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Nightmare

ー/ー



 殺人鬼はもういない。

 そう報告すると、少女は両親の名が刻まれた墓を後にした。

 河合音叉(かわい おとさ)は誰もいない家に帰る。同じく殺人鬼に両親を殺された五つ下の少女と朝ごはんを食べた。新たなスタートを切るはずだったが、その日はすでに悪夢の始まりだった。

 音叉は学校帰りに小説を書いていた。ノンフィクションの物語。あの日の記憶を、一字一句違わず記していく。

 河合音叉、16歳の春。高校生活のスタートだ。父親の車に乗り、新しく通う高校の校門で母親と記念撮影をする。イベントプロデューサーの父親は「会議で急いでるんだ」とすぐ車に戻った。母に「恥ずかしいから」と拒否されたことを知り、父は車の中から二人の様子をこっそり撮影して仕事へ向かう。

 ヴァイオリニストの母親は入学式の後、仕事に戻る予定だと告げ、音叉を残して帰宅した。

 幼馴染の柊と一緒に帰路についていた時、着信が入る。父親からだった。

「家にすぐ帰り、鍵を閉めて外出を控えろ。家には誰も入れるな。それが母さんでもだめだ。事情は帰ってから話す。もし柊くんが一緒なら、そのままいてくれ」

 柊と自宅へ戻り、鍵を閉めた。家で待機することにする。夜7時、インターホンが鳴る。

 モニターには母親が映っている。

「お母さんだ!」

 柊が玄関へ走るが、音叉は父親の言葉を思い出し、制止した。モニターを覗くと、母親が笑っている。その笑顔には何か違和感があった。

「どうしたの? 早く開けて?」

 母親の声ではあるが、どこか違う。

「お母さん、鍵持ってないの?」

「職場に置いてきちゃったの、うっかりだわ。早く開けてくれる?」

 モニターの向こうで母親が笑っている。柊が違和感に気付く。

「音叉のお母さんって、スカート履いてたっけ?」

 スカートが苦手な母親は今日、入学式が終わると、仕事でヴァイオリンの合わせがあるため、一度家に戻りいつものパンツスーツへ着替えると聞いていたことを思い出した。

「お母さんに電話する」

 音叉はモニターに映る母親を見ながらスマホを取り出し、電話をかける。モニターの中の母親は、未だに笑顔のまま「早く開けなさい、何やってるの?」とインターフォン越しに問いかけていた。

 電話の向こうで母の声がする。「音叉、どうしたの? お母さんちょっと打ち合わせが長引いてるから、ご飯は冷蔵庫のものを適当に温めて」

「お母さん? 今……。玄関にお母さんがいるの」

 母の声が慌ただしく変わる。「出たらダメ! 玄関は開けないで! すぐにお父さんに連絡する」

 電話が切れた直後、モニターの母親の笑顔が歪む。「開けなさい!」という叫び声が、モニター越しではなく玄関から直接響いてきた。

 約30分後、父親から着信が入る。玄関先の偽物の母は、まだ笑顔で叫び続けていた。

「今から向かう。絶対に開けるな。それは母さんじゃない。詳しくは帰ってからだ」

 恐怖で震える音叉と柊。母親の叫び声が続く中、数分後、玄関先に父親の声が混じる。

「この野郎!」

 キャハハハハ!と母親の声も混じった。ドタバタと争う音が聞こえ、ガンと何かを打ち付ける大きな音がした後、静寂が訪れる。

 モニターには父親が映っている。外の後ろには、母親が倒れている姿が足だけ見えた。

「大丈夫だ。開けなさい」

 父親がモニター越しに話しかけてくる。音叉と柊は玄関へ向かう。ガチャと玄関を開けると、父親が「ただいま」と言いながら勢いよく音叉に掴みかかってきた。

「おとうさっ」

 父親が音叉に掴みかかり、もつれるように玄関に倒れ込む。その姿を見て戸惑う柊は、幼馴染の危機を目の前に一瞬で頭を整理した。

 ――父親なら鍵を持っているはず。『家に誰も入れるな』という言葉。

 玄関に飾られたトランペットを手に取り、「音叉のお父さん! ごめんなさい!」と叫びながら、躊躇しつつも偽物の父親の頭を叩く。キーンという金属音が響き、偽物の父親はその場にうずくまって頭から血を流した。

 柊は震えて動けない音叉の手を引き、強引に家の外へ駆け出す。誰もいない父親の車のヘッドライトが自宅を照らしていた。

 二人は柊の家を目指して走る。音叉が振り返ると、玄関からゆらりと動き、こちらに手を伸ばす父親の姿が見えた。遠くからプーッとクラクションの音が聞こえてくる。

 あれらは両親じゃない――音叉は気持ちを切り替え、走り続けた。

 柊の家に着いた二人は、柊の両親に迎え入れられてドアを閉める。事情を説明すると、柊の母親が警察に連絡を始めた。

 その時、インターフォンが鳴る。モニターには音叉の父親が映っていた。

「助けてくれ! 襲われている!」

 柊の父は音叉に向かって真剣な顔で頷く。もう少し待てば警察が来る。玄関先では音叉の父親が腹部を押さえながら叫んでいた。

「助けてくれ! あいつが殺しにくる!」

 音叉は耳を塞ぎ、その場に座り込む。柊が心配そうに肩を抱いた。

「クソ!」

 父親の声がすると、玄関先で揉み合う音が響く。モニターには誰も映っていない。画角外で何かが起きていた。

 ぐあー!と叫ぶ男の声。キーン!という金属音が鳴り響き、カンッと金属を落とす音がした。

 モニターを確認すると、頭から血を流している父親の姿が映る。

「もう大丈夫だ。開けてくれ」

 音叉の父親は笑顔で言う。柊の父が玄関へ走り出した。

「ダメー!」

 音叉の警告は間に合わない。柊の父が玄関を開けると、玄関先に置いてあった植木鉢を振りかざす音叉の父親が、「開けてくれてありがとう」と言いながら柊の父親へ振り下ろした。

 鈍い音と共に柊の父が倒れる。同時に、柊の母が悲鳴を上げる。

「逃げるぞ!」

 柊が音叉の手を掴み、裏口から外へ飛び出した。背後で柊の母の悲鳴が響き渡る。二人は暗い路地を必死で走った。

「柊のお母さんが!」

「わかってるよ! とにかく今は逃げるんだ!」

 柊が音叉を引っ張って角を曲がろうとした時、何かが柊の足を掴む。

「うわっ!」

 柊が転倒した。暗がりから伸びた手が柊の足首を掴んでいる。その手の先には血まみれの柊の母親の顔があったが、その表情は母親のものではなかった。

「音叉、走れ!」

 恐怖の中でも懸命に笑顔を浮かべる柊の瞳を見て、音叉は決意を込めた表情で頷き、振り返らずに走り出す。大きな道へ出ると、先ほど柊の母親が呼んだパトカーのサイレンが近づいてきた。しかし、後ろから聞こえる足音も迫ってくる。

「音叉ー! 待ってくれ!」

 父親の声だ。でも、あれは父親ではない。音叉は一瞬振り向いて確認するが、距離を保つため懸命に走り続けた。

 突然、二人の警官が後ろから走ってきた男に飛びかかる。もみ合う中で、男は持っていた包丁で一人の警官を刺し、その警官の拳銃を奪って発砲した。

 直後、もう一人の警官が男に向かって発砲する。銃声が夜空に響き渡る。パンパン、という二発の音がした。

「大丈夫か!」

 警官の叫び声が響く。音叉はただ、その場に立ち尽くした。その瞳には、パトカーのライトに照らされた光景が映し出されている。

 心が乱れ、焦点の合わない瞳の奥で、もう動かない血まみれの父と母の姿が万華鏡のように脳裏に浮かんでいた。

 おそらく、本物の父と母はもういない。

 音叉は泣き崩れる。

 小説を書き終えると、音叉はパソコンを閉じてニヤリと笑った。そばに置かれたシリコンのマスクを手に取ると、彼女の瞳には暗い光が宿る。


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 殺人鬼はもういない。
 そう報告すると、少女は両親の名が刻まれた墓を後にした。
 河合音叉《かわい おとさ》は誰もいない家に帰る。同じく殺人鬼に両親を殺された五つ下の少女と朝ごはんを食べた。新たなスタートを切るはずだったが、その日はすでに悪夢の始まりだった。
 音叉は学校帰りに小説を書いていた。ノンフィクションの物語。あの日の記憶を、一字一句違わず記していく。
 河合音叉、16歳の春。高校生活のスタートだ。父親の車に乗り、新しく通う高校の校門で母親と記念撮影をする。イベントプロデューサーの父親は「会議で急いでるんだ」とすぐ車に戻った。母に「恥ずかしいから」と拒否されたことを知り、父は車の中から二人の様子をこっそり撮影して仕事へ向かう。
 ヴァイオリニストの母親は入学式の後、仕事に戻る予定だと告げ、音叉を残して帰宅した。
 幼馴染の柊と一緒に帰路についていた時、着信が入る。父親からだった。
「家にすぐ帰り、鍵を閉めて外出を控えろ。家には誰も入れるな。それが母さんでもだめだ。事情は帰ってから話す。もし柊くんが一緒なら、そのままいてくれ」
 柊と自宅へ戻り、鍵を閉めた。家で待機することにする。夜7時、インターホンが鳴る。
 モニターには母親が映っている。
「お母さんだ!」
 柊が玄関へ走るが、音叉は父親の言葉を思い出し、制止した。モニターを覗くと、母親が笑っている。その笑顔には何か違和感があった。
「どうしたの? 早く開けて?」
 母親の声ではあるが、どこか違う。
「お母さん、鍵持ってないの?」
「職場に置いてきちゃったの、うっかりだわ。早く開けてくれる?」
 モニターの向こうで母親が笑っている。柊が違和感に気付く。
「音叉のお母さんって、スカート履いてたっけ?」
 スカートが苦手な母親は今日、入学式が終わると、仕事でヴァイオリンの合わせがあるため、一度家に戻りいつものパンツスーツへ着替えると聞いていたことを思い出した。
「お母さんに電話する」
 音叉はモニターに映る母親を見ながらスマホを取り出し、電話をかける。モニターの中の母親は、未だに笑顔のまま「早く開けなさい、何やってるの?」とインターフォン越しに問いかけていた。
 電話の向こうで母の声がする。「音叉、どうしたの? お母さんちょっと打ち合わせが長引いてるから、ご飯は冷蔵庫のものを適当に温めて」
「お母さん? 今……。玄関にお母さんがいるの」
 母の声が慌ただしく変わる。「出たらダメ! 玄関は開けないで! すぐにお父さんに連絡する」
 電話が切れた直後、モニターの母親の笑顔が歪む。「開けなさい!」という叫び声が、モニター越しではなく玄関から直接響いてきた。
 約30分後、父親から着信が入る。玄関先の偽物の母は、まだ笑顔で叫び続けていた。
「今から向かう。絶対に開けるな。それは母さんじゃない。詳しくは帰ってからだ」
 恐怖で震える音叉と柊。母親の叫び声が続く中、数分後、玄関先に父親の声が混じる。
「この野郎!」
 キャハハハハ!と母親の声も混じった。ドタバタと争う音が聞こえ、ガンと何かを打ち付ける大きな音がした後、静寂が訪れる。
 モニターには父親が映っている。外の後ろには、母親が倒れている姿が足だけ見えた。
「大丈夫だ。開けなさい」
 父親がモニター越しに話しかけてくる。音叉と柊は玄関へ向かう。ガチャと玄関を開けると、父親が「ただいま」と言いながら勢いよく音叉に掴みかかってきた。
「おとうさっ」
 父親が音叉に掴みかかり、もつれるように玄関に倒れ込む。その姿を見て戸惑う柊は、幼馴染の危機を目の前に一瞬で頭を整理した。
 ――父親なら鍵を持っているはず。『家に誰も入れるな』という言葉。
 玄関に飾られたトランペットを手に取り、「音叉のお父さん! ごめんなさい!」と叫びながら、躊躇しつつも偽物の父親の頭を叩く。キーンという金属音が響き、偽物の父親はその場にうずくまって頭から血を流した。
 柊は震えて動けない音叉の手を引き、強引に家の外へ駆け出す。誰もいない父親の車のヘッドライトが自宅を照らしていた。
 二人は柊の家を目指して走る。音叉が振り返ると、玄関からゆらりと動き、こちらに手を伸ばす父親の姿が見えた。遠くからプーッとクラクションの音が聞こえてくる。
 あれらは両親じゃない――音叉は気持ちを切り替え、走り続けた。
 柊の家に着いた二人は、柊の両親に迎え入れられてドアを閉める。事情を説明すると、柊の母親が警察に連絡を始めた。
 その時、インターフォンが鳴る。モニターには音叉の父親が映っていた。
「助けてくれ! 襲われている!」
 柊の父は音叉に向かって真剣な顔で頷く。もう少し待てば警察が来る。玄関先では音叉の父親が腹部を押さえながら叫んでいた。
「助けてくれ! あいつが殺しにくる!」
 音叉は耳を塞ぎ、その場に座り込む。柊が心配そうに肩を抱いた。
「クソ!」
 父親の声がすると、玄関先で揉み合う音が響く。モニターには誰も映っていない。画角外で何かが起きていた。
 ぐあー!と叫ぶ男の声。キーン!という金属音が鳴り響き、カンッと金属を落とす音がした。
 モニターを確認すると、頭から血を流している父親の姿が映る。
「もう大丈夫だ。開けてくれ」
 音叉の父親は笑顔で言う。柊の父が玄関へ走り出した。
「ダメー!」
 音叉の警告は間に合わない。柊の父が玄関を開けると、玄関先に置いてあった植木鉢を振りかざす音叉の父親が、「開けてくれてありがとう」と言いながら柊の父親へ振り下ろした。
 鈍い音と共に柊の父が倒れる。同時に、柊の母が悲鳴を上げる。
「逃げるぞ!」
 柊が音叉の手を掴み、裏口から外へ飛び出した。背後で柊の母の悲鳴が響き渡る。二人は暗い路地を必死で走った。
「柊のお母さんが!」
「わかってるよ! とにかく今は逃げるんだ!」
 柊が音叉を引っ張って角を曲がろうとした時、何かが柊の足を掴む。
「うわっ!」
 柊が転倒した。暗がりから伸びた手が柊の足首を掴んでいる。その手の先には血まみれの柊の母親の顔があったが、その表情は母親のものではなかった。
「音叉、走れ!」
 恐怖の中でも懸命に笑顔を浮かべる柊の瞳を見て、音叉は決意を込めた表情で頷き、振り返らずに走り出す。大きな道へ出ると、先ほど柊の母親が呼んだパトカーのサイレンが近づいてきた。しかし、後ろから聞こえる足音も迫ってくる。
「音叉ー! 待ってくれ!」
 父親の声だ。でも、あれは父親ではない。音叉は一瞬振り向いて確認するが、距離を保つため懸命に走り続けた。
 突然、二人の警官が後ろから走ってきた男に飛びかかる。もみ合う中で、男は持っていた包丁で一人の警官を刺し、その警官の拳銃を奪って発砲した。
 直後、もう一人の警官が男に向かって発砲する。銃声が夜空に響き渡る。パンパン、という二発の音がした。
「大丈夫か!」
 警官の叫び声が響く。音叉はただ、その場に立ち尽くした。その瞳には、パトカーのライトに照らされた光景が映し出されている。
 心が乱れ、焦点の合わない瞳の奥で、もう動かない血まみれの父と母の姿が万華鏡のように脳裏に浮かんでいた。
 おそらく、本物の父と母はもういない。
 音叉は泣き崩れる。
 小説を書き終えると、音叉はパソコンを閉じてニヤリと笑った。そばに置かれたシリコンのマスクを手に取ると、彼女の瞳には暗い光が宿る。