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お見合い物語③

ー/ー



 接点はものすごく多かったのにな、と思った。それはもう、運命か何かのように。
 でも、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 守谷の視界に、たぶん盟子は入ったことはないのだ。逆に考えればそのおかげで二年以上もこうしてつかず離れずの関係を維持できて来たのかもしれないけれど。

 でも、哀しいかな、そんな運命的な接点など一足で跳び超えて彼を一瞬で虜にするほどの美人というのがこの世に存在している。その現実にぶつかって、心が全身複雑骨折みたいなことになっている。

 風雅堂やめようかな、なんて考える日々を何日か過ごした後、その「美人」と顔を合わせる機会は唐突に訪れた。



「盟子ー、ほらぁ早く来なって」
 妙な間をあけて後ろから付いていく盟子の意図など1ミクロンも知らない守谷が、今日も平常運転で話しかけてくる。横に並ぶわけにもいかない、後ろに付き従うのもなんか変、どうやって振るまえばいいのかわからない盟子の気持ちなど。

 これから、ここ遠峰神社で神楽の奉演が始まる。
 初夏から秋まで毎月第3日曜の夜に奉納される夜神楽だ。ここに連れてきてもらうのは前からの約束だった。
 篝火を煌々と焚いた夕刻の神社に着けば、守谷はあちこちから挨拶を受けている。そりゃそうだ。ここのおぼっちゃんなのだから。今日は守谷玲峰が出演するというので地元ではちょっとした噂になっているらしい。

「そんじゃあたし準備に入るけど、終わったら下で待っててね」
 いつも通りの顔で、いつも通りに守谷は言った。
「……今日は私、自分で帰ります」
 しかし。盟子は断った。
「え、なんで? 一緒に乗って帰ればいいじゃん」

 こうして何も考えていない言動がちくちくと盟子の心を刺す。
 何も考えていないから普通に連れてきてくれるし、普通に名前で呼びつけるし、普通に車に乗せて帰ろうとするのだ。盟子の存在など眼中にないからこそ。
 彼とどうにかなりたい、なんて畏れ多いことは思っちゃいない。でも、一喜一憂することが完全に無意味だと宣告された今、優しい気遣いが殊更に胸を抉る。優しくされたって辛くなるだけ。

「いえ、今日はいいです」
「またぁ! せんせぇの言うこと聞くの!」
 いつものように「せんせぇ」が登場したその時だった。

「守谷さん」

 と、後ろから声が。
 喧騒の中で、そのしっとりした甘い声はやけに浮き上がって聞こえた。
 だから自分が呼ばれたわけでもないのに盟子も振り返ってしまった。ある予感と共に。

「こんばんは」

 とても、きれいな人だった。同性なのに思わず息を呑む。
 女優さん、いや、神様が特別手をかけた芸術品というか。ずっと見ていたくなるような美しい人。だからすぐに解った。この人がお見合いの相手だと。また会いませんかと彼を誘ったその人なのだと。

「守谷さん出演するって母に聞いたもので、見に来ちゃいました」
 柔らかい二重の黒目がちの目が、明らかな好意を湛えて守谷を見つめている。
 二人を結ぶ直線上にいた盟子は思わず後ずさって視線を落とした。神社の境内には不似合いなピンクベージュのスエードパンプスが目に入る。

「ああ、浜野さん、こんばんは。先日はどうも……」
 一ミリの隙も見せず、瞬時に優雅な微笑みと会釈を守谷は返していた。
「今日はすごく楽しみで。私、神楽って見たことないんですけど、大丈夫かな」
「そうでしたか。お気に召すかわかりませんけれど……こんなところまでわざわざ来てくださって嬉しいです。ありがとうございます」

 アイボリーのシフォンブラウスとキャメルのレースタイトが、小柄な体を品よく包んでいる。髪の毛は程よくほぐしたきれいめのアップスタイル。完璧だ。守りたくなる、抱きしめたくなるというのはこういう人なのだろうなと思った。

「守谷さん、こちらは?」
 「浜野さん」は盟子の存在を訝しんだのか、この子誰? とでも聞きたげな顔だ。けれどそこに敵意はなかった。当然だ。こんなに綺麗だったら敵になる人もいないに決まってる。
「あ、僕の教え子なんです」
 
――僕。

「大学で歴史をやってるので、勉強のために連れてきました」
 つまり空気と同じです、ということ。
「ああ、学生さんなんだ。こんばんは。守谷さんとお付き合いさせていただいてる浜野茉莉花(まりか)と申します」

 茉莉花は花が咲いたような笑顔を浮かべた。素敵な人だと盟子も思った。穏やかで優しそうで落ち着いている大人の女性。自分にはないものばかりだ。

――お付き合い。

 それもそうか、と思う。玲峰先生だって十分、この美人な人に釣り合うレベルなんだから。いつも見ていて忘れていたけれど。

「……梅崎と申します。守谷先生にはお世話になっています」

 守谷先生(・・・・)と。そう言ったら、何かとても遠くなった。
 


「何してんの!? 待ってろって言ったじゃん!」
 夜の山道を独り歩いている途中、当然のことながらワインレッドの軽自動車に盟子はつかまった。
「いえ、いいです。放っといてください」
 何だか、既視感のあるやり取りだ。
「何怒ってんの? とにかく乗れっつってんの! いい加減にしてよ」
 盟子を無理矢理助手席に押し込んで車は走り出す。

「……カッコつけ」
 わざと運転席を視界に入れないようにして、盟子はぼそりと毒づいた。

「は? 何が」
「『僕』って何ですか、僕って!? あー気持ち悪い。吐きそう」
「あれは……しょうがないじゃん。あたしだって好きでしてるんじゃないもん。親の知り合いだから変なことできなくて……」
 熱でもあるんじゃない? と守谷がさも当然のように盟子の額に触れる。それを思いきり払い除けた。
「やめてください! じゃあ私には変なことしていいんですか? どうして今は僕って言わないんですか? 私のことバカにしてるんですか!?」
 私は何を言ってるんだろう? と冷静に思う一部分が確かにあるのに、あふれ出てくる感情が収集つかないことになってきている。

「ちーがーう! あれHP消耗するの!」
 カーブでハンドルを切る。ガタン、と車が揺れた。
 たぶん、いや間違いなく、盟子が突然切れ始めた理由を守谷は理解していない。
「ここは私の乗る席じゃないでしょ?」
「なんで? いつも乗ってるじゃん」
「お付き合いしてる茉莉花さんを乗せて差し上げるべきじゃないですか? そういうこと考えないんですか?」  
「だってまだ付き合ってないもん。次のお誘い受けただけだし」
「無理。先生なんて大っ嫌い! もうほんと降ろして!」

 自分でも、何がどうなっているのかよく解らなかった。とにかく降ろしてと叫び続け、根負けした守谷が途中の駅で遂に盟子を下ろした。

「何切れてんの? あたし何か盟子怒らせるようなことした!?」
「一緒の空気吸いたくないです。早くどっか行ってください」

 さすがに守谷も堪忍袋の緒が切れたようだった。

「あーもう意味わかんない! これだからガキって嫌!!!!!」
「どうせガキです」
「勝手にしろ!」

 夜の中に消えていくワインレッドの軽自動車を振り返りもせず、盟子は改札をくぐった。



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みんなのリアクション

 接点はものすごく多かったのにな、と思った。それはもう、運命か何かのように。
 でも、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 守谷の視界に、たぶん盟子は入ったことはないのだ。逆に考えればそのおかげで二年以上もこうしてつかず離れずの関係を維持できて来たのかもしれないけれど。
 でも、哀しいかな、そんな運命的な接点など一足で跳び超えて彼を一瞬で虜にするほどの美人というのがこの世に存在している。その現実にぶつかって、心が全身複雑骨折みたいなことになっている。
 風雅堂やめようかな、なんて考える日々を何日か過ごした後、その「美人」と顔を合わせる機会は唐突に訪れた。
「盟子ー、ほらぁ早く来なって」
 妙な間をあけて後ろから付いていく盟子の意図など1ミクロンも知らない守谷が、今日も平常運転で話しかけてくる。横に並ぶわけにもいかない、後ろに付き従うのもなんか変、どうやって振るまえばいいのかわからない盟子の気持ちなど。
 これから、ここ遠峰神社で神楽の奉演が始まる。
 初夏から秋まで毎月第3日曜の夜に奉納される夜神楽だ。ここに連れてきてもらうのは前からの約束だった。
 篝火を煌々と焚いた夕刻の神社に着けば、守谷はあちこちから挨拶を受けている。そりゃそうだ。ここのおぼっちゃんなのだから。今日は守谷玲峰が出演するというので地元ではちょっとした噂になっているらしい。
「そんじゃあたし準備に入るけど、終わったら下で待っててね」
 いつも通りの顔で、いつも通りに守谷は言った。
「……今日は私、自分で帰ります」
 しかし。盟子は断った。
「え、なんで? 一緒に乗って帰ればいいじゃん」
 こうして何も考えていない言動がちくちくと盟子の心を刺す。
 何も考えていないから普通に連れてきてくれるし、普通に名前で呼びつけるし、普通に車に乗せて帰ろうとするのだ。盟子の存在など眼中にないからこそ。
 彼とどうにかなりたい、なんて畏れ多いことは思っちゃいない。でも、一喜一憂することが完全に無意味だと宣告された今、優しい気遣いが殊更に胸を抉る。優しくされたって辛くなるだけ。
「いえ、今日はいいです」
「またぁ! せんせぇの言うこと聞くの!」
 いつものように「せんせぇ」が登場したその時だった。
「守谷さん」
 と、後ろから声が。
 喧騒の中で、そのしっとりした甘い声はやけに浮き上がって聞こえた。
 だから自分が呼ばれたわけでもないのに盟子も振り返ってしまった。ある予感と共に。
「こんばんは」
 とても、きれいな人だった。同性なのに思わず息を呑む。
 女優さん、いや、神様が特別手をかけた芸術品というか。ずっと見ていたくなるような美しい人。だからすぐに解った。この人がお見合いの相手だと。また会いませんかと彼を誘ったその人なのだと。
「守谷さん出演するって母に聞いたもので、見に来ちゃいました」
 柔らかい二重の黒目がちの目が、明らかな好意を湛えて守谷を見つめている。
 二人を結ぶ直線上にいた盟子は思わず後ずさって視線を落とした。神社の境内には不似合いなピンクベージュのスエードパンプスが目に入る。
「ああ、浜野さん、こんばんは。先日はどうも……」
 一ミリの隙も見せず、瞬時に優雅な微笑みと会釈を守谷は返していた。
「今日はすごく楽しみで。私、神楽って見たことないんですけど、大丈夫かな」
「そうでしたか。お気に召すかわかりませんけれど……こんなところまでわざわざ来てくださって嬉しいです。ありがとうございます」
 アイボリーのシフォンブラウスとキャメルのレースタイトが、小柄な体を品よく包んでいる。髪の毛は程よくほぐしたきれいめのアップスタイル。完璧だ。守りたくなる、抱きしめたくなるというのはこういう人なのだろうなと思った。
「守谷さん、こちらは?」
 「浜野さん」は盟子の存在を訝しんだのか、この子誰? とでも聞きたげな顔だ。けれどそこに敵意はなかった。当然だ。こんなに綺麗だったら敵になる人もいないに決まってる。
「あ、僕の教え子なんです」
――僕。
「大学で歴史をやってるので、勉強のために連れてきました」
 つまり空気と同じです、ということ。
「ああ、学生さんなんだ。こんばんは。守谷さんとお付き合いさせていただいてる浜野|茉莉花《まりか》と申します」
 茉莉花は花が咲いたような笑顔を浮かべた。素敵な人だと盟子も思った。穏やかで優しそうで落ち着いている大人の女性。自分にはないものばかりだ。
――お付き合い。
 それもそうか、と思う。玲峰先生だって十分、この美人な人に釣り合うレベルなんだから。いつも見ていて忘れていたけれど。
「……梅崎と申します。守谷先生にはお世話になっています」
 |守谷先生《・・・・》と。そう言ったら、何かとても遠くなった。
「何してんの!? 待ってろって言ったじゃん!」
 夜の山道を独り歩いている途中、当然のことながらワインレッドの軽自動車に盟子はつかまった。
「いえ、いいです。放っといてください」
 何だか、既視感のあるやり取りだ。
「何怒ってんの? とにかく乗れっつってんの! いい加減にしてよ」
 盟子を無理矢理助手席に押し込んで車は走り出す。
「……カッコつけ」
 わざと運転席を視界に入れないようにして、盟子はぼそりと毒づいた。
「は? 何が」
「『僕』って何ですか、僕って!? あー気持ち悪い。吐きそう」
「あれは……しょうがないじゃん。あたしだって好きでしてるんじゃないもん。親の知り合いだから変なことできなくて……」
 熱でもあるんじゃない? と守谷がさも当然のように盟子の額に触れる。それを思いきり払い除けた。
「やめてください! じゃあ私には変なことしていいんですか? どうして今は僕って言わないんですか? 私のことバカにしてるんですか!?」
 私は何を言ってるんだろう? と冷静に思う一部分が確かにあるのに、あふれ出てくる感情が収集つかないことになってきている。
「ちーがーう! あれHP消耗するの!」
 カーブでハンドルを切る。ガタン、と車が揺れた。
 たぶん、いや間違いなく、盟子が突然切れ始めた理由を守谷は理解していない。
「ここは私の乗る席じゃないでしょ?」
「なんで? いつも乗ってるじゃん」
「お付き合いしてる茉莉花さんを乗せて差し上げるべきじゃないですか? そういうこと考えないんですか?」  
「だってまだ付き合ってないもん。次のお誘い受けただけだし」
「無理。先生なんて大っ嫌い! もうほんと降ろして!」
 自分でも、何がどうなっているのかよく解らなかった。とにかく降ろしてと叫び続け、根負けした守谷が途中の駅で遂に盟子を下ろした。
「何切れてんの? あたし何か盟子怒らせるようなことした!?」
「一緒の空気吸いたくないです。早くどっか行ってください」
 さすがに守谷も堪忍袋の緒が切れたようだった。
「あーもう意味わかんない! これだからガキって嫌!!!!!」
「どうせガキです」
「勝手にしろ!」
 夜の中に消えていくワインレッドの軽自動車を振り返りもせず、盟子は改札をくぐった。