)が口を開いた。

「言った方がいい。全部」

 凪沙また小さく頷いた。だが恐ろしい。母親を前にしてカミングアウトするなど想像しただけで恐ろしくて震えが止まらなくなる。震える手で薄くなったハイボールを口にする。凪沙はふと思い出して二人に訊いた。

「お二人は桐吾さんの実家でしてきたんですよね」

 桐吾は片手を首に当てて困ったような苦笑いをする。

「ええ、案の定上へ下への大騒ぎになりましたよ」

「これからどうなさるんですか」

「いやどうもこうもありません。幸い父が持ち直したのでこのまま千葉に帰ります。まあ勘当されなかっただけでもよしとしなくてはいけないですね。もっともあまりにもびっくりして勘当することも思いつかなかったのかも知れませんが」

 自嘲気味に微笑む桐吾に晃が酒を注ぐ。

「凪沙さんたちも言う機会があればちゃんと言った方がいいのは間違いないです。嘘を吐いたり隠し事を続けるのは辛いですし。まあそんなことは先刻ご承知とは思いますが。それよりも――」

 桐吾は凪沙の方を向いた。

「大事なのは凪沙さんがこれからどうするか。それが目下の問題です。さっき言ったようにここで一人骨を(うず)めますか。愛玲奈(あれな)さんとの思い出を一生抱えたまま」

 桐吾の顔が凪沙に挑むような表情になる。

「それとも、愛玲奈(あれな)さんを奪い返しますか」

「奪い、返す」

「そう」

 奪い返す。あの母の手から愛する人を奪い返す。凪沙の頭にはなかった発想だった。ごくりとつばを飲み込む。できるだろうか。愛玲奈(あれな)はわたしにその身を心を奪われてくれるだろうか。あのアパートでの一件を思い出す限りでは凪沙は自信が持てなかった。

「できるんでしょうか、そんなこと」

 俯いて呟く凪沙に力強い目線を浴びせて桐吾が言い放つ。

愛玲奈(あれな)さんがまだ凪沙さんを愛していれば。そして愛玲奈(あれな)さんはまだ凪沙さんを愛しています」

「愛……」

 また凪沙は独り言ちて物思いにふける。
 凪沙は愛玲奈(あれな)に裏切られたような気はしなかった。ただ捨てられたのだと思った。自分と古郷(ふるさと)、それぞれへの愛を天秤にかけられて取捨選択されわたしは捨てられた。そんな虚無感がずっと凪沙にまつわりついていた。
 だが、桐吾の言ったことが本当なら。いやきっと本当だ。愛玲奈(あれな)は家族、特にあの家を傾けた無能な藤峯のタヌキ親父に、そして藤峯家にぶら下がることでしか生きられない怠惰な奴らのために、奴らの消耗品としてその人生を捧げることを強要されようとしている。性的志向が合致しない男性と、しかも二十九も上の変わり者との婚儀を強制されようとしている。
 理不尽だ。あまりにも理不尽だ。あんな連中に愛玲奈(あれな)の人生を捧げさせてなんかやるものか。絶対に。
 俯きながらもふつふつとその瞳に怒りの炎をたぎらせつつある凪沙の横顔を見て、安心したような表情を見せる桐吾。その桐吾を晃は呆れた顔で見つめる。

「これから愛玲奈(あれな)さんに会う機会はないんですか」

 凪沙は勢いよく桐吾の顔を見つめる。

「明日っ、明日朝一の便で発つそうです」

「ではそれが最初で最後のチャンスですね。俺たちで手伝えることはありますか。」

 生き生きした表情で凪沙に協力を申し出る桐吾。晃はまた呆れた顔で二人を横目で見ながらお猪口をあおった。

「ああちょっと待って」

 桐吾が手を挙げると、さっきの美人で素朴で可愛らしい二十代後半の店員が注文を訊きに来た。ブラウンのエプロンには可愛らしい字で「すがちゃん」と書いてある。桐吾はストリチナヤというウォッカをショットで三つ頼む。

「これはわたしと愛玲奈(あれな)の問題なので私たちだけで解決します。確かに不安はありますが…… やってみます」

 ショットグラスを手にした凪沙が答えた。その瞳には先ほどまでなかった輝きが見える。

「素晴らしい。完璧です。その意気ならきっと上手くいくと思いますよ」

 ショットグラスを掲げた桐吾は実に満足そうな笑顔を浮かべる。

「あの、もしできるならお母さんには全部言った方がいいと思います。同性だと特に理解されにくいことも多いようですが、自分にとって大切な事ですから知ってもらう必要はあります。実は僕もそうでした」

 晃は真面目な表情で言った。

「では凪沙さんの成功を祈って、乾杯」

 桐吾が音頭を取って三人は乾杯し一気に空けた。ウオッカが腹に染みわたる。

「さあ、今夜はもうお酒はなしで。明日の決行日のためにもう休んだ方がいいでしょう」

 桐吾の一言でお開きとなった。店を出ると吹雪は収まり小雪がちらつく夜となっていた。
 酒のせいもあってか、この店に入ったばかりの時と違って、凪沙の胸の内には炎の様な情熱と決意がみなぎっていた。

「ありがとうございました。おかげでやる気が出てきました」

「それだけの気概があれば大丈夫でしょう。成功をお祈りしています」

「僕も応援しています。ああ、そうだ。もしよかったら」

 晃がスマートフォンを取り出し、三人はLINE交換をした。

 桐吾と晃が小雪を浴びながら雪道を去っていく姿を凪沙はずっと見つめていた。あの二人だっていろいろ苦労は多かっただろう。凪沙には二人が自分の同志のように思えてきた。

◆次回 第18話 桐吾と晃、あるいは孤独を噛みしめる凪沙


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 |桐吾《とうご》は深刻そうな面持ちのままお猪口を飲み干すと|凪沙《なぎさ》に尋ねた。
「凪沙さんは何と言ったのですか」
「あまりにびっくりしてしまって、行かないでくれ、くらいしか」
「愛してるとも?」
 凪沙は小さく頷いた。
「母がいたので」
「それは」
 珍しく|晃《あきら》が口を開いた。
「言った方がいい。全部」
 凪沙また小さく頷いた。だが恐ろしい。母親を前にしてカミングアウトするなど想像しただけで恐ろしくて震えが止まらなくなる。震える手で薄くなったハイボールを口にする。凪沙はふと思い出して二人に訊いた。
「お二人は桐吾さんの実家でしてきたんですよね」
 桐吾は片手を首に当てて困ったような苦笑いをする。
「ええ、案の定上へ下への大騒ぎになりましたよ」
「これからどうなさるんですか」
「いやどうもこうもありません。幸い父が持ち直したのでこのまま千葉に帰ります。まあ勘当されなかっただけでもよしとしなくてはいけないですね。もっともあまりにもびっくりして勘当することも思いつかなかったのかも知れませんが」
 自嘲気味に微笑む桐吾に晃が酒を注ぐ。
「凪沙さんたちも言う機会があればちゃんと言った方がいいのは間違いないです。嘘を吐いたり隠し事を続けるのは辛いですし。まあそんなことは先刻ご承知とは思いますが。それよりも――」
 桐吾は凪沙の方を向いた。
「大事なのは凪沙さんがこれからどうするか。それが目下の問題です。さっき言ったようにここで一人骨を|埋《うず》めますか。|愛玲奈《あれな》さんとの思い出を一生抱えたまま」
 桐吾の顔が凪沙に挑むような表情になる。
「それとも、|愛玲奈《あれな》さんを奪い返しますか」
「奪い、返す」
「そう」
 奪い返す。あの母の手から愛する人を奪い返す。凪沙の頭にはなかった発想だった。ごくりとつばを飲み込む。できるだろうか。|愛玲奈《あれな》はわたしにその身を心を奪われてくれるだろうか。あのアパートでの一件を思い出す限りでは凪沙は自信が持てなかった。
「できるんでしょうか、そんなこと」
 俯いて呟く凪沙に力強い目線を浴びせて桐吾が言い放つ。
「|愛玲奈《あれな》さんがまだ凪沙さんを愛していれば。そして|愛玲奈《あれな》さんはまだ凪沙さんを愛しています」
「愛……」
 また凪沙は独り言ちて物思いにふける。
 凪沙は|愛玲奈《あれな》に裏切られたような気はしなかった。ただ捨てられたのだと思った。自分と|古郷《ふるさと》、それぞれへの愛を天秤にかけられて取捨選択されわたしは捨てられた。そんな虚無感がずっと凪沙にまつわりついていた。
 だが、桐吾の言ったことが本当なら。いやきっと本当だ。|愛玲奈《あれな》は家族、特にあの家を傾けた無能な藤峯のタヌキ親父に、そして藤峯家にぶら下がることでしか生きられない怠惰な奴らのために、奴らの消耗品としてその人生を捧げることを強要されようとしている。性的志向が合致しない男性と、しかも二十九も上の変わり者との婚儀を強制されようとしている。
 理不尽だ。あまりにも理不尽だ。あんな連中に|愛玲奈《あれな》の人生を捧げさせてなんかやるものか。絶対に。
 俯きながらもふつふつとその瞳に怒りの炎をたぎらせつつある凪沙の横顔を見て、安心したような表情を見せる桐吾。その桐吾を晃は呆れた顔で見つめる。
「これから|愛玲奈《あれな》さんに会う機会はないんですか」
 凪沙は勢いよく桐吾の顔を見つめる。
「明日っ、明日朝一の便で発つそうです」
「ではそれが最初で最後のチャンスですね。俺たちで手伝えることはありますか。」
 生き生きした表情で凪沙に協力を申し出る桐吾。晃はまた呆れた顔で二人を横目で見ながらお猪口をあおった。
「ああちょっと待って」
 桐吾が手を挙げると、さっきの美人で素朴で可愛らしい二十代後半の店員が注文を訊きに来た。ブラウンのエプロンには可愛らしい字で「すがちゃん」と書いてある。桐吾はストリチナヤというウォッカをショットで三つ頼む。
「これはわたしと|愛玲奈《あれな》の問題なので私たちだけで解決します。確かに不安はありますが…… やってみます」
 ショットグラスを手にした凪沙が答えた。その瞳には先ほどまでなかった輝きが見える。
「素晴らしい。完璧です。その意気ならきっと上手くいくと思いますよ」
 ショットグラスを掲げた桐吾は実に満足そうな笑顔を浮かべる。
「あの、もしできるならお母さんには全部言った方がいいと思います。同性だと特に理解されにくいことも多いようですが、自分にとって大切な事ですから知ってもらう必要はあります。実は僕もそうでした」
 晃は真面目な表情で言った。
「では凪沙さんの成功を祈って、乾杯」
 桐吾が音頭を取って三人は乾杯し一気に空けた。ウオッカが腹に染みわたる。
「さあ、今夜はもうお酒はなしで。明日の決行日のためにもう休んだ方がいいでしょう」
 桐吾の一言でお開きとなった。店を出ると吹雪は収まり小雪がちらつく夜となっていた。
 酒のせいもあってか、この店に入ったばかりの時と違って、凪沙の胸の内には炎の様な情熱と決意がみなぎっていた。
「ありがとうございました。おかげでやる気が出てきました」
「それだけの気概があれば大丈夫でしょう。成功をお祈りしています」
「僕も応援しています。ああ、そうだ。もしよかったら」
 晃がスマートフォンを取り出し、三人はLINE交換をした。
 桐吾と晃が小雪を浴びながら雪道を去っていく姿を凪沙はずっと見つめていた。あの二人だっていろいろ苦労は多かっただろう。凪沙には二人が自分の同志のように思えてきた。
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