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お見合い物語①

ー/ー



 エレガントなピンクローズが描かれた愛用のボーンチャイナに、きっちり8分目までコーヒーを注いだ。
 多すぎず少なすぎず。柔らかな乳白色と黒が交わる縁の部分がマホガニーブラウンに透ければ完璧だ。
 それをトレーに載せると、夢見心地なアロマが鼻腔をくすぐった。カップの中身だけでなく香りも含めてコーヒーなのだと、朋さんがいつも言う。

「ちょっと上まで持ってってきます」
「あ、昨日の売れ残りだけど冷蔵庫にアップルタルトが入ってるの、それも一緒にお願い。玲くん好きだから」

 ニコニコしながら盟子の癒しこと朋さんが言った。毒、という成分を本当に微量も持たない人だ。

「しつれいしま……」
 ところが。
 2階の部屋のドアをノックしようとしたところ、中が何やら騒がしい。

「はぁぁぁぁ? 何で俺なの?」

 ただならぬ剣幕の声がドアの外にも漏れている。
 独り芝居のように聞こえるそれは、どうやらこの部屋の住人が電話で話しているようだ。

「嫌だっつーの! 順番的に兄貴が先だろ! ふざっけんなよ!」
「……先生?」
「だーかーら、俺はそういうの……」

 いつもの優美なオネエ言葉がぶっ飛んでいる。盟子が顔をのぞかせると、それに気づいた守谷玲峰が慌てた顔で声のトーンを落とした。

「コーヒーできました。朋さんがケーキどうぞって……後にしますか?」
「食うわよ! そこ置いといて!」

 電話に向かっていた剣幕がこっちにまで飛び火した。とんでもなく機嫌が悪い……というかめちゃくちゃ怒っている。関わってはいけない顔だ。
 盟子はコーヒーとケーキをテーブルに置くと、逃げるように2階から退出した。



 この4月から大学生になった。

 心機一転、新たなバイトを始める……わけもなく、高校1年から続けていた風雅堂のアルバイトを継続している。週一の息抜き程度に抑えていた受験期間を経て、春になる前に復帰したのだ。

 高校を卒業した今、それがたったひとつの大切な大切な接点、だった。

 もし風雅堂をやめてしまったら、その先はどうなる? と。考えてみたことはある。
 元スタッフとしてたまには顔を出すだろう。お客さんとしても来るだろう。顔を合わせれば挨拶やおしゃべりくらいはするだろう。
 でも、先生というのは毎年百人単位で教え子が増えていくわけで、風雅堂という接点がなくなった盟子は、間違いなく卒業生の一人として彼の記憶の底に埋もれて行ってしまう。

 いつまでこの状態を維持できるのか、そうすることが許されるのか。リミットは最長でも大学生の4年間になるわけだけれど。
 今は、その接点を手放す勇気がまだない。

……とある日曜日のことだった。

 11時から風雅堂のシフトの予定だったのが、用事あるから10時にちょっと来てくれない? と前日に突然守谷に頼まれた。
 何の用事なのかというのはさて置き。本当は9時半でも9時でもいいんだけれど、しっぽ振って大喜びするわけにもいかず。えー!なんて渋々みたいな顔をして引き受けた。
 だからその日はほんの少し、普段プラスおまけくらいのちょっとだけきれいめなパンツスタイルで早めに出向き、風雅堂カフェ二階のインターホンを押した。

「開いてるから入ってー」
 マイクを無視して、中からダイレクトに声が聞こえてくる。
「入りますね」

 画材以外特に物もない質素な部屋は、大概見慣れている。あの頃から何も変わっていない。
 けれどそこに住む人は今日は何故だかいつもとは大層違う格好をして、姿見の前で絶賛ヘアセット中だった。その姿に盟子は絶句した。

「何ですかぁ? その格好」

 普段はとんでもない色合いのシャツやダメージデニムを履き崩しているくせに、今日は真っ白で皺ひとつないワイシャツとピシッとセンタープレスの入ったダークグレーのスラックスを合わせている。

「なんか変……」
「よそ行きと言って!」

 見れば定番のメイクもなく、髪の毛はフォーマル風に後ろに流して緩く固めている。普通のカッコいいお兄さん。

「見合いよ、見合い!」
「はぁ、お見合い?」

 だいぶ機嫌が悪い。
 お見合い。えーと、結婚前提のお付き合いを見込んで食事をするアレか。

……って、お見合い!?

 盟子は卒倒しそうになった。おばあちゃんの昔話くらいでしか耳にしたことのないその言葉を、まさか一番聞きそうにない人の口から聞くことになるなんて。

「こないだ盟子がコーヒー持ってきた時、親父からかかってきてたの!」
 ああ、あのブチ切れていた電話。あれは親からお見合いをしろといわれていたんだ。
「せ、先生結婚するんですか!?」
「しねーよ!」
 おかげでアップルタルトが美味しくなかった! と目の前のカッコいいお兄さんはキレ散らかしている。一瞬血の気が退いたけれど、即答されてほっとした。まさかここまで断固拒否しているのがその先どうこうなることはあり得ないだろう。
 
「あたしがこんなだから何かっつーと結婚させようとするのよ! 今時見合いで結婚なんかしねーっつーのクソオヤジが!」
 そこに父親の面影でも見たのか、鏡の中の端正な顔に向かって火を噴いている。
「それにあたし兄貴がいるんだよ? 順番的には兄貴が先なのにおかしいじゃん! ずるいじゃん! ねえ、盟子もそう思わない?」
「そ、それはそうです」
 ほらぁ! 世間一般ではやっぱりそうじゃん! とまたキレて。

「いや先生、私の意見を世の一般常識にされても……」
「やなの! 嫌だったら嫌なの!」
 下の店まで響いてそうな咆哮。ここ何年か見てきたけれど、何が嫌いってこの人は、上から何かを強要されるのが死ぬ程嫌いらしい。でも意地を張って祖父の死に目に会えなかった過去があるから断れないのを、盟子は知っている。

「……で、私はどうしましょう?」
「車、戻しといてくれない? 駅に駐車場ないし、革靴で歩くと足痛くなるんだもん」

 まだ運転に慣れない盟子を近くの駅まで同乗させ、帰り道を練習がてら運転して戻れということらしい。彼のワインレッドの軽自動車で。

「えーっ、ただ働き?」
「そこにユトリロ展のチケットがあるでしょ。帰りにパフェでも何でも奢ってあげる」

 それはつまり、守谷と二人で出かけられる、ということだった。
 同乗それ自体が報酬な上、ふっかければ更なる特典がもらえるなんて、こんなおいしい話。嬉しくてつい口角が上がってしまいそうになるのをぐっとこらえる。

 でも、わかってる。

 おそらく彼の中では、教え子にちょっと頼みごとをする、教え子を美術展に連れて行くというただそれだけなのだ。

 それでも、他の沢山の生徒達よりも、盟子がきっと一番近い位置にいる。そのことが本当は嬉しいのだけれど、悟られないようわざとパフェ目当てみたいな顔をしてみせた。



「あーあ、ほんと嫌。せっかくの日曜日なのにぃ。日給出してよー」
 ハンドルを握りながら守谷は泣きそうな顔だ。心底行きたくないらしい。

「そのキャラで行くんですか?」
「嫌だなぁ、僕は真面目でノーマルな好青年ですよ、あははは」
「無理しちゃって」
「……もうね、いっそこれで行って相手卒倒させてこようかと思うの。玲峰でぇすよろぴく! とか言って」
 でもお相手は神社関係の知り合いだとかで、それはできないらしい。

「で、お見合いしたらその先ってどうなるんですか?」
 盟子にはまだその意味がよくわからない。とりあえず嫌だ嫌だと騒いでいるから結婚ということにはならないだろうと、あまり危機感もなく。
「その先なんてないわよ。向こうに断らせたいの。こっちは断りづらい立場だから」
 達成したいのは、卒なく立ち回って好印象を与え、かつ相手に断られるという非常に高難易度のミッションらしい。
「……できるんですか、それ」
「……」

 駅ロータリーに、あっという間に到着した。

「いってらっしゃい。先生ならきっと断られますよ!」
「ありがと、玲峰頑張る! 絶対断られてくる!」

 改札を通る前に、守谷がふと一瞬立ち止まって振り向いた。心の準備なく真っ直ぐな視線を向けられて心臓がきゅっとする。

「そうそう盟子さ、車バックで戻してごらんよ?」
 そう言い残して、スタイリッシュで美しいスーツの背中は人混みに呑まれていく。まるで別人のようなその姿に、いつものあの人がちゃんとまた戻ってくるだろうかと少しだけ不安になった。

「バックで駐車、できるかな……」
 そして運転席に戻り、車のシフトレバーをドライブに入れ今来た道を辿る。
 うん、たぶんできる。
 守谷はこのあいだこのワインレッドの車の助手席に座って、バックでの駐車の仕方を丁寧に教えてくれた。一人でやったらちゃんと成功したのだ。

 でも。

 今日は駐車場には頭から入れておくことにする。まだうまくできないことにして。
 お見合いから戻った守谷は、きっとすぐにそのことに気付くだろう。そして盟子のことを思い浮かべて考えるはずだ。

 あー、もうちょっと教えてあげなきゃ、と。





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みんなのリアクション

 エレガントなピンクローズが描かれた愛用のボーンチャイナに、きっちり8分目までコーヒーを注いだ。
 多すぎず少なすぎず。柔らかな乳白色と黒が交わる縁の部分がマホガニーブラウンに透ければ完璧だ。
 それをトレーに載せると、夢見心地なアロマが鼻腔をくすぐった。カップの中身だけでなく香りも含めてコーヒーなのだと、朋さんがいつも言う。
「ちょっと上まで持ってってきます」
「あ、昨日の売れ残りだけど冷蔵庫にアップルタルトが入ってるの、それも一緒にお願い。玲くん好きだから」
 ニコニコしながら盟子の癒しこと朋さんが言った。毒、という成分を本当に微量も持たない人だ。
「しつれいしま……」
 ところが。
 2階の部屋のドアをノックしようとしたところ、中が何やら騒がしい。
「はぁぁぁぁ? 何で俺なの?」
 ただならぬ剣幕の声がドアの外にも漏れている。
 独り芝居のように聞こえるそれは、どうやらこの部屋の住人が電話で話しているようだ。
「嫌だっつーの! 順番的に兄貴が先だろ! ふざっけんなよ!」
「……先生?」
「だーかーら、俺はそういうの……」
 いつもの優美なオネエ言葉がぶっ飛んでいる。盟子が顔をのぞかせると、それに気づいた守谷玲峰が慌てた顔で声のトーンを落とした。
「コーヒーできました。朋さんがケーキどうぞって……後にしますか?」
「食うわよ! そこ置いといて!」
 電話に向かっていた剣幕がこっちにまで飛び火した。とんでもなく機嫌が悪い……というかめちゃくちゃ怒っている。関わってはいけない顔だ。
 盟子はコーヒーとケーキをテーブルに置くと、逃げるように2階から退出した。
 この4月から大学生になった。
 心機一転、新たなバイトを始める……わけもなく、高校1年から続けていた風雅堂のアルバイトを継続している。週一の息抜き程度に抑えていた受験期間を経て、春になる前に復帰したのだ。
 高校を卒業した今、それがたったひとつの大切な大切な接点、だった。
 もし風雅堂をやめてしまったら、その先はどうなる? と。考えてみたことはある。
 元スタッフとしてたまには顔を出すだろう。お客さんとしても来るだろう。顔を合わせれば挨拶やおしゃべりくらいはするだろう。
 でも、先生というのは毎年百人単位で教え子が増えていくわけで、風雅堂という接点がなくなった盟子は、間違いなく卒業生の一人として彼の記憶の底に埋もれて行ってしまう。
 いつまでこの状態を維持できるのか、そうすることが許されるのか。リミットは最長でも大学生の4年間になるわけだけれど。
 今は、その接点を手放す勇気がまだない。
……とある日曜日のことだった。
 11時から風雅堂のシフトの予定だったのが、用事あるから10時にちょっと来てくれない? と前日に突然守谷に頼まれた。
 何の用事なのかというのはさて置き。本当は9時半でも9時でもいいんだけれど、しっぽ振って大喜びするわけにもいかず。えー!なんて渋々みたいな顔をして引き受けた。
 だからその日はほんの少し、普段プラスおまけくらいのちょっとだけきれいめなパンツスタイルで早めに出向き、風雅堂カフェ二階のインターホンを押した。
「開いてるから入ってー」
 マイクを無視して、中からダイレクトに声が聞こえてくる。
「入りますね」
 画材以外特に物もない質素な部屋は、大概見慣れている。あの頃から何も変わっていない。
 けれどそこに住む人は今日は何故だかいつもとは大層違う格好をして、姿見の前で絶賛ヘアセット中だった。その姿に盟子は絶句した。
「何ですかぁ? その格好」
 普段はとんでもない色合いのシャツやダメージデニムを履き崩しているくせに、今日は真っ白で皺ひとつないワイシャツとピシッとセンタープレスの入ったダークグレーのスラックスを合わせている。
「なんか変……」
「よそ行きと言って!」
 見れば定番のメイクもなく、髪の毛はフォーマル風に後ろに流して緩く固めている。普通のカッコいいお兄さん。
「見合いよ、見合い!」
「はぁ、お見合い?」
 だいぶ機嫌が悪い。
 お見合い。えーと、結婚前提のお付き合いを見込んで食事をするアレか。
……って、お見合い!?
 盟子は卒倒しそうになった。おばあちゃんの昔話くらいでしか耳にしたことのないその言葉を、まさか一番聞きそうにない人の口から聞くことになるなんて。
「こないだ盟子がコーヒー持ってきた時、親父からかかってきてたの!」
 ああ、あのブチ切れていた電話。あれは親からお見合いをしろといわれていたんだ。
「せ、先生結婚するんですか!?」
「しねーよ!」
 おかげでアップルタルトが美味しくなかった! と目の前のカッコいいお兄さんはキレ散らかしている。一瞬血の気が退いたけれど、即答されてほっとした。まさかここまで断固拒否しているのがその先どうこうなることはあり得ないだろう。
「あたしがこんなだから何かっつーと結婚させようとするのよ! 今時見合いで結婚なんかしねーっつーのクソオヤジが!」
 そこに父親の面影でも見たのか、鏡の中の端正な顔に向かって火を噴いている。
「それにあたし兄貴がいるんだよ? 順番的には兄貴が先なのにおかしいじゃん! ずるいじゃん! ねえ、盟子もそう思わない?」
「そ、それはそうです」
 ほらぁ! 世間一般ではやっぱりそうじゃん! とまたキレて。
「いや先生、私の意見を世の一般常識にされても……」
「やなの! 嫌だったら嫌なの!」
 下の店まで響いてそうな咆哮。ここ何年か見てきたけれど、何が嫌いってこの人は、上から何かを強要されるのが死ぬ程嫌いらしい。でも意地を張って祖父の死に目に会えなかった過去があるから断れないのを、盟子は知っている。
「……で、私はどうしましょう?」
「車、戻しといてくれない? 駅に駐車場ないし、革靴で歩くと足痛くなるんだもん」
 まだ運転に慣れない盟子を近くの駅まで同乗させ、帰り道を練習がてら運転して戻れということらしい。彼のワインレッドの軽自動車で。
「えーっ、ただ働き?」
「そこにユトリロ展のチケットがあるでしょ。帰りにパフェでも何でも奢ってあげる」
 それはつまり、守谷と二人で出かけられる、ということだった。
 同乗それ自体が報酬な上、ふっかければ更なる特典がもらえるなんて、こんなおいしい話。嬉しくてつい口角が上がってしまいそうになるのをぐっとこらえる。
 でも、わかってる。
 おそらく彼の中では、教え子にちょっと頼みごとをする、教え子を美術展に連れて行くというただそれだけなのだ。
 それでも、他の沢山の生徒達よりも、盟子がきっと一番近い位置にいる。そのことが本当は嬉しいのだけれど、悟られないようわざとパフェ目当てみたいな顔をしてみせた。
「あーあ、ほんと嫌。せっかくの日曜日なのにぃ。日給出してよー」
 ハンドルを握りながら守谷は泣きそうな顔だ。心底行きたくないらしい。
「そのキャラで行くんですか?」
「嫌だなぁ、僕は真面目でノーマルな好青年ですよ、あははは」
「無理しちゃって」
「……もうね、いっそこれで行って相手卒倒させてこようかと思うの。玲峰でぇすよろぴく! とか言って」
 でもお相手は神社関係の知り合いだとかで、それはできないらしい。
「で、お見合いしたらその先ってどうなるんですか?」
 盟子にはまだその意味がよくわからない。とりあえず嫌だ嫌だと騒いでいるから結婚ということにはならないだろうと、あまり危機感もなく。
「その先なんてないわよ。向こうに断らせたいの。こっちは断りづらい立場だから」
 達成したいのは、卒なく立ち回って好印象を与え、かつ相手に断られるという非常に高難易度のミッションらしい。
「……できるんですか、それ」
「……」
 駅ロータリーに、あっという間に到着した。
「いってらっしゃい。先生ならきっと断られますよ!」
「ありがと、玲峰頑張る! 絶対断られてくる!」
 改札を通る前に、守谷がふと一瞬立ち止まって振り向いた。心の準備なく真っ直ぐな視線を向けられて心臓がきゅっとする。
「そうそう盟子さ、車バックで戻してごらんよ?」
 そう言い残して、スタイリッシュで美しいスーツの背中は人混みに呑まれていく。まるで別人のようなその姿に、いつものあの人がちゃんとまた戻ってくるだろうかと少しだけ不安になった。
「バックで駐車、できるかな……」
 そして運転席に戻り、車のシフトレバーをドライブに入れ今来た道を辿る。
 うん、たぶんできる。
 守谷はこのあいだこのワインレッドの車の助手席に座って、バックでの駐車の仕方を丁寧に教えてくれた。一人でやったらちゃんと成功したのだ。
 でも。
 今日は駐車場には頭から入れておくことにする。まだうまくできないことにして。
 お見合いから戻った守谷は、きっとすぐにそのことに気付くだろう。そして盟子のことを思い浮かべて考えるはずだ。
 あー、もうちょっと教えてあげなきゃ、と。