高校生活最初の夏休みに入ると、璃李依から二度目の合コンに誘われた。やっぱりいい人には巡り会えなくて、そのことをボランティア部に顔を出したときに長岡先輩にだけ話した。私の全盛期は相変わらず戻ってこないけれど、だからといって焦る気持ちも起こらなかった。
アルバイト、夏期講習、ボランティア部の手伝い、璃李依を始めとしたクラスの仲が良い子たちとの日帰り旅行。夏休みはそれなりに充実していた。高校に進学した当初抱いていた理想のサイクルからは程遠いものだったけれど、これはこれで爽やかな青春の一ページって感じがする。
八月三十一日は、夏芽の家に泊まった。夏休みの最後を一緒に過ごすのは、私たちにとっての恒例行事だった。
泊まりの荷物や学校の用意もすべて纏めると、夏芽のおじいちゃんが車で迎えにきてくれる(翌日は始業式が終わってから夏芽の家に帰って、それからまたおじいちゃんに送ってもらうのだ)。当然夏芽も一緒に乗っていて、うちの母親に挨拶をすると、母はここぞとばかりに夏芽を可愛がる。そしておじいちゃんに菓子折りとか色々な物を手渡す。おじいちゃんは遠慮しながらそれを受け取る。
後部座席で、夏芽と夜の予定をあれこれ喋る。カーステレオから流れるおじいちゃんの好きな歌謡曲と、少しカビ臭いエアコンの風、そしてうるさいエンジンと硬いシートに運ばれて夏芽の家に向かうこの十分ほどの時間が、私にとって夏の終わりの象徴として、妙に鮮明なイメージとして切り取られている。
「今日はみーちゃんとこがいい肉持たせてくれたから、焼肉でもするか」
おじいちゃんが半袖を肩のあたりまで捲りながら、上機嫌に言う。夏芽が「やったー」と無邪気に喜ぶ。
家に着くと、夏芽と荷物を半分こして持って入る。玄関の金魚鉢の中では、あの癌を患った金魚がゆっくりと鉢の中を泳いでいた。いつ見ても痛々しいビジュアルをしていて、可哀想という気持ちよりも、グロテスクなものに対する嫌悪感に近い感情が勝ってしまう。
夏芽の部屋で二人してベッドに転がって、ダラダラとした時間を過ごす。どうぶつの森をしたり、夏芽の髪をまとめてあげたり、お互いの課題をチェックしたり(これは夏芽の案だ)、インスタに上がっているポーズを真似て写真を撮ったりして、ご飯が出来上がるのを待った。
和室の座卓には、油の塗られたホットプレート、肉、野菜、ご飯、味噌汁、お茶やジュースなどが所狭しと並んでいる。うちは親が部屋に匂いがつくのを嫌がっていて、家でこうして焼肉をすることなんてまずない。おじいちゃんが缶ビールを抱えて座ると、おばあちゃんが肉を焼き始める。夏芽が「野菜、そろそろいいんじゃない」と目を輝かせている。私はみんなのグラスに麦茶を、小皿にタレを注ぐ。開けっぱなしにされた襖の向こうでは、年代物の分厚いプラズマテレビが歌番組を流している。
「みーちゃん、この子は高校でもちゃんとやってるか」
おじいちゃんが短く刈り上げた白髪頭を撫でながらそう訊ねる。
「大丈夫。ちゃんとみんなの人気者だから」
「そんなことないよー」
「こら、お肉頬張りながら喋らないの」
おばあちゃんに嗜められる孫を見て、ビール片手に微笑むおじいちゃんの図。こういうのを見たら、長岡先輩はカメラを構えたくなるんだろうか。ああ、あの人は樋渡先輩が絡んでいないとそんなことしないか。
そういえば、この家にもなかなか雰囲気のある黒色のフィルムカメラがある。重そうなプラズマテレビが置かれているテレビ台の、一度押し込んでから開けるタイプの薄いガラス扉の中にそれはずっと飾られていて、使われているところを私は見たことがなかった。だから、なんとなくおじいちゃんにカメラのことを訊いてみる。
「なんだみーちゃん、カメラに興味あるのか?」
「興味ってほどじゃないけど、ああいうタイプのカメラって全然触ったことないなって思って」
今はデジカメの時代だもんなぁ、と顔が赤くしながらおじいちゃんはしみじみといった感じに呟く。その発言自体がなんだかレトロチックな匂いを漂わせていて、笑ってしまいそうになる。
「あれも三十年前、俺が四十になる頃に買ったやつだよ」
え、そんな前に? と私が小さく驚くと、おじいちゃんはなんだか嬉しそうに笑う。そして気をよくしたのか、よかったらみーちゃん、持って帰るか? と予想外の提案をされた。
「いいよいいよ、使い方とか全然知らないし」
「今はなんでもそのインターネットで調べられんだろ?」
その、と言いながら、おじいちゃんはテーブルに置いていた私のスマホを指差した。たしかにフィルムカメラの使い方くらい、YouTubeにいくらでも解説動画が上がっているだろうけれど。
「じゃあちょっとだけ借りてみよっかな」
おじいちゃんの上機嫌に水を差したくなくて、私は手にしたカメラを持って、部屋の隅に置いていた大きなボストンバッグにしまった。
「みーちゃん、もっと食べる? ほら、お肉焼けてるよ」
座卓に戻ると今度はおばあちゃんが菜箸でプレート上の肉を私の前に寄せてくる。
「え、おばあちゃんこそ食べなよ。みんなの分けてばっかじゃん」
「いいんだよ、みーちゃんとこが持ってきたお肉なんだから」
こうなったらおばあちゃんはテコでも動かない。私は「えーじゃあ貰おっかなー」とお言葉に甘える。
「ほら、肉だけじゃなくてビールもいっとけ」
「冗談でもそういうのはやめなさい」
おばあちゃんに嗜められるおじいちゃんを見て、あははと笑う孫の図。また私は、いっぱしのカメラマンみたいに頭の中で変なフレームを作っている。こういうのはやっぱり、あの人の影響なんだろうか。
「二人とも、悪い友達に勧められても、絶対にお酒やタバコは駄目だからね」
と厳しく諭すおばあちゃんに、私たちはそれぞれのトーンではーいと返事をする。
でも、おばあちゃんごめんね、と私は思う。
お酒もタバコも、すでに経験済みなんだ。そうカミングアウトしたら、私はもう二度とおばあちゃんに笑顔を向けてもらえないかもしれない。