こんな、はじまり。
ー/ー あれは、12月に入って間もない頃だったと思う。
土曜日の昼下がり、リビングでのんびりお茶を飲んでいたら、トオルさんからのメッセージが入った。
「美月ちゃん、今何してる?バイト終わってのんびりかな?」
「俺はパソコン見に来てて、高スペックの奴気に入ったんだけど、どうしようかなって思って」
楽し気なトオルさんのメッセージに、あたしの口元もほころぶ。
ところが、その後にとんでもない言葉をあの人は打って来た。
「結婚するからさあ」
え?
あたしは固まった。
結婚?
てか、トオルさん、彼女、いたんだ。全然知らなかったけど。
「あれ?美月ちゃん、どうかした?」
能天気なトオルさんのメッセージが続く。
「えっと」
あたしはようやくメッセージを打ち込む。
「トオルさん、彼女いたんだ」
すると、
「なにいうてまんねん!」
大阪のおっちゃんのスタンプが飛んできた。
「だって、今、結婚するからさあって」
今度はトオルさんが沈黙する。
ややあって、
「あっ、ごめん、打ち間違えたwwww」
「何だよ結婚って。結構するからって、あ、パソコンの値段の話」
・・・なんだ、打ち間違いか。びっくりさせないでよ。
「トオルさん、打ち間違えなんて珍しい」
「ごめんごめん。何で間違ったんだか自分でもイミフ」
「www」
「www」
和やかにメッセージのやり取りが続いた後、トオルさんはこんな言葉を漏らした。
「でもさあ、今年、高校の同期が結婚したんだよ。俺たちもそんな年頃かあって思って」
「俺もそろそろ、先のことを考えないといけないのかなあ、なんて思っちゃったよ」
えっ。
あたしは、自分のハートがちくちくと痛むのを感じて、ぎゅっと胸元を抑えた。
トオルさんの家はあたしの家から5分程の所にあって、あたし達は小さい頃からの顔なじみだ。
但し、あたしとトオルさんは年が6つも離れているせいか、あまり一緒に遊んだ記憶はない。
あたしにとってのトオルさんは「近所に住んでいる年上のお兄ちゃん」であり、
トオルさんにとってのあたしは「近所に住んでいる小さな女の子」
それ以上でもそれ以下でもない、そんな関係だった。
だけど、高校3年の受験期、あたしは思うように成績が伸びなくて、酷く落ち込んでいた時期があった。
それを見かねた母が、当時大学院に在籍していたトオルさんに声を掛けてくれた。
と言うのも、母とトオルさんとこのお母さんは昔からとっても仲良しで、懇意にしているご近所さんの息子なら、よもやあたしに妙な真似はしないだろう。との読みもあったと思う。
「悪いけど、ご近所の誼で美月の勉強、見てあげてくれない?ちゃんとお礼するから」
トオルさんは「俺で良ければ」と、二つ返事で引き受けてくれた。
「美月ちゃん。数学が苦手って聞いたけど?」
開口一番、トオルさんは切れ味鋭く突っ込んできた。
「あ、はい・・・高校に入ってから、ついていけなくなっちゃったんです」
あたしが背中を丸めてぼそぼそと答えると、
「美月ちゃん。固いねえ」
トオルさんは明るく声を掛けてきた。
「昔からの顔なじみなんだし、敬語、いらないよ。もっとリラックスしよ」
顔を上げると、そこには年上の男性の素敵な笑顔があった。
とくん。
あたしの心臓が、小さく跳ねた。
「ところで、美月ちゃん。次の日曜、ヒマ?」
トオルさんのメッセージがあたしの思考を遮った。
「うん。午前中はバイトだけど、午後なら空いてる」
平静を装ってメッセージを返す。
「そっか。良かったら、晩ご飯食べに行こうよ。俺、ボーナス入ったし御馳走する」
え・・・。
さっきの発言の後に、デートの誘い?
ちょ、ちょっと待ってよ。
あたしはトオルさんの真意を計りかねて、戸惑った。
でも。何だか、嬉しくもあった。
・・・とっても複雑な気分。
「え、でも、何か悪いよ」
あたしが遠慮すると、
「俺に任せな!」
今度はいなせなお兄さん風のスタンプが飛んできた。
・・・何でここでこのスタンプ?
「美月ちゃん、20歳になったし、ちょっとお酒が飲めて、料理がおいしいところにしようか。俺、探しておくから」
「それじゃ!」
この日のトオルさんのメッセージは、ここで終わった。
その日からデート当日まで、あたしの心は「もしかして」と「いやいやそんなことは」の間でメトロノームのようにぶんぶんと揺れまくっていた。
だって、トオルさんは26歳の大人の男性で。
きっと、友達にも、会社の同僚にも、素敵な女性はたくさんいて。
それに引き換え、あたしはただの幼馴染で。
お酒が飲める年齢にはなったけど、中身は恋愛の機微さえわからない子供で。
「美月、さっきからぼーっとしてどうしたの?」
親友の舞子は心配顔であたしを覗き込む。
「えっ、あっ」
あたしは咄嗟に笑顔を作って、
「うん、ちょっと、考え事」
ぎこちなくナポリタンを口に運ぶ。
「何、その意味深な態度。言いなさいよ」
舞子は冗談めかしてあたしに迫る。
それであたしは、仲のいい舞子になら話してもいいかな、なんて気になって。
「うん・・・あのね」
舞子に、トオルさんのことを打ち明け始めた。
「そっかー、美月にそんなロマンスがあったのかあ」
舞子は満面の笑顔で、大袈裟にうんうんと頷いて見せる。
「美月。それ、完全に脈あり!頑張れ!」
舞子は力強くサムズアップして、あたしを励ましてくれた。
・・・やだ、その気になっちゃうじゃない・・・。
あたしは舞子の励ましを嬉しく思いながらも、全面的に浮かれることも出来ずに曖昧な笑顔を浮かべるだけだった。
デートの当日。
バイトから帰ったあたしは、昼ごはんもそこそこにデートに着ていく洋服選びに没頭した。
目一杯おしゃれする?
いやいや、それ、あざとすぎるでしょ。
でも、普通の服じゃあトオルさんに失礼かな?
ちょっと可愛いのにしようかな。
迷いに迷った挙句、あたしはざっくり編みの白のセーターとひざ丈の赤のタータンチェックのスカートを選んだ。
これに毛糸の帽子とチャコールのウールのコートを合わせれば、きっといい感じになる、はず。
「よし」
あたしは選んだ服を眺めながら、小さく頷いた。
待ち合わせ場所には、あたしが先に到着した。
時計を見ると、約束の時間の10分前だ。
昼間は割と暖かったのに、日が暮れると季節らしい寒さが戻って来た。
あたしは肩をすぼめて、手袋をした両手をコートの袖にしまい込んだ。
「美月ちゃん。ごめん、待たせた?」
向こうから、足を速めてトオルさんが近づいてきた。
今日のトオルさんは、いつものラフなジーンズ姿ではなく、黒いコートとグレーのウールのズボン姿だ。
・・・その姿を見たあたしは思わずドキッとして、ただ首を横に振るしなかった。
「寒いね。早く店に入って暖まろう」
トオルさんはにっこりと微笑むと、あたしを優しくエスコートしてくれた。
あたしの心臓が、とくんとくんと小さく跳ね続けている。
・・・どうしよう。
トオルさんが選んだお店は、スペインバルだった。
ワインとピンチョスという小皿料理が自慢のお店らしい。
「美月ちゃんは普段どんなの飲むの?」
「あんまりお酒強くないから、サワーぐらい」
「そっか。サングリア、美味しいんだけど、挑戦してみる?」
「あ、うん」
トオルさんは小さく笑うと、てきぱきと注文を済ませた。
サングリアはフルーツがたくさん入ったピッチャーで供され、ピンチョスも次々とテーブルに載せられた。
「うわあ、すごい。みんな美味しそう!」
あたしが目を輝かせると、トオルさんは満足そうに頷いた。
「ここの料理、マジ美味いんだよ。遠慮しないでどんどん食べて」
トオルさんはグラスにサングリアを注ぐと、あたしの前に置いた。
「えーと、特に何もないけど、乾杯しよっか」
あはは、と笑うトオルさんの顔を見て、あたしは確信した。
ああ、あたし、本当にこの人のことが、好きなんだな・・・・って。
美味しいお酒と気の利いた料理。そして、目の前には好きな人の笑顔。
まだ、好きとも伝えていないし、トオルさんの気持ちもわからない。
それでも。
あたしは、幸せな気持ちで一杯だった。
お店を出たあたし達は、酔い覚ましをかねて街をそぞろ歩きした。
街路樹には小さなLEDライトが巻き付けらえて、ちょっとしたイルミネーションになっている。
ふふっ、いい雰囲気。
ほろ酔い気分のあたしは、小さく口元を綻ばせた。
そして。
お店では饒舌だったトオルさんは、どういうわけか無口になっていた。
「?」
そのことに気付いたあたしが見上げると、トオルさんは何だか難しい顔でただ前を向いている。
「トオルさん、どうしたの?」
おずおずと問いかけると、トオルさんは、はっ、としたようにあたしに視線を投げた。
「え、えっと・・・」
トオルさんは口籠った。
落ち着かない様子で前髪を弄り出す。
トオルさん、どうしたんだろ。
あたしは、きょとん、とその様子を見守っていた。
「み、美月ちゃん」
ややあって、トオルさんは少し顔を赤らめてあたしに向き直った。
「え、えと、もうすぐ、クリスマス、だよね」
「うん」
あたしが小さく頷くと、トオルさんの顔が更に赤くなった。
そして、口元をぷるぷると震わせながら、ぼそぼそとした声で、こう言った。
「あ、あの、今年のクリスマス、俺にくれない?」
「えっ・・・?」
「あ、いや・・・あっ、無理だよね、美月ちゃん可愛いし、クリスマスは、予定あるよね、あはは、そりゃそうだよな」
トオルさんは慌しく自己完結しようとしている。
「ごめん、今、俺、変なこと言っちゃったよね。気にしないで」
トオルさんのぎこちない笑顔。
ちっとも変なことじゃないよ、トオルさん。
でも・・・あんまりにも、突然じゃない?
だって、
『クリスマスを俺にくれない?』
なんて。
・・・・。
あたしはその言葉の破壊力に、恥ずかしくなって俯いた。
「!ご、ごめん、美月ちゃん」
トオルさんは酷く慌てている。
もしかしたら、あたしを泣かせたと思ったのかな。
あたしは、真っ赤になっている顔を見られるのがちょっと嫌だっただけなの。
それで、あたしは、やっとの思いで声を出した。
「トオルさん。あのね」
あたしの消え入りそうな声に、トオルさんは小さく息を呑んだ。
「あたし、今年のクリスマスは、家族で過ごそうと思ってたの・・・だけど・・・トオルさんと過ごせるなら・・・」
あたしは、心臓がどうにかなりそうだったけど、勇気をもってそのことを伝えた。
「・・・」
トオルさんは再び黙り込んだ。
あたしはどうしたらいいのかわからず、ただ俯いていた。
「美月ちゃん、ありがと」
トオルさんはしみじみと落ち着いた声で、ようやく口を開いた。
顔を上げると、トオルさんは本当に優しい顔であたしを見つめていた。
「トオルさん・・・」
「いい店、探しとく。クリスマス、一緒に楽しもう」
そう言って、トオルさんはあたしに右手を差し出した。
あたしは右手の手袋を外すと、おそるおそるその手を握った。
初めて触ったトオルさんの手は、大きくてちょっと冷たかった。
この日、あたし達の恋物語はゆっくりと船出したのだった。
おわり。
土曜日の昼下がり、リビングでのんびりお茶を飲んでいたら、トオルさんからのメッセージが入った。
「美月ちゃん、今何してる?バイト終わってのんびりかな?」
「俺はパソコン見に来てて、高スペックの奴気に入ったんだけど、どうしようかなって思って」
楽し気なトオルさんのメッセージに、あたしの口元もほころぶ。
ところが、その後にとんでもない言葉をあの人は打って来た。
「結婚するからさあ」
え?
あたしは固まった。
結婚?
てか、トオルさん、彼女、いたんだ。全然知らなかったけど。
「あれ?美月ちゃん、どうかした?」
能天気なトオルさんのメッセージが続く。
「えっと」
あたしはようやくメッセージを打ち込む。
「トオルさん、彼女いたんだ」
すると、
「なにいうてまんねん!」
大阪のおっちゃんのスタンプが飛んできた。
「だって、今、結婚するからさあって」
今度はトオルさんが沈黙する。
ややあって、
「あっ、ごめん、打ち間違えたwwww」
「何だよ結婚って。結構するからって、あ、パソコンの値段の話」
・・・なんだ、打ち間違いか。びっくりさせないでよ。
「トオルさん、打ち間違えなんて珍しい」
「ごめんごめん。何で間違ったんだか自分でもイミフ」
「www」
「www」
和やかにメッセージのやり取りが続いた後、トオルさんはこんな言葉を漏らした。
「でもさあ、今年、高校の同期が結婚したんだよ。俺たちもそんな年頃かあって思って」
「俺もそろそろ、先のことを考えないといけないのかなあ、なんて思っちゃったよ」
えっ。
あたしは、自分のハートがちくちくと痛むのを感じて、ぎゅっと胸元を抑えた。
トオルさんの家はあたしの家から5分程の所にあって、あたし達は小さい頃からの顔なじみだ。
但し、あたしとトオルさんは年が6つも離れているせいか、あまり一緒に遊んだ記憶はない。
あたしにとってのトオルさんは「近所に住んでいる年上のお兄ちゃん」であり、
トオルさんにとってのあたしは「近所に住んでいる小さな女の子」
それ以上でもそれ以下でもない、そんな関係だった。
だけど、高校3年の受験期、あたしは思うように成績が伸びなくて、酷く落ち込んでいた時期があった。
それを見かねた母が、当時大学院に在籍していたトオルさんに声を掛けてくれた。
と言うのも、母とトオルさんとこのお母さんは昔からとっても仲良しで、懇意にしているご近所さんの息子なら、よもやあたしに妙な真似はしないだろう。との読みもあったと思う。
「悪いけど、ご近所の誼で美月の勉強、見てあげてくれない?ちゃんとお礼するから」
トオルさんは「俺で良ければ」と、二つ返事で引き受けてくれた。
「美月ちゃん。数学が苦手って聞いたけど?」
開口一番、トオルさんは切れ味鋭く突っ込んできた。
「あ、はい・・・高校に入ってから、ついていけなくなっちゃったんです」
あたしが背中を丸めてぼそぼそと答えると、
「美月ちゃん。固いねえ」
トオルさんは明るく声を掛けてきた。
「昔からの顔なじみなんだし、敬語、いらないよ。もっとリラックスしよ」
顔を上げると、そこには年上の男性の素敵な笑顔があった。
とくん。
あたしの心臓が、小さく跳ねた。
「ところで、美月ちゃん。次の日曜、ヒマ?」
トオルさんのメッセージがあたしの思考を遮った。
「うん。午前中はバイトだけど、午後なら空いてる」
平静を装ってメッセージを返す。
「そっか。良かったら、晩ご飯食べに行こうよ。俺、ボーナス入ったし御馳走する」
え・・・。
さっきの発言の後に、デートの誘い?
ちょ、ちょっと待ってよ。
あたしはトオルさんの真意を計りかねて、戸惑った。
でも。何だか、嬉しくもあった。
・・・とっても複雑な気分。
「え、でも、何か悪いよ」
あたしが遠慮すると、
「俺に任せな!」
今度はいなせなお兄さん風のスタンプが飛んできた。
・・・何でここでこのスタンプ?
「美月ちゃん、20歳になったし、ちょっとお酒が飲めて、料理がおいしいところにしようか。俺、探しておくから」
「それじゃ!」
この日のトオルさんのメッセージは、ここで終わった。
その日からデート当日まで、あたしの心は「もしかして」と「いやいやそんなことは」の間でメトロノームのようにぶんぶんと揺れまくっていた。
だって、トオルさんは26歳の大人の男性で。
きっと、友達にも、会社の同僚にも、素敵な女性はたくさんいて。
それに引き換え、あたしはただの幼馴染で。
お酒が飲める年齢にはなったけど、中身は恋愛の機微さえわからない子供で。
「美月、さっきからぼーっとしてどうしたの?」
親友の舞子は心配顔であたしを覗き込む。
「えっ、あっ」
あたしは咄嗟に笑顔を作って、
「うん、ちょっと、考え事」
ぎこちなくナポリタンを口に運ぶ。
「何、その意味深な態度。言いなさいよ」
舞子は冗談めかしてあたしに迫る。
それであたしは、仲のいい舞子になら話してもいいかな、なんて気になって。
「うん・・・あのね」
舞子に、トオルさんのことを打ち明け始めた。
「そっかー、美月にそんなロマンスがあったのかあ」
舞子は満面の笑顔で、大袈裟にうんうんと頷いて見せる。
「美月。それ、完全に脈あり!頑張れ!」
舞子は力強くサムズアップして、あたしを励ましてくれた。
・・・やだ、その気になっちゃうじゃない・・・。
あたしは舞子の励ましを嬉しく思いながらも、全面的に浮かれることも出来ずに曖昧な笑顔を浮かべるだけだった。
デートの当日。
バイトから帰ったあたしは、昼ごはんもそこそこにデートに着ていく洋服選びに没頭した。
目一杯おしゃれする?
いやいや、それ、あざとすぎるでしょ。
でも、普通の服じゃあトオルさんに失礼かな?
ちょっと可愛いのにしようかな。
迷いに迷った挙句、あたしはざっくり編みの白のセーターとひざ丈の赤のタータンチェックのスカートを選んだ。
これに毛糸の帽子とチャコールのウールのコートを合わせれば、きっといい感じになる、はず。
「よし」
あたしは選んだ服を眺めながら、小さく頷いた。
待ち合わせ場所には、あたしが先に到着した。
時計を見ると、約束の時間の10分前だ。
昼間は割と暖かったのに、日が暮れると季節らしい寒さが戻って来た。
あたしは肩をすぼめて、手袋をした両手をコートの袖にしまい込んだ。
「美月ちゃん。ごめん、待たせた?」
向こうから、足を速めてトオルさんが近づいてきた。
今日のトオルさんは、いつものラフなジーンズ姿ではなく、黒いコートとグレーのウールのズボン姿だ。
・・・その姿を見たあたしは思わずドキッとして、ただ首を横に振るしなかった。
「寒いね。早く店に入って暖まろう」
トオルさんはにっこりと微笑むと、あたしを優しくエスコートしてくれた。
あたしの心臓が、とくんとくんと小さく跳ね続けている。
・・・どうしよう。
トオルさんが選んだお店は、スペインバルだった。
ワインとピンチョスという小皿料理が自慢のお店らしい。
「美月ちゃんは普段どんなの飲むの?」
「あんまりお酒強くないから、サワーぐらい」
「そっか。サングリア、美味しいんだけど、挑戦してみる?」
「あ、うん」
トオルさんは小さく笑うと、てきぱきと注文を済ませた。
サングリアはフルーツがたくさん入ったピッチャーで供され、ピンチョスも次々とテーブルに載せられた。
「うわあ、すごい。みんな美味しそう!」
あたしが目を輝かせると、トオルさんは満足そうに頷いた。
「ここの料理、マジ美味いんだよ。遠慮しないでどんどん食べて」
トオルさんはグラスにサングリアを注ぐと、あたしの前に置いた。
「えーと、特に何もないけど、乾杯しよっか」
あはは、と笑うトオルさんの顔を見て、あたしは確信した。
ああ、あたし、本当にこの人のことが、好きなんだな・・・・って。
美味しいお酒と気の利いた料理。そして、目の前には好きな人の笑顔。
まだ、好きとも伝えていないし、トオルさんの気持ちもわからない。
それでも。
あたしは、幸せな気持ちで一杯だった。
お店を出たあたし達は、酔い覚ましをかねて街をそぞろ歩きした。
街路樹には小さなLEDライトが巻き付けらえて、ちょっとしたイルミネーションになっている。
ふふっ、いい雰囲気。
ほろ酔い気分のあたしは、小さく口元を綻ばせた。
そして。
お店では饒舌だったトオルさんは、どういうわけか無口になっていた。
「?」
そのことに気付いたあたしが見上げると、トオルさんは何だか難しい顔でただ前を向いている。
「トオルさん、どうしたの?」
おずおずと問いかけると、トオルさんは、はっ、としたようにあたしに視線を投げた。
「え、えっと・・・」
トオルさんは口籠った。
落ち着かない様子で前髪を弄り出す。
トオルさん、どうしたんだろ。
あたしは、きょとん、とその様子を見守っていた。
「み、美月ちゃん」
ややあって、トオルさんは少し顔を赤らめてあたしに向き直った。
「え、えと、もうすぐ、クリスマス、だよね」
「うん」
あたしが小さく頷くと、トオルさんの顔が更に赤くなった。
そして、口元をぷるぷると震わせながら、ぼそぼそとした声で、こう言った。
「あ、あの、今年のクリスマス、俺にくれない?」
「えっ・・・?」
「あ、いや・・・あっ、無理だよね、美月ちゃん可愛いし、クリスマスは、予定あるよね、あはは、そりゃそうだよな」
トオルさんは慌しく自己完結しようとしている。
「ごめん、今、俺、変なこと言っちゃったよね。気にしないで」
トオルさんのぎこちない笑顔。
ちっとも変なことじゃないよ、トオルさん。
でも・・・あんまりにも、突然じゃない?
だって、
『クリスマスを俺にくれない?』
なんて。
・・・・。
あたしはその言葉の破壊力に、恥ずかしくなって俯いた。
「!ご、ごめん、美月ちゃん」
トオルさんは酷く慌てている。
もしかしたら、あたしを泣かせたと思ったのかな。
あたしは、真っ赤になっている顔を見られるのがちょっと嫌だっただけなの。
それで、あたしは、やっとの思いで声を出した。
「トオルさん。あのね」
あたしの消え入りそうな声に、トオルさんは小さく息を呑んだ。
「あたし、今年のクリスマスは、家族で過ごそうと思ってたの・・・だけど・・・トオルさんと過ごせるなら・・・」
あたしは、心臓がどうにかなりそうだったけど、勇気をもってそのことを伝えた。
「・・・」
トオルさんは再び黙り込んだ。
あたしはどうしたらいいのかわからず、ただ俯いていた。
「美月ちゃん、ありがと」
トオルさんはしみじみと落ち着いた声で、ようやく口を開いた。
顔を上げると、トオルさんは本当に優しい顔であたしを見つめていた。
「トオルさん・・・」
「いい店、探しとく。クリスマス、一緒に楽しもう」
そう言って、トオルさんはあたしに右手を差し出した。
あたしは右手の手袋を外すと、おそるおそるその手を握った。
初めて触ったトオルさんの手は、大きくてちょっと冷たかった。
この日、あたし達の恋物語はゆっくりと船出したのだった。
おわり。
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