藍に染まるまで
ー/ー
「♪〜〜♬.*゜〜」
それから時は経ち、高校3年生の春。少し雰囲気がピリついて、進学や、就職に向けて準備を進め始める季節。井口彩は、動くことの無い体を車椅子に預け、光のない目で、その先にある校舎を見つめた。まだ、この校門から見える景色も、校舎の色も、車椅子を押している人の顔もなにも知らない彼女は、上機嫌で鼻歌を歌って昇降口に向かっていく。
「もう3年生も終わりだな」
「この季節は好きよ。ねぇ、桜は咲いているの?」
「…………あぁ、満開だよ」
彩は事故で目が見えなくなってしまった。それだけではない。手足は動かないため、彩は車椅子無しでは何もできない。だというのに、彩は楽しそうに笑っている。彩の幼なじみである仙石 透はそんな彩を見て悲しそうに笑みを作った。車椅子を押し、痛いほど刺さる周りの目を気にしないようにしながら、昇降口へと進んでいく。
「透、桜は何色だったかな?」
「桃色だよ。ピンクとも言う」
「桃色……ごめんなさい、桃の色も分からないわ」
「……もう教室に着くよ」
初めて透が彩と会ったのは病院だった。服はボロボロで、元の形が分からないほど複雑に折れた手足、全身血まみれになった彩が担架に乗せらて運ばれてきたことを、今でも鮮明に思い出せる。彩の姿は、心臓が止まるかと思うほどの重症だった。まだその日に初めて出会ったはずなのに、透はどうしてか動悸が収まらず、とにかく彩の安否が気になって仕方なかった。それだけに、無事だと聞かされた時はそれはもう喜んだ。彩の病院生活が終わると、それから会うことはまったくなかったが、高校生になり、車椅子を引く彩に再び会うことになるとは思ってもなかった。
鐘が鳴り、担任教師の無駄に長いホームルームが終わる。そして教師は『最後に』と付け足し、ただえさえ興味のない無駄話を更に広げてくる。どうせろくでもないつまらない話だと、透は膝を立ててだるそうに話を右から左へ聞き流す。
「お前ら、そろそろ真剣に未来を見据える時が来た。進学するのか、それとも就職か、選ぶのはお前たち次第だからな。ちゃんと考えろよ〜?」
(はいはい、またその話しね)
未来、先行き、将来、今後。
そんな言葉を聞く度に嫌になってしまう。きっと誰しもそうだろう。明日の自分がどうなっているかなど、誰にだって分かるはずがないのだ。これから先のことを考えるだけで今を生きるのが億劫になってしまう。でも、彩はきっとそうじゃない。
*
休み時間になり、下劣な猿以下の脳みそを携えている欲を持て余した野郎どもから守るように、透は彩の元へ向かった。
「ねぇ透、あなたはこれからどうするの?」
話をかけてもいないのに、何故か彩は透の存在に気づく。透だけでは無い。直感、とでも言うのだろうか。足音の癖などの多少の情報はあれど、彩はほとんど感覚で誰が目の前にいるのか感じ取る事ができると言っていたが、にわかには信じ難いことだ。
「……将来のことなんて考えたことないよ。病院を継ぐしか選択肢ないし」
「あぁ、そうだったわね。また今度お邪魔するわ」
「ただの定期検診だろ」
「……そう、不本意でも、透はちゃんと決まってるのね」
彩は物悲しそうに俯いた。そもそも、彩にそんな感情があるのかすら、透には分からなかった。身振り手振りもなく、表情も変わらない彩の考えていることなんて理解できないのだ。
「私はこれからどうなるのかしらね」
「大抵のヤツらはどうもなってないよ。お前はずっとお前さ」
「本当に?」
「…………」
言い返すことはできない。透が口でなんと言おうと、それを確認する術を彩は持っていない。他の生徒のように、毎日当たり前のように鏡で自分を見ることもできない。その透き通るような綺麗な肌も、艶やかな黒髪も、整った顔つきも、彩は自分を知ることなく、常に自分を疑いながら生きているのだ。
「怖いか?」
「そりゃあ、当然、怖いよ。透やみんなは違うかもしれないけど、私には、明日の自分が今日と同じ自分であることを信じる事ができない」
だから、透がちゃんと確かめて
それだけ言って、彩は前を向き直した。気がつけばもう次の授業が始まる時間になっていたらしい。透は、彩が不意に口にした辛苦を耳にして、無意識に彩を避けてしまった。とにかく、気まずかった。もしくは、勘違いしていた自分が恥ずかしかったのかもしれない。彩だって自分と同じ人間で、人並みに悩みだって持っていて当たり前なのだと、そんな当たり前のことに気づけなかった。自分でも知らないうちに、彩のことを軽んじていた自分を殺してやりたくなった。
それでも、登下校だけは、透が車椅子を押していかなければならない。どれだけ逃げても、2人の時間は必ずやってきた。
「……透。今日透の家行ってもいい?」
「え? なんで?」
「次の期末テスト、範囲が広くて不安で……透なら教えてくれるでしょう?」
「あぁ、まぁ……わかる範囲ならな」
言われるがまま、誘われるように透は病院のすぐ近くの家に彩を案内していく。心なしか、家へ向かっている時の彩の口角はつり上がっているように見える。片道数キロもない道を、彩の負担が少なくなるよう10数分ほどかけてゆっくりと歩き、ようやく家の前にたどり着く。
「結構大きいね、透の家」
「…………え? 大きいって、なんでそんなこと分かるんだ?」
「ふふっ、あてずっぽう。でも、きっと大きいでしょう? 何せ病院の院長の息子なんだから」
珍しく冗談を言う彩に一声かけて段差を上がる。医師で介護についてもよく理解している父親にはまだ遠く及ばないが、透も車椅子のサポートが様になってきたようだった。
「大袈裟だよ……こんな家、無駄に大きいだけだ。親父と2人だけしか住んでないのに……」
ふと透が玄関の靴に目をやると、そこには父の外回り用の革靴、それと、予備の学校指定の白靴がある。
(親父の使ってる院内履きの靴がない……)
透はそれを見て、父は今勤務中だろうと推測する。ということは、日が変わるまで帰っては来ないはずだ。いつ戻るつもりか知らないが、その間ずっと2人きりというのは、どうも心臓に悪い。妙に緊張してしまう。
「ここがリビング。お茶出すから、ちょっと待ってて」
「え? 透の部屋じゃないの?」
「……? なんで俺の部屋にまで案内するんだよ」
コップを洗い流す音がリビングに響く。父がいる時は常にテレビをつけているから気にならなかったが、小さな物音や時計の音が気になって仕方がない。案外、こういう沈黙に弱いのかもしれないと、透は水の勢いを強めた。
「………………意気地無し」
激しい水の音で、透は彩の言葉を聴き逃した。
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「♪〜〜♬.*゜〜」
それから時は経ち、高校3年生の春。少し雰囲気がピリついて、進学や、就職に向けて準備を進め始める季節。井口彩は、動くことの無い体を車椅子に預け、光のない目で、その先にある校舎を見つめた。まだ、この校門から見える景色も、校舎の色も、車椅子を押している人の顔もなにも知らない彼女は、上機嫌で鼻歌を歌って昇降口に向かっていく。
「もう3年生も終わりだな」
「この季節は好きよ。ねぇ、桜は咲いているの?」
「…………あぁ、満開だよ」
彩は事故で目が見えなくなってしまった。それだけではない。手足は動かないため、彩は車椅子無しでは何もできない。だというのに、彩は楽しそうに笑っている。彩の幼なじみである|仙石 透《せんごく とおる》はそんな彩を見て悲しそうに笑みを作った。車椅子を押し、痛いほど刺さる周りの目を気にしないようにしながら、昇降口へと進んでいく。
「透、桜は何色だったかな?」
「桃色だよ。ピンクとも言う」
「桃色……ごめんなさい、桃の色も分からないわ」
「……もう教室に着くよ」
初めて透が彩と会ったのは病院だった。服はボロボロで、元の形が分からないほど複雑に折れた手足、全身血まみれになった彩が担架に乗せらて運ばれてきたことを、今でも鮮明に思い出せる。彩の姿は、心臓が止まるかと思うほどの重症だった。まだその日に初めて出会ったはずなのに、透はどうしてか動悸が収まらず、とにかく彩の安否が気になって仕方なかった。それだけに、無事だと聞かされた時はそれはもう喜んだ。彩の病院生活が終わると、それから会うことはまったくなかったが、高校生になり、車椅子を引く彩に再び会うことになるとは思ってもなかった。
鐘が鳴り、担任教師の無駄に長いホームルームが終わる。そして教師は『最後に』と付け足し、ただえさえ興味のない無駄話を更に広げてくる。どうせろくでもないつまらない話だと、透は膝を立ててだるそうに話を右から左へ聞き流す。
「お前ら、そろそろ真剣に未来を見据える時が来た。進学するのか、それとも就職か、選ぶのはお前たち次第だからな。ちゃんと考えろよ〜?」
(はいはい、またその話しね)
未来、先行き、将来、今後。
そんな言葉を聞く度に嫌になってしまう。きっと誰しもそうだろう。明日の自分がどうなっているかなど、誰にだって分かるはずがないのだ。これから先のことを考えるだけで今を生きるのが億劫になってしまう。でも、彩はきっとそうじゃない。
*
休み時間になり、下劣な猿以下の脳みそを携えている欲を持て余した野郎どもから守るように、透は彩の元へ向かった。
「ねぇ透、あなたはこれからどうするの?」
話をかけてもいないのに、何故か彩は透の存在に気づく。透だけでは無い。直感、とでも言うのだろうか。足音の癖などの多少の情報はあれど、彩はほとんど感覚で誰が目の前にいるのか感じ取る事ができると言っていたが、にわかには信じ難いことだ。
「……将来のことなんて考えたことないよ。病院を継ぐしか選択肢ないし」
「あぁ、そうだったわね。また今度お邪魔するわ」
「ただの定期検診だろ」
「……そう、不本意でも、透はちゃんと決まってるのね」
彩は物悲しそうに俯いた。そもそも、彩にそんな感情があるのかすら、透には分からなかった。身振り手振りもなく、表情も変わらない彩の考えていることなんて理解できないのだ。
「私はこれからどうなるのかしらね」
「大抵のヤツらはどうもなってないよ。お前はずっとお前さ」
「本当に?」
「…………」
言い返すことはできない。透が口でなんと言おうと、それを確認する術を彩は持っていない。他の生徒のように、毎日当たり前のように鏡で自分を見ることもできない。その透き通るような綺麗な肌も、艶やかな黒髪も、整った顔つきも、彩は自分を知ることなく、常に自分を疑いながら生きているのだ。
「怖いか?」
「そりゃあ、当然、怖いよ。透やみんなは違うかもしれないけど、私には、明日の自分が今日と同じ自分であることを信じる事ができない」
だから、透がちゃんと確かめて
それだけ言って、彩は前を向き直した。気がつけばもう次の授業が始まる時間になっていたらしい。透は、彩が不意に口にした辛苦を耳にして、無意識に彩を避けてしまった。とにかく、気まずかった。もしくは、勘違いしていた自分が恥ずかしかったのかもしれない。彩だって自分と同じ人間で、人並みに悩みだって持っていて当たり前なのだと、そんな当たり前のことに気づけなかった。自分でも知らないうちに、彩のことを軽んじていた自分を殺してやりたくなった。
それでも、登下校だけは、透が車椅子を押していかなければならない。どれだけ逃げても、2人の時間は必ずやってきた。
「……透。今日透の家行ってもいい?」
「え? なんで?」
「次の期末テスト、範囲が広くて不安で……透なら教えてくれるでしょう?」
「あぁ、まぁ……わかる範囲ならな」
言われるがまま、誘われるように透は病院のすぐ近くの家に彩を案内していく。心なしか、家へ向かっている時の彩の口角はつり上がっているように見える。片道数キロもない道を、彩の負担が少なくなるよう10数分ほどかけてゆっくりと歩き、ようやく家の前にたどり着く。
「結構大きいね、透の家」
「…………え? 大きいって、なんでそんなこと分かるんだ?」
「ふふっ、あてずっぽう。でも、きっと大きいでしょう? 何せ病院の院長の息子なんだから」
珍しく冗談を言う彩に一声かけて段差を上がる。医師で介護についてもよく理解している父親にはまだ遠く及ばないが、透も車椅子のサポートが様になってきたようだった。
「大袈裟だよ……こんな家、無駄に大きいだけだ。親父と2人だけしか住んでないのに……」
ふと透が玄関の靴に目をやると、そこには父の外回り用の革靴、それと、予備の学校指定の白靴がある。
(親父の使ってる院内履きの靴がない……)
透はそれを見て、父は今勤務中だろうと推測する。ということは、日が変わるまで帰っては来ないはずだ。いつ戻るつもりか知らないが、その間ずっと2人きりというのは、どうも心臓に悪い。妙に緊張してしまう。
「ここがリビング。お茶出すから、ちょっと待ってて」
「え? 透の部屋じゃないの?」
「……? なんで俺の部屋にまで案内するんだよ」
コップを洗い流す音がリビングに響く。父がいる時は常にテレビをつけているから気にならなかったが、小さな物音や時計の音が気になって仕方がない。案外、こういう沈黙に弱いのかもしれないと、透は水の勢いを強めた。
「………………意気地無し」
激しい水の音で、透は彩の言葉を聴き逃した。