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いつか、そこまで届きたい。

ー/ー



 年が明けてからこっち、ずっとからりとしていた。お正月はいつもそんな天気だ。
 新年の空気がまだまだ燻っている1月4日の早朝、友達と買い物に行くという口実で盟子は家を出た。買い物にしては時間が早すぎる上、やたらと着込んでいるのを訝しまれなかったかちょっと心配だ。

 行き先は冷え込むはず。多分、ここより5℃くらいは。

 だからズボンの下には厚手のタイツを履いて足元は温かいブーツにした。
 黒のコートを着込んで、たっぷりしたチェック柄のストールを巻き付ける。ポケットにはカイロを二つ忍ばせた。防寒と見た目の間をとったギリギリのライン。寒いからと言ってあまりにもモサっとした格好で行きたくはない。

 買い物客で賑わう駅前を身軽にすり抜け、盟子は一人きりで下りの電車に乗り込んだ。本当の目的は買い物なんかじゃない。

 そうしてのんびり2時間近く電車に揺られて降り立った十峰(とおみね)の駅は、金属的に冷え込んでいた。
 顔を上げれば、青々とした冬晴れの空を背景に、冷気に煙る山々が連なっている。十峰と言われる所以だ。

 そこからバスとケーブルカーを乗り継いで、盟子は十峰山の中腹に降り立った。
 山頂の神社に向かう人の流れに続いて参道を踏みしめる。夏に神楽を見に来た夜よりかははるかに活気がある。空気は下界よりも更に冷たく、常緑樹の影になっているところは雪が固まっている。
 大鳥居、随身門とくぐって境内に足を踏み入れると、中は参拝客でにぎわっていた。聖域の気配と山を巡る清冽な風を感じながら、盟子も拝殿へと続く列に並んだ。

「そろそろ、かな……」

 参拝を終えて時計を見ると、あと20分。初舞は11時から始まるという。
 人の多い拝殿付近を避けて社務所の脇で待つ。甘酒のカップでかじかんだ指に暖を取り、一口すすると甘さと温かさが内臓にじわっと沁みた。

「そこ寒いじゃない? ここ、中入って待ってていいよ」
 ふいに後ろから声をかけられて振り返る。
 そこには煌びやかな立涌(たてわく)文様の狩衣姿の人が立っていた。金襴がまぶしい。やっぱり派手なのがよく似合う。いつもはお洒落にアレンジしている緩いウエーブの髪を、今日はびしっとまとめて後ろに流している。ノーメイクだと端正で涼やかな青年でしかない。
 もう見慣れたと思っているのに、その姿を見るとやっぱり鼓動が早くなってしまう。

「ぜーんぜん。楽しみにしてましたから」
「嘘だぁ、寒そう……ほら、冷えてる!」
 指先を握られて、心臓が飛び出そうになった。温かくてきれいな手。
「あーあ、せっかくの正月休みなのに朝からとかあり得なーい」
 とかなんとかぼやきながらも、守谷の表情は晴れやかだった。

 今日はこれから約束が叶う。
 後ろ向きに検討されていたという、遠峰神社の神楽殿で舞うところを見せてもらうという、夏のあの約束が。

「あ、どっかそのへんに健人いるよ。神楽を課題のテーマにしたいんだって。どんなアニメ出来上がってくるかめっちゃ楽しみじゃない?」
 古い絵巻物にでも登場しそうななりのくせに、今度うちで試写会しよ? とはしゃいでいるその姿は通常モードのままで、なんだか不思議。

「帰り、車で拾ってくから。ケーブル降りたとこで健人と待ってな」
「いえ、今回こそは自力で帰ります」
「歩いて帰るから放っといてください! とか言ってる子いたよねぇそいえば」
 扇を口元に当てて、平安貴族のように守谷がケラケラと笑った。
「頼むから乗って、って言ってる人もいましたよね」
「いいからせんせぇの言うこと聞くの! せんせぇは偉いんだから!」
 返事に困ると時々登場する「せんせぇ」。女神になったり貴族になったり美術の先生になったりと忙しい人だ。
 


 冬晴れの陽光が降り注いでも、境内はやっぱり寒かった。
 開け放たれた神楽殿も然りで、あまり効果のないストーブ二台がフル稼働する中、手に白い息を吹きかけながらの観劇となった。それでも楽の音が聞こえると、抗いようもなく心が誘われていく。

 やっぱり好きだなぁ、と思う。
 神楽を見ているのが純粋に好き。ふと見かけた神社の由緒なんかを、気が付けば熱心に読んでいたりする。日本神話、歴史、民俗史、図書館に行くと無意識にそのあたりを歩いている。きっかけが守谷だったのは確かだけれど、もともと自分の中に埋もれていたものを発掘した感がある。それは嬉しい発見だった。

 程なくして、翁の面をつけた舞い手が一人登場した。神前を清める奉幣の舞だ。それは短く終わり、今度は扇と剣を携えた舞い手が登場してきた。

 初めは緩やかに悠然と。やがて激しさを増して。
 三柱の舞い狂う神の中に、さっきの立涌金襴の狩衣が見える。

 大地を揺るがすような大股の歩を繰り出すかと思えば、ひたと静止する。髪振り乱してあたりを睥睨し、今度は軽やかに身を翻す。剣を振りかざして高く跳ねる。跳躍が高い。舞い始めた守谷玲峰は神様になる。

 その姿に、この社の歴史が重なって見えた。
 神楽の舞は(いにしえ)より伝わる祈りの型。それは美しく高雅で、けれど同時に逃れようもなく厳かで重たくて。
 
 だから気が気じゃない。
 高く跳んでいつか、神話世界に帰ってしまうんじゃないか、と。玲峰先生は近いけれどやっぱり遠い。

 真っ白な道がある。
 五色緒を靡かせた神楽鈴が、その先々まで涼やかに浄化の音を響かせている。悠遠のかなたに佇むあなたを、どうか見失わないように。そう祈って瞬きも忘れて見入っていたら、その姿が、その輪郭が、目と心にどうしようもなく焼き付いて痛い。

 ――ねえ先生、待って、行かないで。

 思わずそう願ってしまってから盟子は慌てて否定した。
 嘘ですごめんなさい。待ってだなんて、そんなおこがましいことは言いません。
 でもせめて、気付かれなくても、遠くても。願うだけなら許されますか。

 私もいつか、
 いつか、そこまで届きたい、

 って。


【了】

わたくしめの拙い作品を読了くださった読者様、どうもありがとうございました。
今更ですが、未知春生作品は流行に背を向けラブラブ、甘々、濡れ場などの一切をぶった切った微糖もしくは無糖の青春ものになります。もしそのへん期待されていた方がいらっしゃったら大変×100申し訳ございません。
実はこのあと、ちょっとしたその後ストーリーなどの準備もございます。需要がありそうでしたらここに続けて公開するかもしれません。
改めまして、ここまで読んでくださった読者様には心より御礼申し上げます。
未知春生



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 年が明けてからこっち、ずっとからりとしていた。お正月はいつもそんな天気だ。
 新年の空気がまだまだ燻っている1月4日の早朝、友達と買い物に行くという口実で盟子は家を出た。買い物にしては時間が早すぎる上、やたらと着込んでいるのを訝しまれなかったかちょっと心配だ。
 行き先は冷え込むはず。多分、ここより5℃くらいは。
 だからズボンの下には厚手のタイツを履いて足元は温かいブーツにした。
 黒のコートを着込んで、たっぷりしたチェック柄のストールを巻き付ける。ポケットにはカイロを二つ忍ばせた。防寒と見た目の間をとったギリギリのライン。寒いからと言ってあまりにもモサっとした格好で行きたくはない。
 買い物客で賑わう駅前を身軽にすり抜け、盟子は一人きりで下りの電車に乗り込んだ。本当の目的は買い物なんかじゃない。
 そうしてのんびり2時間近く電車に揺られて降り立った|十峰《とおみね》の駅は、金属的に冷え込んでいた。
 顔を上げれば、青々とした冬晴れの空を背景に、冷気に煙る山々が連なっている。十峰と言われる所以だ。
 そこからバスとケーブルカーを乗り継いで、盟子は十峰山の中腹に降り立った。
 山頂の神社に向かう人の流れに続いて参道を踏みしめる。夏に神楽を見に来た夜よりかははるかに活気がある。空気は下界よりも更に冷たく、常緑樹の影になっているところは雪が固まっている。
 大鳥居、随身門とくぐって境内に足を踏み入れると、中は参拝客でにぎわっていた。聖域の気配と山を巡る清冽な風を感じながら、盟子も拝殿へと続く列に並んだ。
「そろそろ、かな……」
 参拝を終えて時計を見ると、あと20分。初舞は11時から始まるという。
 人の多い拝殿付近を避けて社務所の脇で待つ。甘酒のカップでかじかんだ指に暖を取り、一口すすると甘さと温かさが内臓にじわっと沁みた。
「そこ寒いじゃない? ここ、中入って待ってていいよ」
 ふいに後ろから声をかけられて振り返る。
 そこには煌びやかな|立涌《たてわく》文様の狩衣姿の人が立っていた。金襴がまぶしい。やっぱり派手なのがよく似合う。いつもはお洒落にアレンジしている緩いウエーブの髪を、今日はびしっとまとめて後ろに流している。ノーメイクだと端正で涼やかな青年でしかない。
 もう見慣れたと思っているのに、その姿を見るとやっぱり鼓動が早くなってしまう。
「ぜーんぜん。楽しみにしてましたから」
「嘘だぁ、寒そう……ほら、冷えてる!」
 指先を握られて、心臓が飛び出そうになった。温かくてきれいな手。
「あーあ、せっかくの正月休みなのに朝からとかあり得なーい」
 とかなんとかぼやきながらも、守谷の表情は晴れやかだった。
 今日はこれから約束が叶う。
 後ろ向きに検討されていたという、遠峰神社の神楽殿で舞うところを見せてもらうという、夏のあの約束が。
「あ、どっかそのへんに健人いるよ。神楽を課題のテーマにしたいんだって。どんなアニメ出来上がってくるかめっちゃ楽しみじゃない?」
 古い絵巻物にでも登場しそうななりのくせに、今度うちで試写会しよ? とはしゃいでいるその姿は通常モードのままで、なんだか不思議。
「帰り、車で拾ってくから。ケーブル降りたとこで健人と待ってな」
「いえ、今回こそは自力で帰ります」
「歩いて帰るから放っといてください! とか言ってる子いたよねぇそいえば」
 扇を口元に当てて、平安貴族のように守谷がケラケラと笑った。
「頼むから乗って、って言ってる人もいましたよね」
「いいからせんせぇの言うこと聞くの! せんせぇは偉いんだから!」
 返事に困ると時々登場する「せんせぇ」。女神になったり貴族になったり美術の先生になったりと忙しい人だ。
 冬晴れの陽光が降り注いでも、境内はやっぱり寒かった。
 開け放たれた神楽殿も然りで、あまり効果のないストーブ二台がフル稼働する中、手に白い息を吹きかけながらの観劇となった。それでも楽の音が聞こえると、抗いようもなく心が誘われていく。
 やっぱり好きだなぁ、と思う。
 神楽を見ているのが純粋に好き。ふと見かけた神社の由緒なんかを、気が付けば熱心に読んでいたりする。日本神話、歴史、民俗史、図書館に行くと無意識にそのあたりを歩いている。きっかけが守谷だったのは確かだけれど、もともと自分の中に埋もれていたものを発掘した感がある。それは嬉しい発見だった。
 程なくして、翁の面をつけた舞い手が一人登場した。神前を清める奉幣の舞だ。それは短く終わり、今度は扇と剣を携えた舞い手が登場してきた。
 初めは緩やかに悠然と。やがて激しさを増して。
 三柱の舞い狂う神の中に、さっきの立涌金襴の狩衣が見える。
 大地を揺るがすような大股の歩を繰り出すかと思えば、ひたと静止する。髪振り乱してあたりを睥睨し、今度は軽やかに身を翻す。剣を振りかざして高く跳ねる。跳躍が高い。舞い始めた守谷玲峰は神様になる。
 その姿に、この社の歴史が重なって見えた。
 神楽の舞は| 古 《いにしえ》より伝わる祈りの型。それは美しく高雅で、けれど同時に逃れようもなく厳かで重たくて。
 だから気が気じゃない。
 高く跳んでいつか、神話世界に帰ってしまうんじゃないか、と。玲峰先生は近いけれどやっぱり遠い。
 真っ白な道がある。
 五色緒を靡かせた神楽鈴が、その先々まで涼やかに浄化の音を響かせている。悠遠のかなたに佇むあなたを、どうか見失わないように。そう祈って瞬きも忘れて見入っていたら、その姿が、その輪郭が、目と心にどうしようもなく焼き付いて痛い。
 ――ねえ先生、待って、行かないで。
 思わずそう願ってしまってから盟子は慌てて否定した。
 嘘ですごめんなさい。待ってだなんて、そんなおこがましいことは言いません。
 でもせめて、気付かれなくても、遠くても。願うだけなら許されますか。
 私もいつか、
 いつか、そこまで届きたい、
 って。
【了】
わたくしめの拙い作品を読了くださった読者様、どうもありがとうございました。
今更ですが、未知春生作品は流行に背を向けラブラブ、甘々、濡れ場などの一切をぶった切った微糖もしくは無糖の青春ものになります。もしそのへん期待されていた方がいらっしゃったら大変×100申し訳ございません。
実はこのあと、ちょっとしたその後ストーリーなどの準備もございます。需要がありそうでしたらここに続けて公開するかもしれません。
改めまして、ここまで読んでくださった読者様には心より御礼申し上げます。
未知春生