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記憶の糸を辿るために

ー/ー



 事の発端(ほったん)は数か月前の初夏のある日の事。
 部屋の押し入れの奥にしまっていた扇風機。それをうんしょと取り出すときに勢い余って俺は転倒し、その拍子(ひょうし)に後頭部を激しく床に打ち付けてしまい、現在に至るわけだ。
「再確認するけど私と出会った事を覚えてないんだよね?」 
「うん」
「じゃ、私の名前は?」
「あ・き・の・は・じ・めさん?」
「ぷっ! そ、そうだね!」
 俺の隣で彼女は手を叩き、ころころと楽しそうに笑っている。
(こ、コイツ。絶対俺の名のあてつけで、からかった偽名(ぎめい)を教えているだろ!)
 ハジメって名前だけは自分達のアパートのご近所さんの反応を見る限り間違いないだろう。
 彼女のその挙動に俺はムッとしたが、この旅館に来た当初の目的を思い出し、俺はその怒りの溜飲(りゅういん)を下げる。
 しかも現在宿泊中のこの海辺の旅館に来た今日は偶然にも9月30日だった。
(ちな、俺の親父達の結婚記念日かつ俺の誕生日です、はい) 
 なお、不思議な事に俺の欠落した記憶は何故か『ハジメの名前や思い出』に関するものだけであった。
 で、ハジメが言うには「この海辺の旅館で俺達は出会った」らしい。
 てなわけで、記憶治療(きおくちりょう)として俺を此処(ここ)に連れて来たそうだ。
「あ! 実はさっき寝転んだ時、何故か妙な(なつ)かしさを感じたんだよな」
 記憶は無くても体は覚えてる、そんなことを何処かで聞いた事がある。
「えっ⁉ じ、じゃあ、他は?」
 俺の話を聞いた彼女はすっくと立ちあがり、急いで俺の顔を覗き込む。
 そう、このリアクションから分る通りハジメは優しい奴なのだ。
 だから俺は少しこの愛しい彼女を少しからかってみたくなった。
「……水色、いや白かな?」
 俺はハジメの水色のスカート中、即ちスラリとした見事なおみ足と可愛らしいシルクの布切れを見て、満足げにうんうんと頷く。
「……え、何? は、はああああああああああああああっ⁈」
 ハジメの驚きと怒気の混ざった声が旅館の一室にけたたましく響き渡る!
 と、同時にハジメの片足が俺の腹部を激しく踏みつける⁈
「ぐ、ぐぇっ⁈」
 その痛みにたまらずまるで潰れた(かえる)のように呻いてしまう俺。
「ああ、そーいえば?」
 目を細め侮蔑(ぶべつ)した眼差しで俺を見下し、肩を少し揺らしながら苦笑するハジメ。
「え? な、何っ⁉」
 俺はその様を見て、得体のしれない恐怖を感じてしまう。
 ハジメの肩の揺れが、まるで何か火山が噴火する前触れのように思えて。
「ショック療法って知ってる?」
「し、シリません」
 俺は敢えて彼女のスカートから覗き込む愛らしいヒップを眺めながら、にこやかに即答してみせた。
「このっ、アホたれがっ!」
「い、痛っ!」
 まるで風船が弾けたような見事な音とともに、俺の(ほほ)に鈍い激痛が走った。
 そう、この言葉の返しだとこうなる結果は簡単に予測できた。
 怒らせた理由は「可愛らしい彼女がむくれる顔をこの夜の海で見てみてかった」から。
(冷静に自己分析すると、俺ってSっ気があるよな) 
「ご、ゴメン。ハジメが折角記憶が戻るように配慮して此処に連れて来てくれたのに」
 色々と目が覚めた俺は静かに立ちあがり、素直にハジメに頭を垂れる。
 それに、幸か不幸か今の彼女のビンタで少し思い出したことがある。
「俺さ、この旅館とこの夜の海の景色。なんか見覚えがある気がする」
「ほ、ホント?」
「うん。なんか確か俺達あの海でそう、一緒に泳いで……」
 俺は窓から(のぞ)くダークブルーの海を静かに眺め、自身を納得させるように深く頷く。
「そ、そんな事まで。じ、じゃあ他は!」
 この彼女の反応。どうやらビンタじゃなかった、ビンゴの模様。
「ちょ、ま、待って! え、えっと確か」
 俺は少し思い出した断片的な記憶の糸をそろそろと辿るように、窓から見える月明かりが反射する水面(みなも)を眺める。
 確かに一緒にハジメと泳いだ記憶を思い出した。
 が、非常に悔しい事にそれ以上は思い出せそうにない。
「うーん、ゴメン! あとは駄目だ」 
 俺は自分の不甲斐なさを呪い、両手を合わせてハジメに深々と頭を下げる。
「う、ううん! 記憶が戻ってきているのは間違いないし、此処に連れて来た甲斐があったかな! じゃ、早速いきましょ!」
「え? ど、何処に⁈」
「馬鹿ね、決まってるでしょ!」
 ハジメは強引に俺の手を引っ張り、俺を夜の海へ急ぎ足で連れ出す。 
「ついてきて!」
「お、おう」 
 1人の男として情けない話だが、今はハジメの言う事を素直に聞いた方が俺の失われた記憶は取り戻せそうだ。
 俺は急いで浴衣からジーパンと軽めの長袖シャツに着替え、ハジメの後を追い、旅館から飛び出した。


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 事の|発端《ほったん》は数か月前の初夏のある日の事。
 部屋の押し入れの奥にしまっていた扇風機。それをうんしょと取り出すときに勢い余って俺は転倒し、その|拍子《ひょうし》に後頭部を激しく床に打ち付けてしまい、現在に至るわけだ。
「再確認するけど私と出会った事を覚えてないんだよね?」 
「うん」
「じゃ、私の名前は?」
「あ・き・の・は・じ・めさん?」
「ぷっ! そ、そうだね!」
 俺の隣で彼女は手を叩き、ころころと楽しそうに笑っている。
(こ、コイツ。絶対俺の名のあてつけで、からかった|偽名《ぎめい》を教えているだろ!)
 ハジメって名前だけは自分達のアパートのご近所さんの反応を見る限り間違いないだろう。
 彼女のその挙動に俺はムッとしたが、この旅館に来た当初の目的を思い出し、俺はその怒りの|溜飲《りゅういん》を下げる。
 しかも現在宿泊中のこの海辺の旅館に来た今日は偶然にも9月30日だった。
(ちな、俺の親父達の結婚記念日かつ俺の誕生日です、はい) 
 なお、不思議な事に俺の欠落した記憶は何故か『ハジメの名前や思い出』に関するものだけであった。
 で、ハジメが言うには「この海辺の旅館で俺達は出会った」らしい。
 てなわけで、|記憶治療《きおくちりょう》として俺を|此処《ここ》に連れて来たそうだ。
「あ! 実はさっき寝転んだ時、何故か妙な|懐《なつ》かしさを感じたんだよな」
 記憶は無くても体は覚えてる、そんなことを何処かで聞いた事がある。
「えっ⁉ じ、じゃあ、他は?」
 俺の話を聞いた彼女はすっくと立ちあがり、急いで俺の顔を覗き込む。
 そう、このリアクションから分る通りハジメは優しい奴なのだ。
 だから俺は少しこの愛しい彼女を少しからかってみたくなった。
「……水色、いや白かな?」
 俺はハジメの水色のスカート中、即ちスラリとした見事なおみ足と可愛らしいシルクの布切れを見て、満足げにうんうんと頷く。
「……え、何? は、はああああああああああああああっ⁈」
 ハジメの驚きと怒気の混ざった声が旅館の一室にけたたましく響き渡る!
 と、同時にハジメの片足が俺の腹部を激しく踏みつける⁈
「ぐ、ぐぇっ⁈」
 その痛みにたまらずまるで潰れた|蛙《かえる》のように呻いてしまう俺。
「ああ、そーいえば?」
 目を細め|侮蔑《ぶべつ》した眼差しで俺を見下し、肩を少し揺らしながら苦笑するハジメ。
「え? な、何っ⁉」
 俺はその様を見て、得体のしれない恐怖を感じてしまう。
 ハジメの肩の揺れが、まるで何か火山が噴火する前触れのように思えて。
「ショック療法って知ってる?」
「し、シリません」
 俺は敢えて彼女のスカートから覗き込む愛らしいヒップを眺めながら、にこやかに即答してみせた。
「このっ、アホたれがっ!」
「い、痛っ!」
 まるで風船が弾けたような見事な音とともに、俺の|頬《ほほ》に鈍い激痛が走った。
 そう、この言葉の返しだとこうなる結果は簡単に予測できた。
 怒らせた理由は「可愛らしい彼女がむくれる顔をこの夜の海で見てみてかった」から。
(冷静に自己分析すると、俺ってSっ気があるよな) 
「ご、ゴメン。ハジメが折角記憶が戻るように配慮して此処に連れて来てくれたのに」
 色々と目が覚めた俺は静かに立ちあがり、素直にハジメに頭を垂れる。
 それに、幸か不幸か今の彼女のビンタで少し思い出したことがある。
「俺さ、この旅館とこの夜の海の景色。なんか見覚えがある気がする」
「ほ、ホント?」
「うん。なんか確か俺達あの海でそう、一緒に泳いで……」
 俺は窓から|覗《のぞ》くダークブルーの海を静かに眺め、自身を納得させるように深く頷く。
「そ、そんな事まで。じ、じゃあ他は!」
 この彼女の反応。どうやらビンタじゃなかった、ビンゴの模様。
「ちょ、ま、待って! え、えっと確か」
 俺は少し思い出した断片的な記憶の糸をそろそろと辿るように、窓から見える月明かりが反射する|水面《みなも》を眺める。
 確かに一緒にハジメと泳いだ記憶を思い出した。
 が、非常に悔しい事にそれ以上は思い出せそうにない。
「うーん、ゴメン! あとは駄目だ」 
 俺は自分の不甲斐なさを呪い、両手を合わせてハジメに深々と頭を下げる。
「う、ううん! 記憶が戻ってきているのは間違いないし、此処に連れて来た甲斐があったかな! じゃ、早速いきましょ!」
「え? ど、何処に⁈」
「馬鹿ね、決まってるでしょ!」
 ハジメは強引に俺の手を引っ張り、俺を夜の海へ急ぎ足で連れ出す。 
「ついてきて!」
「お、おう」 
 1人の男として情けない話だが、今はハジメの言う事を素直に聞いた方が俺の失われた記憶は取り戻せそうだ。
 俺は急いで浴衣からジーパンと軽めの長袖シャツに着替え、ハジメの後を追い、旅館から飛び出した。