「や、やり遂げたぞ……」
海より深いため息を自身で感じながら、俺はノートパソコンをそっと閉じ、力尽きたようにゴロリと畳に静かに寝そべる。
というのも、新作の小説をようやっと完成させ安堵したからだ。
正直小説を書くのは誰でもできる。が、10万字越えの文芸長編。速筆じゃない俺は完成するのに1カ月半もの日々を費やし、今ここで完全燃焼してしまったのだ。
疲れ目を擦り、ふと目の前の畳をよく観察する俺。
よく見るとそれは見慣れた小麦色では無い。艶やかなエメラルドグリーンに輝いていたのだ。だからか、新品特有のい草独特の香りを強く感じれる。
いい意味で嗅覚が強い刺激を受けたからか、俺はふと窓辺から見える黒く染まった海をぼんやりと眺める。
その海辺の中央に、夜空から映し出されていた月が波にゆらゆらと揺られキラキラと輝くのが見える。
(……なんだろう? この景色何処かで?)
「どうしたの……?」
「うわっ? び、びっくりしたあ」
気が付くと、栗色の大きな二重眼がこちらを心配そうな眼差しで見つめていた。
そう、いつのまにか隣で寝ころんでいた彼女に俺は驚いたのだ。
「どうしたの? な・つ・の・お・わ・りさん?」
クスクスと意地悪な笑みを浮かべ、まるで俺を挑発するように自身の栗色の柳髪を静かに書き分ける彼女。そんな彼女に俺は思わずムッとし、「だから、その呼び方はやめろって言っただろ! 俺の名前は夏野終だって!」と怒りの声を上げてしまう。
そもそもわざわざフルネームじゃなく、「シュウだけでいいじゃん」って話。
なので、俺は二重に頭にきていた。
「え、えっとお? 確か【貴方のお父さん達の結婚記念日が夏の終わり】だからその名前になったんだよね?」
切れ長の眉に卵型の整った容姿でにまにまと笑いながらこちらを見つめる彼女。細身で小柄なまるでモデルのような彼女だったが、俺には可愛さ余って憎さ百倍であった。
その理由は彼女が語るこの話は腹立つことに実話だったから。
「大体さあ、そんなくだらない理由で俺の名前をつけるなよって話! 俺の名前は親父達のダイヤリー記録簿じゃないだぞっと!」
俺は八つ当たり気味に、隣で寝転んでいる彼女の頭を軽く叩こうとするが……。
彼女は「それを待っていました!」とばかりに俺のその伸ばした腕を掴み、その俺の手を自身の頭をそっと添える。
「えへへ」
自身のその行動に照れているのか、彼女の真珠の様に白かった頬はすっかり柿色に染まっていた。
(ああ、なるほどね?)
まるで猫のようにじゃれつく彼女。すっかり溜飲が収まった俺は開いた窓から流れ込む涼しげな風を受け、だからか尚更彼女の温かい体温を感じ少し目を閉じてしまう。
(ああ、あったけえ)
妙に安心する心地良さを俺は感じ、すっかり無言になってしまう。
「ねえ、貴方去年の事は?」
ほどなくして彼女はその言葉と共に俺の目を静かに見つめる。
「うん、やっぱ駄目だ」
「……そっか」
残念そうな彼女の言葉に、俺は申し訳なさを感じてしまう。
そうなのだ、実は俺は現在部分的な記憶喪失なのであった。