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行ってきます!

ー/ー



 それから1週間後。
 ジムルグ行きの連絡船乗り場に、旅立つユージとそれを見送るサクラの姿があった。
 「サクラ。色々ありがとう。迷惑かけるけど、後のことは宜しく」
 ユージははにかむような顔でサクラに右手を差し出した。
 「うん。任せといて。ユージも身体には気を付けてね」
 サクラは笑顔でその手を握った。彼女は、夫を笑顔で見送ると固く心に誓ってこの場に立っていた。
 「魔界政府の出先機関だったら端末使えるらしいから、時々連絡するよ」
 「ホント?赤ちゃんが来たら、写真送るわね」
 別れを惜しむ二人に、連絡船への乗船を促すアナウンスが聞こえてきた。
 「サクラ」
 ユージは、サクラの手を力強く引くと、万感の思いを込めてその身体を抱き締めた。
 (やだ、涙、出ちゃうじゃない)
 サクラは、心の中で己の頬をぱんぱんと叩いた。そして、
 「ユージ、ぐずぐずしてると、船、出ちゃうわよ」
 と、わざと冗談めかして声を掛けた。
 「……そうだね」
 溜息と共に、ゆっくりとユージの身体の感覚が消えてゆく。
 「それじゃ、行ってくる。サクラも、元気で」
 手を振って遠ざかるユージに、
 「いってらっしゃい」
 サクラもまた笑顔で手を振り返した。
 そして、夫の姿が見えなくなった時、ひとり残された彼女は静かに涙を零していた。
 

 さて。
 ジムルグ国・ハネダの連絡船乗り場で、意外な人物がユージを待っていた。
 赤い着物。金の刺繍が入った黒い帯。長い黒髪を無造作に結い上げ、左目の下に泣きぼくろのある、独特の雰囲気のある女性だ。
 そう。彼女はユージたちの師匠その人である。
 ハネダに降り立ち、その姿を見つけたユージの驚きぶりは、想像に難くないだろう。
 「師……匠?」
 ぽかんとした表情で立ち尽くす愛弟子に、
 「やれやれ、やっとおいでなすったね」
 師匠はつかつかと歩み寄った。そして、
 「随分遅かったじゃないか、ユージ。お前ならいつかは気が付くと思っていたが、思いのほか時間がかかったねえ」
 どん、とユージの胸を小突いた。
 「あいたっ……それじゃあ、師匠。もしかしてずっと僕を待っていて下さったんですか?」
 師匠はそれには答えず、
 「ジムルグに来て、やっとお前もスタートラインに立ったってことさね。さ、積もる話は道々しようじゃないか」
 と、ユージの背中を押して歩き出した。

 ユージは道すがら、師匠と最後に会ってからこれまでのあらましを報告した。
 魔界で壁にぶち当たって苦しんだこと、ヒントを求めて天界に行ったこと、サクラとのジムルグ旅行で初めて言葉が動く様を見たこと、などなど。
 「そうかい。それにしてもお前、随分と遠回りしたもんだね」
 話を聞き終わった師匠はじんわりと苦笑いした。
 「はい、面目ない話で――今となっては自分でも不思議なんですけど、中道界には何もないし行っても無駄だと思い込んでいて。サクラがジムルグ旅行に引っ張ってくれなかったら、今頃も全然進めなくて苦しんでいたかと思うとぞっとします」
 と、ユージは正直に打ち明けた。
 「ふふ、お前、サクラには一生頭が上がらないね。サクラ様様だ」
 「はい。仰る通りです」
 そう語るユージの顔は何処となく嬉しそうだ。
 「ふっ、お前たち、相変わらず仲良しだねえ」
 師匠はお熱いことで、とでも言いたげに扇子で自らの首元を扇いだ。
 「そうだ、お前たちの子が産まれたら、あたしも一度拝みに行かないとだね」
 「是非そうしてやって下さい。サクラも喜ぶと思います」
 「なんだい。お前は見に帰らないのかい?」
 師匠はまるで他人事のようなユージの言葉を聞き咎めた。
 「一応、僕は研究しに来ているので――ある程度成果が出るまでは帰らないつもりです」
 師匠はユージの顔をじっと見つめると、
 「ふん。お前なりに覚悟を持ってこっちに来たってことかい――わかったよ。じゃあ、あたしもその覚悟とやらに付き合うとしようか」
 扇子で己の首筋をトントンと叩いた。
 「ところで、お前、こっちで住むところはあるのかい?」
 「今日のところはカプセルホテルに泊まります。明日以降も空いていれば、暫くはそこに」
 「ふうん。仕事は?」
 「それが、魔界で色々当たってみたんですけど、見つからなくて。やっぱり、ジムルグ語の日常会話が出来ないと、難しいみたいで」
 「なんだい、お前。それじゃ、言葉も出来ないくせにいきなりこっちに来たのかい」
 師匠は呆れたような声を上げた。
 「……はい」
 ばつが悪そうに頭を掻くユージに、
 「ったく、お前って奴は、本当にバカだねえ。読み書きも出来ない奴に、どうやって言葉の研究が出来るっていうのさ」
 師匠は雄弁な溜息をついた。
 「大体ねえ、言葉もわからない、仕事もない、住むところもない、この三拍子揃った状態で、熱意とやる気だけでこっちに来たところで、生活も何もかもどうにもならないって何でわからないんだ。
 やれやれ、そんなんでバカな弟子に野垂れ死にでもされたら、こっちの寝覚めが悪くてしょうがないよ」
 散々な言われようだが、師匠の言うことは至極ごもっともである。
 「……すみません」
 ぐうの音も出せないまま、ユージは消え入るような声で謝罪した。

 師匠は再び仕方なさそうに溜息をついた後、
 「まあ、来ちまったもんはしょうがないから、うちにおいでな。年季の入った家だが、丁度1部屋空いてるんだ」
 と、言ってくれた。
 「えっ、いいんですか?」
 師匠からの思わぬ申し出に、ユージは目を丸くした。
 「いいともさ。その代わり、しっかり働いてもらうよ」
 「はい、何でもやります!」
 ユージは勇躍した。渡りに船、地獄に仏とはまさにこのことだ。
 (あ、でも)
 しかし、すぐに魔界人が中道界で就労出来る職種が限られていることを思い出し、
 「あのう、そのお仕事って、僕がやっても問題ないものでしょうか?」
 おずおずと問いかけた。
 「飲食店の店員なら問題ないだろ?――あたしゃここでちょっとした居酒屋をやってるんだ。お前にはそこの手伝いをしてもらうよ」
 そう言って、師匠は屈託なく笑った。



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 それから1週間後。
 ジムルグ行きの連絡船乗り場に、旅立つユージとそれを見送るサクラの姿があった。
 「サクラ。色々ありがとう。迷惑かけるけど、後のことは宜しく」
 ユージははにかむような顔でサクラに右手を差し出した。
 「うん。任せといて。ユージも身体には気を付けてね」
 サクラは笑顔でその手を握った。彼女は、夫を笑顔で見送ると固く心に誓ってこの場に立っていた。
 「魔界政府の出先機関だったら端末使えるらしいから、時々連絡するよ」
 「ホント?赤ちゃんが来たら、写真送るわね」
 別れを惜しむ二人に、連絡船への乗船を促すアナウンスが聞こえてきた。
 「サクラ」
 ユージは、サクラの手を力強く引くと、万感の思いを込めてその身体を抱き締めた。
 (やだ、涙、出ちゃうじゃない)
 サクラは、心の中で己の頬をぱんぱんと叩いた。そして、
 「ユージ、ぐずぐずしてると、船、出ちゃうわよ」
 と、わざと冗談めかして声を掛けた。
 「……そうだね」
 溜息と共に、ゆっくりとユージの身体の感覚が消えてゆく。
 「それじゃ、行ってくる。サクラも、元気で」
 手を振って遠ざかるユージに、
 「いってらっしゃい」
 サクラもまた笑顔で手を振り返した。
 そして、夫の姿が見えなくなった時、ひとり残された彼女は静かに涙を零していた。
 さて。
 ジムルグ国・ハネダの連絡船乗り場で、意外な人物がユージを待っていた。
 赤い着物。金の刺繍が入った黒い帯。長い黒髪を無造作に結い上げ、左目の下に泣きぼくろのある、独特の雰囲気のある女性だ。
 そう。彼女はユージたちの師匠その人である。
 ハネダに降り立ち、その姿を見つけたユージの驚きぶりは、想像に難くないだろう。
 「師……匠?」
 ぽかんとした表情で立ち尽くす愛弟子に、
 「やれやれ、やっとおいでなすったね」
 師匠はつかつかと歩み寄った。そして、
 「随分遅かったじゃないか、ユージ。お前ならいつかは気が付くと思っていたが、思いのほか時間がかかったねえ」
 どん、とユージの胸を小突いた。
 「あいたっ……それじゃあ、師匠。もしかしてずっと僕を待っていて下さったんですか?」
 師匠はそれには答えず、
 「ジムルグに来て、やっとお前もスタートラインに立ったってことさね。さ、積もる話は道々しようじゃないか」
 と、ユージの背中を押して歩き出した。
 ユージは道すがら、師匠と最後に会ってからこれまでのあらましを報告した。
 魔界で壁にぶち当たって苦しんだこと、ヒントを求めて天界に行ったこと、サクラとのジムルグ旅行で初めて言葉が動く様を見たこと、などなど。
 「そうかい。それにしてもお前、随分と遠回りしたもんだね」
 話を聞き終わった師匠はじんわりと苦笑いした。
 「はい、面目ない話で――今となっては自分でも不思議なんですけど、中道界には何もないし行っても無駄だと思い込んでいて。サクラがジムルグ旅行に引っ張ってくれなかったら、今頃も全然進めなくて苦しんでいたかと思うとぞっとします」
 と、ユージは正直に打ち明けた。
 「ふふ、お前、サクラには一生頭が上がらないね。サクラ様様だ」
 「はい。仰る通りです」
 そう語るユージの顔は何処となく嬉しそうだ。
 「ふっ、お前たち、相変わらず仲良しだねえ」
 師匠はお熱いことで、とでも言いたげに扇子で自らの首元を扇いだ。
 「そうだ、お前たちの子が産まれたら、あたしも一度拝みに行かないとだね」
 「是非そうしてやって下さい。サクラも喜ぶと思います」
 「なんだい。お前は見に帰らないのかい?」
 師匠はまるで他人事のようなユージの言葉を聞き咎めた。
 「一応、僕は研究しに来ているので――ある程度成果が出るまでは帰らないつもりです」
 師匠はユージの顔をじっと見つめると、
 「ふん。お前なりに覚悟を持ってこっちに来たってことかい――わかったよ。じゃあ、あたしもその覚悟とやらに付き合うとしようか」
 扇子で己の首筋をトントンと叩いた。
 「ところで、お前、こっちで住むところはあるのかい?」
 「今日のところはカプセルホテルに泊まります。明日以降も空いていれば、暫くはそこに」
 「ふうん。仕事は?」
 「それが、魔界で色々当たってみたんですけど、見つからなくて。やっぱり、ジムルグ語の日常会話が出来ないと、難しいみたいで」
 「なんだい、お前。それじゃ、言葉も出来ないくせにいきなりこっちに来たのかい」
 師匠は呆れたような声を上げた。
 「……はい」
 ばつが悪そうに頭を掻くユージに、
 「ったく、お前って奴は、本当にバカだねえ。読み書きも出来ない奴に、どうやって言葉の研究が出来るっていうのさ」
 師匠は雄弁な溜息をついた。
 「大体ねえ、言葉もわからない、仕事もない、住むところもない、この三拍子揃った状態で、熱意とやる気だけでこっちに来たところで、生活も何もかもどうにもならないって何でわからないんだ。
 やれやれ、そんなんでバカな弟子に野垂れ死にでもされたら、こっちの寝覚めが悪くてしょうがないよ」
 散々な言われようだが、師匠の言うことは至極ごもっともである。
 「……すみません」
 ぐうの音も出せないまま、ユージは消え入るような声で謝罪した。
 師匠は再び仕方なさそうに溜息をついた後、
 「まあ、来ちまったもんはしょうがないから、うちにおいでな。年季の入った家だが、丁度1部屋空いてるんだ」
 と、言ってくれた。
 「えっ、いいんですか?」
 師匠からの思わぬ申し出に、ユージは目を丸くした。
 「いいともさ。その代わり、しっかり働いてもらうよ」
 「はい、何でもやります!」
 ユージは勇躍した。渡りに船、地獄に仏とはまさにこのことだ。
 (あ、でも)
 しかし、すぐに魔界人が中道界で就労出来る職種が限られていることを思い出し、
 「あのう、そのお仕事って、僕がやっても問題ないものでしょうか?」
 おずおずと問いかけた。
 「飲食店の店員なら問題ないだろ?――あたしゃここでちょっとした居酒屋をやってるんだ。お前にはそこの手伝いをしてもらうよ」
 そう言って、師匠は屈託なく笑った。