外に出ると遠くからゴロゴロと不機嫌な空の声が聞こえてくる。降ってくる前には帰れそうだけど昼のデートは雨の中だ。でも、きっとファミレスに入るだろうから大丈夫だろう。
神聖力のチャージを済ませて自転車の鍵を挿した私は、どうしても気になっていたことを確認するためにスマホを開いた。
あれから二十分。サーラちゃんはまだログインしていない。不安に掻き立てられるなか、もうひとり検索するべき者の確認はせずに女神の名を呼んだ。
「アドミス!」
車から降りてきた人が驚いて振り向くほどの声になった。その数秒後、いつものような音を鳴らしてアドミスが現れる。
「おはようございます、女神ヒナコ。昨夜はログインせずに寝てしまったんですね」
「そんなのどうでもいいでしょ」
「ハヤトさんにとってはどうでもいい問題ではないと思いますよ」
「だから朝からログインした。だけど、ハヤトのところには出なかった。宿で寝てるなら扉の前じゃなかった?!」
「そうです。ですがハヤトさんはダンジョンの中ですから」
「谷間のダンジョンに入ったの?」
「入りましたよ。昨夜サーラさんと」
「昨夜? サーラちゃんと?」
「それと、ダンジョン入り口で誘ってきた二人組のプレイヤーとです」
プレイヤーとパーティーを組むなんてめずらしい。あの日以来サーラちゃん以外の人とは組んだことがなかったのに。
「互いが求める条件が合致したことから一緒にダンジョンに挑むことになりました。攻略は滞りなく進み、いざボス戦になったんですけど……」
アドミスは意味深に言葉を切った。
「何よ」
「いえね、ひとりのプレイヤーが電話に出たんですよ。戦闘中にですよ。それもベラベラと喋り散らかして。命の懸かった戦いを汚す行為にワタシは不快感を覚えました」
それはたしかに不快だ。
「ハヤトさんが『電話はあとにして集中してくれ』って言ったら、『ちょっとくらいいいじゃん』とか言って少し口論になったんです。あげくにその人はやられちゃいました」
「アホでしょ!」
「ですよね。そしたらですね、その友人がヤル気を無くしちゃって。『やり直す』ってログアウトっていうか、電源を落としたんです。迷惑な話でしょ?」
それは一緒にプレイしたくない典型的な迷惑プレイヤーだ。
「取り残されたあとのハヤトさんが凄くって。火事場のなんとやらですね。本気出したらこんなに強いのかって驚きました。同レベル帯では考えられない強さでボスと戦い…………死にました」
「死ん……だ?」
「戦いの末に死にました。最後はサーラさんを守りながら。結局サーラさんもやられてしまいましたけどね。いやぁ、あの熱い戦いに魂の輝きを見ましたよ。誰かのために力を発揮する。期待以上です。サーラさんからもハヤトさんを想う強い感情が伝わってきました」
今、死んだって言った? 隼人が? 私が寝ているあいだに? 電話をしながら戦ってた? 仲間が死んだら電源切るってどういうこと?
「ヒナコさん、聞いてますか?」
アドミスが何か言ってるようだけど頭には入ってこない。私はアプリを使い、これまで避けていたハヤトのIDを検索した。だけど、引っかからない。もちろんログアウトしたというわけではない。
「道半ばで倒れてしまうことはありますけど、まさかあんなことになるとは。カレならばワタシの期待に応えてくれるんじゃないかって思えるようになった矢先に……。こういった外的要因で失われたのは残念です。ということで、今後の」
アドミスの声が耳にうるさく、私はスマホを切ってポケットに突っ込んだ。
気付けば自転車を押して家に向かっていた。私はちゃんと赤信号で止まっていたのだろうか? 何時間も歩いていたわけはないだろうけど、正午を前にして空は真っ暗だった。ゴロゴロと鳴るこの音は最近何度か聞いている。フロンティアで私が使った女神の御業だ。
そんなことを考えながら空を見上げていると、覚えのある声で名前が呼ばれた。
「日奈子さん」
視線を下ろした歩道の先で手を振っている女の子がいる。チラチラと信号機を見ているその子は青に変わると同時に駆け寄ってきた。
「久しぶりー!」
彼女は隼人と私の幼馴染の絵美ちゃんだ。
「さっき家に行ったんです。隼人のヤツ、何度連絡しても返事しないんですよ。夏休みの課題を全部終わらせたら映画に行こうなんて言ってたから、頑張って終わらせたのに。って、どうしたんですか?!」
「どうしたって、何が?」
こう聞き返すと、彼女は少し気まずそうに言った。
「涙が……」
「え?」
「何かあったんですか?」
こう聞かれたことで、私の頭に隼人の死が蘇ってきた。
なんで隼人は死んでしまったのか。あの子との恋が成就しなかったからか。ハヤトのほうが楽しんでるって嫉妬したからか。私が自分の恋を優先したからか。具合が悪いからって寝てしまったからか。
「あぁぁ、あぁぁぁぁ、あぁぁぁぁぁん」
「日奈子さん?! ちょっと。なんで。えぇぇぇぇ?!」
途端にボツ、ボツと、黒々と空を覆う雲から大粒の雨が降り出した。
「降ってきちゃったぁ」
絵美ちゃんは傘をさして私の上に広げてくれた。だけど、小石のように傘を叩く雨水が、あっと言う間に歩道を川にしてしまう。その雨量の前では傘など有って無いようなもので、私たちはずぶ濡れになった。
「日奈子さん、行きましょう」
涙雨とでも言うのだろうか。稀に見る豪雨が私の悲しみを表している。
絵美ちゃんに支えられながら歩いてきた私は、川にでも落ちたような状態で家に着いた。
「あぁぁ、びっしょりだ。風邪ひかないように早くシャワーでも浴びてください」
玄関まで連れてきてくれた絵美ちゃんは門を出てから振り向いた。
「隼人が帰ってきたら返事よこせって伝えてください。それと、あたしにできることがあれば相談に乗りますから言ってください」
そう言って、どしゃぶりの雨の中を走っていってしまった。
「その隼人はもう帰ってこないのよ」
シャワーを済ませたところで頭痛が強くなった私は、出口のない思考に疲れた頭を休めようとベッドに横になった。